羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

Sonata 悲愴

2007年08月15日 19時08分31秒 | Weblog
 盆休みはいい。
 だって、ピアノが弾けるもの。
 本当に久ぶりだった。
 春は、母の病気で弾くことが出来なかった。
 その後は、何かと落着かなくてピアノどころではなかった。
 
 8月に入って、片付けも一段落ついたところで、弾く気力がようやく出てきた。その上、昨日のブログで清水寺の庵で弾いた話を書いたことで、ベートーベンのソナタ「悲愴」を弾きたくなった。
 まず、第二楽章から鳴らしてみた。
 はじめは音もよく聞こえなかった。30分するころには、ようやくピアノの音として耳に響いてきた。
 それから第三楽章、そして第一楽章へ。
 そして全楽章を通してみた。
 
 指が動かないことや、コントロールがきかないことなどは、想定内の出来事だからおどろかない。
 
 おどろいたことは、あんなに難しいと思っていた楽曲の内容が、すらすらと意味がとれるようになっているのだ。

 そして以前だったら、途中でぐらついてしまうところが、踏ん張る感覚がもてるのだ。
 いやいや、テクニックは落ちているのに、解釈はまったく楽になり深くなっている。これが歳を重ねるということなのかもしれない。

 数年前に、グランドピアノを手放して、ドイツ製のアップライトに買い換えた。なかなかいい音が出る。
 しかし…しかし…
「シュタンウェイとは言わないけれど、グランドピアノがほしい」
 つい口走ってしまった。
 
 グランドピアノのアクションは、重さに逆らわない。弦は水平に張ってあって、鍵盤を打つとハンマーが真上に上がって弦を叩き、ハンマーの重さで鉛直方向に落ちてくる。その上下動を感じながら演奏をすることになる。
 
 ペダルもダンパーが上下に動くので、微妙なハーフペダル(半分だけ踏み込む)やそのまた半分のペダルやビブラートペダル(貧乏ゆすりをもっと細かくするような踏み方)が自由に出来る。
 
 上下方向の動きは重さが生かされるので、自然なムーブメントのなかでピアノとの関係を持ち続けることが出来る。

 一方、アップライトピアノは、斜めの方向から働きかえることになる。
 弦はグランドピアノの水平に対して垂直方向、つまり鉛直方向に張られている。
 ハンマーは啄木鳥のような鉛直方向に対して叩くことになる。したがってハンマーが重さで落ちる感覚が掴みにくいのだ。ペダルも同様の方向にある。

 愚痴をいっても仕方がない。
 そんな思いは、テクニックよりも作品への理解度が、増していることの証明だった。15・6歳の時代の理解と同じでは困るわけだが、久しぶりに取り出して新鮮だったのかもしれない。

 いずれにしてもこの酷暑では、盆栽の水遣りは一日に2回。他の人では鉢の中の様子を知らないので、頼むことが出来ない。
 立ち直ってくれたとはいえ、腰に爆弾を抱えている母のこともあり、旅行は当分出られそうにない。
 そんなときに、ピアノがあってよかったとつくづくありがたいと思う。
 やっぱりグランドピアノがほしいなぁ~。でも、置き場がないのよね、ガッカリである。
 まっ、いいか。贅沢は敵だ!? 
 違うかなぁ~。贅沢は素敵だ!?

 その前に、しばらくはピアノを弾く時間がとれることに感謝しよう。
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