イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「地魚の文化誌: 魚食をめぐる人の営み」読了

2022年08月30日 | 2022読書
太田雅士 「地魚の文化誌: 魚食をめぐる人の営み」読了

著者は大阪市内の卸売市場で水産物の仕入れなどを40年ほどやっていた人だそうだ。魚の目利きのプロといったところだろうか。その人が備讃瀬戸~播磨灘~大阪湾~紀伊水道という、関西の海域で獲れる魚介類の様々なことについて書いている。僕にとっても身近な海で獲れる海産物について書かれているということがうれしい。そして、その情報量が凄い。本文は193ページで2段組み、無駄な文章はまったく入っておらず、そこで獲れる地魚についての蘊蓄をこれでもかというほど掲載している。その内容は、調理法、文化と風習、変容する環境、漁法、流通など、その範囲は広範囲に及ぶ。いくらかは知っている情報もあったが、改めて読んでみると、この海域の豊かさというものを改めて認識させられる。
あまりにも情報量が多いので、今回は、これは話のネタになりそうだと思ったことを箇条書きにしてまとめてみようと思う。

・大阪湾で水揚げされる魚介類は約225種類。魚種149種類、エビ・カニ類22種、イカ・タコ類12種、貝類26種、ウニ・ナマコなどが8種、海藻類も8種。そのうち、漁業の対象になっているものは160種ある。少し疑問だが、残りの65種類って何なのだろう?たまたま網に入ってきただけだけれども、食べられるから出荷しているという類のものなのだろうか?
・紀伊水道では、有用魚介類として約170種類が棲息している。
僕が釣ったり獲ったりしてくるのはこれの数十分の一ということだな・・。やっぱり海は広い。
・カマスゴはカマスの子供ではなく、イカナゴの親魚である。
・イカナゴのくぎ煮を自宅で炊いて親戚に配るという習慣は、30年ほど前からと歴史は浅いそうだ。これは阪神淡路大震災がきっかけで、震災から立ち直って元気にしているということを知らせるあいさつ代わりとして広まったらしい。
いとこの奥さんが神戸の出身で、やはりそういう習慣があったらしいが、いとこの実家では食べないというので我が家にそのまま回ってきていた。しかし、姑の家では全然食べないということがばれたのか、2年ほどでぷっつりと途絶えてしまった。けっこういける味だったので残念だった・・。まあ、不漁が続いていてくぎ煮を作ろうにも材料がないということもあったのだろうが・・。
・エソの皮を割りばしに巻いて塩焼きにすると美味しいらしい。ハンペンを作るときには捨ててしまう部分なので次回は絶対に作ってみようと思う。
・バッテラというのは、元々コノシロの幼魚(ツナシというらしい)を使った姿ずしで、尾がピンと張った姿がボートに似ているのでポルトガル語で小船という「バテイラ」という言葉がなまってバッテラになったという説がある。雀ずしも、元はイナを使って作られた姿ずしだったらしい。ヒレを張った姿が雀の飛ぶ姿に似ているので雀ずしという名前になったらしい。コノシロは漁獲が少なり、イナは泥臭いというのでサバと小鯛が使われるようになったそうだ。すし万というとちょっと有名なすし店だが、ここが小鯛を押しずしにした形を広めたらしい。
・縄文時代中期には釣り鉤以外にも網で魚を獲るという方法も生まれていた。ヤスで突く漁もあったし、弥生時代にはモンドリやイイダコ用の蛸壺などもあったらしい。この時点ですでに僕の漁獲法を超えてしまっている。
・住吉大社の夏祭りというのは、夏越祓神事(なつごしのはらいしんじ)という名前だそうだ。これがおこなわれる日というのが7月31日の夜半から8月1日にかけてだそうだ。僕の船を係留している地域の氏神様も住吉神なのだが、確かに祭りというとこの日だった。子供のころの僕にとっては神事などは関係なく、この日には夜店が出るのでそれだけが楽しみだったのだが、毎年7月31日に夜店が出るというのにはこういう意味があったのだということをこんな歳になって初めて知ったのである・・。
しかし、ここも少子化で的屋も来てくれなくなり、それでは淋しいと自治会の人たちがいろいろな催しをしていたらしいのだが、それもコロナ禍をきっかけに無くなってしまったらしい。これも時代なんだろうな・・。
本拠地である住吉大社では毎年同じ日に堺大魚夜市というものが開催されていたらしい元はこの時期によく取れるタコを売る市だったらしいが、祭礼の日は朝市だけでは間に合わないほど取り扱い量が増えるので夜の市が立ったということだ。
・船の生け簀のことを昔の人は「生け間」と言ったが、これは釣りをしている間だけ魚を生かしておくためのものではなく、消費地まで魚を生かしたまま運ぶ手段として生まれたものだそうだ。今でも加太の船などは生け簀に水が入ったまま港まで戻るそうだが、そんなにきれいな海水がある港がうらやましい。僕の船が係留されている港でそれをやってしまったらその魚を食べることができなくなるほど汚い水質だ。少しはきれいになったとはいえ、そこで魚を生かしておくということはできない・・。
・落語家に「桂ざこば」という人がいるが、「ざこば」というのは魚市場のことであるというのは知っていたけれども、もうひとり、「桂塩鯛」というひとがいて、これは変わった名前だと思っていたが、その語源と言えるものもこの本に載っていた。
それは正月のにらみ鯛からだそうだ。今では焼いた鯛を準備するが、最初は塩をした生の鯛がお膳に出されていたそうだ。だから、「塩鯛」というのは縁起のいい言葉だったのである。
ちなみに「ざこば」という字は「雑喉場」と書く。これは古代から魚は鰓に藁の紐を通し、一喉(こん)、二喉と数えたとされ、多様な魚、雑喉が集まる場所ということで「ざこば」という言葉ができたという。これも、人が集まってにぎやかな場所であるとか、食べるものに困らないとかいう、縁起を担ぐ名前だったかもしれない。
・節分というとヒイラギの枝にイワシの頭を指して門口に飾るものだが、昔はボラの幼魚(ナヨシ=イナ)を使っていたそうだ。ボラは出世魚なので縁起が良いとされていたらしく、ナヨシも「名吉」というのが語源だそうだ。これ以外にいろいろな縁起物に使われてきたというのは、ボラ釣りが釣りのルーツのひとつである僕にとってはうれしい限りだ。バッテラの元祖もボラだし。
・節分に食べる恵方巻だが、これが本格的に始まったのは昭和40年代とかなり新しい。大阪海苔問屋協同組合と大阪鮓商組合が連携してキャンペーンをし始めたことが発端だそうだ。バレンタインデーにチョコを贈る習慣が広がったのが昭和30年代の後半らしいので、それよりも新しい。だから、別にこの日に巻きずしを食べなくても全然問題はないのである。
・瀬戸内海の海水の9割が入れ替わるためには約1.4年かかるそうだ。海水の平均滞留期間は6か月とかなり長い間漂い続けている。
・瀬戸内海の海水温についてだが、1994年頃から上昇に転じ、50年前に比べて1~1.5度上昇しているそうだ。特に秋から冬にかけての水温上昇が著しい。春から秋に産卵する魚は暖海性の魚(真鯛、クロダイ、ヒラメ、タチウオ、キス)だが、こういった魚は特に影響を受けないが、冬に産卵する冷海性の魚(ボラ、キビレ、スズキ、カレイ、メバル、イカナゴ)などは大きな影響を受ける。
アイナメはほとんど姿を消し、紀伊水道のアワビ、サザエ、テングサも極端に減少しているそうだ。個人的には水温が下がらないと生育が悪いというワカメが採れない年があるのでこれは確かなことなのかもしれない。
・海底に溜まった生物の排泄物を「デトリタス」と呼び、そこに生活する底生生物をベントスと呼ぶ。どちらも食物連鎖の最下層にいる生物の重要な食料となる。デトリタスが堆積する要因は海洋生物の排泄物だけではなく、河川を通して流れてくる生活排水や、昔でいえばし尿などがその源になったのだが、1990年代からの栄養塩流入の規制がかえって貧栄養化の問題が起きている。イカナゴの不漁や海苔の黄変などはこういったことが原因だと考えられている。
もうひとつ、海洋汚染についてだが、僕は紀ノ川河口を通るたびにここは汚いと思っていたのだが、あの褐色の水というのは、たっぷりと栄養を含んだ水らしい。その栄養が植物プランクトンを養い、あの海域の食物連鎖を支えている。そういえば、新々波止の南ではタチウオはほとんど釣れないが、北側ではたくさん釣れる。少しの場所の違いだが海水が栄養を含んでいるかいないかであれほどの差が出るのだ。紀ノ川が汚いと思っていたことに対しては紀ノ川の神様に詫びなければならないと思ったのである・・。



