不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

初島沖釣行

2021年06月28日 | 2021釣り
場所:初島沖
条件:中潮 7:58満潮
釣果:サワラ1匹 ヨコシマフエダイ(タルミ)1匹 エソ1匹

一昨日までの天気予報では雨模様だったので今日は安息日だと思っていたれども、昨日になって好転してきた。ならば早朝だけ和歌浦漁港にタコ釣りにでも行って玄関の引き戸の修理やあれこれをやろうと思っていたのだが、うちの奥さんが昼間外出するという。これ幸いにと急きょ釣行を決定し、寝る前にいそいそと準備を始めた。

行き先は初島だ。また、飲ませ釣りをやってみたいと思う。夏至を過ぎたとはいえ、まだまだ夜明けは早い。雲が出ていて、しかも午前4時に出港でも少し明るさを感じる。



海面は至極穏やか、快調に初島に向かう。今日の戦術としては、ベイトを探しながら見つからない間はタイラバをやってみようと考えている。さて、ベイトのご機嫌はいかがだろうか。

前回は到着後いきなりベイトの群れに遭遇したが、今日はいない。



ベイトか何かわからないが薄い反応が海底付近に見えるくらいだ。大磯のそばに2隻の船が浮かんでいるので僕も移動。



そこにはベイトの反応が出ている。さっそく仕掛けを下すがうまく掛からない。そんなことを続けながらときたまタイラバを落としてみる。
幸先よくアタリがあり、なにやらイサギのような見たことのない魚が上がってきた。



わからないものはとりあえずネットで質問してみる。家に帰ってSNSのグループに投稿してみると、早速ちからさんから返事をいただき、ヨコシマフエダイという名前を教えていただいた。美味しい魚だそうだ。地方名はタルミというそうだが、こういう地方独自の名前がついている魚というのは得てして美味しいものが多い。
煮付けにしてもらったが確かに美味しかった。

ベイトの反応はあるものの相変わらず鉤に乗らない。ベイトが小さすぎるのか、はたまたもとから気になっていたのだが、わずかだが鉤に錆が出ておりそれを嫌ってベイトが鉤を避けているのではないだろうか。
そんなことを考えながらこれでは魚が釣れないと少し焦り始める。ふと南の方を見てみるとずっと前から気になっていた宮崎の鼻がある。ここも飲ませ釣りの好ポイントだということは前々から聞いていた。しかし、僕の行動範囲は初島までが限界と思い込んでいるのであそこまで行かねばならないのならボウズでいいやとも考えていた。ただ、今日は無風快晴で波もまったくない。ちょっと限界突破をしてみようかと思い始めた。
善は急げ。風のない間に出発だ。
案ずるより産むが易し。有田川の河口を越え10分ほどの行程で宮崎の鼻に到着してしまった。



宮崎の鼻の奥はすでに湯浅湾ということになるのだが、その先は由良町の島々だ。



もともと、初島に来ること自体が限界以上だと思っていたほどだから思えば遠くへ来たものだ。
人類はアフリカ大陸の東の端に産声を上げて以来、その足でもって約1万年の歳月をかけて南アメリカ大陸の先端にまで到達したという。それをグレートジャーニーというけれども、僕にとってはこの宮崎の鼻へもグレートジャーニーに匹敵する。と言っても、これ以上は遠くへ行く気もないのだが・・・。なんとも大層な書き方になってしまった。たかが有田市まで行ったくらいで・・・。

そして、せっかくここまできたのにベイトの反応がまったくない。魚探は真っ白だ。



あれまあ、これじゃあ初島にいたほうがよかったじゃないか・・・。仕方がないのでとんぼ返りで初島に戻った。僕のグレートジャーニーは往復30分で終わってしまったのだ。
これもSNSのメンバーの方の書き込みでわかったのだが、昨日、この付近では、イルカが2頭泳いでいたそうだ。きっとこれが原因だったのだろう。

初島に戻り、相変わらずベイトの反応はあるが鉤に乗らない。試しに新しい仕掛けと取り替えてみるとすぐにベイトが乗ってきた。ベイトの反応が濃くなってときと重なっている感があったので因果関係はわからないがこれが真実なら仕掛けがもったいない。使っている鉤はちょっと特殊で20本入りで600円もする。1本30円だ。4本使っているのでそれだけで120円かかる。使うたびにポイしてしまうには惜しい値段だ。だからもう少し検証してみたいところではあるのだ。

反応はどんどん増えてきて、海面から海底までびっしりとベイトの群れということもしばしばとなってきた。しかし、この釣りでは、ベイトの群れは団子状になっているときがいいそうだ。なぜならば、ベイトが団子状になっているというのは付近に捕食者がいて、それを回避するための陣形が団子陣形だからだそうだ。今日みたいな状態だと、敵がいないのでベイトたちは悠々と海中を泳いでいるということになる。ただ、ベイトが掛かるというのはまだチャンスがあるということだ。
掛かったベイトを外してはまた新しいベイトを食わすということを繰り返していると、本当にアタリが出た。あまり引かないけれどもまぎれもなくベイトを食ってきたやつだ。
ゆっくり上げてみると、大きなエソが食いついていた。一般的には外道だが、これも美味しい魚だ、僕はきっちり持って帰る。

多分、潮がよくなってきたか、捕食者が現れてきた兆しなのかもしれない。さらに意識を集中していると、今度はかなり大きなアタリ。一気にドラグが滑り出していく。前回のブリほどではないが、大きそうだ。慎重にやり取りをして上がってきたのはサワラだった。
これも大きい。クーラーボックスには体を曲げて押し込みやっと蓋が閉まった。



午前10時頃になり、ベイトの反応が薄くなってきたので終了。

サワラの方は、炙りにしてみた。モチモチした食感は独特だ。



サゴシではこうはいかない。やはりサワラは別物だ。ただ、やはり扱いにくい魚というのは確かなようだ。曲がったまま死後硬直している魚体を真っすぐ直したからだろうか、ところどころ身割れを起こしている。まあ、味には影響はないのだとは思うが・・。

エソの方はいつものとおりハンペンに。切り身の大きさと豆腐の大きさを比べてみてもエソの大きさがわかるだろう。飲ませ釣りで釣れるエソはひと回り大きい。

 

どちらも久々の味であった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀ノ川河口釣行

2021年06月25日 | 2021釣り
場所:紀ノ川河口
条件:大潮 5:40満潮 
釣果:キス48匹 マゴチ1匹

この前のKさんとの反省会のなかで、型はちいさいものの紀ノ川河口でキスが釣れているという情報を教えてもらった。
もうかなり前、先代の翠勝丸に乗っていた頃にはキスを釣りに出かけていてそれなりに数も釣っていたが、最近は行くたびにほとんどエサを捨てて帰るということが続いていた。また、キスを釣りたいがここ数年はどこも釣れず20匹ほどを釣るのが精一杯という感じで、もし紀ノ川で釣れるならありがたいとKさんの情報を信じて行ってみた。

指定されたポイントは百円橋の上流側ということだった。僕がかつてキスを釣っていたところよりもかなり上流なのだという話も信じるに足る情報だった。
大潮でさらに干潮に向かう時刻に釣りをすることになるから流れすぎるのが心配だがそればかりはどうしようもない。

いつもよりも少し時間を遅らせて出港。それでもポイントに到着したのは午前5時前、港から近いとありがたい。



さて、仕掛けをセットして投げ込もうと周りを見てみるとすでに百円橋の下まで船が流されてしまっている。やっぱり大潮で引き潮だと流れが速いようだ。こんな時にもキスは釣れるのだろうか・・・。

また上流に戻って仕掛けを投入。あまり流れすぎたら錨を下して釣りをしようと思っているのだが、まずは流れの状況の確認しながら釣れる場所を探してみたいと考えている。
そして、流れが速いなかでキスは釣れるのだろうかということは杞憂に終わった。すぐにアタリがあり、型はちいさいものの、キスが釣れた。確かにキスはいる。2本の竿に交互にアタリがあったが、橋の下を越えた辺りでぱったりとアタリがなくなった。すぐに上流に戻ったので短時間での検証だけなのだが、橋を境にしてキスが居なくなるかもしれない。理由はわからないが下流のほうは水深が浅くなったりしているのだろうか。それとも橋脚が障害となって上流側は流れが緩くなったりしているのだろうか・・。
まあ、理由はどうであれKさんの言うとおり、橋の上流がポイントに間違いはない。そうとわかれば錨を下してこの辺りを重点的に探りたい。



そして結果はすぐに出た。アタリは間断なく出る。型は小さいがほぼ1投で1匹という感じだ。ただ、これも流れがあることが原因なのだろうか、あまりキス独特の小気味よい引きが感じられない。きっとエサを食ったキスは流れに逆らって上流に向かって泳ぐからなのだろう。仕掛けを回収したら魚が掛かっていたということもしばしばだった。そこはもう少しキス釣りの醍醐味を味わいたいところだ。
結局、3時間足らずの釣りでキスが48匹と小さなマゴチ1匹。



