イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

初島沖釣行

2020年07月30日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:長潮 9:00干潮
釣果:ハマチ 2匹

10年以上ぶりに新品の釣竿を買ったのだが、入念に下見をしたはずなのに硬さを間違えて買ってきてしまった。



本でも食品でも一番前に並んでいるものは買わないようにしているのでこの竿もひとつ後ろに並んでいるやつをレジに持っていったら一番手柔らかいものだった。多分あまりにも竿の種類が多いので商品としてはひとずつしか置いていないのだろう。そんなことも知らないほど久しぶりの買い物だった。再び釣具屋に舞い戻って求めていたものに交換してもらった。



しかし、このクオリティで実売価格がベトナム製とはいえ税込みで1万円しないというのは驚異的な値段としか言いようがない。自分で作れるものは自分で作ろうと考えていままで何本かの竿を作ってきたが、部品を買うだけでも5000円以上はかかる。それを考えたら買うほうが安いではないかと思ってしまう。くだんの間違えて買った竿は高仕掛けを操るにはちょうどよさそうだった。次はこれだな。
ダイワもシマノも実売がこれくらいのものががいくつか出ているけれども、今まではこの価格帯というのは下位メーカが出すプライスラインだった。それが気が付けば下位メーカーのこれくらいの価格帯の商品が釣具屋さんから消えていた。僕が最後に船竿を買った頃はアルファタックルとか、聞いたことがないメーカーの商品がそこそこ出ていたけれども今では3000円くらいまでの超格安ロッドしか見つからなかった。2大メーカーはこれらのメーカーの追い上げを恐れてこういう価格帯の商品を強化してきたのだろうか。
もともと、乗合船であれ船に乗ってまで釣りをしようという人たちはそれなりにお金を使う人たちが多いはずだから本当の売れ筋商品はこれの2倍以上というところだろうが、世間の感覚から逸脱している僕にはうれしい価格だ。少しずつ時代は変わっているのかもしれない。

しかし、竿の番手を間違えたこともっそうだが、最近、よく、いろいろなことを間違えたりしくじったり忘れたりする。
タイラバのシンカーを買っていたのを忘れていて20個以上も買い足したり、港に持って行かなければならないものを忘れてしまうのは常の事。スパンカーのロープをセットする手順も半月ほどさわっていなければどれから先にほどいてゆくかを忘れてしまう。図書館に本を返しに行って肝心の返す本を持って行くのを忘れてしまったこともある。すでにボケが始まっているのだろうか。と、いうより、最近は何もかもやる気がなくなってしまっていて思考停止に陥っているのだろうと自分では分析している。僕の目の中には光が無くなっている。

ということで、今日はそのニューロッドのデビュー戦だ。
加太ではどこに行っていいのかわからないので今日も初島を目指した。
海は穏やか、油を流したようというのはきっとこういう状態をいうのだろう。

 

しかしながら、まったく釣れていないのか、船が1艘もない。そしてそのとおり、魚探にはまったくベイトの反応がない。これはまずい。デビュー前に引退ということになってしまいそうだ。
タイラバを落としながらベイトの到来を待つが一向に見えない。

今日もボウズだ。これで7月は3日のチョクリでの釣果だけになってしまう。なんとも今の僕の状態にお似合いだと思いながら、今日のブログのネタは「空の写真集」にしようとカメラのレンズを上に向けていると、ときおり魚がボイルし始めた。これはボラかいなと思いながら眺めていると、ひれの形までくっきり見えた。これは絶対ボラではない。スズキかハマチだろう。キャスティングの用意はないので禁断の仕掛けを取りだす。
そして流し始めた途端にアタリ。しかし小さい。30センチあるかないかのサイズだ。僕が見た影はこんな大きさではない。ときたま見えるボイルの方向に狙いを定めボイルが消えてしまわないようにその横を通り過ぎるといきなりアタリ。今度は大きい。ヒットした瞬間、デッキの上を2メートルほどあとずさりしてしまった。上がってきたのは60センチはゆうにありそうなハマチだ。そしてすぐにまたアタリ。今度も同じようなサイズだ。4匹目はツバス。そのあとは海をかき回しすぎたか、ボイルが消えてしまった。午前8時半。雲が消えて太陽が顔を覗かせると暑くてたまらなくなる。叔父さんの家に持って行く分もできたのでそのまま終了。

ボウズでなくて本当によかった・・。

そしてボウズの時のための、「空の写真集」。多分、今日、この時に梅雨が明けたのだと思う。

       
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「みかづき」読了

2020年07月24日 | 2020読書
森絵都 「みかづき」読了

多分アマゾンのリコメンド機能から見つけた本だと思う。
塾を経営する夫婦とその子供、孫の代までを綴った年代記のような形をとっている。
2016年の出版だけれども、相当たくさんの人が借りたのか、かなり本が傷んでいたので結構有名な作家と著作なのかと読んでいる途中で調べてみたら、作家は直木賞作家で、この本は去年NHKでドラマ化されていた。この作家のことは全然しらなかった。
ドラマでは主人公のひとりである塾経営者の妻は永作博美だったらしいが、途中からは頭のなかの主人公が永作博美になってしまった。読み終わってから調べればよかった・・。

