盆休みはいい。
だって、ピアノが弾けるもの。
本当に久ぶりだった。
春は、母の病気で弾くことが出来なかった。
その後は、何かと落着かなくてピアノどころではなかった。
8月に入って、片付けも一段落ついたところで、弾く気力がようやく出てきた。その上、昨日のブログで清水寺の庵で弾いた話を書いたことで、ベートーベンのソナタ「悲愴」を弾きたくなった。
まず、第二楽章から鳴らしてみた。
はじめは音もよく聞こえなかった。30分するころには、ようやくピアノの音として耳に響いてきた。
それから第三楽章、そして第一楽章へ。
そして全楽章を通してみた。
指が動かないことや、コントロールがきかないことなどは、想定内の出来事だからおどろかない。
おどろいたことは、あんなに難しいと思っていた楽曲の内容が、すらすらと意味がとれるようになっているのだ。
そして以前だったら、途中でぐらついてしまうところが、踏ん張る感覚がもてるのだ。
いやいや、テクニックは落ちているのに、解釈はまったく楽になり深くなっている。これが歳を重ねるということなのかもしれない。
数年前に、グランドピアノを手放して、ドイツ製のアップライトに買い換えた。なかなかいい音が出る。
しかし…しかし…
「シュタンウェイとは言わないけれど、グランドピアノがほしい」
つい口走ってしまった。
グランドピアノのアクションは、重さに逆らわない。弦は水平に張ってあって、鍵盤を打つとハンマーが真上に上がって弦を叩き、ハンマーの重さで鉛直方向に落ちてくる。その上下動を感じながら演奏をすることになる。
ペダルもダンパーが上下に動くので、微妙なハーフペダル(半分だけ踏み込む)やそのまた半分のペダルやビブラートペダル(貧乏ゆすりをもっと細かくするような踏み方)が自由に出来る。
上下方向の動きは重さが生かされるので、自然なムーブメントのなかでピアノとの関係を持ち続けることが出来る。
一方、アップライトピアノは、斜めの方向から働きかえることになる。
弦はグランドピアノの水平に対して垂直方向、つまり鉛直方向に張られている。
ハンマーは啄木鳥のような鉛直方向に対して叩くことになる。したがってハンマーが重さで落ちる感覚が掴みにくいのだ。ペダルも同様の方向にある。
愚痴をいっても仕方がない。
そんな思いは、テクニックよりも作品への理解度が、増していることの証明だった。15・6歳の時代の理解と同じでは困るわけだが、久しぶりに取り出して新鮮だったのかもしれない。
いずれにしてもこの酷暑では、盆栽の水遣りは一日に2回。他の人では鉢の中の様子を知らないので、頼むことが出来ない。
立ち直ってくれたとはいえ、腰に爆弾を抱えている母のこともあり、旅行は当分出られそうにない。
そんなときに、ピアノがあってよかったとつくづくありがたいと思う。
やっぱりグランドピアノがほしいなぁ~。でも、置き場がないのよね、ガッカリである。
まっ、いいか。贅沢は敵だ!?
違うかなぁ~。贅沢は素敵だ!?
その前に、しばらくはピアノを弾く時間がとれることに感謝しよう。
だって、ピアノが弾けるもの。
本当に久ぶりだった。
春は、母の病気で弾くことが出来なかった。
その後は、何かと落着かなくてピアノどころではなかった。
8月に入って、片付けも一段落ついたところで、弾く気力がようやく出てきた。その上、昨日のブログで清水寺の庵で弾いた話を書いたことで、ベートーベンのソナタ「悲愴」を弾きたくなった。
まず、第二楽章から鳴らしてみた。
はじめは音もよく聞こえなかった。30分するころには、ようやくピアノの音として耳に響いてきた。
それから第三楽章、そして第一楽章へ。
そして全楽章を通してみた。
指が動かないことや、コントロールがきかないことなどは、想定内の出来事だからおどろかない。
おどろいたことは、あんなに難しいと思っていた楽曲の内容が、すらすらと意味がとれるようになっているのだ。
そして以前だったら、途中でぐらついてしまうところが、踏ん張る感覚がもてるのだ。
いやいや、テクニックは落ちているのに、解釈はまったく楽になり深くなっている。これが歳を重ねるということなのかもしれない。
数年前に、グランドピアノを手放して、ドイツ製のアップライトに買い換えた。なかなかいい音が出る。
しかし…しかし…
「シュタンウェイとは言わないけれど、グランドピアノがほしい」
つい口走ってしまった。
グランドピアノのアクションは、重さに逆らわない。弦は水平に張ってあって、鍵盤を打つとハンマーが真上に上がって弦を叩き、ハンマーの重さで鉛直方向に落ちてくる。その上下動を感じながら演奏をすることになる。
ペダルもダンパーが上下に動くので、微妙なハーフペダル(半分だけ踏み込む)やそのまた半分のペダルやビブラートペダル(貧乏ゆすりをもっと細かくするような踏み方)が自由に出来る。
上下方向の動きは重さが生かされるので、自然なムーブメントのなかでピアノとの関係を持ち続けることが出来る。
一方、アップライトピアノは、斜めの方向から働きかえることになる。
弦はグランドピアノの水平に対して垂直方向、つまり鉛直方向に張られている。
ハンマーは啄木鳥のような鉛直方向に対して叩くことになる。したがってハンマーが重さで落ちる感覚が掴みにくいのだ。ペダルも同様の方向にある。
愚痴をいっても仕方がない。
そんな思いは、テクニックよりも作品への理解度が、増していることの証明だった。15・6歳の時代の理解と同じでは困るわけだが、久しぶりに取り出して新鮮だったのかもしれない。
いずれにしてもこの酷暑では、盆栽の水遣りは一日に2回。他の人では鉢の中の様子を知らないので、頼むことが出来ない。
立ち直ってくれたとはいえ、腰に爆弾を抱えている母のこともあり、旅行は当分出られそうにない。
そんなときに、ピアノがあってよかったとつくづくありがたいと思う。
やっぱりグランドピアノがほしいなぁ~。でも、置き場がないのよね、ガッカリである。
まっ、いいか。贅沢は敵だ!?
違うかなぁ~。贅沢は素敵だ!?
その前に、しばらくはピアノを弾く時間がとれることに感謝しよう。
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