しかし、地魚を囲む環境は相当厳しいらしい。海洋プラスチック、環境ホルモンなどの海洋汚染物質はもとより、水温の上昇により、卵を産めない魚も出てきている。先に揚げたように、冷海性の魚たちがその被害を被っている。また流通や外食の世界でも規格品を安定的に供給されなければならないという原則が水揚げが不安定な地魚の流通を阻むし、セルフ方式のスーパーマーケットでは調理法を教えてもらえる機会もなく店頭に置いても売れることはない。僕が行くスーパーマーケットはディスカウントスーパーばかりなのでよけいにそうかもしれないが、鮮魚コーナーといっても並んでいるのはアジ、サバ、イワシ、サケくらいで、今が時期なのか、それにウボゼが加わっているくらいだ。あとは種類が分からないイカとゆでだことバナメイエビくらいだ。それ以外の魚はたまたま店頭にあったとしてもけっこう値段が高い。魚の可食部というのは全体の4割くらいと言われているらしいから切り身になっている以外だと割高になるし、切り身になっていてもタチウオなんかもかなりの値段がする。だからタチウオはたくさん釣ってきてもいくらでも貰い手があるのだ。
地魚というと思い出すのは子供の頃、リヤカーにトロ箱を積んで魚を売りに来るおじさんだ。「トウロウさん」、「アンニャン」というふたりのひとが何日かに1回、近所の家の軒先にトロ箱を並べて売っていた。今思うと、確かにいろんな種類の魚が売られていた。僕の母親も、それが好物だったのか、単に安かっただけだったのか、トラギスやゴンズイを買っては煮て食べていた。今ではまず買うことのできない魚だろう。
漁獲が少なく、種類の多い地魚はこういった個人が少量ずつを商いすることで流通が成り立っていた。カンカン部隊などと言われていたそうだが、漁師の家族が電車や船を乗り継いで大都市圏の消費者や飲食店まで届けていたという。僕も以前に鶴橋の駅で目撃したことがあったが、こういった人々を運ぶ専用の列車も各地にあったそうだ。



携わっていた人たちの高齢化や保存技術の発達から今ではほとんど廃れてしまっているようだが、今ではそれに代わって、ちょっと目的は違うのかもしれないが、各地で地魚を扱うマーケットができている。「浜のうたせ」や古くは「とれとれ市場」などもそうなのだと思うが、和歌山県だけでなく、大阪府はもとより兵庫、岡山、香川、徳島と、この本が取り上げている地域でもたくさんの施設があるそうだ。なんだかちょっと夢がある話だなと思ったりもする。

肉というと、ジビエは別にすると、牛と鶏と豚しかない。それに比べると魚介類というのははるかにたくさんの種類がある。それぞれの素材に合わせた調理法を考えると肉に比べるとはるかに多くの食べ方があるのだから、新しい流通法を考えて再び地魚の時代が戻ってくればいいのだがと思うのである。

そうは言っても、僕は自分で釣ってくる魚以外はほぼ食べないというのは変わりないであろうが・・。その理由は、半分偏見が入っているのかもしれないが、魚についてはどんな場所でも、店頭に並んだ時点ですでに鮮度が落ちていると思い込んでいるからなのである・・。


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紀ノ川河口釣行

2022年08月29日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口
条件:中潮 7:08満潮
釣果:タチウオ 15匹

今日もタチウオだけの釣行だ。毎度同じ獲物ばかりだが、今年は型が大きいので釣りに行っても甲斐がある。そして、ふたつ作った仕掛けのうちのふたつ目の実証実験もしておきたい。