昭和9年生まれの主人公の女性千明は戦前の国民学校の軍国教育と戦後のがらりと変わった民主主義教育を経験し、公教育に小さいころから不信感を募らせ、さらにその後におこなわれた学校教育法改正による教育行政の転換に対して文部省(当時)への怒りを抱いていて、その公教育に反旗を翻すべく、家庭教師をしながら自分が理想とする教育を実践しようとしている。プライベートでは文部官僚の元恋人とのあいだに女子をもうけたが、出産を前に別れてしまった。
千明の夫になる吾郎は父親の事業の失敗のために高校を中退し、住み込みの用務員の仕事を得る。放課後、授業についていけない子供たちの勉強を見るうちに天才的な教育能力を発揮し、それに目をつけた千明の策略というか熱意に負けて千明と学習塾を始めることになる。
このふたりを中心にしたその子供、孫の世代までの長い長い物語だ。

主人公夫婦はもちろん、子供、孫たちも“塾業界”という教育の裏街道にかかわりながらそれぞれの思い描く方向性の違いがありながらもそれぞれの力で道を切り開いていく姿。そしてその中から生まれる家族の危機と和解をふたつの大きな流れとして物語は流れてゆく。

家族の物語を塾業界と合わせて語っていくというのは面白かった。教育とはいえ、それは事業であって利益追求の部分があり、片一方では教育という聖域というか理念のようなものも存在する。そして、高度経済成長から団塊ジュニア、少子化と受験戦争の過熱に合わせて栄枯盛衰を経験した業界についても詳しく書かれていて、それぞれの時代を生きた千明と吾郎の家族もそれぞれに時代に添うかのように教育に対する考え方の違いを見せる。教育の裏街道という表現が面白い。裏街道だからこそ団結できる余地があるということもあるのだろうか。それがうまく物語に反映されている。

物語は時間の流れとともにテンポよく流れていく。しかし、たとえ家族とはいえ、そんなに考え方を異にし、生活まで別にするようなひとたちが長い年月の末といいながら和解するということがあるのだろうか。
そこは僕には共感ができない。「ひとは心の中に思っていないことは口に出さない。」というが、そんな心根を知ってしまったらたとえ家族でも理解しあえる限界を超えてしまうのではないだろうか。
そう思いながらところどころを読み返してみると、確かに登場人物たちはそれぞれの人格に対してはお互いに認め合っているということがわかる。そこを超えない限り人は分かり合えるのかもしれない。

そうやってお互いの隙間をつぎはぎしながら埋めていくものが家族なのだと著者は言いたいのかもしれないが、現実はそんなに簡単に腹を割って話すこともできないし家族だから簡単にしゃべってしまう一言に永遠に傷つけられるということもある。
全員が同じ方向を見ている家族、この物語の場合は教育ということになるのだろうが、そういう家族はどんな時でも強いということだろうが普通の家族はそうでもないと思うのだ。
そこはやっぱり創作なのだと僕は思ってしまうのだ。


電車の中で読みふけっていると気がつけば雨脚が強くなってきた。和歌山駅に到着したら乗り継ぎの路線が運転見合わせ。この先でものすごい雨が降っているらしい。
それでも、意地でも迎えには来てもらわないのだと思うのが僕の現状だ。

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「地名でわかる水害大国・日本」読了

2020年07月23日 | 2020読書
楠原 佑介 「地名でわかる水害大国・日本」読了

激甚気象の続きで、こんな本を読んでみた。
タイトルどおり、昔から続く地名は水害の起こりやすい場所を表しているということを具体的な地名を挙げて解説している。

日本の都市の発達というのは、近世では大中の城下町が元になっている。そして基本は米であった。
稲作ができるところの中心に城が築かれ、その周りに水田が作られ都市ができていく。だから自ずと水が多い場所に都市ができていくことになる。ナイル川ではないけれども、定期的に川が氾濫することによって川上から養分が供給され米もたくさんとれるようになる。
当時は米に依存した社会構造であったからそういうことが当然であったけれども、コメ余りのこの時代でもその社会構造に基づいて都市計画がなされている。そして、その地域に適した開発がなされていないというところに問題があり、昨今の大規模水害を招くのだと指摘している。
東京一極集中という言葉はよく聞くが、これは地方に行っても同じことで、元城下町にはそれぞれ人口が集中している。確かに和歌山県でも和歌山市以外の都市というのはそれほどの規模はない。これがたかだか100万人規模の県ならたいしたことがないが、広島県を例にとると、増えすぎた人口は扇状地の上流部分まで進出し、ほぼ毎年起こっているんじゃないかと思う水害の被害を出している。そういうところは昔から規模はどうであれ同じように水害を起こし、人はあまり定住せず、それを戒めるように地名として名前を残しているというのが著者の説だ。
造成された宅地で、〇〇台、〇〇丘という名前をつけたところがあるが、意外と低地やもとの河川であったところがあるそうだ。そこに少しだけ盛り土をしてそんな名前をつけてあたかも安全そうだ、少し高台気味で見晴らしもよさそうだと思わせる商売はもってのほかだとそういうことも書いている。

