羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『白い宴』と『原初生命体としての人間』

2013年01月31日 12時36分35秒 | Weblog
 久しぶりに『原初生命体としての人間』野口三千三著を読み返している。
 NHK人生読本「私の身体論」で先生が語っておられる内容は、この本の第一章「体操による『人間変革』と、第三章『息と「生き」』を参照しながら聞くことによって、より理解が深まる。というか、難解な本を理解するのに、この放送内容は、平易な言葉で語られているだけに、手助けとして一級の資料であると思う。

 さて、この第三章の中から、小見出し『生き方と「息方」』の部分が、角川書店『高校生の現代文』に採用されて、一昨年まで教科書として使われていた。
 その出だしは次のようなフレーズから始まる。
《心臓移植の問題が起きたとき、人間の生と死の判定の問題が、医学を中心として広い分野で盛んに論議された。このことは、医学的にどう結論が出ようが、法律的にどのように決定されようが、それはある一つの角度から、何かに基準を求めて、仮にそう決めてみるだけのことだと思う》

 大学の授業で「呼吸」について取り上げる時、かならずこの文章を読み上げている。
 ただ今回、この時代の臓器移植に関して、調べてこなかったことに愕然とし、忸怩たる思いを抱いた。
 既に連載は終わったが、日経新聞『私の履歴書』に渡辺淳一氏が書かれたものを読んだことがきっかけとなった。

 24回『和田心臓移植 日本初の「快挙」と信じる 疑問の声に新聞紙上で反論』
 25回『病院辞める決意 「二つの死」に自ら決着 作家専念を宣言、母は反対』

 この文章を読んで、昭和43年(1968年)当時の心臓移植(臓器移植)をテーマにした「『小説・心臓移植』を読まなければいけない、とすぐさまアマゾンをクリックした。
 検索すると、改題・加筆された『白い宴』が角川文庫に入っていた。
 注文した数日後、本が郵便受けに投函されていた。
 整形外科医としての経験と知識によって細部のリアルさが担保されたドキュメント風長編作品として、非常に精度の高い名作だと感じながら一気に読ませてもらった。
 小説という形式をとっているために、その当時の時代の様子がつぶさに伝わってくる。最初に改題される前の小説が発表されたのは昭和44年(1969年)。当時、私は20歳だった。おそらく出版当初にこの小説を読んだとして、どの程度の理解ができたかわからない。野口体操に出会わなかったら、今回の読みもありえなかったと確信している。

 さて、『原初生命体としての人間』が三笠書房から出版されたのは、昭和47年(1972年)のこと。本の具体的な草稿は、それ以前の数年前と考えられる。
 昭和43年(1968年)当時、野口は54歳になっていた。相当に深く考えられて、呼吸についての第三章『生き方は「息方」』の前述の文章が書かれたに違いない。
 
 一冊の本を読み解くには時代を知ることが必須なのだ、と改めて読み直しをしている。
 野口体操は動きを身につけると同時に、時代を読む、社会を読む、科学をひもとく、ことばを遡る、といった学びの原点に立つことを並行して行う面白さだ、と確信している。

 ちなみに『失楽園』の作家が、硬派の社会派作品をベースに作家の道を歩み始めた、その原点を垣間みることができたことも収穫だった。
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