今朝はちょっと寒さを感じるほどに涼しい。夕べは回しっぱなしの扇風機の風の冷たさで目を覚ましたくらいだ。明らかに昨日と比べると空気が入れ替わっている感じがする。
空気が冷たいので海水が温かく感じるほどだ。

そして星空が美しい。
オリオン座も少しずつ高度を増し、その下に見える冬の大三角形が姿を現してきた。



写真に撮ることはできなかったが、天頂のほうに目をやるとおうし座のアルデバラン、火星、プレアデス星団まで、視力の悪い僕にでも見えるほどだ。

毎回大きい船で出るのも小船に申し訳ないので効率は悪いがこっちで出撃する。
いつもの場所から仕掛けを流し始めるがアタリがない。やはり2号機が悪いのか・・。と思っていたら、南海フェリーが入港してきて間もなくアタリが出た。それを号砲にアタリが続く。過去の釣行と同じく、暗いうちは型が大きく次第に小さくなってゆき、そしてフェリーが再び出港して行くころにはアタリがなくなってしまった。



結果は15匹。小船の取り回しの悪さと不機嫌な船外機のことを考えると2号機も合格というところだろう。仕掛けをプロップに巻き込むトラブルがなければあと2、3匹は獲れたかもしれない。

その後は禁断の仕掛けを流してみるがまったくアタリはなかった。空気が冷たい分、海面温度もわずかでも下がってしまったのかもしれない。

家に帰って魚をさばき、オイルと船底塗料を買いに和歌浦へ。エンジンオイルはおととし6,600円だったものが8,140円にまで値上がりしている。これもウクライナ戦争のあおりなのだろう。なんともコストがどんどん増えてゆく。これはかなわない・・。塗料は100円安くなってはいたけれども、9月にはこれも値上がりするそうだ。



もう一度家に帰って病院へ。月曜日ということがあるのだろうが、えらい混み方だ。



この画像は病院に到着した時に撮った精算待ちの行列だが、その後、検査を終えて精算に向かうともっと列が伸びていた。もらった順番待ちの用紙は490番。



150人以上待っている。駐車場代ももったいないので一度外へ出て病院の近くの釣具屋で時間をつぶすがそれでも全然順番が回ってこない。



最近はスマホで順番を見ることができるのでありがたいが、それで待ち時間が短くなるわけではないので結局は同じだ・・。
母親を座らせたままでいさせることもできないので一度家に帰ってひとりで病院に向かった。
ちょっと涼しくなったのでご老人たちも病院に行きやすくなったのだろうか。それならばずっと暑いままのほうがいいのにと思ってしまった・・。

エンジンの冷却系の掃除用にいいものを見つけた。100均の水鉄砲だ。ずっと注射器型の同じく水鉄砲を使っていたのだが、さすがに10年も使うと壊れてきて、適当なものを探していたがなかなかなかった。たまたま100均をウロウロしていたら同じような機構の水鉄砲をみつけた。これで当分掃除ができそうだ。なんだか場違いな道具だが、べつに人に見られても恥ずかしいなどと思う歳でもないので大丈夫なのだ。



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紀ノ川沖釣行

2022年08月25日 | 2022釣り
場所:紀ノ川沖
条件:中潮 4:44満潮
釣果:タチウオ 20匹

今日の釣行の目的はただひとつだ。前回失った仕掛けを再生したものがきちんと機能するかを確かめることだ。

この仕掛けのキモはバランスと潜航深度だ。そのバランスがよくないと釣れる数にかなりの違いがあると僕は思い込んでいる。まさにこれはジェダイのライトセイバーであり、ポルコロッソのサボイアのフレームと同等なのである。基本性能がものを言うのだ。
それに加えて今年はかなり鉤を落としそうなので疑似餌の制作過程を簡略化したものでも同じように釣れるかどうかということも試したいと考えている。

本来なら小船の出番だが、そういう意味では一応本気の釣りをしようと考えているので今日も大きいほうの船で出撃することにする。

出港は今日も午前4時半。天気は曇りなので今日も真っ暗。



電気ウキを探しながら紀ノ川河口へ向かう。う~ん、今日は見つからないなと思いながら仕掛けを降ろし始めると遠く港内のど真ん中にかすかな光を見つけた。一度降ろした仕掛けを回収し光のほうへ・・。
今日もひとつゲットだ。



そんなことをしていたら徳島からやってきたフェリーの入港時刻になってしまった。その前に1匹釣れていたのだが、仕掛けを流し続けた状態でフェリーが近づいてきたときにアタリがあると避けることができなくなるので再び仕掛けを回収してフェリーの入港を待つ。
ちなみに出港の時の画像はこんな感じ。タチウオが釣れる場所とフェリーの航路は一致している・・。



そしてその後はアタリラッシュだ。今日も最初のアタリで鉤を1本切られてしまい、片肺での釣りだがそんなことはお構いなしでアタってくる。常にアタリがあるので船はほとんど動いていない。しかし、今年の特徴だろうか、そんなアタリラッシュは30分ほどしか続かない。
それでも型がいいのでクーラーボックスの中がいっぱいになる。

アタリがなくなるとエソが掛かってくる。今日はこれで終わりというのがよくわかってこれはこれでよい合図だ。
この時点でまだ午前5時45分。



もう少し釣りができると思い、禁断の仕掛けを取り出した。これにヤナギがヒットしてくれればビニールパイプの効力も確かめられるのだが今日もツバスとエソだけだった。

港に戻り午前6時半。すべて使い切った専用の鉤を買って「わかやま〇しぇ」へ。



今日は釣れたで~と差し入れをして前回買って美味しかったコロッケを購入して今日は終了。


この調子だと専用の鉤はかなりロストしそうなので25本入りの大パックを購入。さっそく夜光パウダーを光硬化樹脂に混ぜて予備の作成にかかった。



今日の収穫は獲物ではなく仕掛けの有効性を検証できたことだ。これで、自分でも作れるという道が開けた。次の釣行ではもうひとつ作った仕掛けを試してうまく機能してくれれば合格だ。


