イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「思惟する天文学 宇宙の公案を解く」読了

2021年12月09日 | 2021読書
佐藤 勝彦、佐治 晴夫、渡部 潤一 、高柳 雄一、池内 了、平林 久、寿岳 潤、大島 泰郎、的川 泰宣、海部 宣男 「思惟する天文学 宇宙の公案を解く」読了

この本は、2013年に書かれた本だということで情報としては古いものかと思ったが、それはとんでもない間違いだった。天文学上の新しい発見はその後もあったのであろうが、タイトルのとおり、“思惟する”という意味では何ら古びていると思えるものではなく、むしろ、科学者が考える哲学という面から見るとこれは学ぶべき部分が多すぎると思えた。僕自身が何か公案を得ることができたかというと、それはやっぱり無理というものであったが・・。

この本は、「スカイウオッチャー」と言う雑誌に1992年から2000年にかけて書かれた文章を、同じ著者が最長17年の歳月を経たあとで後継雑誌の「星ナビ」誌上で当時からの変化を再度見直したものを並列して書いている。
宇宙の始まりと終わり、宇宙と哲学、宇宙と文明、宇宙と生命、異星の文明、そういったものについてそれぞれ専門の立場から論じている。
この17年間というのは、ダークエネルギーの発見、ヒッグス粒子の存在の証明、形骸惑星がはじめて発見されたという期間であったそうだ。
宇宙を研究対象とする学問分野である天文学は、「世界とはどのようなものか」という根源的な問いかけとストレートにつながっている。これは、神話や宗教には必ずといっていいほど世界の創世や構造を示すさまざまな「宇宙像」が存在していることからもうかがえる。その点で、天文学は他の諸科学と比べてより宗教的・哲学的なテーマに近接している。

日本語で初めて宇宙という言葉が現れるのは日本書紀だそうだ。スサノオの追放の段に、「以って宇宙(あめのした)に君臨(きみ)たるべからず。」という文章が出てくるそうである。「宇」は空間の広がりを、「宙」は時間の広がりを表しているのだが、この時代から比べると、宇宙像ははるかに拡大し、地球に生きる自分たちにとって宇宙の意味、あるいは宇宙の中で生きる自分たちの存在の意味を問い直す必要があるという。

銀河系の中に文明がいくつあるかというのは、ドレイクの方程式という計算式で求められ、それは多くても10個くらいかと言われている。恒星圏の中のどの位置に惑星が存在しているか、そしてその大きさも問題になる。あんまり大きすぎると人間サイズの生物は重力のせいで潰れてしまうという。そもそも、地球を育んでいる宇宙も、重力定数というものが10%の範囲で現在の数値と異なると生物を構成する炭素は作り出されていなかったそうだ。
また、生物がいたとして、そいつが文明を生み出すまでの時間だが、地球上で数回起こったとされる大量絶滅による進化のワープがなければ地球の寿命に追いつけなかったとされている。そいういことがおこらなければ文明ができる前に星自体に生物が住めなくなってしまうのである。
要は、奇跡の中の奇跡が起こって今の地球の文明があるのだが、そこに必然性があったのかということが公案を解くことにつながりそうだ。
「人間原理」という言葉は以前に読んだ本にも書いていたが、宇宙を観測する意識、これは地球人でなくてもほかの星の文明でもいいのだが、それがないと宇宙は存在していると言えないのであり、すなわち、観測者がいてはじめてその対象は存在できる。というのが人間原理である。そう考えると、宇宙が存在する限り、地球に文明があるというのは必然ではなかったのだろうか。
それを証明するために天文学は存在するのだというのが執筆者のひとりの考えである。
う~ん、とうならされる内容ではあるが、ちょっと醒めた目で思いで考えると、しょせんそういうことを考えても宇宙の広がりを感じるのはここに届く光を見ることだけで、そこに行って肉眼で確かめるということはもはや不可能であるということは明白となり、ましてや異星の文明と交信するということも不可能である、返信はしたけどその返信を待っている間にこっちが滅びるか、その前に、返信が届く頃には向こうが滅びている確率が高いというのがいまだに異星からの電波が届かない理由である。
それでも異星の文明を探し、はるか遠くの星を探すのを止めないのはきっとこれは偶像崇拝の類ではないのかと僕は思い始めている。
地球で生まれたまともな宗教のほぼすべては当初偶像崇拝を禁ずるというのが常であった。それほど偶像崇拝を禁じるのは、神秘性を高めるという意味もあったのだろうが、これ自体が人間を堕落させるということが昔からわかっていたからではなかろうかと思う。玩物喪志というやつだ。そう知っていながら止めることができないのが人間の性で、知性のないやつはアイドルに走り、知性のある人は科学者になり宇宙を見つめる。そんな構造ではないのだろうかと思うのである。
それにしてはお金をかけすぎではないかと思うのだが、それはそれで平和な時代だからよしとしておけばいいし、僕はその隅っこのほうの知識をちょっとだけ教えてもらえれば僕の玩物喪志は満たされるのである。

ちょうど昨日、変な実業家がロケットに乗って宇宙に行った。宇宙と偉そうに言っても、地球の重力圏内なのだから実は宇宙とは言えないそうなのだが、100億円払って行ったというあの人も宇宙の漆黒の先に偶像を見たいと思ったのだろうか・・。


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