何年ぶりかで持って行ったエサをすべて使いきって終わることができた。

今日は奥さんがいないので天ぷらを自分で作ってみる。奥さんがいない理由なのだが、妹が子宮筋腫でダヴィンチを使って手術をするのだ。数日前、もともとあった筋腫が検査をしてみると肥大していて緊急に手術することになったという。えらい素早く予定を立ててくれるんだねと聞くと、他の予約がキャンセルになって空きができたからというのだが、これを幸運というのだろうか、それとも恣意的にそうなったのだろうかと疑問に思えてくる。もちろん身内なのですぐに対処してもらえるというのはありがたいのだが、妹の旦那が開業医をしているということが影響していたのだとしたら、世間一般に言われている「上級国民」とまでは言わなくても、いろいろなところでいろいろな恩恵を受けることができる人と受けられない人が対極的に存在しているということになるのではないだろうかと気になるのである。
何か買い物をするときに割引をしてくれるとかそんなことならどうでもいいが、命にかかわることとなると話は違ってくる。そういえば、義父も肺がんの治療の後、腎臓に転移が見つかってダヴィンチで手術を受けた時も、高齢でしかも転移したがんに対して普通はこんな手術まではしないのだが、最初の治療の効果がものすごくよかったので特別にダヴィンチを使うのだという説明を受けて手術に臨んだ。その後も、甲状腺に小さな腫瘍が見つかったということでさらに年間1400万円費用がかかるという分子標的薬というものの投与も決まった。(これは確かに、投与してくれないなら俺が行くと妹の旦那が直談判に行ったのだが。)最初は、義父は運のいい人だと、この人の人生には善人という言葉しか当てはまらないのだから神様も見捨てはしないのだろうと思っていたが、いろいろなルートが存在するのかもしれない。もしくは、身内に医者がいるということで病院側の忖度というものが働いたのかもしれない。義父も体調は万全とは言えないが今も元気だ。しかし、どんな理由であれ、身内が手厚い治療をしてもらえるというのはありがたいことなのである。
もちろん、これは僕の勘繰りでしかないので、以上のことは医師の判断で適切と思われる普通の治療であったはずである。

僕の父親はすい臓がんで、告知を受けてから半年足らずで死んでしまった。20年前とは技術の水準も違うのかもしれないが、あの時は医者から、「もう、何をしても無駄。」と言われたけれども、父や僕が上級国民の類の人間だったなら別のルートがあったのだろうか。まあ、父も僕も上級国民だったなら、父がやってきたような、そして今の僕がやっているような下種な楽しみをすることができなかったかもしれないからこれはこれで僕たちの人生だったのだろう。
僕は父よりもひねくれものだから息子の世話にはなろうなどとは思っていない。俺のコネでこんな治療をしてあげることができるけどどうする?と聞かれたら、「それがどうした。」と答えるだろう。
父親の年齢までは生きるとしてあと10年と少し。その頃には今では松コースの治療もひょっとした竹コースくらいのお手軽さになっているかもしれないからそれに期待をしておこう。

そして、天ぷらのほうはどうなったかというと、やっぱり奥さんが揚げるようなふっくらとした仕上がりにはならなかった。食べてみるとほんのりと油の臭みが漂い、煎餅のように堅い・・。
僕が言うのもなんだが、うちの奥さんは料理が上手い。とくに天ぷらというのはレシピに書いてあるとおりにやれば上手くできるというものではない。油の温度の確認、種を入れるタイミングと引き上げるタイミング、衣の濃度も混ぜ具合もどれくらいがいいのかというのは文章だけでは見えない。
定年離婚いうのが世間で言われているが、あまり奥さんを大切にしていない僕にもそういうことがあるかもしれなく、その時には潔く従おうと思うのだが、別れる前にひとつだけ、天ぷらの上手な揚げ方だけは教えてくれとすがってみようと思うのだ。そして、奥さんに美味しいキスの天ぷらを揚げてもらうべく、もう一度紀ノ川に行こうと思うのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「LIFE SCIENCE(ライフサイエンス)  長生きせざるをえない時代の生命科学講義」読了

2021年06月24日 | 2021読書
吉森保 「LIFE SCIENCE(ライフサイエンス)  長生きせざるをえない時代の生命科学講義」読了

なんとなく外国人が書きそうなタイトルと装丁だが、これは日本人が書いた本である。だからだろうか、内容はかなり読みやすいように思う。中にはすでに知っているような内容のものもあるが、知っていると言いながら、自分でそれを説明せよと言われるとそれができない。結局、知ったかぶりをしているということになるのだろうけれども、だから、同じような内容の本を何冊も読むのである。そのうちに血肉になっていってくれるだろう。それに加えて、後半の部分はちょっと大げさだが、驚きの内容が書かれている。

タイトルには、「長生きせざるをえない」と書かれているが、とくにそれが何を意味しているかというのは明確ではない。それを抜きにしても理解しやすい内容と、知っていそうでじつは詳しくはわからないというところをうまく突いているのは著者が世間の人の理解度はこんなものというところをよく知っているのだろう。
著者は、細胞がたんぱく質を分解し再利用するという、「オートファジー(自食作用)」の研究者で、 2016年にノーベル賞を受賞した大隅良典教授の弟子だそうだ。

最初の部分は、科学的思考とはどのようなものかということから始まる。現代は様々な情報が飛び交い、医学に関する情報も様々な中で、科学的な思考を理解し、リテラシーを持たなければならないというのが著者の考えだ。
まず、科学は真理に到達できないということを理解しなければならない。仮説を検証し、できるだけ真理に近づこうとするのが科学なのである。だから科学の世界では、あの人は「間違えていた」「嘘をついた」と攻撃するのは間違いなのである。
昔、話題をふりまいたSTAP細胞であるが、あれも、「これは仮説です。」と言い続ければよかったのだが、「STAP細胞はあります」と言ってしまったからおかしくなったと著者は言う。なんだかよくわかるようなわからないような・・。という感じではある。
提出された仮説を追試験して検証するのだが、その過程で、仮説がおかしければそれが認められないとなるだけで、嘘を言ったと責められないというのが科学の世界らしい。まあ、STAP細胞の場合は周りの人が功に焦って無理にいろいろなことをでっち上げたことでおかしくなってしまったのだろうが・・・。
ちなみに、この論文は科学の世界では一番権威がある「ネーチャー」に掲載されたそうだ。
論文というのは、必ず学術雑誌に掲載されて世の中に発表されるらしい。その過程で、査読ということがおこなわれ、おかしければ掲載を見送られ、それでも世に出したければ権威のランクが低い雑誌に掲載を申請するというような形になっていくらしい。しからば、なぜ、STAP細胞は掲載されたのか、そこになにやら変なからくりが隠されていたような気がした。やはり、功を焦って裏から手を回したひとがいたということなのではないだろうか。
あとからすぐにおかしいとバレるのじゃないかと思うのだが、これも人のココロがなせる業ということか・・。
雑誌に掲載するからといって掲載料がもらえるわけではなく、逆にお金を払って載せてもらうらしい。権威のある雑誌では50万円もかかるという。
また、購読料も馬鹿高く、ネットで閲覧できるようなコースだと大学単位で10億円もする雑誌もあるそうだ。
そして、「相関」と「因果」ということを意識して物事を見なければならないと筆者は言う。
相関とは、目に見える関係。見かけ上なにか関連性があるように見える現象で、因果とは原因と結果の関係、これが原因でこうなるということだが、因果関係が明確なものが信用できるとなる。そこを惑わされないようにというのが著者の警告である。

リテラシーについてはこの辺までで、ここからが最初の本題だ。
細胞を構成しているタンパク質やアミノ酸について書かれている。
人間の細胞は約37兆個あると言われている。これも一昔前、僕がまだ高校生だったころには60兆個と習ったような気がするが、それは間違いだったそうだ。これも仮説が更新されているということなのだろう。
細胞はタンパク質や脂質からできているが、そのうち、タンパク質はアミノ酸がつながって構成されている。アミノ酸はDNAの3個の塩基の組み合わせ情報が基になって作られる。ちなみにアミノ酸の種類は20種類。そのうち9種類は体内で合成できないので必須アミノ酸と呼ばれる。
DNAでコードされたタンパク質はアミノ酸が一列になって合成されていくが、最終的には折りたたまれて立体構造となる。それが不思議なのだが、もっと不思議なのはその立体構造が免疫やエネルギーの運搬、消化などに有効に働くのである。
人体のたんぱく質の中でいちばん種類が多いのが酵素だそうだ。酵素はその立体構造にぴったりとはまる物質にだけ反応できるという特徴を生かして様々な体内の化学反応の触媒としてや情報の伝達役として働くのである。

そして、最終的には様々なタンパク質をコードすることになるDNAだが、細胞の核のなかに入っているDNAを一列に並べると地球を数周してもおさまらないほどの長さになるというのだが、これはにわかに信じられない。本当だろうか。

そしてここからがいよいよライフサイエンスっぽくなってくる。
病気とは何かという定義から始まるのだが、それは「細胞が通常と違ったことになっておこる。」ということである。
人間を含めて多細胞生物は細胞の集合体であるから、それが普通の状態なら健康体で、そこがおかしくなると本体というか、本人というか、それが病気になったとなる。
量子の世界ではミクロの現象とマクロの現象は違った振る舞いをするのだが、細胞レベルではミクロの世界とマクロの世界が同じ振る舞いをするということになるのだ。
例えば、ミトコンドリアはエネルギーを作る際に、活性酸素が発生する。それが細胞の中の不具合でミトコンドリアに穴が開くとこれが漏れ出す。活性酸素は体内の物質を酸化させてしまい害になり、病気の元となるのである。ちなみに、ミトコンドリアなどの細胞の中の構造物は総称として、オルガネラと呼ばれる。

