昨日の掃除が功をそうして、気持ちよく座ることができた。
襖をはずして、二部屋を開け放ったことも気持ち良さに通じてくれたと思う。
そんな部屋の中で、一人坐っていると、捨てたいもの・片付けたいところが、次から次へと浮かんでは消える。
すぐ消えてくれるから助かるんだけど。
さて、いつも思うことがある。
短い時間の坐禅を終えて、2度目の体操をして、パソコンの前に正座したとき実感として得られること。
それは、背骨のスッキリ感、つまりからだの長軸が鉛直方向に一致している感である。
この感じは得難い。
ただ坐るだけで、得られるなんて!
貴重だ、と思えてならない。
それに一銭もかからないのだ・・・・。
結局、現世利益を求めて坐っているのかも。
それって、さもしいかな?
でもね、私の場合、背骨が伸びている気持ち良さから得られることは、何にかはわからないけれど、生きていることを許されている安心につながるんだよね。
ここにいる自分を肯定できる気持ちが溢れてくるのって、それは充実感だと思う。
そんなわけで、休み休みでも、自己流でも、もう少し続けていたい。
以上、58日目の坐禅日記でした。