その、昔からの地名と危険性を関西の地名で例にとると、
大和川沿い「亀の瀬」→ 岸を「噛む」瀬で、水流が激しくぶち当たるところ。
京都「小倉」→大きく抉られた場所という意味。
樟葉→「崩れ場」という意味。
高槻市「三島江」→水(み)洲(しま)
難波→地面が斜めになっていて水があふれる場所(津波が襲う風景を描写しているらしい)
灘→大地(な)がたれ(垂れる)
神戸(元の名は福原)→「ふくらむはら」で崩落地を表す地名

と、こんな具合だ。

自分の家の周りでも、数年前に全国ネットのワイドショーが取材に来るほどの水害があった地区があり、そこの周りを調べてみると、中心地になった、「和田」という地名は、「わだつみ(海を表す古語)」から来ているらしい。確かに低い土地らしい名前のつけかただ。



僕の住んでいるところは字が「北崎」と言っていた。低い土地の中にわずかに盛り上がっているところだから“崎”という名前がついたのだろうか。それとももっと違う意味があったりするのだろうか。津秦という地名もある。“秦”は帰化人の名前からの由来なのだろうが、海岸からかなり離れた場所に“津”という名前があるというのはやはりこの辺りがかつては海であったということなのだろう。
地名ではないが、これは今年の正月のブログにも書いたが、海岸線からかなり離れたところにもかかわらず、金毘羅様が祀られているところがある。それを見てもここは昔からほぼ海岸線であったと思われるのだ。
どちらにしても、僕が住んでいる一体も水には弱いということを物語っているようだ。

確かに、古い地名はそういうことを表しているのかもしれないが、この本に出てくるその地名の解釈は、素人が見ると、ただのこじつけで、それも災害が起こったからそんな解釈をしているんじゃないかと思えてくるところも多々ある。

それに加えて、著者は他の学者の解釈に対しては非常に辛辣な言葉で批判をしている。名指しで、「もっと勉強してから述べてほしい」とか、「見当違いとは言わないが幼稚な類推である」など、歯に衣着せぬといえば聞こえはいいけれども、そこまで言って大丈夫なのかと心配になってしまう。そして、この人は韜晦という言葉を知らないのかと思ってっしまうのである。


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初島沖釣行

2020年07月21日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:大潮 5:57満潮
釣果:ボウズ

帰りの電車の中ではコロナショックからこっち、毎日、「医療従事者の皆さま、暮らしを支えるために働いている皆さま、お勤めご苦労様でございます。」というアナウンスが流れている。

“暮らしを支えるため”・・。僕にはまったく縁のない言葉だ。毎日毎日気まぐれなおばさんに振り回されているだけだ。昨日の仕事はこんな感じだ。
① 「昨日お鍋送ってもらったんだけどひとつ要らなくなったのでそれを抜いて送りなおしてくれる?」「五つ買われているらしいのでひとつ返品で合計四つですね。」「いいぇ~。私は四つしか注文してないから三つ送ってくれた多いいのよ!」それを送った部署に聞くと、フライパンのふたも買っているから合計五つのはずでした・・。また電話して、「フライパンのふたもお買い上げいただいていませんか?」「あら、そうだったわね~」
②「高級メロンとスイカをセットにして送ってくれる。送り先はFAXしたから。」それからまた電話がかかってきて、「ウチにも同じもの送っといてくれる。それと、電話とFAXでこれまでもいろいろ注文してるからどこに何を送ったか整理してFAXしといて。」

だいたいこんな感じだ、それも思いついたように次から次と電話してきてあれもこれもと指示をしてくる。こんなに呆れたことを毎日やっている。毎日誰かに振り回されている。もうこれは丁稚の仕事以下だ・・。僕は毎日一体何をやっているんだ・・・、四捨五入して60歳になろうかという人間がやる仕事ではないだろうと思いながら毎日過ごしている。
まだまだある。
しょっちゅうかかってくる電話はまず自分が誰かを名乗らない。世界中の誰もが自分のことを知っているかのように思っている老人ばかりだ。そんな人を相手にしたあとはひどく落ちこむ。

世の中の仕事のどれくらいがあっても無くてもどちらでもいい仕事なのかはわからないけれども、ひとの役に立たないとわかっている仕事をあたかもこれは崇高な奉仕なのだというふりをしているのは甚だつらい。

