明日は堺ファンダンゴにてROCA’66のライヴ!

2020-01-12 16:17:42 | Weblog
いよいよ明日!

オオサカは十三から堺へ移転してリニューアルとなったライヴハウス

「ファンダンゴ」での、ROCA’66初ライヴ。

「お初」とはいつでもイイものである。新鮮な、ドキドキがある。何歳になったって、

そーゆーのはあるのだ。老青年の皮をかぶった中二病なのだ、

ロックはいつでもそうなのだ。

そしてココは、俺たちにとって特別なライヴハウスだ。

明日は、昔っからの顔見知りみたいなバンドが集まる。

こういう機会は、そうそう滅多にあるものではない。

みんなこの冷たく厳しい世界の中で「生き残ってる」だけでエライ。

バンドだけではない、「お客さん」としてきてくれてるアナタも、

「生き残って」くれてて嬉しい。

ファンダンゴも去年のことで、結構ピンチだったが、

結果、こうして移転して、立派に「生き残って」くれた。

勿論、誰だって彼だって、永遠に生きることは不可能だ。

リアムがいくら大声で「リヴフォーエヴァーッ」と がなったって無理なのだ。

でもだからこそ、一秒でも長く生き残ってくれることに「意義」は、ある。

そしてそして、

生きてる限りは「ヤる」のだ。出来れば一緒に。

実は俺は今日の午後まで久しぶりにキッツい風邪を引いていて、

あ、インフルじゃないから大丈夫なんだけど、しかし参った。

2日間、何にも出来なかった。喰って、眠るだけだった。

不可解な、不可思議な夢をたくさん見た。

そして今日、回復して思った。「回復すること」の何と素晴らしいことか。

困難を克服することと、

出来なかったことが出来るようになることと、

愛すること、愛されること、

新しいことに挑戦できること、

そして回復すること(つまり健康でいられること) こそがきっと、

人生の醍醐味なのだ。

毎回、風をひいてはこの「境地」に達するのだが、

二、三日したらすぐに忘れてしまう。

でも今の私はこれを忘れずに今後ずっと生きていこうと決心した。

だから明日、堺ファンダンゴに、来ておくれよ。

14時オープン、14:30から一番手のバンドスタート。


俺達の出番はオンタイムで18:15から。





写真は、明日配る予定のチラシ・・・の原板。

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堺にて「追憶のファンダンゴ」2020年1月13日、昼の2時半開演。(我々の出番は夕方。)

2020-01-09 20:57:27 | Weblog
トランプがちょっと逃げ腰になりやがったおかげで、世情は昨日までよりはマシな風情。

(変な髪形のオッサンは一生このまま屁っ放り腰のままで生きて欲しい。心からそう願う。)

マシと言ってもまあ・・・マイナス1000がマイナス700になった、って位のことで。

一触即発であることには変わりない。

当たり前なことを言うようだが・・・世界政治は、自分自身に無関係ではない。

そのことを強く自戒しなければならない。だって、若かった頃は俺だって無関心だったからね。

「愛」の対義語は「憎」ではなく、「無関心」なのだ。(「憎」は、「愛」の・・・類義語だ。)




さて、大事な・・・・ライヴのことを。


ROCA'66の、2020年最初のライヴは十三から堺に移転したファンダンゴ。

我々は、堺ファンダンゴには初出演。




「追憶のファンダンゴ」

2020年1月13日月祝

at堺ファンダンゴ

*タイムテーブル

14:30 月想

15:15 ザ・スリーバント

16:00 ニコラス

16:45 桜川春子とかんのとしこ

17:30 ヰタ・セクスアリス

18:15 ROCA'66

19:00 ミライノス


フードはそぞろ、ミライノ食堂が決定!

お腹空いても大丈夫な昼下がり。





今からでも、「始まる何か」があるのだ。

俺はそう信じる。

人生が終わるその瞬間の一瞬前まで、何か新しいことを始めてやる。

そしていつか死んだらその時は・・・・・・・・・・・・・化けて出てやる(それは嘘)。


今年が2020年ってことが本当なら(きっと本当であろう)、

あの、ファンダンゴから出したランブルフィッシュの実況録音レコード(CD)のライヴの年(1990年)から

ちょうど30年経つことになるのだ。

うーん、そうか。感慨深いじゃないか、兄弟みたいな、姉妹みたいな、親戚みたいな・・・・俺の多くの、友達よ。

俺にとって最愛の・・・・サイ・アイ・アイの人達は音楽でつながった人達である。

「血」なんかよりも「気」のほうがずっと濃いのだ。

俺の「気持ち」は、あの頃(1990年ごろ)と何一つ変わってはいない・・・・・本当に。


だから、


もしも出来ることならば、「堺ファンダンゴ」からまた何か始めようぜ。

遅すぎることはない。

そのために、「何か始める」ために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2020年1月13日はオオサカ・サカイのライヴハウス「ファンダンゴ」に来てくれ。





