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韓国社会の慢性的問題は韓国国内に来ている海外コリアンに対する嫌悪という感情を生む。だが、これらの問題はかつて、韓国人を真っ先に不幸にしてきた社会的病弊だったことを忘れてはならないだろう。

2021-04-29 | 資本主義という体制そのものが問われている

[朴露子の韓国・内と外]“同胞”たちを差別する国

登録:2021-04-27 21:05 修正:2021-04-28 10:14
 
「母国」に帰還して、罪もないのに拷問室に連行された在日同胞が耐えた苦痛は筆舌に尽くしがたいものだった。ところが“カネ”がすべての価値の基準になる新自由主義時代、そして米中が尖鋭に対立する中で、韓国の世論が米国に傾倒する地政学的葛藤の時代に、もう一つの「国民的他者」になったのは、低賃金地域である延辺から来た中国国籍の同胞たちだ。最も激しい差別を日常的に体験するマイノリティ集団として、障がい者、性的マイノリティ、セトミン(脱北住民)と共に、「朝鮮族」と呼ばれる中国同胞が浮上したのだ。
 
 
                                        イラストレーション=キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 20年余り前、私は韓国のある私立大学でロシア語講師として働いていた。ロシア語科で私は唯一の外国人だったが、同じ大学の英文科にはネイティブスピーカーの教授が10人余りいた。彼らの中に黒人は1人もおらず、私の知る限り、その当時は他の大学にも黒人出身のネイティブスピーカーの教授はほとんどいなかった。米国社会の人種差別パターンを、韓国の大学でもそのまま見習った結果でなかったかと思う。ネイティブスピーカーの教授の大多数は中産層の白人であり、幾人かは二世の在米同胞出身だった。米国で生まれ育った彼らの英語は、白人ネイティブスピーカーの教授と何の違いもなかった。ところが、彼らと話してみると、彼らによって「両親の故郷」である韓国で就職することがどれほど大変だったのかがよく分かった。大学や塾で在米同胞が白人ネイティブスピーカーに比べて“劣等な”存在として扱われていた。彼らと話を交わして、韓国で最も差別を受ける外国人の範ちゅうに在外同胞が属するという事実を初めて知った時、大きなショックを受けた。その当時も「民族」のような用語は広く使われていたが、実際は海外の韓民族こそが韓国国内で冷遇されがちだったのだ。

 近代に入って朝鮮半島は「離散」の地になった。植民地時代の抑圧、そしてその後の深刻な貧困は、本国の総人口に比べて東アジアで最も多いディアスポラを産んだ。海外に暮らすコリアンは、朝鮮半島の総人口の約10%に達するが、それは中国の総人口に対する海外華僑の割合や日本の総人口に対する日系人の割合(それぞれ約3%)、海外で暮らすベトナム人の割合(約4.4%)よりはるかに高い。東アジアではコリアンこそが「離散の民族」になった。ところが、「離散したコリアン」に対する朝鮮半島の二つの国家の態度はいつも好意的であるとばかりは言えなかった。彼らは一方では経済次元として切実に必要な「資源」だったが、もう一方では、南北いずれにもみられる総動員式の兵営秩序に合わない「異質分子」だった。その結果、朝鮮半島の二つの国家との関係において彼らがこうむった被害は少なくなかった。

 6・25戦争(朝鮮戦争)以後に労働力と外貨を切実に必要とした北朝鮮は、1959年から在日朝鮮人を受け入れ始めた。1980年代中盤までに9万3300人を超える在日同胞が北朝鮮に渡った。一方では、彼らにとって北への送還は日本社会での深刻な差別から抜け出す道だった。しかし他方では、異質な社会で生きて来た彼らをまともに受け入れるほど北朝鮮社会の寛容度は高くなかった。適応に失敗した事例が相次ぎ、不平・不満を露骨に吐露する人々には弾圧が加えられた。ところが、同じ時期の韓国でも在日同胞が体験した受難は決して少なくなかった。根本的な理由はまったく同じだった。はるかに自由な異質世界で生きて来た人々を、一つの大きな兵営のような韓国社会がまともに包容するわけがなかった。同胞企業のロッテグループのような会社が1960~70年代に韓国に進出した時には、朴正煕(パク・チョンヒ)政権から全幅の支援を受けたが、多くの在日同胞の「母国帰還」は悲劇で終わった。1970~80年代、母国留学生など韓国に滞在した在日同胞がかかわった各種の「スパイ事件」は319件も発生したが、多くの場合は拷問による自白強要のようなねつ造された事件だった。「母国」に帰還して、罪もないのに拷問室に連行された在日同胞が耐えた苦痛は筆舌に尽くしがたいものだった。

