東日本大震災から11年。
亡くなられた方々に哀悼の意を。
あのとき僕は大阪の茨木市にいたのだが、
関西でも「揺れ」は感じた。
僕は一瞬、自分がめまいを起こして倒れるのかと思った。
そう言っていたひとは、他にも何人かいた。
そういう感じの、ゆるやかな、でも大波のような「揺れ」だった。
しかしまさかあの「揺れ」で、遠く東北の地で、あの壊滅的な津波が起こるとは。
想像を絶する、とはこのことだ。
津波に飲まれて死ぬって、どんな感じだろう?
シンパシーではなく「エンパシー」を感じたくて時々想像してみるのだが・・・・・・・・・・・・・・・
あまりにも他種多様で、ケースバイケースであろうと思う。
11年経った今であるが、行方不明の方々も、とても多い。
行方不明者の家族の方々は、愛する人の生存の希望を諦めきれないであろうと推測する。
もしかしたら地震の直前に
ひょいっと家出してどこか遠くの地でひっそりと暮らしているかもしれない。
僕ならきっと、そう思ってしまうだろう。
そして、福島第一原発。
原子力発電所というのは「核」の平和利用・・・ということを言われていた。
(原子力は英語では何と「ニュークリア」と呼ばれる。偽善的な名称だ。「クリア」なんかじゃ全然ないから。)
しかし結局、「有事」のツケが弱者のところに来るのならそれは全然「平和利用」なんかではない。
実際、「お偉いさんたち」は誰一人、責任を問われなかった。責任を取らなかった。
そして
メルトダウンした原発は、廃炉にすることさえ不可能であることが近年になって判明しつつある。
もう、冗談みたいにひどい現実。
思考放棄したくなる。目をそむけたくなる。
そして今よみがえる、福島以前の悪夢、チェルノブイリ。
「石棺」で覆われたあそこを今、ロシア軍が占拠しているという。
電源が失われた、というぞっとするニュースも伝わって来た。
遥か昔の「ゾンビ」が蘇って来たみたいな感触。
チェルノブイリ原発跡を占拠して、どうするのか?何が狙いなのか?
何もかもが「不気味」だ。
そして哀しい。