イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

高野山

2011年08月29日 | Weblog
今日は台風12号の影響でうねりがあるようなので釣りはあきらめ高野山へ行ってきた。

7月の終わりごろ、NHKのBSで空海の特集をしていた。空海が残した仏像や書画とその人生を3回に分けて放送していたのだが、そこに紹介されたものが収蔵されている霊宝館を訪ねるのが今日の目的だ。こういっては失礼だが、ここは観光地によくある「秘宝館」っぽいところか(そんなはずはないのだが・・・)と思っていたものでこれまで一度も入ったことがなかった。
ここは大正10年に高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として建設されたそうだ。中はこれはこれで文化財級の建物のような感じがした。

密教が伝えた仏像で一番特徴的なのが怒りの表情を浮かべたものだそうだ。空海が密教を日本に伝えるまでは仏像というと穏やかな顔しかしていなかったらしい。
そのせいか、霊宝館にもOO天やOO明王といった怒りの表情の仏像がたくさん展示されていた。
まあ、今の時代、仏様でなくても怒りがこみ上げてくるが・・・。新しい首相には野田と言う人が選ばれる運びになるのだそうだが、国民を怒らせないようにしてほしいものだ。

鎧をまとった仏像を見ていると、機動戦士ガンダムのルーツはここにあるのではないかと考えてしまった。まことに下品な見解だが・・・。
日本にはこんな文化が受け継がれていたからガンダムが生まれたのだろう。ポーズのとり方、鎧のデザイン。武器などなど。
十字架の前でうなだれている像を崇める宗教の国ではあのデザインは生まれなかっただろう。
ということは、ガンダムの生みの親は空海ということか・・・。なんともすごい人だ。

霊宝館に収蔵されている四天王像はそのまんまガンダムに出てくるモビルスーツだ。


思い立って世界遺産にすぐに訪ねることができる距離に住んでいるというのはなんと幸せなことか。
この猛暑の中、高野山は快適な気温だ。ふもとに戻ってあまりの暑さにおののいてしまった。
夏は涼しく、冬は下界では見ることのできない雪景色が展開する。
何度訪れても飽きることがない。
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紀ノ川釣行

2011年08月22日 | Weblog
場所:紀ノ川 河口
条件:小潮 5:34干潮
釣果:ボウズ

今日は2匹目のドジョウならぬスズキを狙って紀ノ川へ。
夕べはかなり雨が降っていたようなので前回の場所から気休め分下流でスタート。
魚はたくさん跳ねているがボラばかりのようだ。
全然アタリがなくおまけに歴戦の勇者であるトップウオータープラグをロストしてしまった。
もう、これで戦意消失意気消沈。朝食代わりの中華惣菜詰め合わせ半額149円をむなしくパクついて終了した。

ロストの原因はPEラインとショックリーダーの結び目のすっぽ抜けだ。ちょっと注意していれば回避できたものを・・・。
う~ん、これは痛い。同じものを買おうにも、このルアーは紀ノ川でバス釣りをしていた頃に藪の中で拾ったもので、おまけに10年以上前の話だ。ブランド名も何もわからない。
ルアー釣りなんていうものはイワシの頭の信心と一緒で、これは釣れる!!と思うルアーでないと全然釣れる気がしないのだ。
また新しいイワシの頭になるべき逸品をを探さなければならない。

しかしこの辺りはゴミがひどい。ペットボトルや何かの容器、釣具のパッケージもいっぱいあるし花火のカスがまたすごい。
モラルもクソもあったものではない。僕も環境に配慮した釣りをしているかと問われると胸を張って答えられるほどのものではないが、これはあんまりだと考えてしまった。
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体の点検

2011年08月19日 | Weblog
今日もがんばって陸上からの白兵戦を試みようと早起きしたら雨が降っていた。

仕方がないので再度布団へ逆戻り。
ここ1ヶ月ほど腰の左辺りが痛いので近くの内科へ体の点検に行ってきた。
肝臓は体の右辺り、すい臓や腎臓は左辺りが痛くなるらしい。

僕が入社した頃から一緒に魚釣りによく行っていた上司は50歳を手前にして他界した。もう13,4年も前のことだ。公私共にいろいろ教えてもらってお世話になった。仕事の仕方も基本のことはすべてこの人から教わった。
棚卸の数値の一覧表や毎月月末に出す利益予想の計算シートはこの人から教えてもっらたやりかたを引き継いで仕事を続けていたが、久々に現場に戻ってみるとその書式はそのまま使われていた。こいつらは全然進歩がないなとあきれるとともに、あの人の残したものがそのまま息づいていると思うと少しうれしくなった。そんなことを知っているのは僕だけなのが悔しいが・・・。

