イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

紀ノ川河口釣行

2024年01月28日 | 2024釣り
場所:紀ノ川河口
条件:中潮8:17満潮
釣果:ボウズ

昨日のトピックスは何もなかったと書いていたが、実はもうひとつトピックスがあった。水軒一文字の赤灯台を越えて水深24メートルくらいのところに差し掛かった頃、魚探の画面に真っ赤な反応が出てきた。それも1回だけではない。添付の画像は昨日の帰り道に同じ海域を通ってみた時の反応だが、大体がこれの4倍くらいの大きさの反応であった。



ひょっとしてこれって噂のコノシロの群れなのかと加太には行かずにとりあえずサビキ仕掛けを下ろしてみようと思ったくらいだったのである。

あれが何だったのかを確かめるべく今日も船を出した。本当は魚探を搭載した大きい方の船で行けばいいのだが、小船も長らく動かしていないし、魚探に反応が出なかったらなんともむなしいのでやっぱり小船をチョイスだ。

昨日は思いのほか風が吹いていたが、今日は間違いなく穏やかな天気になりそうである。



赤灯台を越え、大体この辺りだったかと思えるところで船を止めた。



今日の計画は、メタルジグを投げながらサビキ仕掛けを下ろし、食ってきたコノシロで泳がせ釣りをしてやろうと考えていた。
しかし、この辺りまでやってくると潮の流れがかなり速い。サビキはあきらめてメタルジグだけ投げていると小さなアタリがあり小さなエソが上がってきた。



ひょっとしてこれは泳がせ釣りに使えるのではないかと考えもう1本の竿をセット。



群れはどこにいるのかと3回ほど紀ノ川河口を流してみたが釣れたのはまたもやエソが1匹だけであった。



まあ、そんなに世の中甘くはない。

昨日書いた、角幡唯介が、冒険と探検との違いと言うことを語っていたことがあった。
冒険とは途中で死ぬこともいとわずに行う行為で、探検とはかならず戻ってきてその行程と発見を報告して終わるもの。だそうだ。
今日の釣行は冒険だったか、探検だったか・・。

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加太沖釣行

2024年01月27日 | 2024釣り
場所:加太沖
条件:大潮8:17満潮
潮流:4:24転流 8:30上り3.4ノット最強 12:17転流
釣果:ボウズ

なんと3週間ぶりの釣行だ。久々に週末に風がおさまった。寒いことは寒いのだがやっぱり風がないと度合いが違う。しかし、心理的には真っ暗のうちに家を出るのは辛いので東の空が明るくなりかけてからバイクにまたがった。

いつものスーパーの駐車場から見る煙突の煙は穏やかな天気を約束してくれていたが港に到着すると北西からの風が吹いていた。



港内も少し波立っている。



波を被るというほどではないがこれは釣りづらそうだ。潮流が最強になるまでは1時間ほどあるのでそれまではサビキ仕掛けをやるつもりだ。四国ポイントを目指したのだがなぜだか針路を間違ってしまいテッパンポイントの南に行ってしまった。戻るのも面倒くさいのでここからスタート。



風が強くて潮は反対向きに流れているはずなのでかなり釣りづらいと思っていたが潮流表の数値ほどは流れていないのか仕掛けはほぼ真下に下りてゆく。魚探の反応もないしアタリもない。最強時刻が迫ってきたので仕掛けを変更するため回収してみると枝素が1本切れている。仕掛けを流している途中、“んっ”という感じがしたのだが魚がアタっていたようだ。スッパリと切れているところをみるとサゴシかタチウオの生き残りだったのかもしれない。



意外と潮が流れていないので少し上の方に移動。



魚探には時々反応があるがまったくアタリはない。転流時刻くらいまでは頑張ってみようと思っていたが日差しは無く、相変わらず風が強くて僕の心を萎えさせる。

海面に浮かぶ鳥さんも波に翻弄されて上下に揺れている。



今日は久々に船を走らせることができたということだけで満足だと自分に言い聞かせ午前10時に終了。
港に戻って舵周りを覗いてみると、先週は真っ黒だったスクリューや舵板がきれいになっていた。塗料はまだ十分効いているようである。





まったく何のトピックスもない釣行であったが、朝起きてから見ていたテレビ番組が唯一のトピックスであった。
角幡唯介と門脇麦の対談番組だったのだが、どちらも気になる人であったので録画していた。
角幡唯介の文章や見識はいつも人をうならせるものがある。多分、同じ番組であったのだと思うがこの人の考えていることはすごいなと思ったので今回もぜひ見てみようと思っていた。もう一人の門脇麦も好感を持てる女優さんだ。朝ドラのなかではストーリーがまったく駄作であったと僕は思っている「まれ」で初めて見たが、それ以来この人が出演しているドラマはよく見ている。料理がテーマのドラマもあったが、今回の対談番組では料理好きに加えて相当なアウトドア派であるということが語られていた。