次に病気の発生源を抑える免疫機能について。この本は2020年の末に出版されているのでコロナウイルスの特性も交えながら書かれている。
免疫というのも、何冊かの本を読んでいるので知っているつもりだけれども複雑すぎるのと記憶力がないということがあり読むたびにああ、そうだったと再認識するのである。
免疫には自然免疫と獲得免疫がある。自然免疫とは、食細胞(白血球の一種)が体外からの異物を食べてしまうというものだが、獲得免疫というのは人が生まれてから後に獲得するものだ。抗体というものもそのひとつである。
抗体にもいろいろあるらしく、普通の抗体と中和抗体というものがある。抗体もタンパク質の一種なので、鍵を持っていて抗原にぴったり当てはまると無力化できるのだが、肝心の細胞に取りつく場所にぴったり当てはまらないと無力化できない。そういう抗体を中和抗体というが、これができないと免疫にならない。
ただ、抗体自体はウイルスを殺さない。細胞への侵入を防いだり、抗体を目印にして食細胞に細菌を食べさせる役割りをするだけである。
抗体は、元々、無数に準備されていて侵入者があると片っ端から抗体を量産し、何がはまるかを試している。無数の合いかぎを持っているというイメージだそうだ。これはノーベル賞を受賞した利根川進博士が発見した。しかし、これでは効率が悪いので獲得免疫が活躍する。これだと確認作業が必要なくなるので素早く異物に対応できるのである。はしかはこういった類のものである。
しかし、季節性のインフルエンザやデング熱などはワクチンを打っても次の年には感染してしまう。これは、変異がすごくて古い抗体はすぐに効き目がなくなるというが原因らしい。ウイルスや細菌は人の免疫系と永遠にいたちごっこを繰り返しているということらしい。

ただ、コロナウイルスについては、まったくうつさないひともいるし、ひとりで大量にうつすひともいる。また、日本人に死者が少ないのは、交差反応であるという仮説がある。交差反応というのは、完全に合致した合い鍵ではないものの、よく似た鍵の形をした抗体が感染をある程度防いでくれるというもので、東洋人は以前に似たウイルスに感染していたからだという仮説があるらしい。やはり免疫というのは奥が深い。

そして、ここからがおそらくはこの本の本題であろうオートファジーについてである。
オートファジーという言葉はたしかに耳にしたことはあったが既に記憶の彼方に消えてしまっていた。”自動的なあいまいさ・・”って一体何なのだと思ったことを思い出す。

簡単に書いてしまうと、オートファジーとは細胞内の不要なものを包み込んで消化する過程のこととなるそうだ。そして、どんな作用があるかというと
①飢餓状態になったときに、細胞の中身をオートファジーで分解し、栄養源にする。
②細胞の新陳代謝をおこなう
③細胞内の有害物を除去する
というものらしい。

どんな過程で行われるかというのは、本の中のイラストを拝借して載せておこう。



そして、この本の中で重要なものは②と③である。このふたつの作用が老化の防止と若返りをもたらすヒントになってくるらしいというのである。”くるらしいというのである”というのは、まだ相関関係がわかったところで確実な因果関係がわかったわけではないということらしい。
病気の根源は細胞が異変をおこすからということだから、細胞を健康に保つ必要があり、それにこのオートファジーという作用が深く関わっているかもしれないのである。
著者たちは様々な実験をして、オートファジーが働かなくなると細胞の中に老廃物が溜まり細胞が死ぬことがわかってきた。パーキンソン病やアルツハイマー病は細胞の中に溜まったタンパク質が原因で神経細胞が死ぬのである。そういったものを膜で包み込んでリソソームに食べさせるので細胞の中が常に健康な状態で保たれるのだ。(ちなみに高校の生物の試験に出てくるリボソームとはまったく別のものである)
そして、老化が進むとオートファジーの作用が鈍くなる。これをなんとか維持できれば人は永遠に若さを保てるというのである。その鍵を握るのが「ルビコン」というタンパク質で、オートファジーを抑制する作用があり、高齢になるほど細胞の中に多くなってくることがわかった。すでに生殖年齢を超えたぐらいから急激に増加しているそうだ。高脂血症などの患者にはこれが多いこともわかっている。実験でも、「ルビコン」を作る遺伝子を破壊した線虫などは普通の2倍くらいは長生きするという結果があるらしい。おそらく人間でも同じことが言えると考えられているが、それはいまだ相関関係がわかった段階で、確実な因果関係がわかるまでには至っていないそうだ。
老化と寿命は別物である。アホウドリやハダカデバネズミはタイマーがセットされているかのように若い個体が突然死んで老化を迎えずに寿命を終えるそうだ。そして、その、老化という現象はなぜ起こるのかということにも言及されているが、これも動物が進化の過程で獲得したものであると考えがある。人間をはじめとする多数の動物は老化の末に寿命が来る。老化はどういう役に立っているのか、ひとつの説では、老いた個体は若い個体よりも先に外敵や病気にやられる。そうやって年寄りが時間を稼ぐことによって若い世代が生き延びる確率が高くなるというのである。自然とはなんと厳しい世界であろうか・・。

また、オートファジーは免疫にも一役買っているらしいということもわかってきた。抗体というのは、細胞の中に逃げ込まれたウイルスや細菌を死滅させることができない。もし、細胞の中に入られたとしたら、自然免疫の自食作用で細胞ごと除去するしかないのだが、細胞の中でも異物を膜で囲んでリソソームが食べることによって細胞が異変を起こさないように保っている。
抗体がないのになぜ異物とわかるかというと、ウイルスや細菌が細胞の中に入ってくるときにはすき間をすり抜けてくるのではなく、細胞膜の一部を陥入させて入ってくるのだがそのときに細胞膜の袋に包み込まれるような状態になる。ウイルスや細菌が悪さをしようとしたらその膜を破って外に出ないといけないのだが、破るやつは悪いやつだと判断して食べてしまうらしい。なんとも精巧にできているものだ。
しかし、新型コロナウイルスについてはオートファジーでは殺せないという仮説がある。それは、コロナウイルスは不要物質を包み込んだ状態の袋(オートファゴゾーム)を作る過程を阻害する能力があるかららしい。SARSウイルスも同じ能力があるそうだが、それはこのふたつは親戚関係にあるウイルスなのだからだそうである。
これまた相手も厄介でかつ精巧というか、巧妙である。

再び老化の話に戻るが、老化を防ぐ効果というものに、寿命延長経路というものあるらしい。それは、以下の五つだそうだ。
①カロリー制限
②インスリンシグナルの抑制 
③TORシグナルの抑制 
④生殖細胞の除去 
⑤ミトコンドリアの抑制

①はプチ断食が健康によいと聞いたことがある。これは僕も実感したことがある。ダイエットをしていた頃、よく夕食抜きという生活をしていたのだが、体重が減るにしたがって顔の皮膚がスベスベになってきたような気がしたのだ。これはただの相関関係レベルでしかなかったのかもしれないが、きっと何かの作用で体が健康になってきたのに違いないと思った。ただ、それも長続きはせず、今では髪の毛はどんどん白髪が混じり、ちょっと歩いただけで心臓が悲鳴を上げている。これはきっとルビコンが体の中に溜まりきっているにちがいないのだ。②はインスリンは働かなければ困るが、インスリンをあえてあまり働ないようにすると長生きするそうだ。③は細胞の増殖や代謝をコントロールするタンパク質であるTORの働きを抑制すると寿命が延びるらしい。④は中国の宦官は長生きしたという事実がある。⑤は活性酸素をあまり出させないようにするということだろうか。ちなみに高校生のころに習ったミトコンドリアの形はそら豆のような形をしていたが、あれはほぼ死にかけている状態の画像だそうで、生きているミトコンドリアはひも状の形をしているらしい。これが判明したのは光るクラゲのDNAを発見してノーベル賞を受賞した下村脩教授の功績だそうだ。
これらはどれもオートファジーの働きを活性化させるという共通点があるようなのである。
ただ、体の中のどこでもオートファジーを働かせればいいかというとそうでもないらしく、例えば脂肪細胞で働きすぎるとエネルギーが出すぎて糖尿病の原因になったりしてしまうらしいことがわかってきた。また、がん細胞はオートファジーを使って自分の体の中から栄養を作り出して生き延びようとしているらしい。これも一筋縄ではいかないようだ。
多分、遺伝子工学が発達してくると、局所的にルビコンを減らしたり増やしたりして健康を保つ方法なんていうのができてくるのかもしれない。ひょっとしたら副作用とか倫理的な問題を抜きにしたら今でもやれるのかもしれないが、どうなんだろう。
そんなことは期待できないが、今すぐオートファジーを活性化できる方法というのに以下のようなことがあるそうだ。
食べることでオートファジーを活性化させる物質には、「スペルシン」「レスベラトロール」「アスタキサンチン」「カテキン」などがあるそうだ。
スペルシンというのは、納豆、味噌、醤油、シイタケなどのキノコ類に含まれている。レスベラトロールというのは、ポリフェノールの一種で、赤ワインにはたくさん含まれているそうだ。アスタキサンチンはエビ、カニなどの甲殻類、カテキンはお茶に含まれている。
どれだけ食べれば効果があるのかということははっきりわかっていないそうだが、意識して食べるにこしたことはないのだろう。
また、やはりたまには一食抜いてみるというのも効果があるそうだ。オートファジーの働きとして、新陳代謝があるけれども、飢餓状態になると自分の中身を消化して栄養分にするという働きと相まって新陳代謝が促進されるらしい。ただ、これは、4時間ほど何も食べないくらいでもそれなりに効果があるそうなので無理に食べないようにする必要もないということだ。
それら総括すると、『腹八分で適度な運動をする』という、至極当たり前の生活態度に収束するそうだ。散々期待を持たせておいて最後はこれか・・。と思うけれども確かに画期的な方法なんかがあるとしたら、こんな本に書かずにそれを使ってもっと儲かる方法を考えるだろうから、まあ、こんなものなのだろうが参考にはなる本であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初島沖釣行

2021年06月22日 | 2021釣り
場所:初島沖
条件:中潮 3:26満潮
釣果:ブリ 1匹

昨日は夏至、今日も夜明けが早いがこれからはみるみるうちに夜明けが遅くなってゆく。これも地球の神秘だ。今年の夏至直後の夜明けも見納めである。

この前、和歌浦漁港でタコ釣りのまねごとをしていた時、菊新丸さんにもお会いした。彼の情報では、初島方面で飲ませ釣りが始まったとのこと。
去年、新しい竿を買ったものの、飲ませ釣りではまったく釣果がなく、はたして僕はこの釣法で魚を釣り上げることができるのだろうかと不安ではあるのだが、とにかくやり続けなければ釣れるはずの魚も釣れない。魚が釣れなくても誰も困る人がいるわけではなく、そこは適当だ。
ただ、この釣行記も2回ボウズが続いている。そういう意味ではなんとかボウズだけは避けたいと思い、保険にチョクリ釣りの仕掛けを持っていくことにする。この時期、この釣法ではまず空振りということはないだろう。

最初に書いた通り、1年で一番夜明けが早い日、出港は午前4時過ぎでも辺りはすっかり明るくなってしまっている。



一路沖ノ島を目指しながらマルアジの反応を見る。しかし、保険であるはずがまったく反応を見つけることができない。きちんと機能的に作られた船なら、操船しながら魚探を見ることができるけれども、エンジン場の奥にしか設置できないこの船では、魚探を見ながら船を走らせることができないのでけっこう見落としてしまう。そこは運に頼らねばならないのが残念でもある。都度、魚探のモニターを外に出して運転している目の前に設置できるようにするという方法もあるのだろうが、改造するのも面倒だし、やっぱり魚が釣れなくても誰も困る人がいるわけではないのだ。

魚の群れを探している間に初島到着。



沖ノ島のさらに沖に行くとマルアジが居るのかもしれないが、そこまで追いかける気はない。今日は限りなくボウズだと覚悟しながら今度はベイトの群れを探す。

菊新丸さんの情報のとおり、ベイトはすぐに見つかった。それもかなり厚い反応だ。水面下20メートル近くまでベイトがびっしりと映っている。



さっそく仕掛けを準備し落としてみる。
今日は仕掛けづくりに気を使ってみた。枝素はナイロンの8号を使っているのだが、この糸、父親が使っていたものをいまだに使っている。こんな太さの糸なんてめったに使うことがないので600メートルもあると2世代でも使いきれないのだ。
直径の小さなボビンに巻かれているので20年以上経つとかなりの巻き癖がついている。今までは何も考えずそのまま使っていたが、カールしているものをドライヤーの熱で真っすぐに整えてみるというひと手間を加えた。

それのおかげだろうか、ベイトはけっこう掛かってくれる。(これは単にベイトがサバだったということだけかもしれないが・・)
2、3回目の流しだっただろうか、セオリー通りにベイトが暴れ出した。これはひょっとして本当に食ってくるかもしれないと身構えていると、竿先が跳ね上がった瞬間に今度は一気に竿先を持っていかれた。
確実に魚が掛かった。それも大きい。魚も自分が騙されたと知ったか、その引きはどんどん強くなる。30号の鉛でもけっこう竿先がお辞儀するような竿なので、もう、根元から曲がっている。いったいどれほどの大きさの魚が掛かっているのか・・。
少し落ち着いて水深と糸が引き出された長さを見てみると水深以上に出てしまっている。これ以上道糸を引き出されると根に取られてしまうかもしれない。ドラグを少し締めて強引にリールを巻き始めるがリールを巻いた分だけまた引き出されていく。8号の糸とはいえフロロカーボンではなくナイロンだ。傷がついていさえしなけばそれなりの強度はあるはずだが、こんな大物とはやりとりをしたことはない。不安はあるけれども運を天に任せるしかない。

そんなに長時間のやり取りではなかったはずだが、僕には10分にも20分にも思えた。道糸が残り5メートルくらいになってきて、魚の姿が見えてきた。魚も船の影に怯えたか、この期に及んでもまだ道糸を引き出してゆく。

水面下に現れた魚の姿を見ると確かに大きい。タモの直径は60センチあるかないかなので一瞬掬えないかと思うほどだ。船の上には僕一人だけだ。手伝ってくれるひとはいない。うまく頭から入れないと暴れた拍子に鉤はずれということも十分にあり得る。ここまできたらなんとしても取りたい。狭い座席を離れて前のデッキへ移動し、万が一に備える。魚も少しは疲れてきたか、その隙を狙ってタモ入れ。一度は失敗したが2度目でうまく頭を引き込むことができた。体の三分の一ははみ出しているが一気にデッキに引き上げた。
大きい。こんなに大きな魚を釣ったのは初めてだ。いちいちメジャーで計るなどという無粋なことはしないが、おそらく90センチ前後はあるのではないだろうか。とりあえず生け簀に入れてみたが窮屈そうだ。



ちょっと弱っているし、最後まで生きているかが心配だがすぐに絞めるわけにもいかない。小物釣り師である僕のクーラーボックスにはどう見ても入りそうにないのだ。
魚の様子を見ながら釣りを続ける。
相変わらずベイトの反応はあり、うまく鉤に乗ってくれる。
たまに竿先を持ち上げる反応がある。さっきの感じだとこれもアタリのようだ。小鯖が30号の錘を持ち上げることはなかろう、大物が食いあげているのかもしれない。試しに引き上げてみるとくっきりと歯型が・・。



ヒラメはエサを食べるのが下手と聞くが、これはヒラメの歯型なのだろうか。うまく1匹釣り上げたので期待と妄想はどんどん膨らんでゆくのだ。

午前6時を過ぎたころからベイトの反応がなくなってきた。島の上から日が昇ってきたからだろうか。
生け簀の中の獲物も息絶え絶えを通り越してすでに昇天してしまっている。鮮度を保ったまま持ち帰るのが先決だと思いそのまま終了とした。

しかし、鮮度を保ったまま持ち帰ると言っても、どうしよう・・・。
一応、むちゃくちゃ釣れたときのためにと発泡スチロールの箱を積んでいるのでそれを取り出してきたがやっぱり入りそうにない。
どうしたものか・・。少なくとも頭を外す必要があるのは確かだ。とりあえずデッキの上で解体作業を始める。

頭を落として内臓を取り除き、発泡スチロールの箱に収めてみるがやっぱり尾びれがはみ出る。尾びれを落とすとあとでさばくのが難しくなるし、せっかくの大物の見栄えが悪くなる。尾びれを切る代わりに蓋を切ってやるととりあえず収まった。保冷力は落ちるだろうが仕方がない。



その後は急いで港へ向けて舵を切る。

帰り支度を済ませて叔父さんの家へ。今日の獲物は1匹だけだがこれは絶対に食べてもらいたい。叔母さんに出刃包丁とまな板を借りて農業の作業場で2枚におろして片身を手渡した。
今日も円卓会議はおこなわれており、少しだけ自慢にもなったのだ。

この釣りは確かに面白い。生きた魚を生贄にするというのは少々残酷ではあるのだがそこは見ないことにしてまた行ってみようと思うのだ。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住金沖釣行

2021年06月20日 | 2021釣り
場所:住金沖
条件:若潮 8:37干潮
釣果:ボウズ

住金の釣り公園沖で飲ませ釣りが始まっているそうだ。連休の最終日はとりあえずこれに行こうと決めた。

ここまでならギリギリ小船で行くことができる。魚探がないのでベイトの群れを追うことができないが、ウミネコが獲物を探すのと同様、目視でベイトを探すのと、もしくは、今日は日曜日でほかにも出ている船がたくさんあるだろうからそんな船を頼りにベイトを探してみたい。

今日もできるだけ早い方がよかろうと思って午前3時50分に家を出たけれども、明日は夏至。やっぱり出港は明るくなってからになってしまった。と、言うか、これ以上早くに出るのは不可能だ。



