羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

透明な秋の朝に

2009年10月12日 15時45分50秒 | Weblog
 青豆は車内でヤナーチェックの‘シンフォニエッタ’に耳を傾けていた。
 私のiPhoneにも同じ曲が入っている。
 クリックしたものの、何か違和感がある。
 電車だからか?
 朝だからか?
 四谷を出て外堀沿いを走る千葉行きの総武線だからだろうか?

 時計の針は九時を四分の一、十五分を過ぎたところだった。
 車窓からは、波立つことない青というより緑に近い水面が見えてくる。
 休日の朝の鈍行は、椅子に腰掛けている人がまばらに乗車しているだけだった。
 時折、車内を進行方向から風が通り抜けていく。
 それがなんとも心地よい。
 寒くもなく、熱くもない。

「もしかして、チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトがいいかも」
 いくつかの曲のなかから選び出した。
 退廃的な音楽はこんな朝に相応しくない。
 かといって明るく元気すぎるのも合わない。
 甘すぎず、しかし潤いがあって、若き日の恋を思い出させてくれるようなロマンティックさも兼ね備えている曲。
 それがチャイコフスキーのニ長調のヴァイオリンコンチェルトだった。

 防衛省を通り過ぎた市ヶ谷の堀には、釣堀がある。
 以前から映画に使われていたりする場所だ。
 東京とは思えないのんびり感がいい。
 
 次の駅、飯田橋の堀には貸しボートがある。
 夏はカンカン照りで熱すぎる。
 その点、桜の季節、あるいは錦繍の季節に、ボートを浮かべるのはもってこいである。

 私は、チャイコフスキーを聞きながら、お茶の水に向かう車中から、外を眺めていた。
 ヴァイオリンの音色は、潜んでいた過去を思い出させてくれる。
 それも束の間、電車は御茶ノ水駅に到着する。
 改札を出る。
 さすがに休日。
 行きかう人は普段の半分もいないし、車の往来も少ない。

 大学のロビーにも学生は数えるほどしかいない。
 エスカレーターから下を見ると、そこにはこれまで見たことがない光景が目に入った。ベンチから膝から下をだらりとぶら下げたまま、曝睡している男子学生がいた。
「何があったのだろう」

 今日は、休日講義のある日だった。
 月曜日ばかりが休みが多すぎて、授業日数が足らなくなるからだ。
 ふと、以前のように祭日を戻してほしい、と思った。
 が、しかし、こんな日に授業に出かけるのも悪くない、と思えた。
 秋の空気が透明だったから。
 いつもと違う街の風情も捨てがたいし……。
 
 なぜか、中央総武線沿線は天吾君の町なのだ、とはっきりした理由は浮かばないが‘1Q84’を思い出した朝だった。
 ノーベル賞を逃したのはちょっと残念か、でもねぇ、村上さんの作品は、文学というより‘音楽’だ、と私は思うんだけど。
 正確に言うと、文学だけど、音楽を聞く快感と共通の‘感覚’が喚起されるんだけどってことなの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする