「1Q84」

2009-06-29 11:02:22 | Weblog
もうそろそろ、「1Q84」について書いてもいいかな。

以下の文章には「ネタバレ」的要素を含みます。

まだ読んでない人は・・・・・・飛ばしてくらっさい。


俺は村上春樹のほぼ最初期からの熱心な読者で、

「羊をめぐる冒険」が出たすぐあとに

雑誌「宝島」に"村上春樹ロングインタヴュー”というのが載った。

俺はその時、高校生だったのだけれど

それで興味を持って、

一作目の「風の歌を聴け」から読み始めた。

それからは「新作が出たらすぐに買う」ということになって。

思えば20年以上経つのだ。





さてさて

もやもやといろいろ思うのだけれど。

「1Q84」。まず、当然だがすごく文章の質の高い、読みやすい、

そして志の高い作品であったことをまず記しておく。

読書体験としてはほぼ最高レベルだった。

完全に作品世界に引き込まれて、ワクワクして、あれこれ推理して、

読んでいない時も作品世界のことを考えた。

特に、「月が二つ」ということに関して、すごくドキドキした。


だがしかし。

もしかして・・・と始めから思っていたのだが、

BOOK2のラストで、作品は終わっていなかった。

もし、あれで「終わり」と言われたら納得するしかないのだが、

新聞に掲載されたインタヴューで村上さんは

”あれで終わったのか?”という質問に対して

「わからない」と答えている。

(インタヴューを読んだのはもちろん、読了後だ。)

これだけの長い作品のラストに用意されるべき「カタルシス」

がないのだ。村上さんだって昔のインタヴューで

「長編作品の終わりには、読者を納得させられるような

カタルシスが必要」って言ってたのに。

最近の村上春樹作品でよく批判されているのが

「謎を謎のまま放り出して終わってしまっている」

というようなことなのだが、俺はそれはそれでいいと思う。

謎なんて、ほっといたっていいのだ。

必要なのは・・・・・ラストだ、カタルシスだ、大団円だ。

そのことに関してはこの「1Q84」についても、

俺は不満だ。ちゃんと終わらせてくれよ・・・・・・・

初期の作品のことを持ち出すのは反則かもしれないが、

「1979年のピンボール」の、あの、もう”すべてが終わった”

ような静かな寂寥感、「羊をめぐる冒険」の一種、暴力的なまでの

哀しさ、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の

哀切で壮大で、少しだけ未来に「開かれた」、ラスト。

「1Q84」のラストもきっと、「開かれた」終わり方なのだと思う。

でも、「開かれ」すぎて終わっていないよ・・・。


反則ついでにもっと言う。

実はここからが今回、俺が本当に言いたかったことかも。


初期三部作と「世界の終わり・・・」と「ノルウェィの森」

までの作品は、これはあくまで俺の推測なのだが、

「フィクション」ではないのだ。

推測とはいえ、俺は確信している。

「直子」は実在したのだ、そうとしか思えない。

(同じような推測をする「研究者」も何人か、いる。)

フィクション」ではない、から・・・

初期作品の「痛み」や「喪失」は恐ろしくリアルなのだ。

笑っちゃうような逆説の逆説、「事実は小節より奇なり」。



だから、中期以降の作品はどうしても「薄い」。

今回の青豆さんも、大吾くんも・・・・。


また安易に(と言ってはいけないのかもしれないが)起こる、

殺人事件。

「おはらい」としてのセックス。

何だか・・・・・・とってもフィクショナブルだ。



まあいいや。




「1Q84」では、”小説作品のリライト(書き直し)”

という問題が登場する。それも、他人による「書き直し」だ。

これは・・・知ってる人は知ってると思うのだが、

アメリカ文学界の大スキャンダル、

「レイモンド・カーヴァー作品の編集者(ゴードン・リッシュ)による

大幅手入れ疑惑」を思わせる。

村上春樹はもちろん、カーヴァーの日本語訳者で

本人言うところの「カーヴァー・ギャングの一員」であるから、

これは意図的なものだと思う。世間への問題提起?それとも・・・

受けたショックがこんな形で出てきただけかな?

その”カーヴァーの大幅手入れ疑惑”については、

「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど」村上春樹編・訳

中央公論社

に詳しく載ってます。


まあ、誰もそんなの興味ないだろうけど(笑)。

この事実を踏まえて読むと、より味わい深いデス。




「1Q84」では、「牛河」っていう登場人物が妙によかった。

「ねじまき鳥」にも登場していたヒトなのだが。

フィクションで描かれる「ねじまがった現実」という手ごたえがある。

手に汗にぎるリアルさ。

随所にそんなのがちりばめられている「1Q84」は、

何だかんだ言っても「傑作」である、と思う。


それと、もうひとつ。

もしかして村上さんは

「オウム真理教」みたいなの

(もっと大きく「ヤマギシズム」みたいなものも含めて)を、

”全共闘運動の敗北”の延長線上として捉えているのでは??

という風に思った。「自分の世代の負の財産」、というように。

「絶対悪」ではなく、「もの哀しいもの」として。


BOOK3の発売は、いつなのだろうか。



最後に、

村上春樹さんと同時代の人間であることを感謝して筆を置きます。
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