紀ノ川河口もそれほどの波はなく、順調に住金沖に到着。釣れているからなのだろうか、数隻の船が出ている。まずは風を避けて波の穏やかな一文字の付け根の裏側からスタート。
しかし、海底の様子が見えないというのはなんともやりにくい。
想定では、海面にベイトの群れがあふれていてそれをたよりに釣りをするというというのが大前提だったのだが、なぶらが見えない。そうなると、冒頭に書いた、ほかの船を頼りにポイントを選ばないといけない。
エンジンを切ってしまうと、海の上は静かだ。けっこうほかの船の上の会話を聞くことができる。船長さん同士が船越しに情報交換をしている声や、船長さんが同船している人に棚の深さを指示している声だ。

一文字の最先端まで移動したとき、最初に聞いた声は船長さん同士の会話だった。どうもベイトはいるらしく、「掛かった」というような声だった。ベイトはいるらしい。どれくらいの深さかはわからないので適当に水深を決めて仕掛けを下すがベイトは全然掛かってこない。別の船ではベイトが掛かった仕掛けを回収している姿もある。やっぱり魚探がないと難しいのか・・。

再び一文字の内側に移動し、今度は4人乗っている船のそばに行ってみた。船長からの水深の指示が聞けるかもしれないと思ったが、船上は静かで全然会話がない。



う~ん、これは厳しいと思っていると少し風が出てきて波も立ってきた。帰りの道中が心配だし、ベイトがしょっちゅう掛かる状況なら粘ってみるのだが、これでは長居をしても無駄だろうと思い、午前6時半を待たずに終了。

負け惜しみではないが、魚が釣れなかったとはいえ、空の景色は素晴らしかった。昨日も午後からほぼ雨が続いていたのでその名残か、雲がたくさん浮かんでいた。
雲の名前と、それがどういう条件でできるかという知識がまったくないのでひたすら眺めているだけだったが、様々な形の雲がある。
こういうのを見ていると、モネちゃんじゃなくても天気の勉強をしたくなってくる。
僕も、中学生レベルの天気の知識から始めてみようかしら・・。




家に帰って道具を洗い、今日も植木の剪定を始めようかと思った時にKさんから電話をいただいた。
Kさんも17日に加太に行っていたそうで、僕は3匹だけだったが20匹近くのアジやサバ、それに真鯛も釣ったそうだ。それも、同じ時間に同じ場所にいたらしい。
3匹だけだった僕と振り返りをしてくれるというのだ。
やはり仕掛けと場所がキモのようだ。
僕は真鯛を釣りたいと思い、毛糸と3センチのビニールを使っていたが、Kさんは緑のもじゃもじゃを使っていたらしい。約10センチ。それももじゃもじゃさせずに使うそうだ。要は普通のチョクリ仕掛けということのようだ。
ポイントは非武装ポイントの中でもジノセト側のかけ上がりがいいそうだ。時合は僕が感じていたのと同じで、ごく短時間だったそうでその間にいかにたくさん釣るかというのが肝要になる。それと、このポイントはすぐに見切らず粘っているとまたアタリが出てくるそうだ。そして、棚は中層くらいの反応を狙い、海底に見える反応はたいして掛からないとのことだった。

話を聞いていると、今回の僕は、戦術、戦略、ターゲットという分解をすると、まったくバラバラであったということになる。(今回だけでなく、毎度のことかもしれないが・・)
そもそもターゲットは真鯛だと考えていたのだが、今年の非武装ポイントはあまり真鯛がいないらしい。ナカトが本命らしいが、さすがにここは帝国軍が支配していて入り込む余地がない。だから、釣れるものを釣るという観点からいくと、もともとターゲットをマアジに定めておくべきだったのだ。心では真鯛を釣りたいと思い、頭の中ではマアジが釣れるんだろうなと考えている。心と頭がバラバラなのである。
だから、Kさんの言うとおり、そこから導きだせる戦略としては、狙いをマアジにして非武装ポイントを攻略するということになる。戦術はおのずともじゃもじゃを使うことに決まってくる。

そこを、真鯛を狙いつつマアジも釣れればいいなという戦略を組むからどっちつかずという結果となってしまったのが前回の釣行であったというのが結論だ。
しかし、やはりたとえ1匹でも真鯛を釣りたい。そういう戦略でいくなら、狙うポイントをもっと考えねばならない。そういうことだろう。
どうも、欲張りが過ぎるというのが第1にあり、ほかの人のすごい釣果に惑わされてしまっているというのが第2にあるといえる。
もっと心を落ち着かせて、自分のやりたいことは何なのだ、今、一番釣れる確率の高い獲物は何なのかということをじっくり考えて釣行計画を立てねばならないと思うのである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和歌浦漁港再デビューとワクチン接種

2021年06月18日 | 2021釣り
場所:和歌浦漁港
条件:小潮 6:28干潮
釣果:ボウズ

連休2日目、今日はタコ釣り名人に弟子入り志願だ。和歌浦漁港のスロープで船底塗装の作業をしていると、ちからさんの知り合いのタコ釣り名人がときたま声をかけてくれる。
名人は暖かくなってくるとほぼ毎日漁港のどこかでタコ釣りしているそうだ。
ちからさんが時々SNSにアップしているまだ動いているタコを見ていると、船はダメでもここなら釣れるのではないかと弟子入り志願を願い出るために出かけてみた。

タイトルに、再デビューと書いているのは、まだおそらく幼稚園くらいの頃だったのだろうと思うのだが、父親に連れられてギンタ釣りにここに来たのが魚釣りのデビューであり、和歌浦漁港での釣りデビューであったのだ。その後数十年、ここで魚釣りをした記憶がない。だから再デビューなのだ。追加の埋め立て工事をしているそうだが、この旧の漁協の建物の前がそのデビューの場所なのだ。



護岸の隅っこで泳ぐ小魚を見ていると懐かしさが溢れ出てくるのである。




まずは前準備として仕掛けの調達だ。さすがに船で使っているテンヤでは大きすぎるだろうと釣具屋に行ってみた。
最近はタコ釣りも人気があるようで、通路前の1区画全部がタコ釣りの道具だと聞いて選ぶ気がなくなってしまった。
結局、自分で作るしかあるまいと船で使っているテンヤの小型版を制作してみた。



ついでに竿も中古釣具店で買った竿の先を加工した相変わらずのキメラ竿だ。




午前5時前に漁港に到着。まあ、釣れるかどうかは別にして、早朝の漁港は気持ちがいい。



釣りはそっちのけで写真を撮り続ける。
モノクロに加工してみるとなんだか趣きのある写真になったのではないだろうかなどとひとりで自己満足にひたっている・・。

   


午前6時半を回って、師匠が登場。続いてちからさんも登場。
ちからさんはその風貌に似合わず(失礼・・)かわいいワンちゃんを飼っている。で、毎朝、漁港でワンちゃんの散歩をしているというわけだ。



師匠からタコ釣りの秘訣を聞くと、こんな感じだ。
一、テンヤは大きい方がよい。
二、エサはなんでもいい、気にしない。
三、特に誘う必要なし。

こんな感じだ。
使っておられるテンヤは多分、船で使うものと同じだ。エサはなんと何日も同じものを使っているという。小アジが丸のままくくりつけられていたが、確かに皮がめくれてしまって干物になってしまっているような感じだ。鉤も錆びてボロボロだ。曰く、毎日エサを変えていたらエサ代もバカにならないし、タコはなんでも喰ってくるということだ。今日の僕のエサはスーパーで3割引きのブラックタイガーだったのだが、それを見て一言、「なんと贅沢な」・・・
それを海底に放り込んでおくと、タコがいたら竿を置いたまま誰かとしゃべっていても掛かっているということだった。

要約すると、何も気にする必要はないということだろうけれども、やっぱりここで経験に裏打ちされた自信のような何かが作用するのだろうか、名人はすでに今日も1匹釣り上げているそうだ。

秘訣を伝授してくれた名人はその後、自転車にまたがり、最後の箴言として、「一匹釣るまで帰ったらあかんろ~」と言い残し、颯爽と別のポイントに向かって走り去ってしまった。
と思いきや、また、港の常連さんと雑談にふけっている様子だ。すでに1匹釣り上げている余裕だろうか、それともこうして殺気を殺しているのだろうか・・。


(左端の人が師匠なのだ。)

午前8時半ごろまで粘ってみたが、釣れたのはサビキのコマセかごひとつだけであった。




家に帰って植木の剪定を済ませ、コロナワクチンの摂取に向かった。ウチの奥さんが、和歌山市のホームページから基礎疾患のある人は接種の申し込みをできると聞いてきて、あんたも高血圧なのだから申し込む権利があるというのだ。10日ほど前だろうか試しにとホームページから申し込んでみると本当に接種券が送られてきた。
奥さんはどこまで医療通なのだろう、近くの医院は予約もなしにすぐに打ってくれるという。
窓口で申し込むと、待つ間もなくすぐに注射をしてくれた。こっちも何も気にしているわけでもないが、問診もなくというのは大丈夫なのだろうか。基礎疾患があるということで申し込んだが、どんな基礎疾患を持っているかということの確認もない。
ついひと月前まではネットでの予約が難しいとかいくら電話してもつながらないとか、朝から窓口に行列ができているとか報道されていたけれども、これでは値打ちがなさすぎる。(もともとタダだけれども・・)
プラチナワクチンがただの小瓶に入った透明な液体になってしまった感がある。