釣りやキノコ採りをするのはそれを食べたいからだというのである。
そうだよな~。普通はそうなんだよな~。そうあるべきなんだよな~。としみじみ思いながら見ていたのである。家を出るのが遅くなってしまったというのはこの番組を観ていたからだということもあったのである。
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「包丁・砥石の選び方、使い方、育て方: この1冊でもう迷わない」読了

2024年01月22日 | 2024読書
一般財団法人 日本包丁研ぎ協会/監修 「包丁・砥石の選び方、使い方、育て方: この1冊でもう迷わない」読了

包丁の研ぎ方の本を読んで包丁研ぎが上手くなろうなどとは通信教育で空手をマスターしようとするのと同じなんじゃなかろうかと思うのだが、教えてくれる人もいないのでこんな本を見つけて読んでみた。
しかし、「日本包丁研ぎ協会」というような団体があったというのも驚きだ。一般財団法人というのは最低300万円の資金を持っていないと設立できないというのだからかなり気合が入っていそうだ。
包丁のメーカーが共同して設立したのだろうが、包丁を買ったのはいいけれども自分で研ぐ人が少ないから切れなくなったというクレームが多いから啓蒙のために作ったのかもしれないと想像したりしてしまうとちょっと悲しいのである。

新しい包丁と買ってやろうと思ったきっかけのひとつは、自分なりにではあるがそれなりに研ぐのも上手くなってきたのではないだろうかと思っていて、錆びさせない工夫もできるようになってきたからだった。
しかし、今使っている砥石の番手は適切なのかとか、研ぎ続けているうちになぜだか切っ先のほうが鳥の嘴のように変形してしまうという悩みは続いたままだった。
まあ、そんな悩みのヒントになればいいと思って読んでみたというわけだ。

まあ、結局のところ、そう簡単にはわからないということだけがわかった。元々、今使っている砥石の番手自体がわからないので適切かどうかという以前の問題だ。本を読んでいるだけでは、「こんなザラザラ具合はOO番の砥石だ」というのはさすがにわからない。当たり前だ。
800番以下が荒砥、800番~3000番が中砥、それ以上が仕上げ砥だということだが、僕の砥石は一体何なのであろうか?一応、荒砥と中砥として使っているのだが、本当に適切かどうかがわからない。
ひとつ参考になったのは、面直し用の砥石は絶対に必要だということである。僕は100均で買った砥石をそれに使っているのだが、きちんと平面を作ろうとしたら、ダイヤモンド砥石を準備しなければならないらしい。早速ヨドバシで注文せねばと思うのである。値段次第だが・・。
そして、鳥の嘴問題については、包丁というのはすべて先端に向かってテーパー状の形になっているので切刃の角度は先端に向かうにつれて鋭角になっているそうである。それをどの場所も同じ角度で研いでいるからなのかもしれないという原因が浮かんできた。
それと、知ってはいたがまず僕にはできないと思っていた糸刃の付け方だが、それは仕上げ砥石を使ってワンストローク研ぐだけで完了するらしい。これは絶対に試してみなければならない。

鋼材の名前とその特徴も今後の購入の際には参考になりそうだ。和包丁に使われている鋼材の材料といえば青紙という鋼材と白紙という鋼材が有名だが、青紙は白紙にクロムとタングステンを添加して硬さを増しているので研ぎにくいが切れ味が鋭くその切れ味が長持ちする鋼材なのだとしか思っていなかった。それぞれの2号という鋼材が炭素含有量のバランスがよく一番流通しているものになる。しかし、この本によると、それぞれで切れ味に特徴があるのだという。
青紙は鉄以外の鉱物が含有されているので刃先にも当然存在する。それが食材に引っ掛かるので切れ味のスムーズさを阻害するというのである。だから、青紙2号を使った包丁では、皮はよく切れるが身を切るときには抵抗を感じる。白紙2号を使った包丁では皮には刃が入りにくいが身を切る際の抵抗はかなり軽く感じるという。
硬めの野菜を切るときなどは刃に引っ掛かりがあることで刃が進みやすくなりよく切れると評価をされている。そういえば、うちにもある菜切り包丁は多分青紙2号の鋼材を使っているようだが、母親はそれを知って買ったのかどうか、理にかなっているということかもしれない。ものすごく研ぎにくいので今では収納庫の奥で眠ったままになっているのだが・・。
しかし、切るときの感覚と食べた時のおいしさは別で、切れ味の違いで食材の雑味の有無や多寡が変わると言われている。日本料理には、「割主烹従」という言葉があるそうだ。「割」すなわち食材を切る仕事が第一で、「烹」すなわち火を使った加熱調理がこれに続くという価値観を表した言葉だそうだが、それだけ切るということは重要な工程だということである。
青紙鋼は食材を引っかくため、細胞に負荷がかかり、雑味が出やすい。しかし、食材によっては雑味がまったくないと味が薄いと感じることもあるので、獲れたての新鮮な魚などは青紙鋼のほうが美味しく切れるという意見もあるそうだ。
そんなことを言われると、釣ったその日に食べてしまう僕などは青紙鋼の包丁のほうが適しているということになる。また1本欲しくなってくるではないか・・。

