殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

秘密の言葉・3

2017年02月22日 22時11分05秒 | みりこんぐらし
夫の仕事愛は、意外に深い。

ひたすら会社を愛し、顧客を愛し、商品を愛している。

昔はどうだか知らないが、大手企業との合併を機に

一緒に働くようになったこの5年、その精神に揺らぎは無い。


しかし親の会社でしか働いたことがない彼にとって

組織や建て前という未知の世界は理解しにくかった。

あちらを立てればこちらが立たず

良かれと思ってやることは、本社の誰かの立場を危うくした。


なぜ恨み言を言われるのか、どうして誰かの都合が悪くなるのか

本能と本音だけで生きてきた夫にはわからず、消耗していった。

「やれるだけやって、ダメなら辞めればいいさ」

合併以来、この精神で来たものの

できれば生涯、好きな仕事をさせてやりたいのは山々である。

私は軽い頭を大仰にかしげるのだった。


我々一家の頭上にうっすらと暗雲が立ち込め始めたのは

昨年の秋だったろうか。

「利(り)は元(もと)にあり」というスローガンを本社が打ち出してからだ。


これは「利益は良い仕入れから生まれる」という意味。

たいていの人は「安く叩いて仕入れりゃ儲かる」と解釈するが

この言葉のキモは「良い仕入れ」にある。

安く仕入れるのも「良い仕入れ」のうちではあるが

売るのは良い商品でなければならない‥

顧客の喜ぶ良い商品を売るには、良い商品を仕入れる必要がある‥

良い商品を安定して回してもらうには

仕入れ先も顧客と同じく尊重して大事にしなさい‥

そんな商道の基本を説いた言葉だ。


ここで張り切ったのが、我らの天敵。

永井営業部長率いる本社営業部である。

「利益を出すには、安く仕入れること」

利は元にありを短絡に解釈した彼らは、値切りに血道を上げ始めた。

全社に関わる仕入れ先に行っては「安くしてくれ」とねだるのだ。

何しろ営業部は人材の墓場のメッカ。

本業がパッとしないので、スローガンへと逃げた。

彼らはそれを交渉と呼んでいたが、その恥ずかしい噂は

離れた我々にも届いていた。


その触手は、じきに我が社にも伸びてくる。

仕入れは安いに越したことはない。

時には見直しも必要だ。

しかしこれを商品知識の無い人間が勝手にやろうとして

仕入れ先に乗り込み、相手をひどく怒らせてしまった。


この事態が夫に伝わっていれば

長い付き合いに免じてどうにかなったのは明白である。

しかし当事者は、自分のミスを隠すのに必死だった。

本社上層部は営業部の失態をかばうため、そのまま別の仕入れ先に変え

「見直しの努力の結果、以前より仕入れが安くなった」

という結果オーライに寄り切った。


仕入れ先が変わると商品の品質が変わる。

値段を叩けばランクも下がる。

国産を中国産に変えたようなものだと思っていただきたい。


わずかな差でも顧客にはわかってしまう。

たちまち減少した売り上げと、増加したクレームに

夫は言うに言えぬ怒りを押し殺す日々が続いた。

説明しても、彼らにはわからない。

夫にサラリーマンのフィーリングが無いのと同じく

サラリーマンには商人のフィーリングが無いからである。


このような心境でいると、次々に嫌なことが訪れるもので

天敵にやられっぱなしの日々が続いた。

夫は、以前からたらしこんでいた営業部の若手の協力を得て対抗し

彼らも頑張ってはくれたが

いかんせん、ペーぺーでは太刀打ちできない状況だった。


そこへ、我々の精神的疲労を察知した本社の経理部長ダイちゃんが

宗教勧誘の追い討ちをかける。

「なかなか入信しないから、運命が停止するんだよ。

このままだと、どんどん悪くなるよ」

キー!



何もかも思い通りというわけにいかないのは、わかっている。

安定を得たからには、面倒臭いモロモロもセットでついてくる。

「ダメなら辞めればいいさ」でやってはきたが

バカにやられっぱなしで逃げたのでは女がすたる。

この状況を打破すべく、我が社も独自の合言葉を作ろうではないか‥

私は提案した。


「我々の仕事の目的は?」

さあ‥と首をひねる、不甲斐ない男ども。

「国土強靱化じゃろが!」

はあ‥と、やはり心もとない反応の男ども。


この数十年来、我々の生きる建設業界に対する目は厳しくなり

予算を削られて日陰を歩んできた。

利権をむさぼった先達や政治家がいたから仕方ないにしても

この間にどれだけ天変地異が起き、大切な命が奪われたか。


強い砂防、崩れにくい道路、しっかりした橋があれば助かった命も

少なからず存在する。

防ぎようのない天災とはいえ、人事を尽くして天命を待つことができなかったのは

不況との戦いに忙しかった我々業界人の努力不足も一因ではないのか。

国土強靱化は我々の使命である‥

などとまくし立てているうちにひらめいた。

「国の為だ!」


我々は国の為に働くのだ。

国の為であるからには、細かい人間関係に翻弄されている場合ではない。

我が社のスローガンは「国の為」に決まった‥

いや、一人で勝手に決めた。


「国の為」‥いい!

何にでも通用する。

自分や子供や親という小さな範囲でなく、国単位で物事を眺めるのだ。

働くのも国の為、嫌なことを我慢するのも国の為

家事も育児も嫁姑も、国の為。

あの人が悪い、この人がずるいと虫眼鏡で凝視を続けたらしんどい。

大きく漠然としたフィルターを通せば、景色が変わるのだった。


《続く》
コメント (6)
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