もうお分かりですよね。
「携帯電話中毒」を「ケーチュー」と名付けたのは、椙山女子学園大学人間関係学部教授(言語学)加藤主税さん。
本日、11月29日日付け:日経新聞夕刊「おじさんは怒ってるぞ」の記事にあった言葉である。
ニコチンやアルコール中毒と同じだと看做す。
記事を読みすすむと、二十歳未満で、自由に使えるお金に占める携帯電話料金の割合は、四割に達するそうだ。
一日五十通以上のメールを受信する人が二十代未満で約六割もいるという。そして、返事はすぐ出さなくてはいけないらしい。
以前、携帯を持たない暮らしをしていたころは、電車のなかで、話をしたり携帯電話画面を一心不乱に見ている人を見かけると、「なんてこった」と内心穏やかでなかった。
ところが私自身、電車から写真や動画をブログに送ってみたり、撮った写真や動画を選別する作業を行ったりしてしまう。
なぜ、人の脳は中症状を起こすのだろう。
自分に振り返ってみると、まず日記は、続かなかった。せいぜい一週間つけられればよい方だ。ところがブログは、毎日書き続けた。去年の八月八日からだから、一年四ヶ月に迫っている。読んでくれる人がいることが、大きい。
それ以前に、手書きだと文章がつづれなくなったのは、いつのころからだったかと思い起こしてみる。
1988年を境に、手書きからワープロに変わった。しばらくは手書き原稿を書いてから、それを打ち出していた。あいまいな記憶だが、3年もするうちには、ローマ字打ちにすっかり慣れて、ワープロなしでは立ち行かなくなった。
最近では手書きもしたいと意識的にやってみるのだが、ほとんど無駄な努力である。
こうしてキーボードに向かうことは、ピアノを弾く延長線上のことだった。楽譜が画面に変わった。与えられた曲ではなく、自分が作曲をするのと同様な感覚で、文章を打ち出している。
キーボードを押す指は、ピアノの鍵盤を打つのとあまり隔たりはないようだ。
華麗な指さばきといかないが、かなりのスピードで打っていく。浮かぶ言葉のテンポと打つ速度は一致している。むしろ打つ速度に言葉が浮かぶ速度が一致したという方が正確かもしれない。
さて、「親指ピアノ」という民族楽器があるのをご存知の方は思い出していただきたい。
反響版のついた箱に、金属の細い板が長さがまちまちの状態で一部分が止められていて、それを親指で弾くとメロディーを奏でることができる。西洋の十二音平均率の「ドレミ」でもいいわけ。しかし民俗音楽の音階に並べられば、その民族のメロディーになってくる。
携帯電話のメール打ちは、まったく「親指ピアノ」と同様の技法なのだ。
私自身、最初は戸惑ったが、今ではすっかり慣れてしまった。
パソコンより楽な点もある。
たとえば「の」と押せば最初に「野口」と出る。「た」と打てば「体操」と最初に出る。二回ずつの作業で「野口体操」と打てるのだ。確かにパソコンも短縮設定をしておけば「の」で「野口体操」というのも可能だが。いつもそうするわけにはいかない。
1988年当時のワープロが懐かしい。熟語変換がままならず、「野口体操」と打つだけでも「の」「くち」「からだ」「みさお」と入力したのだから。十年一昔というだけあって、二昔前のお話である。その年に生まれた子が、大学生なのだ。
最後にもう一度新聞記事から。
モバイル社会研究所企画担当・荻原徹太郎さんは、次のように語る。
「携帯電話への依存が強い人を調査すると、多くが人生に孤独感や退屈さを感じていた。ただ以外に生活には満足している」と。
なんかわかるような気がする。
*******
私が子供のころ、市外電話は交換台を通していたように思う。昭和20年代後半から30年代初めだっただろうか。えっ、そんなことはない?
