太田雅士 「地魚の文化誌: 魚食をめぐる人の営み」読了
著者は大阪市内の卸売市場で水産物の仕入れなどを40年ほどやっていた人だそうだ。魚の目利きのプロといったところだろうか。その人が備讃瀬戸~播磨灘~大阪湾~紀伊水道という、関西の海域で獲れる魚介類の様々なことについて書いている。僕にとっても身近な海で獲れる海産物について書かれているということがうれしい。そして、その情報量が凄い。本文は193ページで2段組み、無駄な文章はまったく入っておらず、そこで獲れる地魚についての蘊蓄をこれでもかというほど掲載している。その内容は、調理法、文化と風習、変容する環境、漁法、流通など、その範囲は広範囲に及ぶ。いくらかは知っている情報もあったが、改めて読んでみると、この海域の豊かさというものを改めて認識させられる。
あまりにも情報量が多いので、今回は、これは話のネタになりそうだと思ったことを箇条書きにしてまとめてみようと思う。
・大阪湾で水揚げされる魚介類は約225種類。魚種149種類、エビ・カニ類22種、イカ・タコ類12種、貝類26種、ウニ・ナマコなどが8種、海藻類も8種。そのうち、漁業の対象になっているものは160種ある。少し疑問だが、残りの65種類って何なのだろう?たまたま網に入ってきただけだけれども、食べられるから出荷しているという類のものなのだろうか?
・紀伊水道では、有用魚介類として約170種類が棲息している。
僕が釣ったり獲ったりしてくるのはこれの数十分の一ということだな・・。やっぱり海は広い。
・カマスゴはカマスの子供ではなく、イカナゴの親魚である。
・イカナゴのくぎ煮を自宅で炊いて親戚に配るという習慣は、30年ほど前からと歴史は浅いそうだ。これは阪神淡路大震災がきっかけで、震災から立ち直って元気にしているということを知らせるあいさつ代わりとして広まったらしい。
いとこの奥さんが神戸の出身で、やはりそういう習慣があったらしいが、いとこの実家では食べないというので我が家にそのまま回ってきていた。しかし、姑の家では全然食べないということがばれたのか、2年ほどでぷっつりと途絶えてしまった。けっこういける味だったので残念だった・・。まあ、不漁が続いていてくぎ煮を作ろうにも材料がないということもあったのだろうが・・。
・エソの皮を割りばしに巻いて塩焼きにすると美味しいらしい。ハンペンを作るときには捨ててしまう部分なので次回は絶対に作ってみようと思う。
・バッテラというのは、元々コノシロの幼魚(ツナシというらしい)を使った姿ずしで、尾がピンと張った姿がボートに似ているのでポルトガル語で小船という「バテイラ」という言葉がなまってバッテラになったという説がある。雀ずしも、元はイナを使って作られた姿ずしだったらしい。ヒレを張った姿が雀の飛ぶ姿に似ているので雀ずしという名前になったらしい。コノシロは漁獲が少なり、イナは泥臭いというのでサバと小鯛が使われるようになったそうだ。すし万というとちょっと有名なすし店だが、ここが小鯛を押しずしにした形を広めたらしい。
・縄文時代中期には釣り鉤以外にも網で魚を獲るという方法も生まれていた。ヤスで突く漁もあったし、弥生時代にはモンドリやイイダコ用の蛸壺などもあったらしい。この時点ですでに僕の漁獲法を超えてしまっている。
・住吉大社の夏祭りというのは、夏越祓神事(なつごしのはらいしんじ)という名前だそうだ。これがおこなわれる日というのが7月31日の夜半から8月1日にかけてだそうだ。僕の船を係留している地域の氏神様も住吉神なのだが、確かに祭りというとこの日だった。子供のころの僕にとっては神事などは関係なく、この日には夜店が出るのでそれだけが楽しみだったのだが、毎年7月31日に夜店が出るというのにはこういう意味があったのだということをこんな歳になって初めて知ったのである・・。