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紀ノ川河口~住金沖~加太沖釣行

2022年08月23日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口~住金沖~加太沖釣行
条件:若潮 10:12干潮
潮流:5:15転流 9:54下り2.6ノット最強
釣果:タチウオ9匹 真鯛1匹

今日から4連休。今日の病院は午後からなので少し遠出ができる。まずは保険のタチウオを釣って加太まで足を延ばそうと考えている。

今朝は雲が多く、今日も午前4時半を過ぎても真っ暗だ。



いつもの場所から仕掛けを流し始め、青岸の灯台を越えたところでアタリが出た。今日も型はまずまずだ。4、5匹釣ったところでフェリーが入港してきたのでそれを避けたあと強烈なアタリがあった。おそらく指4本以上のサイズのタチウオが数匹掛かったのだと思う。おお、これはいいじゃないかと思ったがすぐに軽くなってしまった。これはちょっとおかしいぞ・・。引き上げてみると仕掛けが全部無くなってしまっている・・。おそらく引きが強すぎて仕掛けと道糸を繋いでいた紐が切れてしまったようだ。ここには父親が作った鉛の錘が仕込まれていたのだがそれも消えてしまっている・・。これは悲しい。貴重なものを失ってしまった。しばし茫然自失となる。毎回道具を洗う時にはチェックをしているなかではまだ大丈夫だと思っていた。しかし、通常の強度では耐えられないほど今年は魚の型が大きすぎるようだ。
しかし、ここで落胆していても仕方がない。予備の仕掛けと浅い棚しか探れないが別の錘に付け替えて再スタート。しかし、棚が浅いと魚が小さい。とりあえずアタリがなくなるまで続けて住金一文字の沖へ。

あわよくばヤナギが釣れればという思いもあるが、禁断の仕掛けに追加したビニールパイプの影響を調べたいという思いだ。実際、どれほどの悪影響があるのかというのはわからないがとりあえずツバスが2匹掛かってきたので全く釣れないということではないのだろうと思う。もう少し様子見だ。

そのまま針路を加太に向け、田倉崎の沖へ。



潮止まりから下りにさしかかる時間だからなのかどうかはわからないが、船の姿がまったくない。釣れていないのだろうか・・。まあ、少しだけ魚探には反応があるのでサビキ仕掛けを降ろしてみる。
横を流している船はプロの船なのでここでもきっと釣れるのだろうと思うのだが、チラチラ見ているかぎりは魚を釣り上げている様子はない。ここをあきらめ四国沖ポイントへ。
ここにも1艘浮かんでいるだけだ。あまり期待ができないが遠くへ行きたくもないのでしばらくここでやってみることに。
しばらく底をコツコツやっているとアタリが出た。アジにしては引きが乱暴ではないので何だろうと思ったら真鯛が上がってきた。本当はアジが欲しかったのでこれはこれで外道ということになるのだろうか・・。まあ、とりあえずはボウズは逃れた。

ここもその後はアタリがないので電車が沈んでいるポイントへ。とりあえずは転々と移動してみて魚がいるところを探してみようという考えだ。ここにはミニボートが1艘来ていた。あとからもう1艘合流してきたのだが、彼らは知り合いのようだ。



しばらくするとそのうちの1艘が大和堆ポイントにどうしたかと思うとすぐにもう1層も大和堆ポイントに向かった。ひょっとしてあっちには魚の反応があるのかと思い僕も移動。相変わらず他力本願だがそれが一番効果的なのだ。

この時点で午前8時。雲が切れて日差しが出てくると暑さが半端ではない。湿度が高いということもあるのだろうか耐えられないほどだ。病院の予約時間は午後3時なのでもう少し釣りを続けられるのだが、アタリもないしこの暑さでは我慢ができない。あっさりあきらめて帰途についた。

今日は暦の上では処暑だそそうだ。暑さも和らぐ季節らしいのだがそんな気配はみじんもない。病院に行っても日差しは強く、マスクが息苦しい。この暑さは一体いつまで続くのだろうか・・。




せっかくの連休なので連続して釣りに行きたい。仕掛けをすべて失くしているので急いで作らねばならない。父親が残したオリジナルは残りひとつ。それを手本に鉛のインゴットを作る。
木で雄型を作り、アルミ箔で雌型を作って溶かした鉛を流し込むのだ。



こういう時のために集めていたジャンク品をコンロにかける。鉛が溶ける過程を見るのはけっこう楽しい。



ターミネーターの悪役を見ているようなのだ。父親は鉛の塊をたたき出して成形していたようなのだが、さて、僕の作ったオモリはバランスよく機能してくれるだろうか。次回の釣行で実験だ。




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「天上の歌―岡潔の生涯」読了

2022年08月22日 | 2022読書
帯金充利 「天上の歌―岡潔の生涯」読了

岡潔という人を知っているだろうか・・。数学者で「多変数複素函数論」というまったく意味が分からない論理を解明した人だそうだ。
どうしてそんな人に興味を持ったかというと、和歌山にゆかりのある人で、この人の書いたエッセイというのはものすごく評価されていたということを知ったからなのである。
1901年、生まれは大阪市だが、父親の実家が紀見峠にあり、父親が本家を継ぐために幼くして和歌山に住むようになる。
京都帝大に進学するまでは和歌山で暮らし、卒業後は京大の講師になり途中、フランスへ留学。そこで中谷宇吉郎やその弟で考古学者であった中谷治宇二郎と親交を結ぶ。
帰国後、広島文理科大学助教授となり、6年後に休職し和歌山に戻る。
その後は無職のまま和歌山で研究生活を送り、「多変数複素函数論」というものをまとめあげたそうだ。この問題はものすごく難題で普通ならひとりの力では成し遂げられないような偉業なので外国の数学者たちは岡潔というのは数学者の集団のペンネームだと思ったくらいだそうだ。
この業績が認められ1960年に文化勲章を受けたことで一躍日本でも有名な学者となったらしい。元々が難解で一般人受けしない業績だったのでそれまではまったくの無名だった。
その後、毎日新聞に連載されたエッセイ「春宵十話」が話題になり、一般にも知られる学者となっていたそうだ。

