羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

本日から始動

2013年01月05日 09時42分40秒 | Weblog
 毎年、正月二日には、親戚のものがお年賀に来てくれる。
「たまには違う正月飾りをしたいし、御節になにか加えたい」
 母曰く
「節句というのは変わらないのがいいのよ」
 ということで、今年も、凧を壁に、大・中・小そろえていくつかの独楽を舟板(舟だった板で、水につかっていただけに、木目に独特の風合いがある)の上にのせて、玄関の正面に飾った。
 料理も同じ。
 今年の正月は、お屠蘇代わりに、クリスマス時期に店頭でみつけたシャンパンを買っておいた。
 そこで、何十年ぶりだろうか。リッツクラッカーを土台にしたカナッペを少々。キャビア+レモン、チーズ+三つ葉+イクラを数粒、たっぷりのイクラ+青のりの三種類。早めに作りおくカナッペには薄くバターを塗っておくと湿気が移らないし、味が良くなることを思い出した。
 
 お雑煮には、毎年お歳暮としてMさんから届くお餅が、非常に美味でよい。
 味はもちろん、口に入れたときの舌ざわりが格別である。真っ白な絹の肌合いに通じる滑らかさ。
 一枚を小さく三つに切っておくと、年寄りにも安心して食べてもらえる。

 思えば、野口先生が存命の頃、20年間は我が家の御節を重箱につめて、大晦日にお届けしていた。
 すると元日の朝は、まず、先生からの年賀の電話が入っていた。ひとしきり御節の味の批評である。批評といってもお褒めの言葉だ。悪い事はおっしゃらない。
 その声を聞かなくなって、十五回めのお正月ということになる。

 届ける先もなく、少なめに作ったつもりだったが、今朝、ようやくほぼ食べきった。
 皆が年を取ってきたことの実感が、ひしひしと伝わる瞬間であった。
 もう一つ、年寄りには年間を通して、簡単でいいから節句を行うが大切。飾り物、料理、会話、来客、etc.
 一度、面倒くさい、と思ったらおしまい。しかし、惚けはじめた意識をちょっとでも立て直し、先送り効果は抜群である。こんなことを感じるようになったのも最近のこと。母の様子に心を配るようになったのも最近のこと。それまではそうした気遣いはそれほど意識しなかった、と気づかされた。

 さて、巳年もいよいよ始動。
 本日の朝日カルチャーの講座から、新年の初レッスンだ。
 そこで巳年と言えば高田栄一さんと「蛇」研究の吉野裕子さんを思い出す。
 福島保さんの新しい干支独楽を加えて、いくつかのものを持参しようと準備している。
コメント
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