羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

素晴らしき ラジオ体操

2006年11月24日 16時11分58秒 | Weblog
 昨日のブログに書いた本をあらためてご紹介。
 書名は『素晴らしき ラジオ体操』高橋秀実著 小学館文庫 
 552 Yたー12

 この本は、1998年出版で、2002年に文庫化されているようだ。
 とにかく笑っちゃう。
 そして哀しき日本人の性に、思わず腕組みするというわけ。
  
 あの音楽を聞くと自然にからだが反応する日本人が多い。
 著者もその一人であることを認めている。
 「ラジオ体操」、たかだか78年(昭和3年)ほどの歴史の中で、日本人のからだに染みこんでいく経緯と歴史、そして現在までが、大真面目に書かれている。調査も綿密になされている本なのだ。
 その大真面目さが、まさに、ラジオ体操であり、可笑しみの源である。
 
 とにかくアメリカの生命保険会社が始めたラジオ体操をもとに、日本の簡易保険局が動き、周辺には「ヨイサ」なる不可思議な国民運動があり、さらにその元として禊が存在し、と摩訶不思議な戦前のラジオ体操の歴史が語られていく。

 敗戦後、占領軍GHQとの駆け引きは、戦後民主主義の仮面をかぶせて上首尾にいった。ここに、戦後のラジオ体操が復活するのである。

 ●号令なしで、自発的に
 ●やっていると愉快になり 
 ●思わずアメリカ気分になってしまう

 コンセプトだそうな。

 戦前の胡散臭さが消えて、なんとなく「科学的体操」に思い込まされ、夏休みには眠い目をこすりながら体操会場に足を運び、だらしなく体操してもハンをもらうころには、眠気も醒めて結構「いい気持ち」になる体験を、戦後生まれの日本人もしている。
 
 さて、この著書の中から、特筆したい興味深い記述をご紹介しよう。
「今迄行われてきた体操が、唯力一杯元気を出してやると云った形式をとってゐて、然も其の体操たるや、実に殺風景なものであった。中略。私は今度考案する体操の形に、少しハイカラな所を取り入れ、唯元気一杯やるのではなく、逆に力を抜かしてその結果力が這入る様な体操を考案しやうと思ったのである」
(『ラヂオ体操を語る』簡易保険局、昭和10年)
 
 当時、硬直した家元制度のような体操界にあって、こう語るのは大谷武一(当時・文部省所轄体育研究所技師)だった。
 インターネットで大谷武一氏の経歴を調べると、体育の父と称されている。
 野口三千三先生が、戦争末期「官立・東京体育専門学校」に、高等師範出身でないにもかかわらず、助教授として迎えられた時の「東京体育専門学校」の校長であったのだ。
 前述の言葉に、「フムフム」「ニヤニヤ」。
 ぜひ、ご一読をいただきたい。
 
 末筆ながら、本を贈ってくださった近藤早利さんにお礼を申し上げます。
コメント (4)
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