給料をガクンと下げられ、会社としてはその給料に見合った仕事を与えてやっているのだと言いたいのだろうが、ひとはパンのみに生きているわけではあるまい。
永い期間に培った知識と経験に基づいた助言が思わぬ危機から組織を救うことがあるからこそ、老いても尊敬の念を抱いてもらえる。しかし、ここにはそんなもののかけらもありはしない。なにしろ僕が一番仕事を知らない。毎日何かしらこの書類のここが間違っていると指摘されている。
そういえば、いろいろな部署から来ていた電子メールもまったく来なくなった。来るのはなぜか旅行会社からの勧誘メールだけだ。これがなければ3日に1通あるかないかになってしまった。もう、僕は会社の中でも多分棄民の部類にはいってしまったのだろう。
社会からも会社からも必要とされないと感じるひとときだ。
そんなことを考えていると最初に書いたアナウンスをしらふで聞くのはつらいということになるので缶チューハイを買って電車に乗ることになる。




船の上でもこんなことを引きずっているからなのだろうか、まったく魚が釣れる気がしない。今日も初島を目指したけれどもボウズだった。これで3回連続だ・・。
前回は加太でダメだったし、去年のこの時期、ここはホウボウの巣じゃないかと思えるような釣果があったのできっと今年も釣れるのじゃないかと思ったけれどもまったくアタリはなかった。

去年の今日はというと、その1週間ほど前からも型のいいタチウオが釣れていた。今年はどうだろうかと考えてまずは水軒一文字沿いを流してみたがまったくアタリなし。



そのまま初島へ。朝は予報通り曇り空でおまけに霧が出ている。沖ノ島はここからはまったく見えない。GPSを頼りに針路を決める。



今日も落とし込み釣りの船が数隻浮かんでいる。そしてベイトの反応もある。



宮崎の鼻ではよく釣れているが初島はいまいちという話だが期待が持てるのだろうか。たとえ宮崎の鼻で釣れているとしても僕にとってはイスカンダル星に赴くよりもはるか彼方に思える。



そして、間もなく2隻の乗合船で竿を曲げているのが見えた。しかし、僕の竿にはベイトがときおり食いつくがそこから先にいかない。



ずっと気になっているのだが、竿の違いというものもあるのだろうか。ほかの船の釣り人の竿を見ていると、かなり細い竿を使っているようだ。多分ソリッドの穂先である。
それに対して僕の竿は大学生の頃に自分で作ったバス釣り用のヘビークラスのルアーロッドにシーバスロッドのグリップを無理やり継いだキメラロッドだ。ここから先は想像でしかないのだが、穂先の柔らかい竿に比べるとどうもエサ持ちがよくないような気がする。本命の魚に見つけてもらう前にベイトが外れてしまうのが釣れない要因のひとつになっているのではないのだろうか。それに、穂先が硬いとベイトそのものが食いついてくれる確率も下がってしまうのではないだろうか。去年はたまたま1回だけうまいこと釣り上げることができたがあれはまぐれだったのかもしれない。

アイザック・ウォルトンだったか、「釣りの世界では大人と子供に違いはない。違いがあるとすれば道具の差だけである。」と言っているが、ある程度までは道具によって釣果が左右されるということがあるのかもしれない。と、いうか、あってほしい。
そうでなければ釣れない理由がテクニックが未熟なことに収れんされてしまう。

タイラバもあちこち試したがこれもまったくアタリがなく、予報に反して日差しが強くなり忍耐の緒も切れてしまい午前8時半に終了。
今日は今年初めての真夏日になったそうだ。どうりで熱いわけだ。



もう、勝手に梅雨明け宣言をしたいくらいだった。

家に帰ってお昼ごはんまでに歯医者に行って釣具屋さんに向かった。もともと暇そうな歯医者さんもさらにコロナで暇になったのか、歯科衛生士のお姉さんは待合室で雑誌を眺めていた。ここはちゃっちゃと作業をしてくれるので廃業だけはなんとか回避してもらいたいものだ。

釣具屋さんに行ってどんな竿がいいのか聞いてみると、やはり7:3調子のソリッド穂先の竿がいいそうだ。安い奴では1万円くらいからある。ここは思い切って月末のポイント5倍デーの時に買ってやろうではないかと密かに決意を固めるのである。
久々にカタログも眺めてみたけれども、どれだけ種類があるのだというほどたくさんの種類の竿がある。これ、メーカーの人でも商品体系がわからなくなるのではないだろうかと思ってしまう。そんなに種類が必要か。人は誰でも2本しか腕を持っていない。この時代にアウォルトン卿が生きていたら、先の言葉をしみじみとのたまうのではないだろうか。
そして、僕にはきっと、「静かなることを学べ(learn to be quiet)」と諭しの言葉をくれるのだろう・・。

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「アノマロカリス解体新書」読了

2020年07月19日 | 2020読書
土屋健/著、田中源吾/監修、かわさきしゅんいち/イラスト 「アノマロカリス解体新書」読了

なかなかそそられるタイトルの本だ。思わず借りてしまった。

著者は学者ではなくてサイエンスライターという肩書を持った人だ。ベースになっているのは、「ワンダフルライフ」という僕も前に読んだ本だ。「ワンダフルライフ」は、1977年にアメリカで出版された本なのでその後の新展開も加えて極々一般向けに書かれている。

