気ままな思いを

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「歴史ファイル」の「篤姫」

2008-12-10 | 娯楽


NHK大河ドラマ「篤姫」も、14日(日)にて最終回を迎えます。
視聴率も高く、宮崎あおいさんも、「天璋院篤姫」になりきって
演じています。

私も興味深く、楽しみに見ていました。
最終回は、どのように演出されていますか、楽しみです。

「歴史ファイル」に、下記のようなことが書かれていました。
「歴史ファイル」としての「篤姫」にも、目を通してみてください。
興味深くなると思います。


 勝海舟の説得で、江戸城を退去

幕末の1868(慶応4)年3月、新政府軍が関東に襲来し、
江戸に総攻撃を加えようとしていた。

この時、徳川側の勝海舟が、新政府軍の西郷隆盛と会談して、
江戸城を無血で開くことを、条件に攻撃を中止させた。
江戸城は新政府軍に、明け渡されることになったが、大奥の
天璋院篤姫は、退去を強く拒んでいた。

篤姫は、13代将軍将軍徳川家定の正室。
家定は病弱で、彼女との間に子ができぬまま、35歳で病死し、
2年に満たない結婚生活は、幕となった。

篤姫は、新政府側の薩摩藩の出身であったため、江戸城を出たら、
薩摩へ連れ戻されると思っていた。
いったん嫁した以上、徳川家の人間だと、考えていた篤姫にとって、
それは許容できなかったのだ。

そんな篤姫を説得したのは、無血開城を決めた勝海舟であった。
強引に大奥から連れ出すなら、自害するという姿勢を崩さず、懐剣を
離さない篤姫と、その部下たちを懸命に説得。

勝は「天璋院様が自害なされば、私も死にます。そうなったら、お気の
毒ですが、きっと世間は、2人が心中したのだと、うわさしますよ」といった
冗談も交えて、次第に座を和ませ、ついに3日目、
篤姫を説き伏せることが、できたのである。

篤姫は、よほど勝海舟を気にいったと見え、明治の世になると、
たびたび一緒に、浅草や亀戸に出かけた、時には、吉原で遊んだり、
二人きりで屋形船に乗ったりして、過ごしたという。

家族ぐるみの付き合いだったようで、勝の娘が、
篤姫にアイスクリームをつくってあげたという、話も残っている。


   *** 朝日新聞・はみだし「歴史ファイル」
                   歴史研究家・河合 敦氏にて ***

  
クリスマスローズでしょうか・花木センターにて