・・・・・・・・・・「遠い」?いや、遠くはない。

堺ファンダンゴへは、

南海難波駅から南海本線に乗り10分で南海堺駅へ。

南海堺駅西口を出たら左に川沿いの道が見える。

それを右に行って高架下をくぐればすぐ右手、徒歩3分でファンダンゴ。



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国際情勢の緊迫、それに負けずロックしたい私。

2020-01-07 20:32:29 | Weblog
こないだも言ったけど、国際情勢って、

普段それに関わらずに生きてる 八っつあん、熊さん、与太郎、そして俺達・・・・みたいな

底辺の「庶民」にはなかなか、わかりにくい。

わかりにくいからって、「難しい」の一言で逃げるのも良くない。そーゆーのって、本当に良くないと思う。

だから、未熟な理解力で一生懸命考える。


今回のトランプの暴挙で知ったのだけれど、イランとイラクって和解ムードなのだそうだ現在では。

イランイラク戦争とかあったから・・・・険悪なままだと思っていた。時代は変わる。タイムゼイアチェンジング。


さて、「第三次世界大戦」の勃発を懸念している人がとても多い、とネットのニュースで言っていた。

そう、僕も、日記でそのようなことを書いた。

しかし。

何がどう転んで、どんな風に最悪な展開を見せたら「第三次世界大戦」まで行き着いてしまうのだろう?

既にロシアと中国はイラン支持を表明している。

イギリス、フランスは何のかんの言って結局アメリカ側につくだろう。もちろん日本も。

インドは?・・・・・・わからない。その他の国の動向も、全然わからない。ドイツは?イタリアは?


それにしても近年は、いろんなことがじわじわと、悪いほうへ方向が向いていた。

トランプという極右の大富豪がアメリカ大統領選に出馬して、異様な人気を集めている、と聞いたのはだいぶ前のことだ。

僕は大統領選の最終結果をラジオでリアルタイムで聞いていた。いやな予感が当たってしまった。


今回、イラクから駐留米軍が、撤退するらしい。しかも、早々に。もちろんイラク側からの要請の結果なのだが。

しかし日本とはまたいろいろな事情が全然違うのだろうが、こんなに簡単に引き上げるとは。

・・・・・っていうかそれほど事態が緊迫しているのだ。


「第三次世界大戦」がもし勃発したら、大陸間弾道弾である核ミサイルの射ち合いになって、

ものの数時間で全世界が滅亡する・・・みたいなことを昔は言っていたのだが、

しかし、現実はそこまで単純ではないであろう、と僕は推察する。

アメリカにせよ、ロシアにせよ、イランが既に持ってしまってるのかどうかはわからないが、

北朝鮮にせよ、インドでもイギリスでもどこの国でも、

普通に普通の核ミサイルなんか使ったら、それで国際世論的にはその国はもう「終わり」なので・・・・使えないと思う。

(「限定的核兵器」の使用、という選択肢は、あるらしいが。)

僕のこの予想は「甘い」だろうか?「本当に使えないもの」を何千億円も掛けて配備しているのだろうか?

・・・・わからない。しかし、第二次大戦で一度実戦で使ったアメリカが、反省も謝罪もしていないよな、そういえば。

あれで通ってしまうんなら、次回の「使用」も有り得るかも知れない。


とにかく、2020年1月7日現在に、我々庶民が知りえる情報はこれくらいだ。

イランは報復宣言、アメリカは報復があればそれに報復する、とコメント。

子供の喧嘩みたいだが笑ってられない。

イラクから米軍撤退予定、中国とロシアがイラン支持表明、

日本政府のコメントは意味不明、というか「何も言ってない」に等しい。

アベの言った「イランと米国の橋渡し」なんていう言葉が寒々しい。恥ずかしい。

あんなのが日本を代表して発言するなんて、そろそろいい加減止めて欲しい。




しかし、


この後、何が、どう「動く」のか。




それとも、(楽天的に)「動かすに」推移して、沈静化するか。



慎重に見ながらも、

こちらの日常生活も勿論、「大事」なので僕はきちんと、こちらのことも考えながら生きます。


もうすぐ、今年初の、ROCA’66 のライヴ。


「堺ファンダンゴ」への初出演、1月13日。


「追憶のファンダンゴ」というライヴ・イヴェント。



国際情勢の緊迫、などに負けずに我々は日常をロックで生きて行きたい。


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POWER TO THE PEOPLE (道郎訳・「民主主義よ健全なれ」)。

