6月3日の出来事

2018-06-03 01:06:41 | Weblog



6月3日なんだけど、感覚的には6月2日の夜なんだな・・・・・・・・・彼が死んだのは。

俺達が知ったのが、6月3日だったんだよ、多分。

30年も前のことだから、日付とか、細部は違ってる可能性は多いにあるけど。

6月3日の午前中、

俺は当時、大阪に住んでいて、バンドやりながら アメ村の、トムズハウスの中にある古着屋で働いていて、

そこに庄治が電話かけて来てくれた。

全然信じられなかったから、信じないままで、

きっと何かの間違いだ、でも、もしも、間違いでなかったら?そしたらそのときは、どうしたらいいんだろう?

・・・いや、きっと間違いだ・・・・。

その思考の延々、繰り返しだった。

多分仕事は早引けさせてもらって、夕方、佐治の部屋に行って、

佐治と一緒に、二人で、彼のクルマで、

奈良の岩佐の家を目指した。

クルマには、佐治も岩佐(俺も)も大好きな「THE CLASH」のミュージックテープがあって、

佐治がそれをカーステに入れた。

初夏の日差しのせいでそのテープは伸びきっていて、

グニャングニャンの、グロテスクなクラッシュ。

ほとんどオンガクですらないほどひどい音。

でもそのテープを取り替えることも思い付かなかった。

奈良に着くまでの一時間半、オートリヴァースで、ずっとそれを聴いていた。

我々は一言も喋らなかった。

グロテスクな現実にその音は 余りにも馴染んでいた。

微かに頭痛がし始めた。その頭痛はその後、何年も去らなかった・・・冗談抜きで。


そしてその夜遅く彼の家で、彼に対面した。

彼は人気者だったから、大勢の人が家に押しかけてきていた。大群衆・・・・みたいな感じ。


彼の・・・・前歯が折れていたのを強烈に覚えている。

綺麗な、立派な歯だったのに。

「目を覚ましなさいよ」と彼の母親が叫んでいた。

そのあとのことは全然、何も覚えていない。

どうやって大阪の自分の部屋に帰ったのかも、覚えていない。

それが1988年の、6月3日の夜。



そして今は、

2018年、6月2日・・・・からもう、3日に 日付は、変わった。



ジャスト30年。


歳月に、何か意味がある・・・・のだろうか。




写真は


佐治が、この日は毎年、彼の分と自分の分のバーボンを


グラスに注いでいた、と


彼の奥さんがツイッターに書いていたから


真似してみた。



バーボン飲むのは久しぶりだ。





明日はお墓に行く。


コメント
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