土曜日(1月12日)の取材は、よい雰囲気で終わることができた。
野口先生の最後の20年間、マスコミ取材の対応をさせていただいた私は、時にお断りをしたり、いいにくいことを言ったり、原稿をチェックして言葉や写真に注文をつけたり、憎まれ役も担ってきた。
先生没後は、お話をいただいた取材は、お断りせずに引き受けてきた。
マニアックなものから大手新聞社まで多岐にわたっているが、おかげさまで真っ当な取り上げ方をしてもらい、嫌な思いはしないですんだ。
さて、今回、月刊「秘伝」は、三回目である。
一回目は、野口体操紹介で、写真のモデルは私一人で行った。
二回目は、「身体サミット」と題した公開講座のリポート記事だった。
そして三回目。
野口三千三の野口体操から、現在へ、これまでに紹介しなかった動き等々を交えて、野口体操の本質を伝えたい、という申し出だった。
スタジオ撮影を行う余裕がなく、教室での撮影といいう条件で、前もって何が撮りたいのかについて、大まかな企画をいただいてあった。
見ると、レッスンが終わったあとに、さささッと撮影できるようなものでない。
「どうしたらいいの?」
作戦会議は、一人で行う。
上手くいかなかったら、私ひとりの責任だ、というスタンスで今までもやってきたし、今回もそれを貫こうと思った。
「もの・ことば・うごき」、これが「野口三千三授業記録の会」が、残してきたビデオ記録の共通したタイトルだったことを思い出した。
ものが語る言葉を直に貞く。
付加価値をつけてものの本質を語る。
そこから受けるイメージで動きの質を探る。
野口先生が体操のレッスンのなかでなさってきたことを思い出した。
レッスンの進め方は、これで決まった。
しかし、問題は一つ。
全員に満足してもらうことは難しいが、高い月謝を納めている受講者の方々にとっても、迷惑をかけないことは勿論のこと、意義のある写真撮影であるには、どうしたらよいのか。
レッスンのなかで時間をとって、時間内で撮り終わるには、どうしたらよいのか。
モデルは、一人ずつ写されるのだから、過剰な緊張をしないで臨む条件づくりは、どうしたらよいのか。
事前にお願いしていた人もいるが、その場で誰かをご指名することもある。
緻密な計算をする私ではないが、年初の取材でお互いに嫌な思いをするいことは避けたかった。
取材者、モデルさん、その場で見守ってくれる方々、その三者が一体になって撮影がスムーズに行われるためにどのような在り方がいちばんなのか?
夜中に目覚めた私は、丁寧に体操をしながら、最低限の必要事項を思い描いてレッスンに備えた。
そして午後3時半、定時でレッスンは始まった。
「エイヤッ」とばかりに、その場の雰囲気に身を任せる!
しかし、何時の時点で撮影をはじめるのがベターか? 時々、そのことが脳裏をよぎる。
ひとこと加えれば、こうした取材を一年間で百回くらいはこなすベテラン記者さんである。独りで写真を撮り、メモを取り、途中では思わずからだをゆすっている。その様子を見つつ、その場に自然に溶け込んだ頃合いを見計らって、「今だ」とばかりに、教室をスタジオ変身させた。というよりショーのような感じで!自然に移行させてもらった。とっさの判断でしたが。。。。。
いつとはなしに、誰とはなしに、一つの動きの撮影が終わると拍手がおこり、被写体として迷うと何げない意見。声にならない好意的な声援あり、手拍子あり、……etc.さすがさすがの教室メンバーの対応をいただいた。
こうした雰囲気がモデルにとってはありがいたのであります。
ちょっと引いて教室内を俯瞰してみると、寝そべった姿勢でシャッターを切っている巨体のカメラマンも絵になっていた。
最後の30分弱で、一気に撮影終了。
誰にとってもはじめての経験だった。
「オープンでやったのがよかった」
「いつも見られない動きがじっくり見られて勉強になった」
「野口体操のインデックスをきれいに開いてもらったようだ」
「取材ってこんな風にやるの?楽しかった」
「今日は、とってもお得感があったわ」
年がら年中の取材は困るけれど、たまにはスリリングでいい、といたしましょう。
この場を借りて、お一人おひとりに、お礼を申し上げます。
ありがとうございます。
あとは、雑誌が出てからのお楽しみ!