磯のフカセ釣りの師匠も50歳を待たずに他界した。10年近く前のことだ。
近しい人、それも趣味を同じくする人が50歳までに二人も逝ってしまったものだから漠然と人生の境目は50歳くらいにあるのではないかと考えるようになった。ここを乗り切れたらあとは父親が他界した70歳まではなんとか生きられると勝手に解釈している。
この二人とも最後の釣行に同行していたというのも不思議な縁であると思う。

僕もすでにその境目に足を踏み入れてしまった。最近は少し体が痛いとこれはまずいのではないかと思うようになった。
特に背中が痛いとひどく心配してしまう。父親も元上司もすい臓を悪くして逝ってしまったが二人とも「腰が痛い」というのが発端であった。
かといって病院に行くわけでもなく放りっぱなしだったが気休めでも診てもらっておこうと、やっとその気になった。

血液検査と、エコーの検査。
エコーといえばこれはまったくそのまま魚群探知機ではないか!!。先生はよくしゃべる人で実況中継をしながら診察を続けてくれる。僕には体のどこの部分の映像かなどというのはまったく解らないがなかなか詳しく話をしてくれる。僕も魚探を見ながらこれほど詳しく海底の様子を解説できたらもっと魚が釣れるのに、と自分の体のことはどうでもよくそんなことばかりを考えていた。

今日の雨は秋雨前線がもたらしたものらしい。短パンで原チャリを転がしていると肌寒さを感じるほどだ。今年は思いのほか秋の訪れは早いのかもしれない。
僕も早く秋の釣りの支度をしなければならない。
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「化石は愉しい!」読了

2011年08月17日 | Weblog
冨田 幸光 (監修), ニコラス ウェイド (編集) 「化石は愉しい!」読了
タイトルは愉しいだが、あんまり愉しくはなかった。

人類がサルから枝分かれしたのはいろいろな研究から約380万年ほど前らしい。
種としての人類はいったいいつまで繁栄し続けるのだろう。平家物語ではないが、栄枯盛衰、何者も必ず滅んでいくものだ。
しかし、人類は並々ならない英知でここまで繁栄した。ちょっとやそっとでは滅ぶことはないのであろう。
しかし、太陽にも寿命がある。あと30億年もするとどんどん膨張して赤色巨星になってしまう。大きさは火星の軌道を越えてしまうということなのでもちろん地球を飲み込んでしまう。
もし、人類がそれでも繁栄を続けようとなると、地球を捨てなければならない。相対性理論が宇宙戦艦ヤマトや銀河帝国軍総旗艦ブリュンヒルトのようにワープ航法はこの次元の宇宙空間はできないことを証明してしまっている以上、巨大な宇宙船を建造して新たな新天地を求めるために宇宙を彷徨うしかない。ノアの箱舟だ。

人間は太陽なしには生きてゆけないから人工太陽を中心にして船団を組んで航行するのだと思う。そのエネルギー源はやっぱり核融合エネルギーしかないだろう。
と、いうことはもし、人間が未来永劫、宇宙の寿命が尽きるまで存続しようと思えばやっぱり核エネルギーというものは不可欠なものになってしまうのだろうか。僕は原子力発電の推進派でも脱原発派でもどちらでもないが、人類は自分たちの未来をかけて自分たちの英知を信じて核エネルギーの研究と開発は続けなければならないのではないだろうか。
その前にイデオロギーの壁と経済問題を解決することが先決だが・・・。

まあ、何十億年も人間の歴史が続けば、受験生が大変だ。ぼくはたかだか3000年ほどの期間の歴史を覚えることができなくて高校3年の1学期に赤点をとってしまい受験で忙しい夏休みに補習授業をさせられた覚えがある。とてもじゃないがぼくには無理だ。
やっぱり受験生のためにも適当なころに人類は滅んだほうがいいのだろうなぁ。そうすれば核の脅威におびえる必要もなくなるのだしなぁ。
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水軒沖釣行

2011年08月16日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:大潮 7:18満潮
釣果:スズキ 76センチ 1匹

前回は陸戦での白兵戦だったので今日は船に乗って艦隊戦で挑んでみた。(当然船は1艘しかないので艦隊戦とは呼べないが。)
タコを狙いながらナブラが出てきたらルアーをキャストしようという作戦だ。
なんともおかしなタクティクスだが、そこはマイボート、自分勝手にやっちゃうのだ。