研究のために助教授の食を休職し収入が途絶え、親から相続した田畑を売りながら生活していたというのだからストイックというか、ちょっと変わったひとであったようである。
助教授でありながら、自分の研究優先で教育には身が入らず、評判は悪く、さらに、後にはすごい論文を発表することになるのだが自分の研究はまだまだこんなものではないと、当時はまったく論文を発表することもなかったらしい。しかし、そんなことは偉人伝にはよくあることで、この伝記を読んでいる限りにおいては、僕自身はそんなに大変人であるというような感じは受けなかったのであるが、文化勲章を受けた直後はその業績よりも奇行のほうに注目されたというようなことが書かれていた。その象徴が表紙の写真である。これは編集者に望まれて撮った写真だそうだが、世間が見る岡潔はこんな感じの人であると編集者も思っていたということだろう。一緒に写っている子犬は近所の野良犬で飼い主がおらず、誰かれなくもらえる餌で暮らしていたそうだが、この写真をきっかけにきちんとした飼い主が決まったというので、岡潔は変な写真を撮った甲斐があったと言ったそうだが、この人は世間が思うほどの変人でもなかったということだろう。
こういうのはなんとも日本の国らしいと思う。しかし、年月が過ぎても未だにそういうところは変わっていないというのは面白いというか呆れる。

収入の面では、手を差し伸べてくれる友人たちがおり、中谷宇吉郎は北海道帝国大学理学部研の究補助嘱託の職を紹介し、秋月康夫という京大時代からの友人は奈良女子大学理家政学部教授の職を紹介してもらったということだ。母校の京大からも学位を得ることができた。
広島時代はともかく、奈良女子大学時代にはちゃんと教育者としての仕事もこなし、女性に数学を教えるためにはどうすればよいかということに真剣に取り組んだそうだ。
また、宗教や東洋思想にも非常に興味があったらしく、取り組んだ難題の解明法のひらめきはそういった思想からヒントを得ることができたとも語っている。
そういうところがさすがに非凡なところで、『僕は論理も計算もない数学をやってみたい』という言葉にも繋がっているのだと思う。
そういうところから案じたのが日本という国の行く末だった。
この人の人生の後半は数学よりもこういった行動がクローズアップされ、また、最後に教鞭をとった京都産業大学では数学の講義ではなく、「日本民族」の講義をおこなったらしい。

岡潔の生き方としては宗教的な部分が強く、僕が期待していた科学と哲学の関連のようなものはあまり見られなかった。宗教的な面でも公明主義という新興宗教に帰依したということで、新興宗教がどうのとかは言うつもりはないがどうも思想が偏っているような気もする。エッセイについても書かれた時期が1960年代までとなってくると、これから先、読んでみようと思うようになるかというとちょっとそれはないかなと思うのである。

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「宇宙・肉体・悪魔【新版】 理性的精神の敵について」読了

2022年08月21日 | 2022読書
J・D・バナール/著 鎮目恭夫/訳 「宇宙・肉体・悪魔【新版】 理性的精神の敵について」読了

タイトルを見てみると、なんだか落語の三題噺のようにも思える。“悪魔”という言葉が気になり、こういう言葉がタイトルに入っているとなるとおそらくは科学と哲学に関するような内容だろうと読み始めたのだが、そういうものではなく、人類社会の未来予想というような内容であった。
著者は、X線による結晶構造解析の第一人者であり、この本は1929年に書かれたものだそうだ。日本語訳が最初に出版されたのは1972年、そしてこの本は復刻版として新たに2020年に出版されたものだ。1929年というと、相対性理論や量子論はすでに発表されていたが、著者の研究がタンパク質やDNAの分子構造を解明するのに貢献するのはもっと先のことになる。
そんなに古い本を復刻する意味があるのだろうかと思うのだが、これには多分、二つの意義があるのだろうなと思った。
ひとつは、この本に書かれている未来というものが今の時代になってそれが実現しそうな時代にいよいよ入ってきている。その時に人類はどういう心構えをしておくべきなのかという問いかけをするためではないかということ。もうひとつは、この本に書かれていることが数々のSF小説や映画、アニメのネタ元になっていたのではないかということをもう一度知らしめたいという、出版を企画したひとの意思があったのではないかということである。

この本の主な内容は、人類の新しい活動拠点として宇宙を取り上げ、そのためには人体その物の改変が必然となってくるというものだ。そして、その進化の妨げになるものは何かということを示している。
地上以外の活動拠点として地底都市や海底都市を提示するのではなく、空気と重力のない宇宙にスペースコロニーを建造して生活拠点とするということをこの時代に提案しているというのが現実の流れに合致している。これが著者の科学に対する合理的な見方の正しさを示しているし、そういった環境に適応するためには肉体も変わっていかざるを得ないという考えも長く無重力で生活してゆくと筋肉などさまざまな部分に重力下では見られない変化が短時間で現れるという事実とも合致している。
そしてそれは自然な進化の過程を待つのではなく人間自らが肉体改造しなければならないというのだが、さすがに、宇宙開発のために肉体改造をするというところまではいかないが、人間の寿命を延ばすために臓器の一部を作ったり、欠損部分を補うための、例えば聴覚や視覚を肩代わりするシステムなどは実用化されつつある。
究極は円筒に入った脳みそだそうだ。目や耳などの感覚器官や手足などの触覚器官はすべて機械化され、脳と分離される。すべての外部情報は電気信号として筒の中に入っている脳に送られ知覚として認識されるというのだ。宇宙で暮らすにはこの形がもっとも合理的で太陽圏も越えていけるのだという。
また、知性の進化としては複合頭脳、群体頭脳といった名前のものが想像されているが、これなどもインターネットがその一部を担い始め、メタバースが進化すると本当に意識や知性が、それが他人のものなのか自分のものなのかの区別がつかなくなってくるのかもしれない。