しかし、ここも少子化で的屋も来てくれなくなり、それでは淋しいと自治会の人たちがいろいろな催しをしていたらしいのだが、それもコロナ禍をきっかけに無くなってしまったらしい。これも時代なんだろうな・・。
本拠地である住吉大社では毎年同じ日に堺大魚夜市というものが開催されていたらしい元はこの時期によく取れるタコを売る市だったらしいが、祭礼の日は朝市だけでは間に合わないほど取り扱い量が増えるので夜の市が立ったということだ。
・船の生け簀のことを昔の人は「生け間」と言ったが、これは釣りをしている間だけ魚を生かしておくためのものではなく、消費地まで魚を生かしたまま運ぶ手段として生まれたものだそうだ。今でも加太の船などは生け簀に水が入ったまま港まで戻るそうだが、そんなにきれいな海水がある港がうらやましい。僕の船が係留されている港でそれをやってしまったらその魚を食べることができなくなるほど汚い水質だ。少しはきれいになったとはいえ、そこで魚を生かしておくということはできない・・。
・落語家に「桂ざこば」という人がいるが、「ざこば」というのは魚市場のことであるというのは知っていたけれども、もうひとり、「桂塩鯛」というひとがいて、これは変わった名前だと思っていたが、その語源と言えるものもこの本に載っていた。
それは正月のにらみ鯛からだそうだ。今では焼いた鯛を準備するが、最初は塩をした生の鯛がお膳に出されていたそうだ。だから、「塩鯛」というのは縁起のいい言葉だったのである。
ちなみに「ざこば」という字は「雑喉場」と書く。これは古代から魚は鰓に藁の紐を通し、一喉(こん)、二喉と数えたとされ、多様な魚、雑喉が集まる場所ということで「ざこば」という言葉ができたという。これも、人が集まってにぎやかな場所であるとか、食べるものに困らないとかいう、縁起を担ぐ名前だったかもしれない。
・節分というとヒイラギの枝にイワシの頭を指して門口に飾るものだが、昔はボラの幼魚(ナヨシ=イナ)を使っていたそうだ。ボラは出世魚なので縁起が良いとされていたらしく、ナヨシも「名吉」というのが語源だそうだ。これ以外にいろいろな縁起物に使われてきたというのは、ボラ釣りが釣りのルーツのひとつである僕にとってはうれしい限りだ。バッテラの元祖もボラだし。
・節分に食べる恵方巻だが、これが本格的に始まったのは昭和40年代とかなり新しい。大阪海苔問屋協同組合と大阪鮓商組合が連携してキャンペーンをし始めたことが発端だそうだ。バレンタインデーにチョコを贈る習慣が広がったのが昭和30年代の後半らしいので、それよりも新しい。だから、別にこの日に巻きずしを食べなくても全然問題はないのである。
・瀬戸内海の海水の9割が入れ替わるためには約1.4年かかるそうだ。海水の平均滞留期間は6か月とかなり長い間漂い続けている。
・瀬戸内海の海水温についてだが、1994年頃から上昇に転じ、50年前に比べて1~1.5度上昇しているそうだ。特に秋から冬にかけての水温上昇が著しい。春から秋に産卵する魚は暖海性の魚(真鯛、クロダイ、ヒラメ、タチウオ、キス)だが、こういった魚は特に影響を受けないが、冬に産卵する冷海性の魚(ボラ、キビレ、スズキ、カレイ、メバル、イカナゴ)などは大きな影響を受ける。
アイナメはほとんど姿を消し、紀伊水道のアワビ、サザエ、テングサも極端に減少しているそうだ。個人的には水温が下がらないと生育が悪いというワカメが採れない年があるのでこれは確かなことなのかもしれない。
・海底に溜まった生物の排泄物を「デトリタス」と呼び、そこに生活する底生生物をベントスと呼ぶ。どちらも食物連鎖の最下層にいる生物の重要な食料となる。デトリタスが堆積する要因は海洋生物の排泄物だけではなく、河川を通して流れてくる生活排水や、昔でいえばし尿などがその源になったのだが、1990年代からの栄養塩流入の規制がかえって貧栄養化の問題が起きている。イカナゴの不漁や海苔の黄変などはこういったことが原因だと考えられている。
もうひとつ、海洋汚染についてだが、僕は紀ノ川河口を通るたびにここは汚いと思っていたのだが、あの褐色の水というのは、たっぷりと栄養を含んだ水らしい。その栄養が植物プランクトンを養い、あの海域の食物連鎖を支えている。そういえば、新々波止の南ではタチウオはほとんど釣れないが、北側ではたくさん釣れる。少しの場所の違いだが海水が栄養を含んでいるかいないかであれほどの差が出るのだ。紀ノ川が汚いと思っていたことに対しては紀ノ川の神様に詫びなければならないと思ったのである・・。
しかし、地魚を囲む環境は相当厳しいらしい。海洋プラスチック、環境ホルモンなどの海洋汚染物質はもとより、水温の上昇により、卵を産めない魚も出てきている。先に揚げたように、冷海性の魚たちがその被害を被っている。また流通や外食の世界でも規格品を安定的に供給されなければならないという原則が水揚げが不安定な地魚の流通を阻むし、セルフ方式のスーパーマーケットでは調理法を教えてもらえる機会もなく店頭に置いても売れることはない。僕が行くスーパーマーケットはディスカウントスーパーばかりなのでよけいにそうかもしれないが、鮮魚コーナーといっても並んでいるのはアジ、サバ、イワシ、サケくらいで、今が時期なのか、それにウボゼが加わっているくらいだ。あとは種類が分からないイカとゆでだことバナメイエビくらいだ。それ以外の魚はたまたま店頭にあったとしてもけっこう値段が高い。魚の可食部というのは全体の4割くらいと言われているらしいから切り身になっている以外だと割高になるし、切り身になっていてもタチウオなんかもかなりの値段がする。だからタチウオはたくさん釣ってきてもいくらでも貰い手があるのだ。
地魚というと思い出すのは子供の頃、リヤカーにトロ箱を積んで魚を売りに来るおじさんだ。「トウロウさん」、「アンニャン」というふたりのひとが何日かに1回、近所の家の軒先にトロ箱を並べて売っていた。今思うと、確かにいろんな種類の魚が売られていた。僕の母親も、それが好物だったのか、単に安かっただけだったのか、トラギスやゴンズイを買っては煮て食べていた。今ではまず買うことのできない魚だろう。
漁獲が少なく、種類の多い地魚はこういった個人が少量ずつを商いすることで流通が成り立っていた。カンカン部隊などと言われていたそうだが、漁師の家族が電車や船を乗り継いで大都市圏の消費者や飲食店まで届けていたという。僕も以前に鶴橋の駅で目撃したことがあったが、こういった人々を運ぶ専用の列車も各地にあったそうだ。
携わっていた人たちの高齢化や保存技術の発達から今ではほとんど廃れてしまっているようだが、今ではそれに代わって、ちょっと目的は違うのかもしれないが、各地で地魚を扱うマーケットができている。「浜のうたせ」や古くは「とれとれ市場」などもそうなのだと思うが、和歌山県だけでなく、大阪府はもとより兵庫、岡山、香川、徳島と、この本が取り上げている地域でもたくさんの施設があるそうだ。なんだかちょっと夢がある話だなと思ったりもする。
肉というと、ジビエは別にすると、牛と鶏と豚しかない。それに比べると魚介類というのははるかにたくさんの種類がある。それぞれの素材に合わせた調理法を考えると肉に比べるとはるかに多くの食べ方があるのだから、新しい流通法を考えて再び地魚の時代が戻ってくればいいのだがと思うのである。
そうは言っても、僕は自分で釣ってくる魚以外はほぼ食べないというのは変わりないであろうが・・。その理由は、半分偏見が入っているのかもしれないが、魚についてはどんな場所でも、店頭に並んだ時点ですでに鮮度が落ちていると思い込んでいるからなのである・・。