ステンレスの牛刀も1本欲しいと思っているのだが、ステンレス鋼では銀紙3号、5号、1号、ASU-8、V金10号という素材が有名だそうだ。
ASU-8という鋼材はモリブデン鋼、モリブデンパナジウム鋼とも言われて販売されているそうだが、一般的には家庭用でプロ用ではないそうだ。「腕はアマチュア、心だけはプロフェッショナル」と不遜なことを思っている僕にとっては使いたくないと思ってしまう鋼材だ。
JIS規格で定められたSUS420J2の不純物を減らして炭素量を増やしたのが銀紙鋼だ。その中の3号というのがもっとも炭素量が多く、本職用の包丁として需要が高いらしい。和包丁としての作りも多いらしく、和食の料理人からの支持も高いということである。
洋包丁の種類が豊富なのはV金10号である。VG10とも呼ばれる。武生特殊鋼材社というところが作っていて、クロム、モリブデン、コバルトなどが添加されている。
ダマスカス鋼という縞模様の包丁はほとんどがこの鋼材だそうである。
これは今後の購入の参考になる。
しかし、銀紙3号の牛刀の値段を調べてみると、僕が買った出刃包丁よりも値段が高い・・。
これは買おうとしても無理だ・・。

そして洋包丁の産地だが、僕が目をつけたのは越前の包丁だ。元々、刀の産地であったが、鎌も作るようになり江戸時代には日本一の生産量を誇っていたそうだ、それが低迷して包丁の生産に切り替えたということだ。昭和も中頃を過ぎてからの再興だそうだが、なんとなくいいように思う。
お隣の関はちょっとメジャーすぎるので、僕は隠れた銘品を探したいと思うのである。

そして包丁で刃ないが、必ずペアとなるまな板の情報も掲載されている。
まな板の素材としては木製がいいのだが、酢酸ビニル製も包丁を傷ませないまな板だそうだ。これもヨドバシで探さねばと思うのである。

なかなか情報盛りだくさんのムック本であった。

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水軒沖釣行

2024年01月14日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:中潮8:48満潮
釣果:ボウズ

知り合いの人から、今年の僕は厄年だということを聞かされた。



厄年というのは40代で終わりかと思っていたら、還暦もそうだったらしい。
どうりで去年から今年にかけて僕にとってよくないことが起こっているわけだ・・。
係留場所が抱えている問題、希望の休みを取らせてもらえないという問題、母親がぼけ始めた問題、中古の工具屋で先週置いていたバールを買おうと思って行ったらすでに誰かに買われてしまっていた問題、まだまだあって、ついこの前、軽油の免税措置がなくなってしまうという情報も飛び込んできた。日経平均は35000円を突破したのに僕はその前に持っていた投資信託を売り払ってしまっていた・・。
考えていることは毎回裏目に出るし、係留場所と軽油の免税措置がなくなる問題はこれから先、今まで通りに魚釣りに行けるかどうかを左右する深刻な問題だ。半分リタイアして時間には余裕ができても今度はお金の余裕がまったくなくなってしまう。
これを災厄と言わずになんといえばいいのだろうか。
一応、これでも自分の生き方というものを自分が心地よいと思う形にお金が無いなりに整えてきたつもりだが、それがインフレや外部環境の変化でことごとく潰されていく。

ああ、嫌だ。昨日も天気が悪くて釣りに行けず、今朝の天気は良いけれどもすこぶる寒い。まあ、この寒さは地球の運行がつかさどるものだから僕の厄年とはまったく関係がないので仕方がないし、逆に今までの温かさが厄災であったのかもしれない。

この寒さは間違いなくこの冬一番の寒さかもしれない。確かにその通りで、今朝の和歌山市の最低気温は0℃だったそうだ。バイクのハンドルを握る手は港に到着した頃には完全に感覚が麻痺してしまっていた。
船を走らせていると肩の辺りに冷たさが差し込んでくる。



まあ、それでも今日は風は穏やかだ。いつもの場所で仕掛けを下ろしてみる。



今日はもうひとつ仕掛けを用意してきた。アマダイ釣りの時に使っていた仕掛けだが、これのエビを付けてコチを釣ってみようという考えだ。本当は芝エビがよかったのだが、売っているのはブラックタイガーばかりだったので仕方なくこれを使う。



