30年目の6月3日に。

2018-06-04 21:00:29 | Weblog

時々トラックで近くを通っては眺める霊園は、

いつの間にか私の中で、手の届かない場所のようになっていたので・・・・・・・・

(4トントラック停める場所なんかないからね)

電車の駅から徒歩で一年ぶりに、訪れてみたらそこはまるで

非現実の場のごとく感じられたのでした。

何もかもが非・リアル。

だけど「彼」の気配も、なかった。


向日葵は、花屋で買った。

私の蒔いた種はまだ、芽が出たばかり。

花が咲くのはまだまだ先だ。


それにしても昔なら

お墓に向日葵ってちょっと変・・・・って気もしたかもしれない。

でもお墓に向日葵、

供えてみたらぜんぜん悪くない。

いや、むしろ良い。

菊とかってちょっと湿っぽくて苦手なのよね。

昔だったらお墓には、菊が定番だった気がする。

昔は花なんか、これっぽっちも興味なかったし。


それはさておき。


昨日は

一人でお墓に参った後に、

友達の家にお邪魔して二人で思う存分、

今は亡き人の話しをした。

・・・・・・・・・・・・・・・思う存分。


この場合の「今は亡き人」は岩佐と、佐治のことだ、言うまでもないけど。


「彼ら」の話を聞いたり、「彼ら」が元気だった昔のことを思い出したりしていると、

「彼ら」の存在がものすごく身近な感じで甦ってきた。

それはとても嬉しいことだったし、

それこそが私の望んでいたことだった。


心がとても落ち着いた。

30年目のこの日に、どういう風に行動すれば自分自身が納得できるのか、

全然判らなかったのだけれど

結果的に、これでよかった、と思えた。





友達よ、どうもありがとう。心から感謝してます。


コメント
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