羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

プロフェッショナル

2006年09月16日 20時49分32秒 | Weblog
 昨晩、シンクロの「ソロ」を見た。
 確かに日本人のからだは硬いかもしれない。あそこまで技術的にも芸術的にもせまっているだけに、逆に硬さが惜しまれるのだろう。
 本人がいちばん悔しがっている。
 フィギュアスケートにしろ、シンクロにしろ、バリバリ西欧文化の価値観と美意識と技術的表現に、ここまで食い込めること自体すごい! のだ。
 
 エキゾチックという意味での点数稼ぎはもうできない。 
 同じ土俵で戦うわけだから、悔しさも一入だろう。

 スペインもロシアも、筋力と柔軟性を同居させている。どちらの国もバレーやダンスは、しっかり文化に根付いている。プロフェッショナルとしての活躍が、国民的な尊敬に値する仕事としてなりたっている。
 その伝統のなかから、フィギャアスケートもシンクロも生まれてきている。

 その点、日本ではまだまだプロとしての活躍の場はないといってもいい。
 アマチュアとプロが共存して、初めて裾野が広がる。
 野球は、すでに日本の野球文化として根付いている。そこには、野茂がいる。イチローがいる。松井がいる。城島がいる。
 メジャーリーグに通用するところまで、日本の野球は育っているのだ。

 文化のなかに根付く時間や男性社会でどの程度経済を伴ってプロフェッショナルとして存在しうるのか、という問題を、「シンクロ・ワールドカップ2006」を見ながら感じている。
 からだが硬いということは、目に鮮やかに見えてくる。
 時間がほしい。あせらないでほしい。そして文化としてプロフェッショナルな世界を育てる機運を、一般の人々がどこまでもてるのかもひとつのファクターとして考えてみることも大切だと思った。

 日本における、ダンス文化(フィギャもシンクロも含めて)は黎明期なのかもしれない。
 これからだ!
コメント
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