羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

セルフネグレクトと愚行為権

2013年01月25日 10時00分54秒 | Weblog
 日経新聞1月22日付け「らいふプラス」で、気になる記事を見つけた。
 高齢になって《普通に生活するなかで、当然行うべき行為を行わない、あるいは能力がないことから、自身の心身の安全や健康が脅かされる状態に陥る》
 アメリカで生まれた概念「セルフネグレクト」という内容の記事だった。

 わが町でもこうした状況をいくつか目にしている。
 それだけではなく、外側から見た目にはわからないが、家に入ってみると問題がある知人が数名。
 立て替え前の我が家も、父が闘病生活を15年間していたこともあって、だんだんと家の中が片付けきれない状態にあった時期もある。
 自宅の蔵にものを残して立て替えをしたこともあって、思い切って捨てることができなかった。ようやく新しい家に住みはじめてから、年単位で分類をしながら捨てる作業を行った。
 7年半過ごしているが、まだまだ整理は完全にはついていない。それでも相当に片付いてきた実感はある。

 転勤族ではなかく、一所にずっと住まい続けているので、驚くほどの物が溜まっている。
 ものを捨てようとすると背後霊のように立って「捨ててはいけない」といっていた母が、ここ1~2年で何も言わなくなった。そこで大手を振って捨てられるようになったが、コソコソ気づかれないように捨てていた時期が長かった。
 
 この記事にある程に病的でなくても、日常生活の基本である「衣・食・住」に、様々に問題が生じている高齢者は、ものすごく多いと思う。
 最近では、予算を組み支援に取り組みはじめている自治体を紹介するニュースも目にするようになった。

 で、記事の最後には次のようなまとめがあった。
《監視社会になってはいけない。人は愚かなこともできる愚行為権があり、認知力に問題のない人の場合、尊重する必要がある》
 セルフネグレクトの人の約3割は、独居ではないらしい。家族や親族との関係が悪化しているケースが多いという。
 たしかにそうかも知れない。
 
 私自身も苦い経験をしたことがある。
 相手に懇願され、よかれと思って手助けをし終わった後に、遠方に暮らすご家族からよく思われなかった。
「だったら、あなた方がちゃんとしてあげればよかったのに、本人の意向に添ったやりかたで、仕方なくお手伝いをしただけですよ」
 そうした言葉も呑み込んで、微妙な人間関係のなかで悶々としたこともあった。悶々とはしたけれど、そのときも、今でも、ひとつも悔やんではいない。
 とにかく難しい。頼む方も頼まれる方も、その時々に適切な判断をしてやっているつもりが、結果として周りの人間の反感を買うことになる場合がある特殊な例だった、かもしれない。
「愚かなことも出来る愚行為権」とは、よく言ったものだ!
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« もう一つ追加 | トップ | NHKラジオ放送『人生読本』ー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事