まずは水軒一文字の沖でルアーをキャスト。これは不発だ。
すぐに本命の双子島の沖へ移動。リップレスミノーやバイブレーションをキャストしてみるがアタリはない。
今日もダメかもしれないなと思い、ブログ用の風景写真を撮りタコ釣りを始めた。しかし、タコはどこにいるのか?、全然アタリがない。
しばらくすると船の周りにナブラが湧きはじめた。ルアーをバイブレーションからリップレスミノーに付け替えて2投目。アタリがあった。ばっちりフッキングした。引きは大したことがないのでゆっくり巻き上げ。船の後ろにもっていっていたタモを取りに移動する余裕もあったが、引きがどんどん強くなる。魚の姿を見たら相当な大きさだ。手持ちのタモでは掬い上げるのが大変だ。3回目にやっとタモに入ってくれた。
かなり大きいぞ。計ってみると76センチ。今日の釣果は“スズキ”と書けそうだ。
その後、島の周りをナブラを求めてさまよいながらキャストを繰り返すが、チェイスやアタリはあるがフッキングはなく午前7時半ごろに終了。

8月中はこのパターンが面白そうだ。

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紀ノ川釣行

2011年08月12日 | Weblog
場所:紀ノ川河口周辺
条件:中潮4:42満潮
釣果:セイゴ51センチ 1匹

魚は釣れないがやはり海に行かねば・・・。釣り師たるもの、負けると分かっていても行かねばならないときがあるのだ。とわけのわからないことを思いながら午前3時に起床。
新聞を読みながらテレビを見ていると午前3時22分に福島で震度5弱の地震発生という速報が出た。う~ん、一昨日は和歌山でも震度4の地震があったし、ちょっと船を出すのを躊躇してしまった。お盆だし海の底からおいで、おいでをされても困るのだ。
急遽、陸からの白兵戦に変更。去年はカマス釣りをしていたがどうも引きが大したことがないので、紀ノ川へスズキを狙いに行ってみた。

まずは左岸、北島橋の橋脚下でスタート。
真っ暗ななかで時々ボイルがある。ひょっとして釣れちゃうのかななどと期待を込めつつトップウオータープラグをキャストし続けるがやはり素人のテクニックでは釣れるはずもなく夜明けを迎えてしまった。かなり浅いところだったのでもう少し深いところを探そうと下流へ移動した。
土入川の向かいの水門あたりでかなりのイワシが湧いている。これはひょっとして釣れるのかと思い再びトップウオータープラグを投げ続けた。あまり慣れていないのでPEラインを縺らせながらキャストを繰り返しているとなんとヒットしてしまった。

1匹釣れちゃった。

その後はイワシのボイルがどんどん沖へ行ってしまい午前6時半に終了。

「釣れちゃった。」というとおり、僕は陸戦でスズキを釣ったのははじめての体験だ。今日使ったタックルを購入したのが結婚する前、多分17,8年前のころだと思う。なんと長い道のりであったことか・・・。
朝からちょっとうれしい出来事であった。

紀ノ川で釣った魚は臭いがするとかおっしゃる方がいるが、僕はcatch&stomach派の人間なので、水質がどうであろうとありがたく持って帰らせていただく。
今日のお昼は久々のフィレオフィッシュなのだ。
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紀ノ川沖釣行

2011年08月07日 | Weblog
場所:紀ノ川沖
条件:小潮 6:10干潮
釣果:ボウズ

キスもダメ、チョクリもダメ。いったい何を釣りに行けばいいのか?
10日間あまり乗っていないのでちょっとは動かさないとフジツボの餌食になってしまう。
とりあえずルアーロッドとタコ釣りの道具を携えて沖へ出てみた。
しかし、台風の余波はまだ残っており、一文字の沖へ出たとたんに湾内へ退散した。今日は日曜日なので続々船が沖へ出て行くが、あの人たちには恐怖心はないのだろうか。予報ではだんだんうねりは治まるようになっていたが、僕はダメだ。

仕方がないので紀ノ川の河口へ行ってみた。
こっちも先週の上流の大雨の影響か濁りが残っていた。
ルアーを投げてもテンヤを落としても生命反応はナシ。
そういえば、今日は僕の父親の命日だ。こんな日は殺生をしてはいけない。
ということで早々に退散した。

一度家に帰って、燃料補給とスカッパーの中の土用干しを片付けるために港へ逆戻り。墓参りをしたあと、去年に続いて紀州よさこい踊りを観覧した。
今年で8回目だそうだ。
この人たちの踊りにかける情熱が孤独癖の僕にはわからないが、なかなかの迫力だ。
衣装をこしらえ、曲を作り、振り付けを考え、練習して形作ってゆくというのはものすごい努力と情熱が必要なことだろう。
人口がどんどん減って、寂れてゆく一方だと思われた和歌山県にもこんな人たちがいるのだ。