著者は大阪市内の卸売市場で水産物の仕入れなどを40年ほどやっていた人だそうだ。魚の目利きのプロといったところだろうか。その人が備讃瀬戸~播磨灘~大阪湾~紀伊水道という、関西の海域で獲れる魚介類の様々なことについて書いている。僕にとっても身近な海で獲れる海産物について書かれているということがうれしい。そして、その情報量が凄い。本文は193ページで2段組み、無駄な文章はまったく入っておらず、そこで獲れる地魚についての蘊蓄をこれでもかというほど掲載している。その内容は、調理法、文化と風習、変容する環境、漁法、流通など、その範囲は広範囲に及ぶ。いくらかは知っている情報もあったが、改めて読んでみると、この海域の豊かさというものを改めて認識させられる。
あまりにも情報量が多いので、今回は、これは話のネタになりそうだと思ったことを箇条書きにしてまとめてみようと思う。
・大阪湾で水揚げされる魚介類は約225種類。魚種149種類、エビ・カニ類22種、イカ・タコ類12種、貝類26種、ウニ・ナマコなどが8種、海藻類も8種。そのうち、漁業の対象になっているものは160種ある。少し疑問だが、残りの65種類って何なのだろう?たまたま網に入ってきただけだけれども、食べられるから出荷しているという類のものなのだろうか?
・紀伊水道では、有用魚介類として約170種類が棲息している。
僕が釣ったり獲ったりしてくるのはこれの数十分の一ということだな・・。やっぱり海は広い。
・カマスゴはカマスの子供ではなく、イカナゴの親魚である。
・イカナゴのくぎ煮を自宅で炊いて親戚に配るという習慣は、30年ほど前からと歴史は浅いそうだ。これは阪神淡路大震災がきっかけで、震災から立ち直って元気にしているということを知らせるあいさつ代わりとして広まったらしい。
いとこの奥さんが神戸の出身で、やはりそういう習慣があったらしいが、いとこの実家では食べないというので我が家にそのまま回ってきていた。しかし、姑の家では全然食べないということがばれたのか、2年ほどでぷっつりと途絶えてしまった。けっこういける味だったので残念だった・・。まあ、不漁が続いていてくぎ煮を作ろうにも材料がないということもあったのだろうが・・。
・エソの皮を割りばしに巻いて塩焼きにすると美味しいらしい。ハンペンを作るときには捨ててしまう部分なので次回は絶対に作ってみようと思う。
・バッテラというのは、元々コノシロの幼魚(ツナシというらしい)を使った姿ずしで、尾がピンと張った姿がボートに似ているのでポルトガル語で小船という「バテイラ」という言葉がなまってバッテラになったという説がある。雀ずしも、元はイナを使って作られた姿ずしだったらしい。ヒレを張った姿が雀の飛ぶ姿に似ているので雀ずしという名前になったらしい。コノシロは漁獲が少なり、イナは泥臭いというのでサバと小鯛が使われるようになったそうだ。すし万というとちょっと有名なすし店だが、ここが小鯛を押しずしにした形を広めたらしい。
・縄文時代中期には釣り鉤以外にも網で魚を獲るという方法も生まれていた。ヤスで突く漁もあったし、弥生時代にはモンドリやイイダコ用の蛸壺などもあったらしい。この時点ですでに僕の漁獲法を超えてしまっている。
・住吉大社の夏祭りというのは、夏越祓神事(なつごしのはらいしんじ)という名前だそうだ。これがおこなわれる日というのが7月31日の夜半から8月1日にかけてだそうだ。僕の船を係留している地域の氏神様も住吉神なのだが、確かに祭りというとこの日だった。子供のころの僕にとっては神事などは関係なく、この日には夜店が出るのでそれだけが楽しみだったのだが、毎年7月31日に夜店が出るというのにはこういう意味があったのだということをこんな歳になって初めて知ったのである・・。