このブログは翌日のお昼に書いているのだが、注射された場所が少し傷むくらいであとはなんともない。
まあ、少し傷むということは僕の体にも少しは正常な免疫機能が存在していて注入されたDNAの欠けらと戦ってくれているのだと思うと少しは心強いことではあると思うのである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2021年06月17日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:小潮 5:01干潮
潮流:3:54転流 6:38 下り1.7ノット最強 10:14転流
釣果:マアジ 3匹

今日から今期2回目の4連休。初日だけは天気がよさそうなので久々に加太へ行ってみた。前回の釣行でこの夏の加太への釣行にひと区切りをつけようと思っていたのだが、相変わらず上手な人たちはかなりの釣果を上げている。ひょっとしたら僕でもその何分の一かは釣れるのではなかと思うとやっぱり加太の方に舳先が向かう。

今日の潮なら午前9時くらいまでが勝負だと思い午前4時半ごろ出港。早く早くと思いながらももうすぐ夏至。すっかり辺りは明るくなっている。



午前5時20分頃にポイントに到着。昨夜降った雨が空中のホコリを取り払ったか明石海峡大橋がはっきりと見えていた。



右の方に目をやると咲洲庁舎やあべのハルカスも見える。



左の方にいくといろいろ物議をかもし出してる観音様も見えている。




さて、釣りのほうはというと、ポイントに到着して仕掛けを下すとすぐにアタリがあった。



まずまずのサイズのマアジだ。それからすぐにアタリ。
今日こそはけっこう釣れるのではないかと思ったけれどもその後はアタリが途絶えた。

ここに留まるか、別の場所を目指すか思案のしどころなのだが、忍耐力のない僕はすぐに移動をしてしまう。友ヶ島の北側を移動しながら船の集まっているところを目安に仕掛けを入れてみるがアタリはない。



最後の本命はコイヅキだが、今日はものすごく荒れている。どうも魚を釣るような雰囲気ではなく、銅板ポイントまで移動して、午前8時に仕掛けを仕掛け巻きに回収して終了。


家に帰って船舶検査の申し込みに海南市まで。



空を見上げると見事な入道雲が。



真昼の時間帯だからなのだろうか、白い雲が光り輝いている。ここだけ切り取ると季節は梅雨を通り越して真夏という感じだ。

ついでに3年に1回のずぼら焼きを購入。



それをこんな感じで食ってると、確かにすぐに太ってしまうが、これが美味しいのだ・・。



そのまま市役所へ。



明日は雨がふるというので予約していたマイナンバーカードの受け取りを急きょ今日にしてもらった。
べつにこんなカードを必要とはしていないのだが、5000円分のマイナポイントに踊らされて申し込みをしてしまった。
ところがだ、これだけたくさんの申請対象のサービスがあるのに、何ひとつ僕の対象となるものがない。これもスマホを持っていないというハンディキャップのせいなのであるが、なんとも時代に乗り遅れているなと改めて実感してしまうのである・・・。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿部修士 「あなたはこうしてウソをつく」読了

2021年06月16日 | 2021読書
阿部修士 「あなたはこうしてウソをつく」読了

この本によると、人は平均して1日に1回ウソをつくそうだ。学生は1日に2回。確かに言われてみれば・・・。
この本の始まりはどうしてウソをついてしまうかではなく、ウソは見抜けるかということから始まっている。まずは“ウソ”というものが定義できるのかということを言っているのだろうか。
人はどれくらいウソを見抜けるかというのは、とある研究の結果では54%だったそうだ。嘘か誠かあてずっぽうに言っても確率は50%だからウソはほぼ見抜けないということだ。
それはどうしてか、いくつかの要因が挙げられている。ひとつは、人は他人の言っていることを真実であると判断する傾向が高いという「真実バイアス」。ひとつは、真実を知りたい一方でその内容や状況によってはむしろ真実を知りたくないと欲する「現実逃避効果」そのほかいくつかの要因が挙げられていたが、まとめてみると、みんなウソから遠ざかりたいと思っていることが原因のような気がする。

そして、すぐにウソをついてしまう理由にはこんなものがある。ウソをついたことに関する記憶は他の記憶に比べて時間経過とともに曖昧になりやすいという「非倫理的健忘」、そしてひとは大概、ウソをつくのが上手いと思っているふしがある。ウソをつくことが上手だと思っている人ほどシンプルなウソをつき、真実の中にウソを埋め込み、もっともらし説明を追加する戦略を利用するそうだが、これを読んで、確かにそうだと思う人は多いのではないだろうか。それでもひとはよほど自分は正直者であるということは維持したいらしく、ほとんどの人は、小さなウソしかつけない。それも、ウソをつける状況があればという条件付きでだ。

では、どんなときにウソをつくのか。
ひとつは、親や兄弟にはしょっちゅうウソをつくものの、友人相手にはそれほどウソをつかないという、状況特異的というものである。ひとつは疲れた時。ウソが増える時間帯はお昼前が多いそうだ。これはイスラエルでの刑務所の仮釈放委員会での観察から証明されたそうだが、人生が昼飯で左右されるというのは恐ろしい。確かに、お昼前というのは特殊な時間帯であるようで、ややこしいクレームを言ってくる客にはお昼前に電話をすると解決しやすいというのは僕の中では定説になっていた。
これは、時間の余裕がないとウソをつくという現象にもつながるのかもしれない。奥様方はその時間、昼食作りに忙しいからなのかもしれないと僕は思っている。
ひとつは、他人の利益になるのならウソをついても道徳的にもあまり悪いとはされないと考える人が多い。これには、オキシトシンが関わっているという説がある。“愛ゆえ”である。
また、協力者がいるとウソを増幅させるという実験結果もあるそうだ。

そして、どういうひとがウソをつくのかということにも触れられている。
これは、女性よりも男性のほうが明らかにウソをつく。これは自分自身のことを考えると間違いがないと実感できる。しかしそれは、生物としてではなく、シチュエーションとしてウソをつかねばならない、もしくはウソをついてしまう場面が女性よりも多いということなのではないかとも思うのだがどうなんだろうか。
また、職業のアイデンティティもウソをつかせるという。これは状況特異的と似ているのかもしれないが、「俺は偉いのだからウソをついてもかまわない。」というような心理もあるのかもしれない。だから政治家のセンセイ方もよくウソをついてしまうのだろう。
これは間違いないと思うのは、欲張りはウソをつきやすいということだろう。報酬への欲求がウソをつかせるというのは直感でもわるほど納得できる。

そんなとき、脳の中ではどんなことが起っているのだろうか。
ウソをつくときには、脳の前頭前野というところの働きが活発になるらしい。虚言癖というような病的な人を別にして、どんな人でもウソをつくときには多少なりとも後ろめたさを感じる。それは、背外側頭前野というところがカギを握っているらしい。正直者には必要ないが、欲深い人はこの場所の活動によってウソをついてでも報酬を得たいという衝動の抑制がおこなわれているそうだ。どうも僕はこの部分の働きが鈍いようだ。

この本にはこういったウソをつくことに関する実験結果がたくさん書かれているが、こういう実験には再現性のないものも多いと書かれている。それは相当個人差によっているということで、人体の構造上によるものではないということを物語っている。
再現性がないという、科学の世界では致命的なことを抱えながらもなぜ著者は研究を続けるのかというと、昨今多くなってきたフェイクニュースに対応したり、AIがウソをつかないように制御する仕組みをつくる際に役立つ知見になるのではないかということからだそうだ。AIがウソをつく可能性があるのかどうかわからないが、ウソの世界も奥が深そうだ。

最後の章では、性善説と性悪説を基に人がウソをつくことについて考えている。
性善説の視点に立てば、正直に行動するということは自然と発現し、ウソをつくというような悪行は高次な認知機能だと考えられる。性悪説の側に立つと、ウソをついて利益を得ることができるのならウソをつくことはむしろ自然な行為であるとなる。
僕なんか性根が悪いからやっぱりこれは性悪説を支持したいと思うのだが、真実はどっちなんだろうか・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アニメと声優のメディア史  なぜ女性が少年を演じるのか」読了

2021年06月15日 | 2021読書
石田美紀 「アニメと声優のメディア史  なぜ女性が少年を演じるのか」読了

日本のアニメーションの黎明期を描いた朝ドラといえば、「なつぞら」だ。主人公の兄である奥原咲太郎は後に声優のプロダクションの経営を始めて成功をおさめる。
この本は、ちょうどその頃から現在にいたるまでの声優の歴史とアニメファンたちは声優をどう捉えてきたのかを描いている。特に、タイトルのとおり、アニメのなかで女性が少年役をするという日本独特のスタイルを中心の成立の過程を中心にアニメの世界では黒子であった声優の人気が上昇していった理由にも言及している。

いい歳をしながらいまだにアニメ好きで、おそらく声優本人がいろいろなメディアに登場し始めたであろう頃もよく知っている。今では世の中の動きについてゆけなくなってしまったが、こういう話には興味がある。
軟派な本を想像していたが、文章の書き方から構成までけっこう硬派な内容であった。

