おととい日曜日に、母を施設に訪ねた。
午後は、35、36度の気温だったが、風があったので、施設までそれほど苦にならず歩くことができた。
それで、1時半過ぎに公園に母を連れ出した。
並木は木陰で涼しい。
公園のごく一部だが、明治大学と帝京大学の建物が大きな日陰を作っていて風通しもよく、暑さはキツくなかった。
早めに切り上げて2時には戻った。
それからお三時を食べてから、施設内の水槽の魚を見せに一階ロビーに降りた。
そこで看護師さんが通りかかって、話しかけてくれる。
「うちへ帰りたいわ」
「どちらですか」
「は?」
私が母に聞く。
「多摩川、新宿、それとも高円寺?」
「わからない」
母はそう答えた。
自宅でないことだけは判っているらしい。
その時、新館の身障者施設で、インコを飼っているので見に行くことを勧められた。
黄色と青色の二匹のインコが、色とりどりな可愛らしいものがぶら下げられている籠の中で、元気に動き回っていた。
見ていると、通りかかった介護士さんが、母を見つけてニコニコ顔で話しかけてくれた。
大きな体と同様に、おおらかな性格の男性だ。
二人は手をしっかり握って、再会を喜んでいる。
「羽鳥さん、元気で・・・・」
「えー。おかげさまで」
母は無垢な子供にかえって、全身で喜びを表していた。
すごくホッとした。
入所して2年間、母がパニック状態に陥った時、お世話になった介護士さんだ。
配置換えになって、ここ半年ほどは会うことがなかった。
母は、今あったことが数秒のうちに、綺麗に消去されてしまう認知症。
なのに自分に向けられた人間としての優しさ、大事なことは、記憶の底に残っている、としか思えない反応だった。
家に帰りたいという母の思いに触れると、いつも言葉にならない胸の締め付けを感じる。
その場所がわからない、と知った瞬間にホッとするような、しないような居心地の悪さを感じた。
一つ言えることは、認知症でも豊かな感情は失われていない。そこに人間としての最後の砦・尊厳が宿っている。
怖いけれど、私は母の心情を想像してみる。
・・・施設に突然入れられた戸惑い。
・・・施設での寂しさや孤独・・・それでも理不尽さを、言葉で訴えることをしない。
その母が、インコの側で話しかけてくれた介護士さんに見せた喜びの爆発。
母の喜びは、大空に開いた大輪の花火の様だった。