イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人―知られざる日本軍捕虜収容所の真実」読了

2021年12月28日 | 2021読書
デリク・クラーク/著 和中 光次 「英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人―知られざる日本軍捕虜収容所の真実」読了

今年は日米開戦から80年になるそうだ。”そうだ”というあいまいな表現にせざるを得ないは当然で、太平洋戦争というのは見聞の世界でしかなく、両親もそんなに戦争時代のことについて語ることはなかった。
毎年、8月25日になるとテレビでは戦争に関するドキュメンタリーなどが放送されるのであんなことがあった、こんなことがあったというのはその時だけの記憶として消えてゆくのだが、今年のNHKの12月8日に合わせたドキュメンタリーは市井の人々が戦争に対してどんな考え方をしていたかということを残された日記などの手記に残された単語の数量から読み解こうとするものであった。
戦争はお互いに正義と正義のぶつかり合いという部分があるのだろうが、それは戦争をやると決めた人たちの正義であり、それに従う人たちは戦況の変化に応じてそれぞれの時にそれぞれの思いをもつ。
もっと知りたいと思い、それらしいタイトルの本を探していたときこの本を見つけた。
知りたい内容とは違うものであったが、これはこれで戦うことではない部分の戦争というものを垣間見ることができるものであった。

著者はイギリス人で、招集されて軍人になった人だ。1942年にシンガポールで日本軍の捕虜となり終戦を迎えた。2月のことだったというので太平洋戦争の間のほぼすべての期間を捕虜として過ごしたことになる。
軍隊に入れば世界一周ができると思ったが、日本からは太平洋を渡ってアメリカ経由で母国に帰ることになったので本当に世界一周をしたことになった。それにちなんで、原題は、『No Cook‘s Tour』という。 “Cook”というのは、イギリスにある世界最初の旅行代理店のことで、Cookを使わないで世界一周をしたという意味だ。

3年半もの間、無事に生き延びることができたのは数々の幸運が重なったものであると著者は書いている。絵を描くのが得意だった著者は、軍人になる前の職業を画家と偽ったことからプロパガンダ要員として日本に送られる。
東南アジアの捕虜収容所の生活というのは相当過酷であったそうだが、日本での捕虜生活は、過酷は過酷であったものの、命に関わるほどでもなかったようだ。
捕虜収容所の生活というのは奴隷の生活のように強制労働と死なない程度に食事が与えられるのみの世界と思っていたけれども、意外と自由な部分があり、少ないながらも給与も支払われていたという。当然、それを使用する売店もあった。いくらかの生活の自由もあったということだ。
そして、配給だけでは十分な栄養が得られず、捕虜として自由が制限されるなかでは当然ながら著者のほとんどの関心は食べることになるのだが、少ない食料をなんとかしようと、貨車の荷下ろしの際に積み荷となっている米や缶詰を盗み出そうとする。それは看守の軍人とのばかし合いと言えるようなものだが、それをイギリス人らしいユーモアで書き綴っている。
そしてそれを看守たちの目を盗んで調理するのだ。見つかれば虐待が待っているとはいえ、一種のゲームと化しているような感がある。戦争末期には日本人の食事事情もひっ迫し、見逃す代わりに一緒に盗んだ食材を食べているというシーンもあった。
1944年のクリスマスには演劇もおこなわれた。衣装は看守たちが映画会社に交渉して調達してくれたという。そしてその演劇は日本軍の軍人も一緒になって観覧した。敵同士であり虐待もしながら心の交流もあった。
そんなことが書かれていた。

こんな話を読んでいると、いったい戦争というのは何なのだろうかと思えてくる。領土の奪い合い、宗教上の対立、その他の目的を完全に成し遂げようとすれば相手をすべて消し去るのが筋だと思うが、捕虜として敵を捕まえ、労働力として利用するという側面はあるもののある一定の寛容を敵に見せているのである。個人としては目の前の相手には何の恨みはないとはいえ、矛盾している。形而上は相手を消滅させたいと思いながら形而下では寛容な態度を見せる。これでは首尾一貫していないような気がする。捕虜の扱いについてはジュネーブ条約というものがあって、それは国際条約だからということでどこの国も守らなければならないらしいがそもそもケンカをするのにルールがあるのだというところが矛盾していると思うのだ。国際赤十字は敵対している国々に慰問箱というものを贈るらしいが、これとて、英米が詰めたものを日本も受け取っている。まこと憎いのであれば間違いなく拒絶するであろう。ルールの中で命を懸けるというのはどうもばかげているし、それで命を落とす人はあまりにも哀れだ。そもそもルールというのはどんなルールでも危険を回避するためにあるのではなかったのか。
まったくもって、統治者たちが様々な交渉をするためのお膳立て、もしくは生贄として血を流すようなものだ。そんなことをしなくてもそれなら最初から話し合いで決着をつければ誰も死なずに済むではないかと思うと虚しくなってしまう。

それでもまずは戦争をしなければなにも始まらないとすれば人間とはあまりにも度し難い存在だとつくづく思ったのだった。
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