羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

箱ー不思議な美の小宇宙

2006年09月04日 16時37分11秒 | Weblog
 結婚してたった二週間で夫は徴兵され戦線に送られた。
 若き妻はひとり夜を過す。
 ある晩のこと、蓄音機のそばに立ち、一枚のレコードをターンテーブルの上に置く。音楽が流れる。彼女はひとりダンスする。静かに、しっとりと、夜のとばりの中に、溶け込む姿。黒いスリップの間から見え隠れするたわわに実る乳房が少年を更なる欲望へと駆り立てていく。
 シチリア島の鄙びた漁村。
「見つめるだけで、あなたを守るつもりだった」
 少年は、小さな穴・窓の隙間ごしに年上の女性を視姦する。
 第二次世界大戦下のイタリア。その村にナチがやってくるのは、時間の問題だった。
 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映像に、エンニオ・モリコーネの音楽が
「あの頃、あなたが世界のすべてだった」という少年の思いを、全篇を通して奏でていく。
 戦争が招く悲劇のなかで、身を落としていく「堕落の女・マレーナ」を少年は見守り続ける。
 そして奇跡的に帰還した夫に、少年は一通の手紙を書く。彼が見てきたことの中で、確信したたった一つのことを。
「マレーナは、あなただけを愛していた」
 汚濁のなかにいるマレーナを少年は、こうして救う。
 少年は節穴から覗いて、まるごとの存在として女性を愛する大切さを知る。そして大人になっていく。

 何時、観た映画だっただろうか。
 私は、プログラムをまとめてある箱を探した。映画や演劇、コンサートの思い出が詰まった箱はずしりと重かった。

 9月3日、「新・日曜美術館」を見た後に、私が最初にとった行動だった。
 この日のテーマは「箱」―不思議な美の小宇宙とサブタイトルがついている。
久しぶりに脳の深みにはまる快感を味わった。
 番組は、男性司会者が幼子のために手作りした箱からはじまった。
 導入は、絵画に見る箱だった。西欧にあこがれる「浦島の箱」。そしてロマノフ王朝の富と権力を象徴する燦然と輝く宝石に埋め尽くされた嗅ぎ煙草の箱へ。さらに大和文華館にある扇面貼交箱(名称は間違っているかもしれません)等々。
 ディレクターの深堀雄一さんへ、感想をしたためたお手紙を差し上げようと、メモを取りながら見始めた私だが、時間の経過のなかで、メモはそのあたりで終わってしまっている。

 ここからは、記憶をたどるしかない。
 コーネルの「幼い日々を閉じ込めた箱」、デュシャンの「大ガラス」と「鞄に収められた移動式美術館」、日本人美術家がつくった箱をのぞくと部屋のなかにおかれた精巧な家具に当てられる光の角度で時間の経過がうみだされるミニチュア空間。

 いつしか浦島の箱から煙とともに立ち昇るのは、20世紀美術の難解な世界。
 佐々木幹郎の詩がコーネル作品の前で朗読されてからは、もういけない。煙にまかれ、一気に脳は、快感の色に染め上げられていくのだった。その快感は、時間という四次元の魔法を携えて、箱がもつ意識の深みを探訪する楽しみ方を教えてくれるのだ。

 極めつけ。針孔から覗き見る川と空と土手の風景には、時間も音も欠落し呼吸しなくても生きているような錯覚へと意識を誘う。それは多摩川に設置した「ピンホールカメラ(針孔写真機)」が、一条の光から写し取った雄大な風景写真。ここまで話が進むころには、しばらく忘れていた覗き見の箱が開かれてしまった。
 この感じをどのように言葉で表わすことができるのだろう?

 。。。。。絶句。。。。。また。。。。。絶句
 
 愛から死へ、人は成長する。
 近代は西洋への憧れ「恋の歌」からはじまったと佐々木氏は、番組の冒頭で語った。
「あの頃、あなたが世界のすべてだった」
 黎明期から西洋にあこがれた日本の少年たちは、いくつもの戦争を経験した。
 見守ったはずのマレーナは、幻影だったのか。

 ここまで来て、はたと気付く。
「いちばん不思議な箱は、人の頭蓋骨かもしれない」
 生まれたときには真っ白な脳が収められている。外からは、絶対に開けることはかなわない。しかし、そこからは物が生まれ、事が起される。善行や悪行を積むにしたがって、皺が増えていく不思議な脳が入った箱。
「ニューロンネットワークは精密機械のようなものである。それも、頭蓋という硬いケースの中に入れられて身体といっしょに、常に、移動している。コンピューターを動かしたまま箱に詰め、トラックで運んでいるようなもの」
 そう記すのは、『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』(紀伊國屋書店)の著者・中田力である。
 なんと脳の組織には、壊れやすいものを箱に詰めるときに使われる緩衝材としての発泡スチロール様の乾いた空間があるのではないかとも書いている。ご丁寧に、走査型電子顕微鏡写真が添えられている。「発泡スチロール」と「脳のグリア細胞のマトリックス構造」は、二枚の写真を見るかぎり同様の構造にみえるのだ。

 番組の通奏低音は、「メメント・モリ」。
 開けられない箱・死は、うたかたの意識が描く透かし絵かも知れない……。
コメント (1)
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