みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

ギター文化館ミュージアムコンサート

2019-01-19 22:34:48 | 芸術
近所の友人を誘ってギター文化館へ行きました。愛車で5~6分です。午後2時から3時まで、チケットは千円というお手軽なコンサートですが、演奏者=北口功氏(1963~)を囲むような数十人ほどの席で、久しぶりに優しく美しいギターの音色に身をゆだねた至福のひとときでした。
プログラムはフェルナンド・ソル(1778~1839)作品の演奏と解説付き。北口功氏は演奏家であると共に、フェルナンド・ソルの研究家でもあるそうです。若かりし頃、京都大学工学部に入学したものの、ギターへの夢を捨てきれず、退学してパリへ留学した、という異色の経歴があるんですね。

音楽に関する知識が貧しすぎる私ですが、北口功氏の解説は、そのギターの音色のように優しく心に響きました。ソルには、古典主義(絶対音楽)とロマン主義(標題音楽)の両方の魅力がある、とのことでした。

《「もしもシダになれたなら」の主題による変奏曲》も演奏されました。「もしもシダになれたなら」とは、当時のフランスの流行歌だそうです。北口功氏が訳したこの歌詞が、うっとりするほど優しい! 以下に一部を引用します。  「シダ」は彼の地では役に立たないものの代名詞だそうです。

     もしも、シダになれたなら、
     ふとしたある日の夕暮れに、
     あの人に、その陰ですこし休んでもらおう、
     きっと愛の神様も見守って下さるに違いない。
     もしも、そよ風になれたなら
     うまく吹いて、あの人に、いっそう輝いてもらおう、
     あの人の、足もとに咲く花も、きりっとさせておこう。

     もしも、清い泉になれたなら、
     あの人をその中にお迎えしよう。
     もしも、柔らかい布になれたなら、
     水浴びのあとのあの人をやさしく包んでさしあげよう。