この生物は古生代の中期ごろに表れたこの時代最大最強の生物だ。ふたつの大きな鎌のような肢を持ち、口は円形に歯が配列された、ウニのような口を持っていた。最大で1メートル余り。当初、バラバラで発見された肢と口の化石は別々の生物であると考えられていたがその後の調査でひとつの生物の体の一部であったということがわかったというのは、「ワンダフルライフ」に書かれていた有名なエピソードだ。
口はクラゲの仲間でペイトイア、胴体に当たるところはナマコの仲間でラッガニア
名前の由来は、奇妙な(anomois)エビ(caris)というラテン語を組み合わせたものだそうだ。
分類上は、「ラヂオドンタ類」という属に入っている。
この属の中にいくつかの類がある。一番有名なものは、「アノマロカリス・カナデンシス」カナダで発見されたから“カナデンシス”だそうだ。最近出てくる一般的なイラストはほぼすべてこの生物とみてよい。
そして、時代ごとや食性によってかなりの種類がいたらしい。たくさんのイラストが掲載されているが、全部、凄いとしか言いようがない。

アノマロカリスにいたる進化はこう考えられている。
アイシェアイア→バンブルデリオン→オパビニア→アノマロカリスという順番で、この進化の流れは節足動物につながっていくと考えられている。

   

この時代三葉虫も生きていたけれども、あれは節足動物とはどういう関係なのだろう。あれも節足動物のように見えるけれども・・。

その時には気付かなかったが、アノマロカリスという生物の化石のほとんどは肢と口しか発見されていない。それはどうしてかというと、体の本体や口以外の頭の部分というのは化石になりにくいほど柔らかい組織であったということだったらしい。
肢は獲物を捕まえるため、口はもちろんそれをかみ砕いて食べるためなのだが、それ以外はふにゃふにゃという生物というのはいったいどんなものであったのだろうかと想像が膨らむ。
著者曰く、ナマコのような体・・。そこに鎌のような肢がついていて円盤のような歯が付いている。一体どんな生き物なのだろう。やっぱり想像ができない。

サイエンスライターが書いたというだけあって、アノマロカリスが日本で一般的に受け入れられるようになった過程についても詳しく書かれている。
カンブリア紀の奇妙な生物が広く一般に知られるようになったのは、先に書いた「ワンダフルライフ」が1989年にアメリカで出版されてからだ。邦訳が出版されたのが1993年。そして、NHKで、1994年「生命40億年史はるかな旅」という番組が放送されたことでアノマロカリスが一気に有名になったという。僕もこのシリーズはしっかり見ていた。もう、26年も前の放送になるというのは月日の経つのはあっという間だと思ってしまう。
「ワンダフルライフ」の表紙は、ハルギニアというかなり小さな生物が描かれていて、そういう意味でもやはりHHKの放送というのはインパクトが大きかったのだと思う。アノマロカリスのロボットを作って泳がせたり、三葉虫の模型にかみつかせたりしていたのを覚えているし、別々の生物の化石と思われていたものが実はひとつの生物のパーツであったというエピソードは本当に驚いた。ちなみに三葉虫をかみ砕くほど強い歯ではなかったのではないかと今のところは考えられているそうだ。
その後は著者もかかわって雑誌「ニュートン」の特集が組まれたり、柔らか系の科学雑誌などにも取り上げられ、フィギュアが発売され、花札がつくられ、オタク漫画にも出てくるようになった。
まあ、著者もこの人気にかなり貢献したといいたいのだろう。

そういう、アノマロカリスの歴史以外のものも一緒に書かれているというのは確かに「解体新書」と言ってもいいのだと思う。
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水軒沖釣行

2020年07月18日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 3:40満潮
釣果:ボウズ

昨日と今日は2連休。小船には長いこと乗っていないので久々に走らせてきた。

双子島~田ノ浦沖~水軒一文字とリレーで流してみたけれども今日もダメだった。

  

まあ、こんなものだろう。

しかし、この鳥みたいな的確な漁獲能力があればとつくづく思うのだ・・。




今朝は風がなく海は穏やかであった。昨夜も雨が降ったらしく空気は飽和水蒸気量に達するほど水分を含んでいたのだろうか、海から見える工場の煙突から出る煙がそのまま雲になってしまっているように見える。煙の粒子が核になって雲ができたのだろう。この雲の下と思われるところを通過したとき、そこだけ雨が降っていた。
もし僕の考えが正しいのなら人が気象を変えることができるという一例となるのだろうか。




あまりにも早く帰港したので「わかやま〇しぇ」を覗いてみた。



土曜日ということもあるのだろが、早朝にもかかわらずけっこうな賑わいだ。まあ、午前7時を過ぎるとほとんどの店舗が閉店してしまうのだから早朝に行くしかないのだけれども・・。



前に訪ねたときよりも少し営業店舗が増えていた。とある店舗で買ったのがごまだれ賞味期限切れ間近1本300円。そして、ご自由にお持ちくださいと書かかれていた謎の焼きダレ。これはいったいどんな味がするのだろうか?
まあ、どちらにしても得をした・・のかな・・?