2020-01-05 19:31:43 | Weblog

さっき書いた日記の中で「HAPPY  XMAS」(WAR IS OVER IF YOU WANT IT )を

少しだけ引用したのだが、ここでは

この歌(と、もう一曲)について少し言及する。

この歌、昨年末に確か、インターFMの、ピーター・バラカンの「バラカンビート」の

クリスマスソング特集のときにもラジオでかかった。

とてもいい歌だし、ポップだし、有名な、ほとんど「誰でも知ってる名曲」だと思う。僕も大好きだ。

だがしかしこの歌、長いこと日本では「誤訳」がまかり通っていたのだ、知ってる人も多いと思うけど。

「OVER」が過去形・・・ていうか、過去完了形みたいに見えるから、「戦争は終わった」という風に訳されていたのだ。

僕が持っている「ジョン・レノン詩集」(岩谷宏・訳)1986年初版  でも、そう書いてある。

しかし本当はこの歌は、クリスマスソングに混ぜて、当時真っ盛りだったヴェトナム戦争に真っ向から反対の声を上げよう!

というプロパガンダでもあるので、「終わった」では意味を成さない。当時、「終わって」ないし。

正しくは「戦争は終わる、もしもアナタがそれを望むなら」という現在進行形の、真っ直ぐなメッセージなのだ。

だからつまり、「ヴェトナムから手を引け」と意思表明しましょう!という。

蛇足だがこの歌の訳詩は、もうひとつ(ふたつ)間違っていて、

冒頭のジョンとヨーコの囁きが「ハッピークリスマス、ヨーコ」「ハッピークリスマス、ジョン」

と訳されているのだが

これが何と正解は「ヨーコ」ではなく「キョーコ」と、「ジョン」ではなく「ジュード(ジュリアン)」なのだ。

ふたりの、別居していて会えないそれぞれの子供へのメッセージだったそうで、

そんなのって、その事情を知らなければ「ヨーコ」と「ジョン」にしか聞こえねえよな。致し方なし。


そして、もう一曲。

この日記はここからが本命。


ジョン・レノンのソロ時代の名曲に「POWER TO THE PEOPLE 」というのが、ある。

勢いのある、とてもカッコいい歌。これも、大・大・好き。

ピーターさんは「ソロ時代のジョンの歌でこれが一番好きかも」と言っていた。

訳詩は「権力は万人に」となっていて、これは全然間違っていない。

昔から好きだったのだが、最近耳にして、その「意味性」の奥に気付いた気がして、新鮮な驚きがあった。

今の僕の耳には、この「パワートゥザピープル」って

「民主主義に(まっとうな)チカラを!」って訴えてるように聞こえるのだ。

いや、きっとそう言っている、間違いなく。

さっきの「ハッピークリスマス」の(「ウォーイズオーヴァー」)は、

アナタが(本当に)望むなら戦争は終わる、でもその意思表示をちゃんとしなきゃ伝わらないよ、

だから声を上げよう、と言っているし、

その「民衆が上げた声」を、ちゃんと「チカラ」として聴けよ!そしてそのように政府は動けよ’

民主主義ならそれが当然なはずだ!