船はゆっくりいい感じで流れてゆくが、どちらの仕掛けにもアタリはない。午前8時を回ってまったくアタリがないので大きく場所を移動して双子島の南へ。



ここでもアタリがなく、今度は一文字の切れ目の沖に移動。ここでもアタリはない。



もう少し頑張ってみようと朝一に入ったいつもの場所に戻ったがやっぱりアタリはない。



この頃には風は完全になくなり潮の流れもないのか船は同じ位置に留まったままだ。



その代わりに日差しが温かくなってきてそこだけを見ていると春のような心地よさだ。



僕にしてみたらアグレッシブな大移動をしてみたけれども、これ以上続けても意味がないと考えて午前10時に終了。

これまで3回ボウズが続いたので今シーズンのイカ釣りは終了にしようと思う・・。
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「弘法大師空海のことば100」読了

2024年01月12日 | 2024読書
福田亮成 「弘法大師空海のことば100」読了

我が心すでに空なり・・。それもテフロン加工でツルツルになってしまっているので悲しいけれどもまったく心に引っ掛かる言葉がなかった・・。
著者は真言宗智山派成就院長老という立場の人だそうだ。空海の著書から抜粋した様々な言葉について見開き2ページで解説なり著者の感想を書いている。だから、元々、人が真言宗的に生きるにはどうすべきかというような人生の指針を表す箴言というものでもないので心に引っ掛からなくても仕方がない。それに加えてやはり著作から抜粋されているということが余計にその文章の持つ意味をわからなくさせているようにも思うのである。
師の著作を取り上げた本も同じような感じであった。もっと、空海の思想について詳しく理解をしていたら、そうだそうだと納得したりもできるのだろうがそんな知識はもとから持ち合わせていないのだか仕方がない。

そして、これは僕の勝手な解釈だが、密教というのは仏教のようによりよく往生するためにはとか、人としてよく生きるにはというような倫理道徳を説いているのではなくて、世界の構造や人間の存在とはというような哲学に近いような思想のような気がする。胎蔵界と金剛界の曼荼羅というのはまさにその象徴であるのだし、人がその曼荼羅世界で生きるには戒律が必要でその戒律がどうも人が生きる倫理的な部分にうまく合っているし、密教を勉強している人たちも生きるためには糧を得なければならず、庶民にその倫理を説いてお布施をもらおうということになっただけではないのだろうかと思っているのである。

だから、空海の思想から自分がよりよく生きる方法を導き出すのはきっと難しいのではないかと思っているのである。ただ、世界の構造はこうなのであると理解すればよいのである。
もちろん、テフロン加工のツルツルの心では何も引っ掛かることはないのであるが・・。

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「庖丁 ( シリーズ・ニッポン再発見 7 )」読了

2024年01月11日 | 2024読書
信田圭造 「庖丁 ( シリーズ・ニッポン再発見 7 )」読了

暮れに堺の包丁を買ったのでこんな本を借りてみた。
著者は「堺刀司」という包丁メーカーの社長である。このメーカーの包丁を1本持っているが、よく切れるものの柄が不良品だったらしく濡れると口輪がずれてしまうという問題があったので僕にはあまりいい印象がない。よく切れるのは確かだが・・。

その著者が堺の包丁の歴史や蘊蓄を書いている。蘊蓄の部分については堺独特の分業生産体制なんかのことを知りたかったのだがそういったことは書かれていなかった。
しかしながら、堺がどうして包丁をはじめとした物づくりの都市になったのかという部分はなかなか面白かった。

まず、「包丁」という言葉だが、これはあるひとの名前が語源になっているそうだ。中国の魏の国の恵王に使えた料理人の名前が「庖丁(ほうてい)」という名前で、あまりの手さばきの上手さにこの人が使う刃物の名前も「庖丁」と呼ばれるようになったというのである。
歴史の途中で戸だれが抜け落ちて「包丁」として現代に伝わったと考えられている。だから、著者は庖丁に敬意を表してこの本のタイトルでは「庖」という漢字を使っているということである。だから誤字ではない。そして著者は、もう少し違った見解をもっている。「庖丁」は人の名前ではなく職業名であったのではないかという見解だ。中国で台所を指す言葉は「庖厨」で、馬丁や園丁などに使われるように丁という文字はその仕事に従事する人を表すので「庖丁」は台所で料理を作る仕事をする人ということになるというのである。どちらにしても、包丁というのは人の名前が語源になっているので鋏や鉋のように金偏が使われていないのである。
そして日本では、鎌倉時代、禅宗が入ってきた頃には、「包丁人」というと、魚や鳥肉を扱う料理人のことを指し、精進料理を作る僧侶のことを「調菜人」と呼び分けられるようになったらしい。最近、「土を喰らう十二か月」という水上勉が原作の映画を観たのだが主人公である水上勉らしき作家(沢田研二)は「調菜人」ということになりそうだ。