野口先生の最後の20年間、マスコミ取材の対応をさせていただいた私は、時にお断りをしたり、いいにくいことを言ったり、原稿をチェックして言葉や写真に注文をつけたり、憎まれ役も担ってきた。
先生没後は、お話をいただいた取材は、お断りせずに引き受けてきた。
マニアックなものから大手新聞社まで多岐にわたっているが、おかげさまで真っ当な取り上げ方をしてもらい、嫌な思いはしないですんだ。
さて、今回、月刊「秘伝」は、三回目である。
一回目は、野口体操紹介で、写真のモデルは私一人で行った。
二回目は、「身体サミット」と題した公開講座のリポート記事だった。
そして三回目。
野口三千三の野口体操から、現在へ、これまでに紹介しなかった動き等々を交えて、野口体操の本質を伝えたい、という申し出だった。
スタジオ撮影を行う余裕がなく、教室での撮影といいう条件で、前もって何が撮りたいのかについて、大まかな企画をいただいてあった。
見ると、レッスンが終わったあとに、さささッと撮影できるようなものでない。
「どうしたらいいの?」
作戦会議は、一人で行う。
上手くいかなかったら、私ひとりの責任だ、というスタンスで今までもやってきたし、今回もそれを貫こうと思った。
「もの・ことば・うごき」、これが「野口三千三授業記録の会」が、残してきたビデオ記録の共通したタイトルだったことを思い出した。
ものが語る言葉を直に貞く。
付加価値をつけてものの本質を語る。
そこから受けるイメージで動きの質を探る。
野口先生が体操のレッスンのなかでなさってきたことを思い出した。
レッスンの進め方は、これで決まった。
しかし、問題は一つ。
全員に満足してもらうことは難しいが、高い月謝を納めている受講者の方々にとっても、迷惑をかけないことは勿論のこと、意義のある写真撮影であるには、どうしたらよいのか。
レッスンのなかで時間をとって、時間内で撮り終わるには、どうしたらよいのか。
モデルは、一人ずつ写されるのだから、過剰な緊張をしないで臨む条件づくりは、どうしたらよいのか。
事前にお願いしていた人もいるが、その場で誰かをご指名することもある。
緻密な計算をする私ではないが、年初の取材でお互いに嫌な思いをするいことは避けたかった。
取材者、モデルさん、その場で見守ってくれる方々、その三者が一体になって撮影がスムーズに行われるためにどのような在り方がいちばんなのか?
夜中に目覚めた私は、丁寧に体操をしながら、最低限の必要事項を思い描いてレッスンに備えた。
そして午後3時半、定時でレッスンは始まった。
「エイヤッ」とばかりに、その場の雰囲気に身を任せる!
しかし、何時の時点で撮影をはじめるのがベターか? 時々、そのことが脳裏をよぎる。
ひとこと加えれば、こうした取材を一年間で百回くらいはこなすベテラン記者さんである。独りで写真を撮り、メモを取り、途中では思わずからだをゆすっている。その様子を見つつ、その場に自然に溶け込んだ頃合いを見計らって、「今だ」とばかりに、教室をスタジオ変身させた。というよりショーのような感じで!自然に移行させてもらった。とっさの判断でしたが。。。。。
いつとはなしに、誰とはなしに、一つの動きの撮影が終わると拍手がおこり、被写体として迷うと何げない意見。声にならない好意的な声援あり、手拍子あり、……etc.さすがさすがの教室メンバーの対応をいただいた。
こうした雰囲気がモデルにとってはありがいたのであります。
ちょっと引いて教室内を俯瞰してみると、寝そべった姿勢でシャッターを切っている巨体のカメラマンも絵になっていた。
最後の30分弱で、一気に撮影終了。
誰にとってもはじめての経験だった。
「オープンでやったのがよかった」
「いつも見られない動きがじっくり見られて勉強になった」
「野口体操のインデックスをきれいに開いてもらったようだ」
「取材ってこんな風にやるの?楽しかった」
「今日は、とってもお得感があったわ」
年がら年中の取材は困るけれど、たまにはスリリングでいい、といたしましょう。
この場を借りて、お一人おひとりに、お礼を申し上げます。
ありがとうございます。
あとは、雑誌が出てからのお楽しみ!
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