そんな時代を目の前にして、人類はどう考えるべきかというヒントは「悪魔」や「敵」という部分に隠されている。この本でいう「悪魔」という言葉の使われ方は、こういった人類の進歩と進化を阻むもの、それが「悪魔」であり、「敵」だと書かれている。
著者は科学者であるので、基本的には科学の進歩はよいことだと思っているのであろうから、その進歩を阻むものは、『創造的な知的思考を維持する能力の喪失か、または創造的な思考を人類の進歩に適用する願望の欠如、もしくはこの二つの両方の合わさったものである。』とかなり手厳しい書き方をしている。
そして、具体的には、専門分化、自然界の複雑さ、化学への幻滅、天才と大衆との軋轢、政治的要因と歴史の循環、田園牧歌か、知的進化かといったことがその阻害要因として挙げられると書いている。
科学知識が増大すると専門分化が避けられないが、他の分野に無知でいるようになるとその進化が妨げられ、人間の心理的、社会的な部分、今のままでいいのだという考え、進歩的な考えに対するアレルギーや権威主義もその妨げとなる。そういったことから最悪の場合、進化に乗る人と乗らない人の二極化が起こるかもしれないとまで予言している。
この辺もなんだか当たっているような気がする。ちょっと意味が違うかもしれないが、時代の波に乗れる人と乗れなかった人の間では貧富や情報の格差が起こり、そういったことから降りて田舎暮らしを楽しむというのもひとつのトレンドとなっている。そういった人たちは肉体改造やましてや宇宙への進出など考えたこともないだろうし、寿命がくればそこで終わるのが人間らしいのだと思うだろう。
『一つの時代が創造的であるか否かを真に決定するのは希望である。ところが、どんな時代にも社会における希望の存在そのものは、まだ探られていない多くの心理的、経済的および政治的な要因に依存する。』のである。
そして、そのどちらもが選択としては間違っていないのだろうと言えるのであるから難しい。
ひとつ、著者の考えとして興味があったというか、きっとそうなんだろうなというものは、こういった進化をけん引しやすい社会体制は社会主義国家であると書いていることだ。そしてその先には統治者が科学者に引き継がれることが望ましいというのだ。
なるほど、自由主義の世界では必ずラディカルなことには反対する勢力が存在し、それが進化の障害となる。社会主義では方向性が決まればそれがどんなことであれすべての人がそれに従わねばならないから資本はすべてそこに注ぎ込まれる。習近平が科学に理解のある人かどうかは知らないが、はやり宇宙を制するのも中国なのかもしれない。
しかし、重力のない世界で進化の仕方を間違うと、頭だけが大きくて胴体と腕と足がヒョロヒョロのクラゲみたいな見た目になってしまうのではないかと考えると、僕は自由主義の社会で生きていることに感謝したいと思うのだ。

様々なSFのネタ元としてはどうだろう。僕はSFのネタというのは哲学の世界から取り出したものと思っていたけれども、宇宙への進出や肉体改造、複合頭脳や群体頭脳といったキーワードはガンダムやエヴァンゲリオンのプロットそのままのように思える。マトリックスも攻殻機動隊もしかりだ。また、進化と現状維持との間に揺れる心理はArcの中に出てくる考え方に一致する。
指導者が科学者というのは「未来少年コナン」の世界だ。宮崎駿もこの本を読んだことがあったのかもしれない。
もちろん、様々な情報を総合するとこういった考え方というものは浮かび上がってくるだろうとも考えられるが、それは先行者利得というもの。1929年に先にこんな本が書かれていたという事実があると、原作者たちはみんなこの本の存在を知っていたと言われても違いますとは言えないような気がする。

たった100ページの本文だが、確かに科学史の中ではエポック的な1冊であったのかもしれない。

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紀ノ川河口~住金沖~水軒沖釣行

2022年08月20日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口~住金沖~水軒沖
条件:小潮 6:38干潮
釣果:タチウオ 4匹

今日も朝だけ釣行だ。今日は小船での出撃なのでちょっと大気の状態が不安定なのが気になる。朝起きて外に出てみるとやっぱり南寄りの風が吹いている。ただ、そうはいっても今のところは南東の風なので新々波止の北側まで行くことができればなんとかなるだろう。

新聞を読んでからゆっくり家を出た。それでも雲が厚く空を覆っているので午前4時半を過ぎても真っ暗だ。



いつもの通り海保の巡視艇の護岸前から仕掛けを流し始める。昨日の出勤時に六十谷の鉄橋から紀ノ川を見て、数日来の雨の影響はなさそうだと思ったのだが、まったくアタリがない。暗くて水面の様子はわからないが濁りが出ているのかもしれない。数回行ったり来たりを繰り返してやっとアタリが出た。



これは間違いなくタチウオの引きなのだが、先頭の鉤に掛かっている魚を引き上げてみるとそこから下の仕掛けが無くなってしまっている・・。
多分、もっと下の鉤にも魚が喰いついていて、糸が張った状態でこのタチウオの歯が幹糸に触れて切れてしまったのだろう。これからという時になんということだ・・。残った1本でとりあえず釣りを続けるか、ボロボロになっているが予備の仕掛けに交換するか・・。思案している間にも時合は過ぎてしまうのでとりあえず残った1本で続けてみることにした。
魚の活性は高いようで、すぐにアタリ。これなら予備の仕掛けに換えた方がよいのかもしれないと急いで準備をする。やはり活性は高く、仕掛けを降ろし終わらないうちにまたアタリが出た。しかし、その後1匹追加したところでまったくアタリが無くなってしまった。
すでにその頃には辺りは明るくなっていて、水面の様子を見てみると、泥濁りではないもののけっこう水が濁っている。ひょっとしたら魚はこの濁りの下にいるのかもしれないと思い仕掛けの棚を下げるように調整をしてみたがアタリはない。これは時合が過ぎてしまったか、それとも予備の仕掛けが悪いのか、どちらかはわからないがこれ以上この仕掛けを使い続けても無駄のようだ。

最初のアタリで仕掛けを失くしてしまったのが痛かった。たとえ時合が短かったとしても仕掛けが生きていれば今日も軽く二桁は釣れたであろう。ただ、仕掛けを失くすということはそれだけ魚の活性が高く、かつ、型もよいという証明でもある。これはこれでいいことなのだが、鉤は1本あたり約100円、三又のサルカンも大きいものを使っているので1個数十円する。鉤の加工の手間も考えると仕掛けを失くすというのはかなりの損害になる。うちの奥さんに言わせると、それでもタチウオは買うと高いのでそれくらいでも十分元は取っているらしいのだが、道具を買うのは僕の小遣いからなのでそれなら家計から出費してくれよと言いたくなるのである・・。