 冷戦が終わってからは「総連系と関連があるかもしれない」という在日同胞に向けられた疑いのまなざしはある程度やわらいだ。現政権期には韓国国籍でない朝鮮籍の在日同胞の母国訪問も可能になるなど、種々の進展があった。ところが“カネ”がすべての価値の基準になる新自由主義時代、そして米中が尖鋭に対立する中で、韓国国内の世論が米国に傾倒する地政学的葛藤の時代に、もう一つの「国民的他者」になったのは、低賃金地域である延辺から来た中国国籍の同胞たちだ。大韓民国で今最も激しい差別を日常的に体験するマイノリティ集団として、障がい者、性的マイノリティ、セトミン(脱北住民)と共に、「朝鮮族」と呼ばれる中国同胞が浮上したのだ。

 1970~80年代の在日同胞に向けられた視線と同じように、中国同胞を凝視する韓国国家と多くの住民の視線は二重的であり自己矛盾的だ。一方では、1970~80年代の韓国経済にとって在日同胞の「財力」が必要だったように、今日の韓国経済にとって中国同胞の「労働力」は必須だ。帰化者などまで含めれば、現在韓国に滞在する中国同胞は約80万人、すなわち中国国内の朝鮮族コミュニティ全体の3分の1以上だ。ここまで多くの中国同胞が韓国に来ている理由は簡単だ。それだけ韓国人たちが回避しようとする職種で彼らの労働力が切実に要求されるためだ。しかしもう一方では、反共産主義の狂気の時代に母国に来た在日同胞がいともたやすく「朝総連系連座者」にされたように、多くの韓国人は朝鮮族を、「同盟国米国」の敵と認識される中国という「国家」の延長であり一部分であるとみなそうとする。結局、新冷戦の二本の軸の間に「挟まった」中間的存在になった朝鮮族は、極度に困難な境遇に置かれることになるわけだ。中国国内でも比較的貧しい地方である東北三省の出身である彼らは、韓国を経済的生存の次元で必要とするが、同時に多民族国家中国の少数者として当然「人民」共同体の一員として認められるために中国に対する帰属意識を表わさなければならない立場だ。“「民族」と「国家」が同一視される国で育った韓国人たちにとっては、帝国型国家において一つの少数民族が政治・文化的に生存するために行わなければならない苦闘とはどんなものなのか、理解するのが難しいかもしれないが、理解しようとする努力さえみられないことが問題だ。

 理解しようと努力する代わりに、むしろ露骨な差別が幅をはびこる。この差別は文化的側面と階級的側面を兼ね備えている。画一主義指向が強い兵営型国家である韓国では、韓国的「標準」と異なる朝鮮族の言語や日常的行動が異質視される一方で、特に韓国内でも主に低賃金下層労働階級を連想させる喫煙や大声で歌を歌うなどは蔑視的凝視の対象になる。結局、「国家」と「個人」、ないし「マイノリティ集団」の間の識別の足りなさ、「違い」を受け入れようとする姿勢の欠如、そして階級的差別のパターンなど、韓国社会の慢性的問題は韓国国内に来ている海外コリアンに対する嫌悪という感情を生む。だが、これらの問題はかつて、韓国人を真っ先に不幸にしてきた社会的病弊だったことを忘れてはならないだろう。

 
//ハンギョレ新聞社
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大学教授・韓国学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )


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