ギター(今週末は扇町PARA-DICEでROCA'66のライヴ)。

2017-06-21 21:51:44 | Weblog



ギターという楽器がこの世に存在して、

わりあい安価で、我々庶民にも手に入る・・・という状況は

すごくすごく、有難い事だ、と今更ながら思う。

言うまでもないが、江戸時代ではこうはいかない。


なぜギターか?


だって楽器なんて、

ピアノはちゃんと習わないと、とてもじゃないけど弾けるようにならない。

バイオリンだってそうだ。ただ音を出すだけでムツカシイ。

トランペット系の金管楽器も、まず音を出すのが至難の業だ。

木管楽器にしたって、やっぱり敷居は高い。


だがギターは

まず、コードをいくつか覚えれば、簡単な歌の伴奏はすぐ出来るし、

コードに対するスケールをある程度理解すれば、

アドリブでギターソロさえ弾くことが出来る。

そして更に音楽的に突き詰めようと思えばもちろん、どこまでも奥は深い。


ギターだけではない、ベースもそうだな。

(あと、ドラムセットというのもスゴイ発明だと思う。)


俺なんか、もしもギターがなかったら

今みたいにオンガクにどっぷり、というようなことには・・・なっていないだろう。

リスナーとしても、今のようには聴けてないと思う。

ギターを通して、オンガクへの理解度が深まってる、と思うのだ自分では。

もしギターが無かったら俺は・・・絵ばかり描いていただろう。

まあ、それはそれで全然悪くないのだが。

でも内向的な人間が絵に向かうと、世間との接触が希薄になる・・・ということが危ぶまれる。

そう、俺なんかきっと、誰にも会わず、部屋にこもって絵を描いていたかもしれない。

むむむ。

そうなのだ、俺が中学生のときギターを始めたのはただただ、

ギター自体が「かっこよかったから」で、

それを使って、何をどうするか・・・みたいなプランは何もなかった。

しかし、ギターがちょっと弾けるようになると、

誰かに聞いて欲しくなった。当たり前だと言われればそうだが。

そして、ギターをきっかけとして「仲間」が出来た。

これは予想外の事・・・・と言うか、望外の喜びだった。すごくすごく嬉しかった。

そして更に、「仲間」と共に「バンド作ろう」ということになった。

もう、何が何だかわからないが、嬉しいのは泣きたいくらい嬉しい。

(道子はその時、気付かないうちに、「ブレーキの無いクルマ」に乗り込んでいたのだ。)

そして!

バンドが出来れば、学園祭に出たり、

挙句の果ては、ライヴハウスに出演したりする・・・ようになる。


内向的な道子が、自室で絵ばかり描いていた頃には想像もつかないことになってしまった。


マジでけっこう「人見知り」だったのだ俺は。子供の頃。

「人見知り」だったし「内向的」だったし、「引っ込み思案」だった。

(自慢するような事ではない。)


しかーし。

バンドが軌道に乗って、ライヴなんかを定期的に演ったり、

東京のライヴハウスに「ツアー」と称して出掛けたりするようになると、

「人見知り」なんて言ってられない。

ライヴではほぼほぼ毎回、初対面の人間に会うし、

初対面なのに、親しげに話しかけてくる人間の多いこと。

・・・心を閉ざしてる場合ではない。


俺はいつからか、自分がかつて「人見知り」だったことさえ、忘れた。


どれもこれも、

(内向的な)中学生だったある日、

ギターを手に取ったことから始まっている。


ギター買ってくれた両親に感謝。

そのときの「仲間」に感謝。今、一緒にやってくれてる「仲間」に感謝。

そしていつも「お客さん」として来てくれる優しい何人かの人に最大限の感謝。

更には

「ライヴハウス文化」、そのもの・・・にも感謝を捧げます。





さて、その「ギター」を手に「仲間」と共に今週末、

いい歳こいて性懲りも無く、ライヴハウスに出演する。


2017年6月24日 土曜日

大阪、扇町のライヴハウス

PARA-DICEへ、来て下さい。





もしアナタと初対面だったとしても、今の俺は「人見知り」はしないので、


来て、


俺に


声かけてね。





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