と言っているのだ。それが「パワートゥザピープル」の意味だと思う。

まわりくどい言い方をすれば「民主主義社会よ、健全に機能せよ!」と言っているのだ。

それをストレートに、シンプルに、「パワートゥザピープル」と言ってるのだ。

それに気付いたとき、ちょっとまた別の感動があった。

言葉って、歌詞ってすごい。

僕がこの歌を初めて聞いてから30年・・・いや、40年近く経つと思うのだけれど、

「耳タコ」みたいに聴きなれた名曲の意味が、

自分自身の成長で、「真の意味(みたいなもの)」に気付けるなんて。

いや、こんなポップソングにそんな、普遍的な大事な意味を込められるなんて。

やっぱジョンは「天才」以外の、何者でもないであろう。


そしてそしてそして、だから僕も言う。

声を上げよう、選挙に行って、投票して、意思表示しよう。

そして「我々(民衆)の言い分」を、本物のチカラにしよう。


憲法なんか、変えさせまい。戦争になんか、加担させまい。


民主主義よ、健全なれ。





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戦争を、「始まらせてはいけない」。

2020-01-05 17:42:55 | Weblog
すべてのことに自分は関係しているのだ。


それは本当にそうで、だからカルロス・ゴーンが密出国みたいな形でレバノンにいるのも、

僕が一昨日、帰省ユーターンラッシュの新幹線に150%の乗車率で乗ったことも、

自民党が中東への派兵を国会を通さず、閣議決定で決めたことも、

僕が帰省中に50年も60年も前の肉親の写真に出会って困惑したのも、

アメリカがイランに先制攻撃ともいえる爆撃を行って、軍事的重要人物を殺害したことも、

その爆撃がドローンを使って行われたことも、

そしてイランが報復を宣言していることも、

米高官が、その殺害されたイランの重要人物を山本五十六と比較したのも、

全部が全部、リアルな、僕に直接関係することなのだ。



僕がまだ子供だった頃・・・1970年代後半に、イラン革命、というものがニュースを賑わせていたのを、少しだけ覚えている。

ホメイニ師の名前が連呼されていた。

僕は本当に、「僕には何の関係もない」と、思っていた。そのことは愚かにも確信していた。

遠い世界の出来事だったし、周りの誰もそのことで危機感など持っていなかった。

でもあれだな、「オイルショック」のときに脳天気な僕の母親(昨日の写真の人です)さえ、

トイレトペーパーを買い溜めに走っていたような気がする。あれとイラン革命(と、その前後の中東戦争)は、

時期も近いし・・・勿論、関係あるのだ、大アリなのだ。


政治的なことって、はっきり言って高度だし、その歴史的な経緯とかが複雑すぎるし、「裏の事情」が存在する・・・ことも

少なからずあるはすなので、素人が頑張って勉強したぐらいでは「付け焼刃」にもならない。

だからこんな「文系」のブログで僕が発言することに、大した意味はない。

「世情」に影響を及ぼすことなど、どう足掻いても無理なのだ。

読んでくれてる人に「面白い」と思ってもらえることもあまり、ない。反響も、ない。

だったら初めっから触れないほうがいいかもしれない。

でも言いたいから、言う。


これはドナルド・トランプの、選挙対策の意味合いを持ったイランへの軍事介入ではないのか?

僕にはそんな風にしか見えなくて・・・・・・・そうだったとしたら最悪。

「海の向こうで戦争が始まる」(←これは昔の、村上龍の著書の題名だが)ぞ。

第五次中東戦争の口火。ひいては、第三次世界大戦への導火線。

そして日本は、イランに行くと決めたわけではないが「中東に派兵」する、と自民党の閣議決定があったばかりだ。

ということは「海の向こうで」ではなく、「目の前で戦争が始まり、否応なく僕等は巻き込まれる」のだ。

それはもう既に、閣議決定されてしまっているのだ・・・嘘みたいだが本当だ。

派兵に直接行くのは自衛隊の人だよ、などと言う人がいるかもしれないが、

我々が払った税金が戦争に使われる、ということは直接我々が殺人に手を下す、ということと同義だ。

イエスもノーも尋ねられることもなく、自動的に我々は一人残らず、戦争に巻きこまれる。


ニュース映像で米高官が、イランの軍事的重要人物を殺したことを、「山本五十六を殺したようなものだ」、と

満更でもない顔で発言していたこともゾッとした。

うーん。ここまで「属国」みたいになってても、やっぱ敵国扱いか。

いや、それよりも殺人成功をドヤ顔で言うことに違和感がある。そういう感覚はちゃんと、持ち続けたい。


わが国の愚首相である、アベは2020年1月5日18時現在、何の声明も出さず沈黙している。

これは確信的な行為だと、僕は思う。形式的な人道的なコメントすら一切、出す気がないのだろう。

がっつり加担する心積もりなのだ。

彼にアメリカとイランの橋渡し、など、誰が考えたって出来るはずがない。


お前だったら行けるのか、と言われたとしても、僕にも行けない、何も出来ない。

でも、他人事、という風に考えないことが僕にとっては大事だと思っている。


民主主義がチカラを持つことが出来るなら(出来るはずである)、

我々が望めば、戦争を「終わらせる」ことが出来るはずなのだ。

WAR IS OVER  (IF YOU WANT IT )。


それどころか戦争を「始まらせない」ことも出来るかもしれない。


強くそれ(反戦・非戦)を望み、その意思を公表していこうと思う。

こういうときこそ、強く。
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ジェットコースターがタイムマシンに早変わりした年末年始。

