みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

二万人

2022-04-17 09:12:31 | 生死
長谷川櫂(1954~)は著名な俳人だけれど、歌人でもあるらしい。
     
     かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを

3/11大震災に関しての、この長谷川櫂の歌を引用して、高野ムツオ(1947~)が一文を書いている。

情報社会への怒りがストレートに吐露されている。確かに一人一人に一人一人の生があり死がある。安易に一語で括ってはならない。だが、死者二万人という現実もまた動かしがたいのだ。
(高野ムツオ著「あの時」から抜粋)

一人の死が、その親、その子、その兄弟姉妹等々、縁ある人々を悲嘆に陥れる。悲嘆の輪が大きければ、その死の意味も大きくなるかのようだ。
それでは、親なく、子なく、兄弟姉妹もなく、友と言える人もいない人の死は? そういう人の死も、少なくなかっただろう。いやむしろ、そういう人こそ、惨事に巻き込まれやすいのではないか?
悲嘆の輪がない人の死・・その死の意味は、はたして小さいと言えるだろうか?



高野ムツオ著「あの時」から、2句を引用する。
     
     春光の泥ことごとく死者の声
     車にも仰臥という死春の月