堺が包丁の町になったきっかけというのは「たばこ包丁」だったそうである。たばこが日本に入ってきたのは鉄砲伝来と同じ1543年。たばこを吸うためにはたばこの葉を刻んで煙管に詰める必要があるのだが、それを刻むのがたばこ包丁だ。当初は高級品であったたばこは1600年代には日本でも栽培されるようになり一般にも広がっていたのだがその頃、たばこの葉は自由に栽培できたのだが、不思議なことにそれを刻む包丁が幕府の専売品となりその製造が堺の「七まち」と呼ばれる地域だけに許されたのである。

たばこ包丁が原型になったのか、1683年にはそれまではほぼ日本刀のような形であった調理用の包丁にあごがついた形の包丁が記録の中に出てくる。それを発明した鍛冶師が出っ歯だったので通称出歯包丁と呼ばれたものが出刃包丁になったというのである。それが堺の包丁の出発点なのである。

こうした腕の良い鍛冶師が堺に集まっていたのは仁徳天皇陵がその発端だったと考えられている。
陵墓を作るためには人足も必要だが道具も必要だ。それまで輸入に頼っていた鉄器が現場で製造されるようになったのである。
その技術を伝えたのが朝鮮半島の動乱を逃れて渡来人たちであった。その中の漢氏(あやうじ)と呼ばれる一族はとくに製鉄や綾織、須恵器の技術に秀でていて仁徳天皇陵の造営にも参加している。

中世の時代になると、大内義弘という守護大名が堺を拠点として政治をおこなったことで様々な製品の技術者が加わることになる。この人は幕府と対立して失脚した後は堺は幕府側の細川氏が治めることになる。
応仁の乱後、山口を拠点とする大内政広が摂津の港を占領すると幕府の貿易船(遣明船)は摂津の港を使うことができなくなり堺を拠点にせざるを得なくなる。
堺が日明貿易の拠点となると、堺の商人たちは自ら直接貿易にかかわるようになり戦国時代、36人の祐徳者からなる会合衆が自治をおこなうようになる。今井宗久や千宗易らの豪商と呼ばれるひとたちだ。
そのメンバーのひとり、橘屋又三郎という商人が種子島への鉄砲の伝来を知り、そこで製法を学んで堺で鉄砲の製造を始めた。この頃からすでに「部品互換方式」を採用し、分業体制による大量生産を実現している。
戦国時代を経て江戸時代の平和な時代を迎えると、鉄砲製造の産業も下火になりその技術がたばこ包丁の製造に生かされるようになるということになる。

こう読んでくると、キーパーソンとして3人の人物が浮かんでくる。
ひとりは仁徳天皇ではなかったかもしれないが仁徳天皇陵(大山古墳)を造営した豪族の首領だ。この人がこんな墓を造らなければ大陸の最先端の製鉄技術がここに集まらなかった。あの陵墓は公共事業による景気浮上や濠を作ることで灌漑用の水の確保という実利的な意味合いも持っていたのかもしれないと考えられている。
もうひとりは大内義弘だろう。この人が堺を政治の拠点にしなければ後の堺の豪商も生まれなかっただろうし、堅固な自治組織も生まれなかった。
そして最後は橘屋又三郎だろう。この人が鉄砲の製法を堺に持ってこなければ同じく堺の豪商たちは富を蓄えることはできなかったであろうし、包丁作りの技術も極めることができなかったのかもしれない。

そして現在の堺の包丁だが、国内はともかく、海外での人気が絶大だそうだ。インバウンドの増加と、和食ブームがそのけん引の源らしい。僕が注文した包丁も在庫がなくてなかなか僕のところには廻ってこなかったのである。
手配をしてくれた包丁屋さんは別の鍛冶屋さんの包丁を準備してくれるつもりであったらしいがその鍛冶屋さんは堺でも一、二を争う人気の鍛冶屋さんらしく、僕のほうがしびれを切らしてなんとか年内にお願いしますと無理を言ったので手配してくれたのが、今、僕の手元にある包丁だ。もちろん、この鍛冶屋さんも伝統工芸士という資格を持った人で、僕にとってはこれで十分すぎるという切れ味なので何の文句もない。
ちなみに、伝統工芸とは、「日常生活で使われている工芸品であること」「手工業であること」「技術、原材料が100年以上受け継がれていること」「一定の地域で産業として成り立っていること」が指定の条件だそうだ。そのなかの伝統工芸士という称号をもった職人は、「産地で12年以上の経験を有し、実技・知識・面接試験をクリアした、産地の技術者の目標とも言える存在で、後継者の育成など、産地振興に対する大きな影響力を持つ人」なのだそうである。全産地では1割にも満たない存在であるらしい。
僕はブランドという言葉にはすごい違和感を持っているのだが、堺の包丁も多少そのきらいがあり、別の場所、例えば新潟や岐阜で作られた刃物が堺に持ち込まれて堺の刃物として流通もしているらしい。(手配してくれた人曰く、こういうのだったらいつでも準備しますよ。ということだった。)数千円で売られている堺の包丁はほぼそういう包丁であると考えていいそうである。
僕が使っている出刃包丁の1本は多分そんな包丁である。彫られている銘が「有次」ではなくて「有一」なのだからもう、パチモンであるのが間違いない。でも、そこは堺の意地なのか、研いでみるとよく切れるのである。実は僕くらいの人間にはこれくらいで十分であったりするのである。