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加太沖釣行

2020年07月17日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:中潮 10:10干潮
潮流:6:31転流 10:38 下り3.1ノット最強
釣果:ボウズ

いつも釣りに行く日の朝はウ〇コが出ないのが普通なのだが、今朝はその逆だった。今朝というよりも昨夜からだ。月に1回かふた月に1回くらい、突然下痢をもよおす体質で、夕べからその日に当たってしまった。夜中に2回ほど起きてトイレに行き、家を出る寸前も便器に座っていた。

正露丸を飲んでこれで大丈夫かと思ったけれども、船の舫いを解くころにまたもよおしてきた。近くの24時間営業のスーパーのトイレに駆け込むか、このまま出港してしまうか・・。もう、エンジン始動させているし、いきなりバイクで港から脱出したら渡船屋さんの奥さんに変な目で見られそうだし仕方がないのでそのまま出港した。しかし、しかし、赤い橋を通り過ぎたところですでに我慢ができなくなってしまった。湾内では護岸で釣りをしている人もいるし、悪いことに渡船屋の船が2回目のお客さんを乗せて出港してきた。
急いで一文字の切れ目を越えて少し沖に出て急いで艫に座り込んで一息入れることができた。

しかし、ここで今日のウンも放出してしまったようだ。(ベタなシャレだが・・)

朝いちはまだ上りの潮が残っているだろうと四国ポイントから始めて転流時刻に合わせてテッパンポイント、ナカトシタと移動し、下り潮の頃から地の瀬戸、非武装ポイントへ行ったがまったくアタリなしで終わってしまった。

   

まったくアタリがなかったことはなかったようで、ビニールを見てみると、小さな食み跡がついていた。魚がいないということはなかったようだ。



特に下り潮は変な感じだった。非武装ポイントではまったく潮が動かず、仕方がないので再び地の瀬戸に戻ると少しの間はここもなぜだか潮がほとんど動かず、動き始めたら今度は一気に流れ出した。まるで川のように流れている。それも、どうも表面だけで下の方はあまり流れていないような感じだ。



だから仕掛けが流れすぎて底を取れなくなってしまってギブアップということになったということだ。
その流れは田倉崎沖くらいまで流れていて、おそらく紀ノ川からの流れがぶつかっているのだろうか、すごい波が立っている。そこを越えるとこんどは鏡のような水面。

 

今日はどうもおかしな日だった・・。

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「激甚気象はなぜ起こる」読了

2020年07月16日 | 2020読書
坪木和久 「激甚気象はなぜ起こる」読了

今年も熊本県を中心にして大雨の被害が出てしまったが、そんなおり、こんな本をみつけた。
もう、当たり前になってしまった、豪雨や台風の大きな被害はどのように起こるようになったかについて書かれた本だ。約400ページ。はっきりいってほぼ内容はわからなかった。
とりあえず、なんとなくそういうことなんだろうなというところを拾いながらまとめてみた。
“激甚気象”という言葉は、この本の出版社の編集者が作った造語だそうだ。

直近の激甚気象による被害としては、2004年、2018年が相当ひどかったらしい。
2004年の10月から僕はブログを書き始めたのでこの年に和歌山県ではどんなことが起こったかということは記憶にもなくたどることができないのだが、2018年のことは船が大被害を被ったのでよく覚えている。(僕がブログを書き始めたのは2004年10月1日からで、この台風については帰宅に4時間かかったということだけが書かれていた。最初の頃はメモ程度のことしか書かなかったようだ。)
しかし、2018年のほうは、あの台風のほかにも年明けから日本の各地で激甚気象が続いて各地で被害が出ていたそうだ。
2月、北海道、関東で大雪。
6月末、北海道で大雨。そして関東、甲信地方梅雨明け。九州、近畿北陸よりも早かった。
7月、西日本豪雨。200人以上が犠牲に。200人の死者を超えるのは1982年以来。
東日本では猛暑が続いた。7月23日、熊谷で41.1℃を記録。
8月21日、日本に最接近した台風19号は和歌山で大雨をもたらした。
9月4日、台風21号は神戸に上陸、関空が水没し、連絡協に貨物船が衝突。この台風で僕の2隻の船も沈没を免れたものの大きな被害を受けた。
そして台風の数自体も多かった。上陸は5個、接近は16個。うち、10個が主要四島へ接近、そして7個は猛烈な勢いの台風であった。
9月30日に日本に上陸した24号も直撃かと身構えたが、田辺市に上陸して和歌山市は台風の西側にはいっていたので大したことがなくてホッとしたことを覚えている。
その後、気象現象ではないけれども、その後9月6日、北海道胆振大地震が発生した。台風が運んできた雨で地盤がゆるんで起こった地滑りの画像は衝撃的だった。