声だけの俳優はラジオドラマから始まる。日本でラジオ放送が始まったのは1925年で、放送開始直後からラジオドラマというのは放送されていたそうだ。1925年がラジオ放送の開始の年度ということは、もうすぐ100年になる。「おちょやん」でもラジオドラマがひとつのキーになっていたが、これも100周年に向かっての何かの布石だったりするのだろうか。
ラジオ放送開始当時のラジオドラマというのは15分の単発放送というのが普通だったそうだ。すぐに戦争の時代に入って行ってしまったので国策放送主体となり放送スタイルの変化というものは硬直化していく。
新しい放送スタイルが生まれ始めるのは戦後だ。GHQの指導が入りながら民主化の拡散のためにという部分も担いながら連続放送ドラマがはじまる。当時はおちょやんのドラマのとおり生放送しかできなかった。
そこで子役の確保が難しくなってくる。法的に規制されるのはもう少し先になるがもともと、夜、遅い時間に子役が働くのは好ましくない。そして子役の成長は早い。放送期間が長くなると特に男子の子役は変声期を迎える。こういうことから女性が少年役を演じるようになる。
この頃から、声だけで演技をする人たちという認識ができてきた。声の演技をする人々は東京放送劇団(NHKの放送用専属劇団)の人たちが携わっていた。(まだ、放送局はNHKしかなかった。)その中で、木下喜久子という女性が最初に少年役を演じたと言われている。
終戦の2年後、1947年に児童福祉法が施行され、午後8時から午前5時までの児童の労働が禁止される。その年に「鐘の鳴る丘」というラジオドラマが始まる。このドラマは非常に人気があったが、このドラマに子役を出演させていた、「シロクマ」というプロダクションでは、放送局にたくさんのファンレターなどが来る中、『出演する子供たちをスター扱いしないこと、学業を何より優先すること』を徹底していたという。この時代ではまだま声優は裏方であったということだ。このエピソードは「おちょやん」の中のエピソードでも語られていた。

日本で1953年にテレビ放送が始まると当初は海外ドラマの放送というのが多かった。僕が子供の頃でもまだ海外ドラマの放送というのはけっこうやっていた。本格的に声優の需要が多くなるのはこのころだ。
声優という仕事について、俳優たちからは一段下に見られていたというのが「なつぞら」でのストーリーであったが、案外そうでもなく、ドラマの中でも出てきた、「白蛇伝」の声優は森繫久彌と宮城まり子だったそうだ。逆に映画会社とテレビ局というのは仲がよくなく、テレビ局が作るドラマに映画俳優を出させなかったというのが海外ドラマの放送が多くなったという理由で、それが声優という仕事を大きくさせる要因にもなったようだ。VTRによる放送が始まるのは1959年、それまでは生本番が当たり前だったのでここでも子供の役を大人がやるということが当たり前になってくる。

大きな転機が訪れるのは1974年放送の「宇宙戦艦ヤマト」だ。当初の放送時、人気がなく、39話の放送予定が26話で終了したが、コアなファンが再放送を望むなど、ファンが自らブームを作り出すという動きがあった。同時に数々のアニメ雑誌が創刊されさらにアニメブームは加速する。
そのなかで声優の存在もクローズアップされてくる。声優が裏方から表舞台に登場するのである。アニメの登場人物はもちろん絵に描かれた人物だから、彼らが興味を持ったのはそれを書いている人、演出する人、そして制作に携わった人たちであった。そういう人たちには声優も含まれていた。まだまだ注目する先は生身の人が対象であったのだ。

アニメのキャラクターと実際の声優にはギャップがあって当然で、少年役が大人の女性であったのだからそれが当たり前だったので僕もそれが当然だと思っていたが時代が進むにつれてファンはそれを許さなくなる。

次の転換期は1995年放送の「新世紀 エヴァンゲリオン」だ。主人は男子中学生であったがこれも女性が演じた。この年齢の少年を女性が演じるのは初めてであったが、ファンたちは声の演者とキャラクターに同一性を求め始めた。
このアニメもじわじわと人気を得てきたが、緒方恵美を見るファンの目はタカラジェンヌを見る目と同じなのである。
それが、”萌え”と表現される。少年役をする女性にも男性的な雰囲気を求めるようになったのだ。これを著者は、ジェンダーとセクシュアリティの問題と結びつける。当時はまだ1990年代。まだまだそういう観念は日本の中では認識されていない。しかし、アニメはなんでもありだ。こういった問題も一気に乗り越えることができる。
古い習慣を脱ぎ捨て自分らしく生きることができるのだという考えが先にアニメの世界に広がりを与えたというところだろうか。
確かに、空想の世界は自由にいろいろなことを考えることができる。それもひとりで限りない世界を垣間見ることができる。そこでは生死はもとより性別の違いも関係ない。そういう意味ではジェンダーやセクシュアリティという考えなどにも順応性が高かかったということだろう。

時代は2000年代、に入り、「キャラ萌え」と言われる現象が出てくる。これは、ストーリーとは関係なくアニメに登場するキャラクターのみを偶像と捉えてファンになってゆくものだ。ドラマ的なものを離れて二次元の世界に浸るファンが出てくる。
ただ、こういう現象は、僕が知る限り、かなり昔からそういうものがあったはずだ。村上隆というアーティストなどはその代表例だろうし、不謹慎なのかもしれないが、仏教が伝来して以来、仏像を拝むということ自体もひとつのキャラ萌えなのかもしれない。
単純化されたモチーフに衝動を覚えるというのは、きっと人間の本能で、それを覚醒させたのが日本のアニメだったということなのかもしれない。

ときたまBSなんかで見かける声優やアニメの主題歌を歌う歌手のコンサートなんかの観客数を見ていると、この世界もえらい盛況だなと思いながら、普通のおじさんが生活している中ではそんな盛況感がまったく感じられないのはなぜだろうかと思う。
昨夜、小林亜星が亡くなっていたというニュースが流れていたが、この人はガッチャマンや魔法使いサリーの主題歌も作曲しているそうだ。こういうアニメは懐かしくてまた観てみたいと思うが、今のアニメなんかにはついていくことができない。「鬼滅の刃」さえこれの何が面白いのかと思ってしまう。だからもう、世の中にもついてゆけないということなのであろうと悲しくもなってくるのである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生まれてきたことが苦しいあなたに  最強のペシミスト・シオランの思想 」読了

2021年06月12日 | 2021読書
大谷崇 「生まれてきたことが苦しいあなたに  最強のペシミスト・シオランの思想 」読了

少し前、新聞に「反出生主義」という言葉が出ていた。「生まれることおよび子を持つことを否定的に価値づけ、子を持つことを道徳的に悪いと判断する倫理的見解」だそうだが、この言葉をたどってゆくとシオランというひとが見つかった。この人はこの考えを擁護したひとりだそうである。

エミール・ミハイ・シオランは1911年にルーマニアに生まれて、1995年に亡くなった思想家で作家だ。僕の両親よりもすこしだけ上の世代ということになる。父親は聖職者だったということで、それほど貧しい少年時代を過ごしていたわけではないけれども、10歳になり、リセに入学するため下宿生活をはじめると、ペシミストの片鱗を見せ始める。
そして、その著作の内容から、最強のペシミスト、世界一の悲観主義者などと言われている。頭木弘樹の「絶望名言」にもシオランの文章が紹介されていたので間違いなく筋金入りなのだろう。しかし、実際はそれほどでもなく、普段のシオランは明るく快活で人ともよく話したそうだ。なにより、自殺することもなく84歳まで生き、ひとりの奥さんと生涯つれ添ったというのだから、幸福な人生というようなものを送ったに違いないと思う。

そういうことを含めて、読み始めていきなり、ああ、僕はこの人と同じだと思ってしまった。

シオランの思想の特徴的なところは、一般的にはそれが不道徳であり人道的ではないと思われるものを肯定していることだ。そして、それが実は私たちが人生を生き延びるためにとても役に立つということだと著者は言う。

では、シオランはどんな生き方がいいと語っているのか。ひとつは「怠惰である」こと、もうひとつは「いつでも自殺できると考えること」であるという。なんとも不道徳であり非人道的である。

怠惰については、こんなことを言っている。
どうして怠惰であることが生き方としてよいのかということを、殺人を冒すことと比較しながら論じているのだが、この本に書かれているその断片をつなぎ合わせてみるとこんな感じになる。
『殺人のストーリーを読むほうがただ何もせずベッドに寝たままの怠惰な人間をみているよりもましである。殺人を冒すにはエネルギーと実行するという意思が必要だ。』『殺人は、動機や意図に従って計画を立て、選択して決断するというのが社会の通常の活動の特徴であり、そして、殺人と共通する特徴なのである。』
それは、経済活動にも通じる実行力である。だから、『世間は、人殺しに対する方が寛大なのだ。「俺はなにもやりたくない」と叫ぶことは、社会にとってある意味、人殺しより不気味で常軌を逸している。』
しかし、「実行する」ということ、すなわち「行為をなす」ということであるが、自分の意思を貫きとおして行為するためには、人は悪徳を利用しなければならないというのがシオランの考えである。『何かに秀でようとするとき、その意思は他人の意思とぶつからざるをえない。私の意思を貫徹すべきか、それともひっこめるべきか?もし前者を選ぶならば、悪徳-悪意、敵意、怨恨、憎悪、嫉妬、強欲などが力を与えてくれる。反対にそれができない人間は、あちらこちらで自分の意思を取り下げ、右往左往し、無気力に落ち込み、失敗し続ける運命にある。』そんな気持ちに苛まれるのであればいっそ無気力に生きた方がよいのだ。『怠惰は悪徳であるが「高貴な」悪徳なのである。』のだからやはり怠惰であるという生き方がよい生き方であるとなる。

