「虚構的」、もしくは「露悪的」。

2023-01-20 21:32:34 | Weblog

YMOの「散解」前のシングル、1983年の

「君に、胸キュン」という歌は当時、さんざん流行りまくって、

僕は別段、気にも留めなかったのだが当時は普通に、

テクノのYMOがいきなり歌謡曲・・・・というのもなかなか一興、と

思っていた。

で、あれは高橋幸宏の作詞作曲だ、と勝手に思い込んでいた。

何となく、「お洒落なオジサン感」が、ユキヒロっぽかったのだ。

あの歌詞。

何だか中途半端に生々しい、リアルな感じがして、これは、この歌は、

モデルになった女の人が実在するのではないか??いや、するに違いない・・・・・・

♪「気があるの?」って怖いくらい読まれてる ♪  っていうところとか。

きっと東京に、この女の人が実在してるのだ、と、また勝手に決めつけていた。

でも

後で知ったのだがこの歌の作詞は松本隆だった。むむむ。まんまと騙されていた。

松本隆の詞は・・・・僕は実はけっこう嫌いなものが多くて、

リアリティがない、勝手な、

オジサンが頭の中だけで作り上げた歌詞が多い、と感じていた。

吉田拓郎の「外は白い雪の夜」とか。寺尾聡の「ルビーの指輪」も、そうだったよな。

でも最近、それはそれでありだな、と思うようになった。

「物語」とか「小説」って、きっとそんなものなのかもしれないから・・・・だ。

松本隆作詞の中で、例外的に大好きだったのが

原田真二の「タイムトラベル」という曲だ

アレンジも、曲も、歌詞も、歌唱も含めて完璧、最高。今でも好きだ。素晴らしい。

でもあれなんか完全に、ほとんど「妄想」のような物語の世界だった。

 

「はっぴいえんど」の歌詞も、松田聖子の歌詞も全部、松本隆だよね?

どちらも「虚構的」という点で、確かに共通している。

 

「虚構的」な歌詞は確かに素敵だが、

「露悪的」・・・というか、「私小説的」な歌詞も、やはり素敵である。

忌野清志郎の歌詞はそれなりに私小説的だ・・・そうでないものもあるが。

(例えば「ボスしけてるぜ」は全然違う。)

歌詞ではないのだが、太宰治の小説は全部、露悪的な私小説である、と僕は思う。

世間の評価も概ね、そうだ。

中島らもの作品も全部、そうなのだろうと思う。エッセイも含めて。

「虚構」と「私小説」、

もしも、どちらかしか選べない・・・という状況なら僕は

恐らく、「露悪的な私小説」の方を取るだろう。

「事実は小説よりも奇なり」だから。

 

 

さて、本当はこの文章は

歌詞の「モデル実在問題」について書くつもりだったのだが、

他のことで長くなり過ぎた。

 

 

またいずれ、そのことは書こう・・・・と思う。

 

 


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