堺の町がますます魅力的に感じてくる1冊であった。

おまけとして、僕が持っている刃物のひとつの謎が解けた。
母方の祖父が持っていたという刃物は不思議な形をしている。



鉈のような感じなのだが、あごがなくて軽い。刃先が四角なのでひょっとして残欠を加工したものなのかと思ったりもするのだが片刃で裏すきがしてあるのでそうでもなさそうである。祖父は黒江で漆器の木地づくりをしていて、この刃物は仕事で使っていたものだと叔父さんから聞いていたのだが、この本にまさにその通りの「塗師包丁」というものとして掲載されていた。
漆を練るへらを削ったり、漆塗りの刷毛を整えたりするための刃物だそうである。
祖父は塗師ではなかったので塗師の誰かに譲ってもらったのかもしれないし、木地作りの行程で使われていたのかもしれない。
包丁の状態を見てみると、柄は素人が作ったもののようで出来が悪く、祖父が自分で付けなおしたものなのだろうと考えられる。さやも短くて刃が収まり切れていないので別の刃物のものに違いない。
せっかくその正体がわかったので、僕なりに磨き直して柄とさやを作り直してみたいと思い始めているのである。

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「暇と退屈の倫理学」読了

2024年01月07日 | 2024読書
國分功一郎 「暇と退屈の倫理学」読了

最近、電車の中で本を読んでいる人というのは稀である。みんなスマホの画面に見入っているので本を読んでいる人というのは意外に目立つ。若い人ほど少ないので余計に気になる。高校生らしき少年が熱心に読んでいるのでどんな本を読んでいるのだろうと覗いてみたらこのタイトルであった。
調べてみると2011年の出版ながら最近文庫本が出版されていて売り上げ上位をキープしているベストセラーらしい。
僕も借りようとしたらすでに借りている人がいて、僕の後にもすでに予約が入っていた。借りた本もボロボロの一歩手前というような現状で、相当人気のある本なのだということがわかった。

内容はというと、「暇」と「退屈」の構造を哲学を通して論考しようという内容だ。
前半はなるほどというものであったが、後半はあまりにも難しくて僕にはよくわからなかった。

イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは1930年に出版した「幸福論」の中でこんなことを書いている『今の西欧諸国の若者たちは自分の才能を発揮する機会が得られないために不幸に陥りがちである。それに対し、東洋諸国ではそういうことはない。また共産主義革命が進行中のロシアでは、若者は世界中のどこよりも幸せであろう。なぜならそこには創造するべき新世界があるから・・』
どういうことを意味しているのかというと、20世紀のヨーロッパでは、すでに多くのことが成し遂げられていてこれから若者たちが苦労してつくり上げねばならない新世界などもはや存在せず、したがって若者にはあまりやることがない。だから若者は不幸であるといのである。要は、使命感に燃えて打ち込めるような仕事がない人は不幸であるというのである。
豊かで安全な社会が喜べない。

まだ人類が定住生活をし始める前、常に五感を駆使して危険回避と食料探しをしていた。だから暇などなかったのである。マルクスは資本論の中で、労働者が獲得されるべき重大な権利のひとつとして余暇の獲得を挙げているのだが、悲しいかな、有閑階級と言われるような裕福な階級の人たちは別にして労働者たちは余暇を獲得したとたんに心のなかにぽっかりと穴が空いてしまったのである。