その後は禁断の仕掛けに切り替え。
一昨日の情報だが住金一文字の前でシオがたくさん釣れたらしい。僕もそれにあやかろうとちょっと遠いが住金一文字沖に向かった。
南からのうねりが少し大きいが防波堤の北側に入れば水面は池のようだ。



禁断の仕掛けはあまり波気があるとよくないような気がするのでこの条件はよいのだが、アタリがあってもツバスしか来ない。すぐにここを諦めて仕掛けを流しながら帰ることにした。途中でもアタリはあるが型が小さいのか、活性が悪いのか、途中でバレてしまう。どちらにしてもツバスだろうから持って帰ることもないのでどちらでもよい。
それ以外に興味を示してくれるのは今日もトンビだけだ・・。



しかし、紀ノ川河口に差し掛かった時に大きなアタリ。これは大きい。久々にタメを作って最初の引きに耐えた。しかし、すぐにその引きは軽くなってしまった・・。バレたか、切れたか・・。仕掛けを回収してみると12号のハリスが切られている。切り口を見てみると剃刀で削いだようにボロボロになっている。



おそらくはヤナギだろう。もう、どんなに糸が太くても関係ない。掛かりどころが悪ければ一撃だ。

悔やんでも仕方がないので残った2本の鉤でそのまま前進。新々波止のとっかかりのところでアタリがあったがこれもツバスだ。そのまま前進し、一文字の切れ目で終了。

タチウオの鉤も値段が高いが、禁断の仕掛けはタコベイトが高い。これも1個100円くらいする。仕掛けを切られるとかなりの損害になる。今日はたかが2時間ほどの釣りでかなりの損害を出してしまった。
タコベイトの損耗を防ぐため、やりたくはなかったが次回の釣行のためにチモトのところにビニールパイプを取り付けてみた。



これをやると疑似餌の動きが悪くなるので魚へのアピール力が減少するのだが背に腹は代えられない。まあ、一度試してみて継続するかどうかを決定してみようと思う。


港に戻り久々に「わかやま〇しぇ」へ。



最近はLINEでお買い得情報を流しているらしく、友達登録をするといろいろなお買い得品の画像が送られてくる。
特に何がほしいというものもなく、いつものとおり、100円のコロッケだけがあればいいのだが最近は品ぞろえの傾向が変わってきたかそれがない。代わりに別のコロッケととんかつと10個250円というどう見ても格安のチーズの燻製を買ってみた。



チーズの燻製はどうしてこんなにも安いのかと思ったら、賞味期限が8月2日だった。ここで買い物をするのに賞味期限を気にしていたら何も買えないのでこれはこれでいいのである。

今日の釣行とはまったく関係のない話をもう少し。
前回の釣行のあと、お盆の仏さん参りの途中でバイクのエンジンの警告灯が点ったという件だが、SNSで呟いてみると、インジェクションが悪いのではないかという意見が大半を占めていた。電子系統はまったく触れないのでこれはもうバイク屋さんに持っていくしかないかと思ったが、ダメ元でネットで調べてみると、よく似た症状にラジエーターのクーラント切れがあるというのをみつけた。これなら自分でも点検できるかと思い、早速エンジンカバーを開いてみた。
僕はずっと知らなかったのだが、最近の原付バイクというのは水冷式のエンジンを積んでいるらしい。前に乗っていたバイクは2サイクルエンジンで空冷式だったので何の疑いもなくこの三輪車も空冷式だと思っていたが、以前にバイク屋さんが、最近の原付は全部水冷式なんですよと教えてくれた。4サイクルのエンジンに切り替わってからはほぼ全部そうなっているらしい。しかし、こんなに小さな車体のどこにそんな複雑な機構を詰め込んでいるのだと謎に思っていた。きっと密閉的な構造で、シリンダーの周りに冷却水が満たされていてそれをフィンか何かで冷却しているのだろうと思っていた。だから点検もなにもできるものではないとも思っていたのである。
あとから考えると、それじゃあ空冷式とまったく同じで水冷にする意味がないじゃないかというところだが、ユーチューブで見てみると、確かにこの三輪車にも小さな弁当箱のようなラジエーターが存在しているらしいということがわかった。それも、後輪の前にラジエーターが設置されているという、一見、F1マシンと同じような構造になっているのである。



さすが、F1のホンダだ。しかし、生物の内臓のごときに、カバーの中にピッタリと納まるように部品が配置されパイプが張り巡らされているのを見ると、日本の工業技術の水準というのはものすごいのだと感嘆する。



そのラジエーターにたどり着いてキャップを開けてみると、クーラントがかなり減っていて、リザーバータンク(こんなものまで搭載されていた。)は空っぽだ。



確かにこれではオーバーヒートしても仕方がないというところだろうか。
早速大きい方の船から持ってきたクーラントを補充してちょっとだけアクセルを全開にして走ってみた。あの時の気温と比べてかなり涼しくなっているということもあるのだろうが、警告灯が光ることはなかった。とりあえずこれで様子見だ。
あとからエンジンカバーを見てみると、ちゃんとリザーバータンクの液面の点検口が開いていた。乗るだけじゃなくて、きちんと点検もせよというところだろうか・・。



これも分解の時あるあるなのだが、こういう時には必ずネジが神隠しに遭ってしまう。今回もたかだか5本のネジを外しただけだったのだが、そのうちの1本がどこかに行ってしまった。結局、このネジを探すのに一番時間がかかったというのが今回の整備劇でのオチだったのである・・。
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「糧は野に在り:現代に息づく縄文的生活技術」読了

2022年08月17日 | 2022読書
かくまつとむ 「糧は野に在り:現代に息づく縄文的生活技術」読了

この著者もずっと前に読んでいたアウトドア雑誌に連載を持っていた人だ。書架の前をぶらぶら歩いていてこの本を見つけた。けっこう歳の人だと思っていたが、1960年生まれだそうで、僕とは4歳しか違わない。学年ではおそらく3学年上というほぼ同世代と言ってもいい年齢差だ。