北海道の大雪は、日本海寒帯気団収束帯というものが原因だそうだ。これは、シベリアからの寒気の流れ込みが北朝鮮の白頭山で分断され、その後再び合体して収束、勢いを増すという現象らしい。白頭山というと、北の将軍様の聖地として有名だが、これのおかげでとんでもないことが日本で起こってしまうというのもなんとも因果だ。
その後の大雪は、梅雨前線が北上しすぎたというのが原因らしい。北海道には梅雨がないと小学生だか中学生だかの頃に習ったが、今ではそうも言えないらしい。これも温暖化のせいだろうか。
西日本の豪雨は、もうその言葉がなじみになってしまった線状降水帯が原因だ。
その後の台風は高温の海水が台風に巨大なエネルギーを与えたという結果らしい。

そして、本題の、低気圧や台風がどうやって人間社会に大きな被害をもたらすほど発達してゆくのかということがかなりのページを割いて書かれている。しかし、ここのところがほとんどわからない。
たとえば、低気圧についてはこう書かれている。
『低気圧の力学的動きは、中心向きの気圧傾度力と外向きのコリオリ力および遠心力のバランスとなる。大きくなると気圧傾度力と遠心力がバランスの主要となり、低気圧はいくらでも大きくなれる。高気圧は中心向きはコリオリ力だけなのであまり強くなることはできない。だから甚大な被害はすべて低気圧が原因で発生する。』
コリオリってなんだ?気圧傾度力って一発で変換できないぞ・・。
天気予報でよく聞く、不安定な大気については、
『大気が不安定とは、下層の湿った空気が強制的に持ち上げられる高度(自由滞留高度)が低くなった状態を言い、この高度が低いほど大気の状態が不安定ということになる。別ないい方をすると、相当温位が高さとともに減少している状態であり、もっと簡単にいうと、相当空気が湿っているということになる。』
温位ってなんだ?もうわからない。相当空気が湿っているというのならだったら最初からそう書いてくれよ・・。と思ったりしてしまう。

天気予報の科学というのは、下駄を放り投げて裏か表かで予報していたころからするとものすごい進歩を遂げているらしい。例えばだが、局地的なゲリラ豪雨などは、分単位でどこで突然降り始めるかということを予測できるほど観測精度は上がっているそうだ。これはXバンドレーダーというやつを使うそうだが、僕もたまにサイトでみるやつだ。そんな精巧なものとは知らなかった。
しかし、それでもすべての気象現象を予測することはできないそうだ。そして多分、予測して避難情報を出したとしてもすべての住民がそれに従うとは思えない。みんな自分だけは大丈夫だと思うのが人情だ。ぼくも非常放送が流れたとしてもゆっくり構えてしまうほうだと思う。前に何かの本で読んだ、「正常性バイアス」という言葉もこの本に出てきていたがその通りだ。
そう思うと高精度の天気予報も宝の持ち腐れであるが、ひとはそれでもそのメカニズムを知りたいと思うのだろう。今では物理学と数学を使って気象現象は語られているそうだ。

そして、肝心な、最近頻発している50年に1度とか100年に1度とかいう激甚気象の元になっている原因については、素人がごく大まかに考えると、地球温暖化が原因だということになるのだろうけれども、それが明確にそうだということは語られていない。
低気圧や台風が大きくなるメカニズムについて、エルニーニョ現象やラニーニャ現象、南太平洋から続く数千万トンもの水分を蓄えた大気の河(そういうものが存在するらしい)がその要因であると書かれているが、それがどうして数十年前よりもエネルギーを持つようになったか、そういうことが実は知りたかったのだが・・。
その理由は、地球温暖化というのは気候の問題で、台風や線状降水帯というのは気象の問題で、一見つながっているように思うが、科学的にはまったく別物だそうだ。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告では、2010年にすでに「気候に明確な人為的影響が見られる。」と書かれているのだが、それは気候変動についてであって、それが気象現象にどんな影響を与えているかということはわからないそうだ。
まあ、「これが悪い!」なんて断定したらいろいろな方面から袋叩きにあったりしてしまうからわかってても言えないんだろうな。
気象観測や科学的分析というのはたかだか70年くらいのデータしかないから、それの原因を地球規模である気候変動に求めるということはまったく無理というのが著者の見解だ。

テレビに出てくる言いたい放題のコメンテーターは、災害危険区域というのはわかっているのだから強制的にでも移住させて被災者を減らせばいいと言っている。しかし、ひとはそんなに簡単にそれまで生きてきた土地を離れることはできない。そんなことができるのはイチかバチかの人生を歩んできたお笑い芸人だけだろう。気象をコントロールする技術も研究されているらしいがそれはきっと神に対する冒涜だ。

結局、数十年先はどうかわからないけれども今のところどんなに高速なスーパーコンピューターを使っても、まったく正確な気象予測はできない。(しかし、今でも相当正確だと思うが・・)ひとも動けないとなると悲しいけれども、毎年毎年梅雨から台風シーズンにかけて今年も災害が発生しましたというニュースを見続けなければならないのかもしれない。
願うならば、こういった研究者の方々が活躍して正確な気象予報と避難情報を組み合わせて被害者が少しでも減るようになってほしいものだ。