哲学者たちは暇というものをどう考えていたか。
パスカルはこう考えた。『人の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。』
また、こうも言っている。『愚かなる人間は、退屈に耐えられないから気晴らしを求めているにすぎないというのに、自分が追い求めるもののなかに本当に幸福があると思い込んでいる。』
これを説明するために、ウサギ狩りを例にあげている。狩りとくのはなかなか大変なものである。思い装備をもって、一日中、山を歩き回らねばならない。そんな狩りをしている人に、そんなにウサギが欲しいならあげるよと言って手渡してやると嫌な顔をするというのである。
狩りをする人が欲しているのは、『不幸な状態から自分たちの思いをそらし、気を紛らわせてくれる騒ぎ』にほかならないというのである。ウサギは欲望の対象ではあるけれども欲望の原因ではないということだ。ウサギ狩りを魚釣りに置き換えてもよさそうだ。う~ん、まさしくその通りだと思えてしまう。
ハイデッカーは退屈の形態を三つに分けている。それは、①退屈の第一形式(何かによって退屈させられること。)②退屈の第二形式(何かに際して退屈すること。)③退屈の第三形式(なんとなく退屈である。)というのである。
何かによって退屈させられていることとは、例えば、なかなか来ない電車を待つときである。退屈を抑え込みたいと思っているのにそうできないという焦りがそこに隠れているという。
また、遅々として進まない時間に引き止められているのだという表現も使っている。
何かに際して退屈することでは、パーティーでの体験を例に上げている。大変楽しい体験であるのだが、どうしてだか退屈するのである。なぜだかよくわからないが、パーティーに際して退屈したというのだ。う~ん、これもよくわかる。会社の宴会というのはまさしくこれだった。
退屈の第三形式についてはなんだかよくわからない。もはや空虚でしかないというのであるが・・・。
ハイデッカーが考えるこれらの暇への対処というのは、気晴らしであるという。第一形態への気晴らしは、やるべきことを探すことだという。これの典型は仕事であるというのだ。やるべき仕事がない状態とは、むなしい状態に放っておかれるということであり、人はそれに耐えられないというのである。
会社にも確かにそうなんじゃないかと思える人というのは確かに多々いた。
第二形態は第一形式とは大分異なる。すでに気晴らしが行われているのに退屈であるというのは、退屈と気晴らしが絡み合った状態であるといい、人間が正気で生活するということはこの第二形式を生きることではないだろうかと考えている。
第三形式の退屈はある意味、究極の退屈であると言えるかもしれないが、私たちが日常の仕事の奴隷になるのは、「なんとなく退屈だ」という深い退屈から逃れるためなのだという。
第一形式と第三形式の退屈には大きな相関関係があるのである。人間は飽きる動物である。正気を保つ気晴らしが見つかったとしてもいつかはそれに慣れてしまい何となく退屈だという感覚にとらわれる。そしてまた別の気晴らしを見つけるようになる。だから、第一形式と第三形式の退屈の間を行ったり来たりしながら第二形式の正気の状態を保とうとするのである。

人間は退屈から逃れられないということを踏まえ、著者は浪費者になれという。
世界の資本主義は、「退屈」と「気晴らし」の循環につけこんで消費者に対して新たな気晴らしを提案し続けることで成り立っていると考えられる。著者が考える退屈の解消策ひとつはこういった資本主義の罠から抜け出すために消費者ではなく浪費者になれという。
ここでいう浪費とは無駄に物を使うということではなく、「そのものを楽しむ」ということを意味する。それが容易ではないから消費社会はそこにつけこむ。物に溢れていると思われる消費社会だが、実はわずかな物を記号に仕立てて消費者が消費し続けるように仕向けているだけだというのである。
そのためには相当な訓練が必要である。その訓練のひとつは「とらわれ」の状態を目指せという。多分、動物には退屈という感覚は存在しない。それは、人間のように、様々な世界を覗き見できないのでひとつの環世界の中だけで生きているからだというのである。だから、人間も動物のようにひとつの環世界に生きることができれば退屈はしないはずなのである。

こう読んでみると、僕の生き方もまんざらではなかったのかもしれない。長く続けた魚釣りのあれこれは一朝一夕には得られない経験値である。まあ、そのおかげで自由自在におカネを使える浪費はできない身分にしかなれなかったが・・。
どちらにしても僕の人生はすでに不可逆的段階に入ってしまっている。いくらかでもまんざらではなかっとでも思わなければこれから先、やってはいけないのである・・。

また、師が好んで使った言葉、「釣師は心に傷があるから釣りに行く。しかし、彼はそれを知らないでいる。」という意味が少しだけわかった気がする。「心の中の傷」とは「暇」のことではなかったか。師はハイデッカーの哲学にかなり影響を受けていたようだが、そこから導き出した答えのひとつがこれであったのだろう。
「眼を見開け、耳を立てろ」というのも、ハイデッカーがいう動物的な生き方をせよというメッセージだったのかもしれない。

しかし、この本を電車の中で読んでいた若者よ、君はまだ暇を感じるほど老いてはいないはずだ。すでに暇を感じているようでは僕のような人間になってしまうぞ。気をつけろ!

