今年の干支は、商売繁盛の蛇。うぅーん。正直いって、好きになれない。
それでも25年前、故吉野裕子さんの著書『蛇』を読んだ。野口先生のお供をして、目白のご自宅を訪問した。
柳田国男の民俗学に異議を唱えた、希有な民俗学者である。日本の基層文化として宗教は「蛇信仰」だった。後に大陸から入ってきた文化(宗教儀礼)のなかに、その信仰を巧みに取り込んだり隠し込んだりした、という説を発表されている。
で、ご著書のなかに、文京区弥生にお住まいだった高田栄一さんの研究を知った。
当然、野口先生のお供で、お宅を訪ねたのが、辰歳の晩秋だった。
そうした縁を得て、朝日カルチャーセンターで「蛇と親しみ 蛇に貞く」と題して、高田先生をゲストに迎え、野口先生とのコラボを実現1993年酉歳のことだった。
高田先生も亡くなって、あの世で蛇談義でもなさっておられることだろう。
さて、昨日の朝日カルチャー講座、本年度最初のレッスンでは、「蛇と親しみ 蛇に貞く」の際に集めた、ものを選りすぐってもっていった。
蛇の抜け殻、蛇の骨といったものから、世界各地にあるおもちゃ、マリリンモンローが身につけたのが発端といわれる鱗を思わせる金属のベルトまで、さまざまなものである。
野口先生の楽しみは、一見して何も関係がないように見えるもののなかに共通項をみつけだす。それだけでは終わらず、動きの原理を引き出し、それを種に膨らまし、動きのイメージとして示すことだった。
自然のもの、人工のもの、何でもありの世界なのだ。
わかる人にはわかる。わからなくても結構面白い。
面白がっているうちに、動きが自然によくなっていく。
昨日は、「ひねり」を動きのテーマとして引き出してみた。
今日は、どうしようか、と、迷ったがやはり「蛇」とその周辺をテーマにするしかない、かと思っている。
「もの」の力は、非常に大きい。見るだけでなく、触れてみることから伝わる『何か』は、野口体操の動きとその理論を理屈でなく身につける助けとなってくれる。
蛇の公開講座の折に高田から美しいボール錦蛇を首に巻いてもらった。さらさらした肌、じわりと首に巻き付いてくる感触。不快ではなかった。しかし、、、、、、哺乳類として蛇を畏怖する心情は、親しみとは言えない。
野口先生が提示したかったことは、人間が失って行く「畏れの感覚」「自然に対する謙虚さ」が、からだへと落とし込まれて行く大事さだったのではないだろうか。
脊椎動物の進化のなかで極まった姿が、手足を捨てた「蛇」である、というようなことを高田先生は話されていた。
巳歳が、よい一年でありますよう、祈るとしましょう。
それでも25年前、故吉野裕子さんの著書『蛇』を読んだ。野口先生のお供をして、目白のご自宅を訪問した。
柳田国男の民俗学に異議を唱えた、希有な民俗学者である。日本の基層文化として宗教は「蛇信仰」だった。後に大陸から入ってきた文化(宗教儀礼)のなかに、その信仰を巧みに取り込んだり隠し込んだりした、という説を発表されている。
で、ご著書のなかに、文京区弥生にお住まいだった高田栄一さんの研究を知った。
当然、野口先生のお供で、お宅を訪ねたのが、辰歳の晩秋だった。
そうした縁を得て、朝日カルチャーセンターで「蛇と親しみ 蛇に貞く」と題して、高田先生をゲストに迎え、野口先生とのコラボを実現1993年酉歳のことだった。
高田先生も亡くなって、あの世で蛇談義でもなさっておられることだろう。
さて、昨日の朝日カルチャー講座、本年度最初のレッスンでは、「蛇と親しみ 蛇に貞く」の際に集めた、ものを選りすぐってもっていった。
蛇の抜け殻、蛇の骨といったものから、世界各地にあるおもちゃ、マリリンモンローが身につけたのが発端といわれる鱗を思わせる金属のベルトまで、さまざまなものである。
野口先生の楽しみは、一見して何も関係がないように見えるもののなかに共通項をみつけだす。それだけでは終わらず、動きの原理を引き出し、それを種に膨らまし、動きのイメージとして示すことだった。
自然のもの、人工のもの、何でもありの世界なのだ。
わかる人にはわかる。わからなくても結構面白い。
面白がっているうちに、動きが自然によくなっていく。
昨日は、「ひねり」を動きのテーマとして引き出してみた。
今日は、どうしようか、と、迷ったがやはり「蛇」とその周辺をテーマにするしかない、かと思っている。
「もの」の力は、非常に大きい。見るだけでなく、触れてみることから伝わる『何か』は、野口体操の動きとその理論を理屈でなく身につける助けとなってくれる。
蛇の公開講座の折に高田から美しいボール錦蛇を首に巻いてもらった。さらさらした肌、じわりと首に巻き付いてくる感触。不快ではなかった。しかし、、、、、、哺乳類として蛇を畏怖する心情は、親しみとは言えない。
野口先生が提示したかったことは、人間が失って行く「畏れの感覚」「自然に対する謙虚さ」が、からだへと落とし込まれて行く大事さだったのではないだろうか。
脊椎動物の進化のなかで極まった姿が、手足を捨てた「蛇」である、というようなことを高田先生は話されていた。
巳歳が、よい一年でありますよう、祈るとしましょう。