でもねぇ~、そう簡単に通じなかった。新宿の我が家から、祖父母が住む調布局京王多摩川に電話をかけるときのおぼろげな記憶なのだけれど。
すでに半世紀以上を生きた自分に、オ・ド・ロ・キ! を携帯から受けたというお話。
「携帯電話中毒」を「ケーチュー」と名付けたのは、椙山女子学園大学人間関係学部教授(言語学)加藤主税さん。
本日、11月29日日付け:日経新聞夕刊「おじさんは怒ってるぞ」の記事にあった言葉である。
ニコチンやアルコール中毒と同じだと看做す。
記事を読みすすむと、二十歳未満で、自由に使えるお金に占める携帯電話料金の割合は、四割に達するそうだ。
一日五十通以上のメールを受信する人が二十代未満で約六割もいるという。そして、返事はすぐ出さなくてはいけないらしい。
以前、携帯を持たない暮らしをしていたころは、電車のなかで、話をしたり携帯電話画面を一心不乱に見ている人を見かけると、「なんてこった」と内心穏やかでなかった。
ところが私自身、電車から写真や動画をブログに送ってみたり、撮った写真や動画を選別する作業を行ったりしてしまう。
なぜ、人の脳は中症状を起こすのだろう。
自分に振り返ってみると、まず日記は、続かなかった。せいぜい一週間つけられればよい方だ。ところがブログは、毎日書き続けた。去年の八月八日からだから、一年四ヶ月に迫っている。読んでくれる人がいることが、大きい。
それ以前に、手書きだと文章がつづれなくなったのは、いつのころからだったかと思い起こしてみる。
1988年を境に、手書きからワープロに変わった。しばらくは手書き原稿を書いてから、それを打ち出していた。あいまいな記憶だが、3年もするうちには、ローマ字打ちにすっかり慣れて、ワープロなしでは立ち行かなくなった。
最近では手書きもしたいと意識的にやってみるのだが、ほとんど無駄な努力である。
こうしてキーボードに向かうことは、ピアノを弾く延長線上のことだった。楽譜が画面に変わった。与えられた曲ではなく、自分が作曲をするのと同様な感覚で、文章を打ち出している。
キーボードを押す指は、ピアノの鍵盤を打つのとあまり隔たりはないようだ。
華麗な指さばきといかないが、かなりのスピードで打っていく。浮かぶ言葉のテンポと打つ速度は一致している。むしろ打つ速度に言葉が浮かぶ速度が一致したという方が正確かもしれない。
さて、「親指ピアノ」という民族楽器があるのをご存知の方は思い出していただきたい。
反響版のついた箱に、金属の細い板が長さがまちまちの状態で一部分が止められていて、それを親指で弾くとメロディーを奏でることができる。西洋の十二音平均率の「ドレミ」でもいいわけ。しかし民俗音楽の音階に並べられば、その民族のメロディーになってくる。
携帯電話のメール打ちは、まったく「親指ピアノ」と同様の技法なのだ。
私自身、最初は戸惑ったが、今ではすっかり慣れてしまった。
パソコンより楽な点もある。
たとえば「の」と押せば最初に「野口」と出る。「た」と打てば「体操」と最初に出る。二回ずつの作業で「野口体操」と打てるのだ。確かにパソコンも短縮設定をしておけば「の」で「野口体操」というのも可能だが。いつもそうするわけにはいかない。
1988年当時のワープロが懐かしい。熟語変換がままならず、「野口体操」と打つだけでも「の」「くち」「からだ」「みさお」と入力したのだから。十年一昔というだけあって、二昔前のお話である。その年に生まれた子が、大学生なのだ。
最後にもう一度新聞記事から。
モバイル社会研究所企画担当・荻原徹太郎さんは、次のように語る。
「携帯電話への依存が強い人を調査すると、多くが人生に孤独感や退屈さを感じていた。ただ以外に生活には満足している」と。
なんかわかるような気がする。
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私が子供のころ、市外電話は交換台を通していたように思う。昭和20年代後半から30年代初めだっただろうか。えっ、そんなことはない?
でもねぇ~、そう簡単に通じなかった。新宿の我が家から、祖父母が住む調布局京王多摩川に電話をかけるときのおぼろげな記憶なのだけれど。
すでに半世紀以上を生きた自分に、オ・ド・ロ・キ! を携帯から受けたというお話。