しかし、ここも少子化で的屋も来てくれなくなり、それでは淋しいと自治会の人たちがいろいろな催しをしていたらしいのだが、それもコロナ禍をきっかけに無くなってしまったらしい。これも時代なんだろうな・・。
本拠地である住吉大社では毎年同じ日に堺大魚夜市というものが開催されていたらしい元はこの時期によく取れるタコを売る市だったらしいが、祭礼の日は朝市だけでは間に合わないほど取り扱い量が増えるので夜の市が立ったということだ。
・船の生け簀のことを昔の人は「生け間」と言ったが、これは釣りをしている間だけ魚を生かしておくためのものではなく、消費地まで魚を生かしたまま運ぶ手段として生まれたものだそうだ。今でも加太の船などは生け簀に水が入ったまま港まで戻るそうだが、そんなにきれいな海水がある港がうらやましい。僕の船が係留されている港でそれをやってしまったらその魚を食べることができなくなるほど汚い水質だ。少しはきれいになったとはいえ、そこで魚を生かしておくということはできない・・。
・落語家に「桂ざこば」という人がいるが、「ざこば」というのは魚市場のことであるというのは知っていたけれども、もうひとり、「桂塩鯛」というひとがいて、これは変わった名前だと思っていたが、その語源と言えるものもこの本に載っていた。
それは正月のにらみ鯛からだそうだ。今では焼いた鯛を準備するが、最初は塩をした生の鯛がお膳に出されていたそうだ。だから、「塩鯛」というのは縁起のいい言葉だったのである。
ちなみに「ざこば」という字は「雑喉場」と書く。これは古代から魚は鰓に藁の紐を通し、一喉(こん)、二喉と数えたとされ、多様な魚、雑喉が集まる場所ということで「ざこば」という言葉ができたという。これも、人が集まってにぎやかな場所であるとか、食べるものに困らないとかいう、縁起を担ぐ名前だったかもしれない。
・節分というとヒイラギの枝にイワシの頭を指して門口に飾るものだが、昔はボラの幼魚(ナヨシ=イナ)を使っていたそうだ。ボラは出世魚なので縁起が良いとされていたらしく、ナヨシも「名吉」というのが語源だそうだ。これ以外にいろいろな縁起物に使われてきたというのは、ボラ釣りが釣りのルーツのひとつである僕にとってはうれしい限りだ。バッテラの元祖もボラだし。
・節分に食べる恵方巻だが、これが本格的に始まったのは昭和40年代とかなり新しい。大阪海苔問屋協同組合と大阪鮓商組合が連携してキャンペーンをし始めたことが発端だそうだ。バレンタインデーにチョコを贈る習慣が広がったのが昭和30年代の後半らしいので、それよりも新しい。だから、別にこの日に巻きずしを食べなくても全然問題はないのである。
・瀬戸内海の海水の9割が入れ替わるためには約1.4年かかるそうだ。海水の平均滞留期間は6か月とかなり長い間漂い続けている。
・瀬戸内海の海水温についてだが、1994年頃から上昇に転じ、50年前に比べて1~1.5度上昇しているそうだ。特に秋から冬にかけての水温上昇が著しい。春から秋に産卵する魚は暖海性の魚(真鯛、クロダイ、ヒラメ、タチウオ、キス)だが、こういった魚は特に影響を受けないが、冬に産卵する冷海性の魚(ボラ、キビレ、スズキ、カレイ、メバル、イカナゴ)などは大きな影響を受ける。
アイナメはほとんど姿を消し、紀伊水道のアワビ、サザエ、テングサも極端に減少しているそうだ。個人的には水温が下がらないと生育が悪いというワカメが採れない年があるのでこれは確かなことなのかもしれない。
・海底に溜まった生物の排泄物を「デトリタス」と呼び、そこに生活する底生生物をベントスと呼ぶ。どちらも食物連鎖の最下層にいる生物の重要な食料となる。デトリタスが堆積する要因は海洋生物の排泄物だけではなく、河川を通して流れてくる生活排水や、昔でいえばし尿などがその源になったのだが、1990年代からの栄養塩流入の規制がかえって貧栄養化の問題が起きている。イカナゴの不漁や海苔の黄変などはこういったことが原因だと考えられている。