踊りに参加しているひとにインタビューをしてみると、企業単位とか、学校単位とかいう連はほとんどないそうだ。自然発生的かどうかはわからないが、やりたいと思う人がどんどん集まってきて団体が大きくなってきているそうだ。

NPOが運営しているそうだが、これだけのイベントを成し遂げるという情熱とパワーに敬服してしまった。

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「海釣りの社会経済学」読了

2011年08月01日 | Weblog
本間義人 「海釣りの社会経済学」読了

“社会経済学”というとおり、中身は釣りエサの流通の話や釣具の売上高の話、釣り人が魚を釣る権利はどこまで守られるのかなど釣りと人間社会のかかわりについて書かれている。かなり変わった視点の本だ。大半は環境汚染の問題に費やされているがこれはこれで面白い。

本が書かれた年は昭和56年。高度経済成長が終わり、公害問題も一段落、オイルショックの大不況から復活し、これからまさにバブル経済の時代に突入しようかという時代だ。

釣りを取り巻く事情も大きく変わった時代だったようだ。
僕の当時の年齢は18歳、暗黒の受験生時代が終わるまであと1年というところだ。この本にも書いてあるが、オキアミが出現してほぼ一般的になった時代であった。僕の紀州釣りのキャリアも湖産海老ではなくてオキアミのエサからスタートしたのもうなずける。
父親からも、「これはオキアミというのだ、使いやすいぞ。」などと教えてもらったような記憶がある。ちなみのそれまでも湖産海老は、一番上に氷の固まりを入れた木製の三段式の箱の中に入れてしずくで生かしながら釣っていた。釣った魚はその氷の入ったところに入れることができて、イスにもなっている。そこに腰掛けてヌカ団子を投げるというスタイルが一般的だったのだ。多分このブログを読んでくれている方々は誰も見たことがないだろう。今の水箱ともかなり違うものだ。
生きたまま湖産海老を海底まで届けるため、砂は使わずに“石粉”を使ってかなりやわらかく仕上げていた。
フカセ釣りもクズの湖産海老を水に溶かして撒きエサにしていたそうだ。(いまのボイルのオキアミのような使い方なのだろうか?)
そういう意味では紀州釣りを含めて大きな転換期だったのかもしれない。

釣具屋さんも大きな転換期のころで、和歌山市にも初の大型釣具店「オーシャン」が矢の宮神社のそばにオープンしたのはこの年の4,5年前だったと思う。開高健の「オーパ!」が引き金になって日本での何回目かのルアーフィッシングブームがピークを迎えたのもこの頃だ。日本製のルアーなんて皆無で、ヘドンやラパラ、う~ん、あとは名前を忘れたがアメリカ製やヨーロッパ製のルアーやロッドにあこがれていたものだ。店舗が大きくなり、ダイエーなんかも釣具を扱うものだから商品の値崩れも激しく、釣具というのは3割引は当たり前という時代に突入したのもこの頃だったらしい。ちなみに上州屋は創業昭和38年で、業績を一気に伸ばしたのもこの頃だったらしい。釣具メーカーの昭和55年の売上第2位はオリムピックだ、隔世の感がある。

かなり古い本だったので、はたして読んで面白いのかと思ったが、なかなか、時代はつながっているのだ。けっこう面白い内容だった。


現在、日本国中どこを見ても水質はこの時代からあまり変化はないようだが、釣りエサはほとんどが海外から調達されるようになってしまい、麦の価格は国際相場に左右される。地震が起こるとアミエビとオキアミは高騰し、購入制限まで出てくる。PEラインも大きな革命のひとつだろう。僕みたいなヘッポコ釣り師が真鯛を釣るというのはこのラインなくしてはありえないのだ。
釣具メーカーもトップ3より下位のOEMメーカーのほうが勢いがいいみたいだし、小売店も中古釣具屋さんが上場してしまう。
釣り人自身の価値観も大きく変わっているのようで、魚を多く釣ることだけが喜びではないようだ。しかし、釣りガールは早くどこかへ消えてくれ。海は男の世界なのだ。(多分、今年の冬を越すことはできないはずだからあまり心配してはいないが・・・)
そういう意味では大きな変革の時代に入ってきたのかもしれない。

まあ、どんなに時代が変わっても、どこかで釣り糸をたらすことができれば僕は満足だ。





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