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「旅の窓からでっかい空をながめる」読了

2020年07月11日 | 2020読書
椎名誠 「旅の窓からでっかい空をながめる」読了

前回読んだ、「どこまでも・・・」と同じ時期に出版された本だ。この本のほうが先に出版されていたそうだ。同じく、「東スポ」に連載されていたものをまとめたもので、同じように一編が写真を含めて3ページほどにまとめられている。そして同じように世界の辺境を旅した回想録のような形式をとっている。
辺境の人々は文明社会から来た人から見ると、ものすごく貧しいながらも平和に生きているように見える。作家はそんな人々の生き方に対して、『置かれた立場からくる運命の残虐性』を感じると書いているけれども、そんな人たちほど家族の中でなくてはならない仕事をしている。そうでなければ死んでしまう。要は、そこに確たる居場所をもっているということだ。
ひょっとしてそれのほうがモノに恵まれていなくても幸せなのではないかとそう思ってしまうのだ。

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「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」読了

2020年07月09日 | 2020読書
内山節 「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」読了

神去村の余韻がまだ続いている。こういう小説が成立するということはそれが今では特殊な世界になってしまったということを物語っている。じゃあ、そういうことが特殊ではなかったころはいつごろか、そしてそれはどうして特殊な世界になったのかということをこの本は分析している。

そして著者は、その境目を1965年であると決定した。1年の約半分を群馬県の上野村で暮らし、全国を旅する機会の多い哲学者は地元や行く先々で、キツネにつままれたという話を聞くと、ことごとく1965年でそれが途切れているということに気付き、その原因を聞き取りのなかかから以下のようにまとめた。

①高度経済成長期の人間の変化。・・・燃料革命、農村部の人口の流出により、経済を媒介としたコミュニケーションが中心になってしまい、非経済的なものに包まれて生命を維持しているという感覚を失くした。

②科学の時代における人間の変化。・・・敗戦後、科学的に説明できないものはすべて誤りであるという考えが広まった。

③情報、コミュニケーションの変化。・・・電話、テレビの普及し、自然という情報源が必要とされなくなった。

④進学率の高まり。・・・村の教育で重要な役割を果たしたのは「通過儀礼」「年中行事」であった。それが受験能力が優先されるようになった。そして村で生きていくノウハウが教えられなくなった。

⑤死生観の変化。・・・生も死も個人の物になってしまった。かつては個人の生や死は自然やそれと結ばれた神仏の世界、村の共同体が包んでいた。

⑥自然観の変化。・・・人間の中にある内なる自然がなくなった。かつてはジネンと読まれていた自然、それはおのずから出でておのずからの世界に帰る。そういう意味を持っており、それは我を捨てて自然のままに生きるという大乗的な生き方につながったのであるが、そういうものがなくなってしまった。(このへんはかなり哲学的であまりよくわからない。)

これらは、すなわち、人間のキツネに騙される能力が減退したということである。

そして、自然破壊は、人をだます能力のある老齢なキツネが暮らせる環境を奪ってしまった。森は人工林に替わり、多様な自然が失われた。
総合すると、日本の人々が受け継いできた伝統的な精神が衰弱し日本の自然が大きく変わり、自然と人のコミュニケーションが変容したのがオリンピック景気に沸いた高度経済成長末期の1965年であった。ということになる。

そして著者は哲学者として人間の歴史感の面からも分析をおこなっている。
古来から歴史というものは征服者側から書き綴られてきた。そしてその歴史は常に過去から未来へ進歩してきた歴史として綴られる。それがそのまま征服者の有能性と正当性を保証させるものであった。それは物質的、科学的に目に見える、証明できるもののみが残されてきた。これを知性で書かれた歴史と呼ぶ。しかし、その周りには広大な見えない歴史があったはずだという。それは身体や生命の記憶として形成されてきた歴史である。
知性によって書かれた歴史は未来に向かって一方通行の歴史であるのに対して身体や生命の記憶として形成されてきた歴史は循環の歴史である。それは人と共に生まれて人と共に死んでゆくが次の世代に必ず受け継がれてゆく。村の社会ではその循環の歴史が必要であった。そして、現代社会はその、身体や生命の記憶が置き去りにされた社会であるという。体だけがあり、その中の心がどこかに行ってしまった。そのこころにこそキツネにだまされるという現象がはいりこむ余地があったというのである。
著者はきっと、一方通行の世界はいつかはきっと行き止まりを迎えるときがくる。だから循環の歴史の世界を取り戻さなければならないとそう考えているのではないだろうか。

しかし、オリンピックの次は万博。この国の正史を作っている人たちはまだまだ一方通行の歴史作りに邁進しているようだ。まだまだキツネは戻ってくることはできないのだろう。
じゃあ、コロナウイルスは神様が放ったそれに対する警鐘ではないのかとも思えてくる。
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