バンドやるために生きるのだ。

2023-03-05 17:40:04 | Weblog

新聞とか、今ならネットの記事なんかで

誰か知らない人の死亡記事を見かけるたびに僕は、

口にこそ出さないが心の中で指をくわえて、

いいなあ・・・・・・

と思っていた。

 

自殺願望は(多分)ないし、

それどころか「生」への執着は激しいほうだ、という自覚がある。

それでも、誰かの死亡記事はとても甘美なものに見えるのだ。

 

生きることは「面倒」をひとつひとつ、片付けてゆくことでもある。

「面倒」は次から次へとやって来る。

それは多分、死ぬまで終わらない。

でも、目の前に出現してくる出来事は「面倒」だけではない。

「ご褒美」みたいな偶然のラッキーも多々あるし、

自発的な、「やりたいこと」だってある。

でもその「やりたいこと」にも「面倒」は いちいち、もれなく、ついてくる。

例えば・・・日程が合わなかったり、メンバーと出会えなかったり、

時間が合わなかったり、いい曲が出来なかったり。

やっと出来てステージに立てたとしても、弦が切れたり、声が出なかったり、

ぼろくそにケナされたり、全然誰も見に来てくれなかったり。

でも困難あっての喜びでしかないのだ。

乗り越えて乗り越えて、それでも「困難」や「面倒」はやってくる。

それでもいちいち、あのプチプチ(梱包材)を丹念につぶすかのごとく、

「面倒」をやっつけて行くのだ。それしかない。

 

僕はだいぶ以前に決めた。

バンドやるために生きるのだ。

プロでもないし、音楽で喰ってるわけでもない。

音楽は、バンドは、ロックは、「お楽しみ」だ。それでいいのだ。

生涯かけて、「お楽しみ」のために全力を尽くしてやる。

平日は長時間労働のためにヘトヘトになってしまうが、それだっていいのだ。

トラックの中で音楽に浸れるから、その時間は全然苦にならない。

歌詞の構想だってじっくり練れる。一人っきりでいられるからね。

 

バンドが、音楽が、自身の「ライフワーク」である、という発想は、

佐治くんが病に倒れた頃から持っていた。

そして、その後深く考えもしなかったが、

そんな風な生活習慣はもう、19歳でデザイン学校を辞めた時から

ほとんど変わらない。ずっと、そんな風に生きて来た。

 

今はもう、50歳代も半ばを過ぎた。

同世代のまともな人たちは定年後の人生設計について

真剣に考えているらしい。

 

きっと僕は要領が少し悪いのだ。だがそれは・・まあいいとしよう。

 

そのせいで嬉々としてバンドやれるのだから逆に、いいではないか。

 

ということで昨夜は我々のバンド、ROCA’66のスタジオ入りだった。

やはりバンドは最高。

他にこんな創造的な楽しみは、ない。

今までの曲を研ぎ澄ませていくのも楽しいし、

新曲を少しずつ形にしていくのも、スリリングで楽しすぎる。

 

次のライヴは一か月後、4月8日 土曜日 大阪・難波の「メレ」にて。

全然知らないバンドたちに混じって出演する。

 

そしてその次は5月6日 土曜日 京都は大宮の「夜想」に出演。

対バンとかは未定。

ゴールデンウィークだから・・・遠くからの人も来れるよ。

 

そしてその次、

6月17日 土曜日 は、大阪・大正の 「田中屋酒店」での

ロックンロール・ミーティング。

ザ・マンガンズ主催の、あの楽しすぎるライヴ。

 

月イチでライヴ・・・というのはコロナ禍以前のノリだ。

イイと思う。

 

ライヴをやるたびに、バンドは進化する。

メンバー間の関係性は濃くなってゆく。

我々には利害関係なるものが、あるようで、ない。

いや、ないようで、あるようで・・・・やはり、ない。

利害関係なんて、「ない」ほうがいいのだ。

 

 

我々はただの、「真剣な遊び仲間」であるのだ。

それがいいのだ。

 

 

我々のライヴを目撃しに、来てください。近日、来てほしい。

死ぬまで・・・もしくは、やれなくなるまでやるけどさ、

その日がいつ来るか、なんて誰にもわかりなしないのだ。

 

 

 

写真は、前回ライヴの我々。撮影者は、ドンちゃん。

 

コメント
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