行動するということが悪意を生んでしまうというのであれば、怠惰でいるほうがよほどいいというのはうまく論理をすり替えているような気もするのであるが、これを現代の社会、政治環境にあてはめてみると、こういうことになるのではないだろうか。
『自由主義の世界では人々は自分の意志のもとに行動する。そして多様性が生まれるのであるが、それは対立を生む。そして不正は、あるいは正確に言えば、通常私たちが不正と呼んでいるものは、この対立において他人を凌駕しよう、そして他人という障害を取り除いてでも完遂しようという意思から生まれる。』
これは社会の中でなくても会社のなかにでも当てはまりそうだ。すべてがそうではないけれども、自分の意見を押し通そうとすれば軋轢を生み、自分の意見を押し通そうとする他者からは悪意しか見えてこない。誰かの陰口はどこでも語られている。

現代社会は生きやすい世界かといえばそうとは思えない。それは、過剰な競争や必要かどうかわからない人間関係によって大半のひとは疲弊したり、そういうことに飽き飽きしているのではないだろうか。そんなことならシオランのいうとおり、怠惰でいるほうがよほど人間らしい生き方であると思えなくもない。ただ、シオランはこうも言いながら、怠惰でいることは衰退、破滅への道をたどっていることと同じだとも言っている。『ダブルスタンダードなどを考慮したり、それに悩んでしまう人間は、衰弱した人間なのだ。悩んでしまうこと自体が衰弱の兆候であって、くよくよ考えること自体が真理に対する裏切りだ。』しかし、『怠惰人間には破滅が待ち受けているが、怠惰人間であること自体は何も悪くない。』逆に、それゆえに他人に対して自由を認めることになるのだという。それはきっとすべてにおいて寛大になれるのだということであり、自身にとってもそれは幸福なことであるといいたいのだろう。
そして著者は、こういった人たち、『怠惰でありつつも仕事をするという、それほど「高貴」ではない、中途半端な怠惰人間が大人数いることになるだろう。』と言っている。僕もそのひとりであり、『命じられた仕事をやってのける満足感は(特に仕事を信じておらず、軽蔑している場合)、その人間がいかばかり深くの群れに根を下ろしているかを示すものだ。』という言葉にたじたじとなるのである。


自殺についてはどういっているか。自殺をするというのはひとつの切り札であると言っているようである。
『いつでも自殺できると考えることで、安心できる可能性、生き続けることができる可能性が生まれてくる。いわば、それ以降の人生は、もう破綻してしまった人生の、ささやかな延長戦となる。いつでも逃げられるのならば、もう少し続けてもいいのではないか。いやになったらやめてしまえばいいのである。』というのである。
なんとも曲論であり極論のような気がする。そしてこんなことを続ける。
『死は失敗の好みを持ち、天分を持つような人間の庇護者である。成功を収めなかった者、成功への執念を燃やさなかったすべてのものにとっては、一個の褒賞である。死はその種の人間のほうに理ありとする。死は彼らの勝利なのだ。逆に死は、成功のために骨身を削り、ついに成功を収めた人間たちにとってなんと残酷な否認、なんと痛烈な平手打ちであることか。』
そう、怠惰で何もできなかった、しなかった人にとって死はいつでもそこから逃げだすことができるという金色の切符であるが、いつまでも成功をかみしめていたいひとにとっては恐怖の暗闇なのである。
死に対してはほかにこんなことも書いている。これは怠惰であれと言うことにもつながるのかもしれないが、若い頃の体験として、不眠でノイローゼになっていた時、母から、「もし知っていたらならば、堕胎していたのに。」と言われた。シオランはその言葉を聞いて、自分は偶然の産物であったのだと感じ、その考えによって、生存をまじめなものとみなすのをやめることができたというのである。そして、『本当の意味で最上であるのは、そもそも生まれないことである。生まれなければ、生きる苦しみを受けることも、死の恐怖に苛まれることもなかったのだ。』と考えるようになる。これがシオランが反出生主義ということを考えるきっかけになったようだ。

なんだかすべてがごもっともなことを言っているのか単にひねくれているだけなのかと迷うのだが、僕自身も確かに似たようなことを考えていた。自殺しようなどと思うほどの勇気はなかったが、重い病気になってなにもできない体になってしまったらすべてのものから解放されるのではないかとか、宇宙飛行士は宇宙で事故が起こってもうダメだとなったとき、苦痛を感じることなく死ねるように毒薬のカプセルを持っているという話を聞いて、そんなのが欲しいなどといつも思っていたが、同じようなことを考えていたひとがほかにもいたのかと思うとなぜだかホッとしてしまったりする。そしてそのひとが意外と元気で笑いながら84歳までいきたということに少し力をもらえるのだ。

シオランは、こういった考えの中から、「解脱」という考えにたどり着く。解脱とは、『ひとまず人生からの決定的な解散、生の内部に存在したまま生を克服すること。生きたまま死者になること、「死」という言葉を避けたければ、「生きたまま生を放棄すること」』である。
これを発展させると、「最初から生まれてこなければよかったのに」となる。シオランは、『生まれないようにするために何もしなかったと言って私は自分を責める。』というのだぁら、シオランは相当皮肉屋だったのかもしれない。

これはまるで釈迦の教えのようだと思えてくる。そして、僕が知るかぎり、アドラーの教えにもつながるのではないかと思った。結局、自分らしく生きようとか、平穏な生き方とはとかを突き詰めると同じような考えにたどり着くということか。確かにシオランは、仏教や道教、グノーシス主義、ドイツ神秘主義などからもインスピレーションを得ていたそうだ。
ただ、シオランがその境地にまで達していたかというとそうではなかったそうだ。最後の最後まで苦悩に満ちた言葉を残しているらしい。おまけに、不倫もしていて、相当ふしだらな手紙も残しているそうだ。
そして、一方ではペシミストは苦痛を求める性癖がある。それは、キリスト教徒が迫害を信仰の証明だと喜んでそれを受け入れるということに似ている。そして、その原動力は人生と世界に対する嫌悪であるというのだ。シオランは、『この人生から自分を葬り去るのは、人生に毒づく楽しみを捨てることでしかない。』というのだが、これもシオランが解脱の境地に至れなかった理由のようである。これはシオランだけではなく、一般の人間にもそれは言えることだろう。
これに基づくと、政治家の方々というのがあれだけ悪口を言われて続けても政治家を続けているということや、職場の女帝が傍若無人にふるまい、自分以外の人間を無能呼ばわりする理由がわかってきた。みんな悲観主義者で苦痛を求める性癖があり自分を求道者と勘違いしているのだ。また、解脱ができないという裏返しで他者を攻撃するのだということだ。
徳川家康は、『人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし』と言っているが、その重荷を下ろすことはお釈迦様以外にはできないのである。
そうなってくると、結局、怠惰に徹することもできず、世間や他人に憎悪と嫉妬と敵意を抱きながら適当に生きていくしかないということになるのだろうか?
シオランの言い方ではこうなる。
『人生はむなしいと思うのは、存在意義がないことにおびえるからであるが、それはなまじ存在意義があるからであって、最初からなければそんなものは屁でもない。』だから無益な存在であるというのはひょっとして幸福なのかもしれない。


そのほか、シオランは様々なことに面白いというか、同じような生き方しかできない僕にとっては確かにそうだと思わず膝を打ってしまいそうなアフォリズムを残しているので気に留まったものだけだが、書き留めておく。
以下のふたつは、仕事に来るといつも思っていること。
『独りでいることがこよなく楽しいので、ちょっとした会合の約束も私には磔刑にひとしい』
会議やアポイントでこれは相手が少しでも苦手なひとだといつもこんなことを思っていた。いまではそういうことからほぼ完全に解放されているのでありがたい。おまけに、自分がやらなければならないこと(それもわずかなことだ。)だけをやっていれば静かにひとりでいられる。役職から離れるというのはこうも自由なのかと思ったりもするのである。
『批評家は、この特権を不当に自分のものとして、自分は並の人間ではなく、自分にはすべてが許されると思い込んでいる。他人を語って才気を見せるよりぶざまでも自分について語るほうがずっとましだ。』
たまにこんな人がいるのだ。自分では何の独創的なアイデアを出すこともないのに、誰かが出した意見について適当に何かを付け加えて、いつの間にかさも自分が出したアイデアのように語っているひと・・。

もうひとつは、これを読むと、僕もまだ笑うことがあるので大丈夫だと思えてくる。
『もう笑う気が起こらなくなったら、それが潮時と思うべきだね。でも笑う気持ちがあるうちは、もう少し待つんだな。笑いは生と死にたいする唯一のまぎれもない勝利だよ。』
民放のバラエティー番組はまったく面白くなくなったが、僕には「あまちゃん」が残っている・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする