お正月と言っても、私の暮らしはいつもとさして変わらない。でも少し変える。 朝食はお雑煮。年末にいつも、ご近所の方が搗いた切餅を分けて下さる。嚥下力がやや衰え始めているし、歯も弱っているので、今回はそれを更に小さく切り分けた。そして焼餅ではなく、今回は煮餅にした。それを一切れずつ雑煮椀に入れながら、ゆっくり戴いた。味がよく染みて美味しかった。
年寄りの私は、御多分に漏れず夜の就寝が早く朝の起床が早い。お雑煮を食して台所の跡片付けを終わった頃、夜が明け始める。八郷を囲む山なみが、暁の空に映えて、得も言われぬ神秘的な光景に見惚れながら、板戸を開ける。
1日の朝は強霜で、野は一面に真っ白だった。お日様が上って、霜がキラキラと輝き始めてから、ユキの散歩に行った。途中で出会った人は知らない人だったけれど、「おめでとうございます!」と言ったら、その人は一瞬口籠ったあとで「おはようございます」と返された。そのとき私は、どうして「おめでとうございます」と返してくださらなかったのだろう?と少し変に思ったのだけれど、今思えば、もしかしたらその人は喪中だったのかも知れない・・
初筑波は、ひときわ優しげに見えました。
ユキの散歩を終え、給餌し、鶏さんにも給餌してから、着替えて(いつもの普段着だけれど)杖を持ち、初詣に出掛けた。初詣と言っても、大きな有名な神社へ出掛けたわけではない。先ず、当庵から徒歩5分ほどの小さなお社へ。ここは隣村になるのだけれど、一番身近なお社だ。裏山の中にひっそりと佇む気配が私は好き。一昨年までは、年末年始には掃き清められていたのだけれど、昨年からは、参道に降り積もった落葉もそのままだ。隣村のお守りしてくださっていた方が御具合を悪くされたのだろうか・・貰い物の切餅と蜜柑を供えて、お祈りしました。
次に向かったのは、当村のお社。
杖をつきながらヨタヨタと50分ぐらい歩いて、無事に辿り着きました。このお社は天神様。学問の神様、菅原道真公を祀っています。九州の大宰府からははるかに遠く、京の都からも遠く、江戸からもかなり遠いこの地に、何故天神様が祀られることになったのか、由来を知らない。当地には中世の城跡があるので、もしかしたら、関係があるのかも知れない。
村の人々は、このお社を大切に守り、拝殿も本殿も、近年に改修している。荒れてないのは有難いけれど、新建材が使われていて趣に欠けるのは致し方ない。鬱蒼とした林の中を、緩い傾斜で長く苔むした石段が続く参道は、静かで底深い気配がして、私は大好きだ。
帰り道で、犬の散歩をしている少年に出会った。「おめでとうございます。」と声を掛けたら、にっこりして「おめでとうございます。」と返してくれた。
杖止めて村の子と御慶を交はし
2日は亡娘の祥月命日。例年通り墓参り。降車駅から徒歩1時間弱。杖に縋ってなんとか行けました。菊の花とカップ酒が既に供えてありました。お会いしたことはないけれど、多分、亡娘の亡父の御家族がお参りされたのでしょう。私は水を入れ替え、菊の花を入れ直してから、持参の、当庭に咲いていた水仙と花芽をつけた馬酔木と実南天を添えました。
北風が強くて、お線香の煙が激しく乱れました。亡娘の病苦や、その亡父の愛憎や、亡祖父母の悲喜が、今再び渦巻いてしまったかのようでした。これは私自身の、まさに煩悩そのものなのでしょう。
今日は3日。新年初の洗濯を済ませ、お布団を干し、切干作りも再開。今日も届くであろう年賀状も楽しみですが、ほぼ通常の暮らしに戻りました。
年寄りの私は、御多分に漏れず夜の就寝が早く朝の起床が早い。お雑煮を食して台所の跡片付けを終わった頃、夜が明け始める。八郷を囲む山なみが、暁の空に映えて、得も言われぬ神秘的な光景に見惚れながら、板戸を開ける。
1日の朝は強霜で、野は一面に真っ白だった。お日様が上って、霜がキラキラと輝き始めてから、ユキの散歩に行った。途中で出会った人は知らない人だったけれど、「おめでとうございます!」と言ったら、その人は一瞬口籠ったあとで「おはようございます」と返された。そのとき私は、どうして「おめでとうございます」と返してくださらなかったのだろう?と少し変に思ったのだけれど、今思えば、もしかしたらその人は喪中だったのかも知れない・・
初筑波は、ひときわ優しげに見えました。
ユキの散歩を終え、給餌し、鶏さんにも給餌してから、着替えて(いつもの普段着だけれど)杖を持ち、初詣に出掛けた。初詣と言っても、大きな有名な神社へ出掛けたわけではない。先ず、当庵から徒歩5分ほどの小さなお社へ。ここは隣村になるのだけれど、一番身近なお社だ。裏山の中にひっそりと佇む気配が私は好き。一昨年までは、年末年始には掃き清められていたのだけれど、昨年からは、参道に降り積もった落葉もそのままだ。隣村のお守りしてくださっていた方が御具合を悪くされたのだろうか・・貰い物の切餅と蜜柑を供えて、お祈りしました。
次に向かったのは、当村のお社。
杖をつきながらヨタヨタと50分ぐらい歩いて、無事に辿り着きました。このお社は天神様。学問の神様、菅原道真公を祀っています。九州の大宰府からははるかに遠く、京の都からも遠く、江戸からもかなり遠いこの地に、何故天神様が祀られることになったのか、由来を知らない。当地には中世の城跡があるので、もしかしたら、関係があるのかも知れない。
村の人々は、このお社を大切に守り、拝殿も本殿も、近年に改修している。荒れてないのは有難いけれど、新建材が使われていて趣に欠けるのは致し方ない。鬱蒼とした林の中を、緩い傾斜で長く苔むした石段が続く参道は、静かで底深い気配がして、私は大好きだ。
帰り道で、犬の散歩をしている少年に出会った。「おめでとうございます。」と声を掛けたら、にっこりして「おめでとうございます。」と返してくれた。
杖止めて村の子と御慶を交はし
2日は亡娘の祥月命日。例年通り墓参り。降車駅から徒歩1時間弱。杖に縋ってなんとか行けました。菊の花とカップ酒が既に供えてありました。お会いしたことはないけれど、多分、亡娘の亡父の御家族がお参りされたのでしょう。私は水を入れ替え、菊の花を入れ直してから、持参の、当庭に咲いていた水仙と花芽をつけた馬酔木と実南天を添えました。
北風が強くて、お線香の煙が激しく乱れました。亡娘の病苦や、その亡父の愛憎や、亡祖父母の悲喜が、今再び渦巻いてしまったかのようでした。これは私自身の、まさに煩悩そのものなのでしょう。
今日は3日。新年初の洗濯を済ませ、お布団を干し、切干作りも再開。今日も届くであろう年賀状も楽しみですが、ほぼ通常の暮らしに戻りました。