もうひとつ、海洋汚染についてだが、僕は紀ノ川河口を通るたびにここは汚いと思っていたのだが、あの褐色の水というのは、たっぷりと栄養を含んだ水らしい。その栄養が植物プランクトンを養い、あの海域の食物連鎖を支えている。そういえば、新々波止の南ではタチウオはほとんど釣れないが、北側ではたくさん釣れる。少しの場所の違いだが海水が栄養を含んでいるかいないかであれほどの差が出るのだ。紀ノ川が汚いと思っていたことに対しては紀ノ川の神様に詫びなければならないと思ったのである・・。
しかし、地魚を囲む環境は相当厳しいらしい。海洋プラスチック、環境ホルモンなどの海洋汚染物質はもとより、水温の上昇により、卵を産めない魚も出てきている。先に揚げたように、冷海性の魚たちがその被害を被っている。また流通や外食の世界でも規格品を安定的に供給されなければならないという原則が水揚げが不安定な地魚の流通を阻むし、セルフ方式のスーパーマーケットでは調理法を教えてもらえる機会もなく店頭に置いても売れることはない。僕が行くスーパーマーケットはディスカウントスーパーばかりなのでよけいにそうかもしれないが、鮮魚コーナーといっても並んでいるのはアジ、サバ、イワシ、サケくらいで、今が時期なのか、それにウボゼが加わっているくらいだ。あとは種類が分からないイカとゆでだことバナメイエビくらいだ。それ以外の魚はたまたま店頭にあったとしてもけっこう値段が高い。魚の可食部というのは全体の4割くらいと言われているらしいから切り身になっている以外だと割高になるし、切り身になっていてもタチウオなんかもかなりの値段がする。だからタチウオはたくさん釣ってきてもいくらでも貰い手があるのだ。
地魚というと思い出すのは子供の頃、リヤカーにトロ箱を積んで魚を売りに来るおじさんだ。「トウロウさん」、「アンニャン」というふたりのひとが何日かに1回、近所の家の軒先にトロ箱を並べて売っていた。今思うと、確かにいろんな種類の魚が売られていた。僕の母親も、それが好物だったのか、単に安かっただけだったのか、トラギスやゴンズイを買っては煮て食べていた。今ではまず買うことのできない魚だろう。
漁獲が少なく、種類の多い地魚はこういった個人が少量ずつを商いすることで流通が成り立っていた。カンカン部隊などと言われていたそうだが、漁師の家族が電車や船を乗り継いで大都市圏の消費者や飲食店まで届けていたという。僕も以前に鶴橋の駅で目撃したことがあったが、こういった人々を運ぶ専用の列車も各地にあったそうだ。
携わっていた人たちの高齢化や保存技術の発達から今ではほとんど廃れてしまっているようだが、今ではそれに代わって、ちょっと目的は違うのかもしれないが、各地で地魚を扱うマーケットができている。「浜のうたせ」や古くは「とれとれ市場」などもそうなのだと思うが、和歌山県だけでなく、大阪府はもとより兵庫、岡山、香川、徳島と、この本が取り上げている地域でもたくさんの施設があるそうだ。なんだかちょっと夢がある話だなと思ったりもする。
肉というと、ジビエは別にすると、牛と鶏と豚しかない。それに比べると魚介類というのははるかにたくさんの種類がある。それぞれの素材に合わせた調理法を考えると肉に比べるとはるかに多くの食べ方があるのだから、新しい流通法を考えて再び地魚の時代が戻ってくればいいのだがと思うのである。
そうは言っても、僕は自分で釣ってくる魚以外はほぼ食べないというのは変わりないであろうが・・。その理由は、半分偏見が入っているのかもしれないが、魚についてはどんな場所でも、店頭に並んだ時点ですでに鮮度が落ちていると思い込んでいるからなのである・・。