僕も君もまだまだ人生は続く・・。
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加太沖釣行

2024年01月06日 | 2024釣り
場所:加太沖
条件:長潮7:01干潮
潮流:6:48転流 9:35下り1.4ノット最強 12:17転流
釣果:ハマチ1匹 マアジ1匹

正月三が日の連休に続いて成人の日を含んだ3連休が始まった。何とも得をした気分だ。



今日は二十四節気の小寒。その通りで寒い。去年のシーズンオフ前に買った新しい防寒着で臨んだが、安いやつはやっぱり寒い・・。



天気は上々だが、潮はいまいちよくない。どこに行こうかと迷いながらコマサキという場所を目指した。



ここは下り潮がいいということで、SNSでアップされている情報でもよく釣れるようだ。しかし、この周辺で何度かやってみたことはあるのだが、やたらと根掛かりをするイメージがあったのでまず行くことはなかった。ただ、今日くらいの緩い潮ならなんとかなるのではないかとダメ元でのポイント選定である。
結局、この読みはある程度は当たったようであった。
海図を見てみると南北に大規模な崖が存在するような地形だ。ここに下り潮が当たると魚が釣れるのだろうと推測される。
ポイントに到着した頃は潮が動き始める頃であったが南東からの風が強くて船は北に向かって流れてゆく。これはちょっとよくないのではないかと思ったがほかに行く当てもないのでそのまま仕掛けを下ろし続けると早くもアタリがあった。
30cmほどのマアジだ。今日はアジサバ狙いだと考えていたので頭に描いていた通りの展開である。ひょっとして今日は爆釣かと思ったがやっぱり世の中はそんなに甘くはない。その後はまったくアタリはなく、魚探の反応もまったくない。しかし、運がいいというのかなんなのか、鮮明なアタリで大きな魚が食ってきた。
大きなハマチのようだ。バラしてしまうと目も当てられないので慎重にやり取りをするのであるが、今日も柔らかすぎると思っていた竿がいい働きをしてくれる。竿の弾力で魚が上がってくるのである。
上手く取り込んだのは65cmほどのハマチだ。
もう、これだけあれば十分なので今度はコイヅキに移動。

 

ここには大きな船団ができていたが残念ながらアタリはなく、このままここにいても無駄だろうと考え、帰投準備も考えて四国ポイントへ。



しかし、ここもまったくアタリがなくて午前10時に終了。

燃料を買うスタンドの爺さんの情報では、潮が速かった時間帯、コイヅキは好調だったそうだ。幸運にも大きなハマチが釣れたが、ポイントの選択としては船団ができている場所に素直に従うべきであったようだ。
まあ、今日は結果オーライということだったのである。



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水軒沖釣行

2024年01月02日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:中潮3:43干潮
釣果:ボウズ

大晦日の釣行を終えてから、初釣りはどこに行こうかと考えなおしていた。当初は今年の運試しに紀ノ川河口へブリ狙いだと思っていたが、大晦日のボウズが悔しくてもう一度コウイカを狙いに行くことにした。

しかし、昨日はえらいことが起こっていた。能登半島で震度7の地震が発生した。震度7という最大規模の揺れも恐ろしいがその後、テレビからは緊急地震速報が連続して発せられていた。その震度はすべて5以上だったように思われる。一体、どれだけ揺れを繰り返しているのだろうと驚いた。
能登半島で地震が起こるメカニズムというのは以前に読んだ本に書いてあったが、南海トラフ地震と同様、必然とはいえ、元旦に揺れることはなかろうと思うのである。神様は残酷だ。
金沢に住む二人の友人とは連絡が取れて無事を確認できたのは不幸中の幸いである。

この地震は太平洋側にも影響が出るのだろうかと心配しながら6時51分に出港。



いつものポイントか仕掛けを流し始めると2回目の流しでアタリが出た。間違いなくイカだ。しかし途中でバレてしまった。今日から使うスッテのフックは今までのスバルから普通のエギのカンナに変わっている。これが悪かったのだろうか。
しかし、イカは間違いなくいるということがわかったので頑張ってはみたがその後はまったくアタリがない。厳密にいうとアタリがまったくないのではなくて時折魚のアタリはある。元々、スーパーで売っている小エビをエサにして流してやろうと考えていたのだが、元旦はすべてのスーパーは休業しているし大晦日のスーパーの鮮魚コーナーにはいつもの食材がまったく並んでいない。
この策は次の機会にとっておこうと思う。

この状態では長くやっていても無駄だと午前8時半に切り上げて焚火の準備。渡船屋は余裕をかまして三が日は休業なので港は無人である。
今日は初焚き火と昨日は雲で見えなかった初日の出を見ることができたことでよしときておこう。

 

港を出て恒例の2回目の初詣へ。今年は港の氏神様と雑賀崎だけにお参り。なんだか地震のニュースを見ているとこの世には神様はいないのではないかと思えてしまっていろいろな神社に参るのが無駄に思えてしまったのである。
おまけに夕方には羽田空港で飛行機が炎上したという事故も起きたらしい。



今年の日本は初めから何かがおかしい。

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