2020-01-03 22:40:06 | Weblog
年末年始ジェットコースターがやっと終わった。

今年のジェットコースターは驚いたことに、タイムマシーンにも変化した。


そのことを何と言って説明すればいいのか・・・・わからないので、簡単に言うと、

成り行きで、実家で母親の古い写真整理を手伝ったのだ。


実はこれまでの人生において、親の古い写真、などというものを見せてもらったことがなかった。

そんなものがあることすら知らなかった。きっと、興味を持たなかったのだと思う。

自分のことでいっぱいいっぱいだったなんて恥ずかしい限りだが。加えて言えば、俺は家を出たのも早かったのだ。




父は十年以上前に亡くなってしまっているのだが今回、存命で健在の母親に何気なく

思いつきで、「昔の写真なんかないよね?」と言ったら あっさり「あるわよ」と言われ、

出てきたのだ、

押入れの奥にしまわれていた箱の中から、300~400枚くらい(推定)の白黒写真が。


アルバムになど貼られてはいない。


せっかくだから整理したい、との母の意向を汲んで、二人でルーペ片手に

写真の分類・整理を始めた。知らない人の写真や意味のない風景写真は捨てるのだ。

(後で思ったのだがこれは、終活、もしくは生前整理・・・の趣を帯びる。)


出てくる出てくる、今は亡き父の若かった頃、

こちらも今は亡き祖母の若かった・・・というか老いる以前の写真。

こちらも今は亡き、同居していた祖母の姉(大叔母)の老いる以前の顔。

そして母のセーラー服姿、ちょうちんブルマー姿、水着姿。


あ・・・アタマがクラクラした。本気で本当に、そんなもの見るのが生まれて初めてだったのだ。

おばーちゃんって中年の頃はこんな顔だったんだ。新鮮すぎる。


今回アップしたのはその中でもとても珍しい、カラー写真。この時代にも一応、カラーは存在したのだ。

時代は多分1965年で、場所は新宿・旧戸山ハイツ近辺。写っているのは母と、

母が抱いている赤ん坊は俺ではなく兄である。俺はまだこの世にいない。

っていうかその箱いっぱいの写真の中に、赤ん坊時代の兄の写真は多数あったが、

俺の乳幼児時代の写真は一枚もなかった。・・・・別にいいけど。次男なんてそんなもんよね。


しかし、それにしても写真というものが伝えるリアリティは強烈だった。

冗談抜きで俺は、父や、祖母や、祖母の姉と再会したような気分になったのだ。

しかも、若い頃の姿の彼ら彼女らとの再会。

重複してる写真(と、ピンボケの写真)を何枚か・・・10枚くらい、もらって帰ってきた。

若き父も居る、幼い母も居る、まだ若くて目がぎらぎらしている祖母の姉(そーゆーひとだった)もいる、

優しい表情のまだ若い祖母も居る。

今はもう92歳と88歳の老夫妻になってしまったT橋さん夫妻も、若い姿で居る。今は亡きO津さんも、道枝さんも。

忘れちゃいけない、父の姉の、「小唄」の師匠だった、とても綺麗だった久郷さんも。

この人達は子供時代の俺にとっての「身近な大人」だった。言ってみればオールスター勢揃い。


ああしかし、持ち帰ったこの写真だっていつか俺が死ねばゴミになってしまう。それは致し方ない。

しかし、どうしても欲しかった。


20代の父、40代の祖母。10代の母。今でもまだアタマがクラクラしている。

ジェットコースターがタイムマシーンに早変わりしてしまった、などと大げさなことを言ったが、

自分としては本当にそんな感じだったのだ。

それはあまりにも鮮烈で強烈な体験だった。

やはり、タイムマシンという幻想は人間だけが持つ(であろう)長期記憶と想像力の産物なのだ。

猫だったら自分の祖母の写真を見てもそのことを理解しないだろう。それはそれでいいのだが。


このカラー写真も、印象派の絵画のようで、とてもきれいだ。ただピンボケしてるだけではある。

まさか大叔父の描いた絵ではないだろう

(そういえば大叔父、出てこなかった・・・・写真の頃、ちょうど渡欧中だったか?)。


・・ふう。


タイムマシーンから降りたのに俺はまだ、ここが現代ではないような気がしている。

今は西暦千九百何年だったけ?帰ってきたけど、ここは東京?それとも、京都?

写真に写ってなかったけど、アタシは誰?





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