羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

山手線百年……母はいまだ‘省線’

2009年10月23日 08時59分57秒 | Weblog
 電車の気配を感じて、池袋駅の階段を途中から足早に上がると、丁度ホームに滑り込んできた。
「えっ、茶色だ! 明治チョコレート?」
 減速し停車寸前の車体の文字を読む。
「なんだ、新製品チョコレートの宣伝か」
 夕方の混雑が始まる前の四時半過ぎ。
 電車はまだ空いているだけでなく、ターミナル駅では降りる乗客も多い。
 そんなわけでゆっくり焦らなくても、席に腰掛けることができた。

 一息ついて、斜め上方に目をやると「山手線100年」と言う文字。
 山手線と呼ぶようになって今年が百年というわけだ。
 しばらく記念号として茶色の車体の電車が走るそうだ。

 確かに懐かしい。
 子供のころの記憶も、大人になってからも、山手線は茶色だった。
 いつから色変わりしたのか、正確な年代はわからない。
 中央線も同様で、オレンジ色の期間が長く続いていた。にもかかわらず最近になってオレンジ色の車両にごく稀に出くわすと、もの凄く懐かしさを感じてしまう。
 山手線も中央線もすっかり新しい車両に慣れてしまっている。

 十年一昔。
 百年は長い。

 しかし、懐かしい話、ちょっと昔の話をすると、なんと五十年つまり半世紀近かったりする。
 還暦を迎えるというのはそれなりの長さを生きてきたのだなぁ~、と思うことがしばしばある。
 さらに母の昔話を聞いていると、ときどきお金の単位が狂っていることがある。
「五円だったかしら、五銭じゃないわよね」などとのたまう。

 お金の単位や電車の色や名称は、生きた時代をあらわしている。
 そうか、山手線と呼ばれるようになって百年だとすると、私が生まれるたった四十年前に命名されたわけだ。
 まだ百年しかたっていない。長いのか短いのか分からなくなる。

 そういえば八十四歳の母は、未だに山手線を‘省線’と呼ぶ。
 それが彼女の実感を伴った名称だからだ。
 いやはや時は流れ時代は変わる。 
 
 昨日は、茶色の山手線に揺られながら‘残された時間のことも少しは考えよう’とはじめて思った。
コメント
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