日本と韓国と朝鮮の友好をすすめます・・日朝協会です。アジアと世界情勢を観る。

日本と韓国と朝鮮の歴史・現在から、
平和な未来を切りひらくために....
ご入会ください。1ケ月¥500

全労連や全日本民医連、新婦人、農民連、全商連、民青同盟、全国革新懇など35団体が参加。

2015-06-08 | 日朝協会も協力
6・13大集会
“STOP安倍政権”の結集を



 「STOP安倍政権! 6・13大集会 許すな!戦争する国づくり まもれ!憲法と平和、いのちと暮らし」が13日、東京・臨海広域防災公園で計画されています。この集会は、「安倍政権の『暴走』そのものに待ったをかける共同行動」としておこなわれるものです。浜矩子(のりこ)さん(同志社大学教授)、本田宏さん(外科医師)、松元ヒロさん(コメディアン)など15人の呼びかけ人と全労連や全日本民医連、新婦人、農民連、全商連、民青同盟、全国革新懇など35団体による実行委員会が主催します。
暴走許すなの声を響かせ

 「戦争法案」をはじめ、平和と民主主義、国民の命と暮らしを破壊する安倍晋三政権の暴走に対し国民的反撃がひろがっています。

 「戦争法案」に対しては、全国各地で「若者を戦争にいかせない」「勝手に決めるな!戦争反対」と、反対する運動が急速にひろがっています。志位和夫委員長を先頭にした日本共産党の国会論戦をつうじて、憲法9条を破壊し日本を「海外で戦争できる国」につくりかえる法案の正体が伝わり、不安と批判が高まっています。世論調査でも、法案そのものへの反対とともに、「安保法案『説明不足』81%」(共同通信)など、今国会での成立強行に反対する人が多数です。

 「戦争法案」とともに国会の焦点となっている労働者派遣法改悪案に反対するたたかいも、労働組合の立場の違いをこえてひろがっています。「アベノミクス」による国民生活圧迫に反対する運動、農業と地域を壊し国の主権を脅かす環太平洋連携協定(TPP)反対の共同も広がっています。

 原発の再稼働に反対し、「原発ゼロ」をもとめる運動も継続的に取り組まれています。オール沖縄の願いを踏みにじる米軍基地建設反対の声と行動が全国に広がり、核兵器廃絶の運動も発展しています。相次ぐ医療・介護の大改悪に、医療関係者をはじめ広範な人々が、「社会保障を守れ」「貧困と格差をなくせ」の声をあげています。

 6・13大集会は、こうした運動を結集し、安倍政権そのものに「ノー」を突きつけるものです。「戦争法案」を阻止するたたかいを大きくひろげるとともに、各分野のたたかいをいっそう発展させるものです。実行委員会は、全国からの集会結集とともに、各地で宣伝や集会、署名などの運動を広げ、「STOP安倍政権!」の世論と行動を広げることをよびかけています。

 日本弁護士連合会(日弁連)は総会で、「安全保障法制等の法案に反対し、平和と人権及び立憲主義を守るための宣言」を採択しました。多くの著名人や文化人も、「戦争法案」反対を表明しています。政党と運動の協力・共同が大きく発展し、1万人を超える市民が参加した「オール埼玉総行動」など地方の共同もひろがっています。
世論と運動でおいつめて

 各課題の運動を前進させながら、安倍政権打倒の国民的大運動へと大合流させるならば、安倍政権を追い詰めることは可能です。この集会が情勢にふさわしく成功することが期待されます。

 日本共産党は、国会論戦を通じて悪政の一つひとつを追及するとともに、全国2万を超える支部と地方議員をはじめ党の総力を挙げて「戦争法案」を阻止し、国民の世論と運動で暴走を食い止めるため力を尽くす決意です。

                                   (日本共産党ホームページより転載)

沖縄戦時、宮古島には米軍が上陸しなかったため、駒部隊も宮古島で終戦を迎えた。

2015-06-08 | 戦争反対は、国民みんなの願い
戦後70年 RSSicon
宮古島に大規模陣地壕跡 総延長224メートル 市教委発見、
県が詳細調査2015年6月8日 7:03


 宮古島市で日本軍によって構築されたとみられる大規模な壕跡が確認されたことが7日までに分かった。沖縄戦時に同市に配備された独立混成第60旅団が司令部壕として使用したとみられるという。規模は県内では首里城地下にある第32軍司令部壕に次ぎ、豊見城市の旧海軍司令部壕に比肩する。戦中に使用されたものとしては極めて良好な状態で残存しているといい、一般公開の期待もかかる。 宮古島市教育委員会が発見し、県立埋蔵文化財センター(下地英輝所長)が詳細な調査を行って規模や形状を確認した。同センターが7日までにまとめた、2010~14年度の戦争遺跡調査結果の報告書で明らかになった。

 報告書によると、壕跡は同市城辺長間の更竹丘陵地に位置する。総延長224メートルで、全体の構造から壕口は四つとみられるが、現在は三つが確認されている。内部の通路には約10平方メートルの脇部屋が計18あり、ランプをつるすためと考えられる釘などが打ち込まれている箇所が複数確認された。

 独立混成第60旅団は、終戦約1年前の1944年8月に旧満州で編成され、同年10月に宮古島に上陸し「駒部隊」の通称で知られた。沖縄戦時、宮古島には米軍が上陸しなかったため、駒部隊も宮古島で終戦を迎えた。周辺住民の多くが壕跡の存在を知っており、聞き取り調査や位置などから駒部隊が使用していた可能性が高いとした。報告書では名称を「西更竹司令部壕跡」としている。

 壕跡は一部にくるぶしまで漬かる程度の浸水があるが崩落は少なく、内部は良好な状態で残存していた。県内の戦争遺跡は米軍の激しい攻撃もあり、良好な状態で残っているのは極めてまれだ。調査した宮古島市教委の担当者は「崩落の危険性があるので現段階では一般公開はできないが、良好な状態で残存している。市の重要な戦争遺跡だ」としている。(中里顕)琉球新報より転載