この本のタイトルのとおり、海や山や川から食べられるものを捕ってくるということは大好きだ。このブログも書いている内容の大半はそんな内容になっている。こういう嗜好というのは相当マイノリティな部類に入るのか、それともほぼすべての人は本能的にそんな嗜好を持っているのか、そこのところを知ってみたいといつも思っていた。
仕事というか、勤務している会社はこういうこととは真逆のことをやっている会社で、一緒に働いている人たちの中でそんな趣味を持っている人にはほぼ出会ったことがない。釣りが好きという人に出会ったのは30数年の間で4、5人というくらいだったのではないだろうか。だから、実際、会社の仕事というものに前のめりになれることもなく、また、そんな中にいるのだから、浮いた存在となってしまうのは仕方がないと思っていたのだが、そんな人たちも何かのきっかけでスーパーマーケット以外から食材を調達したくなる人になったりするのだろうか・・。そんなことをいつも思っていたのである。
まあ、そうはいっても、僕はなんちゃって糧拾いでしかない。農業や漁業に従事している人を含めて、自らが直接的に自然界から食料を得ることができる人たちとは越えたくても絶対に越えられない大きな隔たりがあるようにいつも感じている。

この本に登場する人たちも、生きるためのすべての糧を狩猟や採集で得ているわけではないけれども、その濃さは半端ではない。特に奄美大島に暮らす老人の生き方というのはかなりそれに近そうだった。
著者のあとがきには、『持続的な生き方について考えていたとき、今なお自然の中から糧を得て暮らす人々を取材する機会を得た。漁労や採集、狩猟を楽しみ、なりわいにもしている日本人の記録である。』と書かれているが、さすがに現代社会ではそれだけに頼って生きていけるわけではない。しかし、『いずれの人も自然に対する深い洞察力を備え、現代人離れした技術を持ち、質素だが無理のない暮らしを送っていたのが印象的だった。ひと言でいえば「縄文を見た」。』と述べている。僕が目指したかったところもきっとこういうところだったのかもしれない。そうなってくると、生きるための糧を得ている今の職業とその目指しているところのギャップがあまりにも開きすぎていた。そこからは何の応用も生まれてはこなかった。そんなことを思いながら就職活動をやっていたわけでもないので当然といえば当然だが、もう少し考え方を変えていればもっと楽しい生き方になっていたのかもしれないと思うと今更だけれども残念にも思うのだ。

登場している人々の生き方が僕の理想と思う人たちばかりなのでそういった思いのほうが強くなってしまった。願わくば、定年退職後は生きる糧を得るというところまでもいかなくても、こういった自然の世界にかかわりながらいくばくかの糧を得られるような生き方をしたいものだと妄想が湧いてくる。

著者は1960年の生まれだというのは先に書いたが、取材対象になった人たちは全員1920年代の後半から30年代の人たちだ。著者からすると、父親の世代の人たちということになるだろうか。この時代の人たちはその子供たちの世代に比べるとはるかに濃厚に自然と接してきたのは確かだろう。戦争を体験し、日々食べるものさえない時代に山、川、海からなんでもいいから食べられるものを取ってくるというのは生きることに直結もしていた。僕の父親もそうであったから何でもよく知っていたし、手も体もよく動いた。こういった記録は文章だけに残したところで後世に伝わるものは何もないのかもしれないが、彼らの子供の世代の著者としてはこういう人たちがいたのだということをどうしても残したかったのだとは思う。この本は、2003年と2007年に取材されたものを2015年に1冊の本としてまとめたものだが、今書いておかなければそれこそ何も残らないという焦りもあったのかもしれない。2022年の現時点では現役で同じことを続けることができている人はほとんどいないのではないだろうか。
そして、奄美大島の老人を取材した章では、『子供のころの濃密な自然体験は、今はどこでも昔語りの世界だ。奄美のタコ捕りの場合、それが郷愁でなく、70歳を過ぎた現在も同じ場所で同じ興奮が味わえるというのが驚きであり、新鮮でもある。こうした遊びをアウトドアレジャーと呼び、車を使って遠くまで追いかけて行かなければならない都会の休日は、じつはそれほど幸福な時間ではないことを教えられる。』と書いているが、今の時代、あなたたちは果たして本当に幸せなのかと問いかけたかったのかもしれない。
確かに今の僕の生活というのは、例えれば全然面白くない民放テレビを見ているのと同じである。そのココロは、楽しみは本編ではなくてコマーシャルの方だけである。というものだが、僕も休みだけが楽しみで本編の仕事という部分には何の魅力も感じられない。これが少しでも仕事と自分の楽しみに関連があればそこに光明を見出せるのかもしれないが、それがまったくないのでは絶望的なのである。僕の人生の残り時間を切り売りしているだけなのである。

ひとつおもしろいエピソードが書かれていた。これも奄美大島での習慣だそうだが、『山の神様を拝んだあとは、今日はたくさん撃ってくるとまわりに触れ回る。ヤマウーバといって、山へ猟に出るときはどれだけ大きなことを吹いて回ってもかまわん。そのほうがシシは捕れると昔から言ってね。反対に海の漁はイショムツカといって、人に黙って出かけたほうが獲物があるといわれる。』そうだ。僕もそういった経験がよくあって、前の日に、明日釣りに行くんですよと人にいうとその日は魚が釣れない。ああ、これは日本全国どこでも同じだと思ったのである。
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紀ノ川河口~水軒沖釣行

2022年08月15日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口~水軒沖
条件:中潮 8:03満潮
釣果:タチウオ 13匹

今日も朝だけ釣行だ。暑いというのもあるのだが、午前中に病院に行かねばならないのだ。
大きい方の船のローテーションなので太刀魚の仕掛けと禁断の仕掛けを持って家を出た。

午前4時半に船を出せば十分だと思っていたが、何を張り切っているのか家を出るのが早すぎて港に到着したときにはまだ真っ暗だった。あんまり早く出港するのもなんだから港の周りを散歩してみたりして時間を潰してみたのだが今度は時間を潰しすぎて、エンジンを始動させて出港準備が整った時には東の空が薄っすらと明るくなってきてしまった。



これは急がねばと思うのだが、ここで慌ててはトラブルの元だ。そこは自重しながらゆっくり船を滑り出させる。

いつもの通り、海保の巡視船の前から仕掛けを流し始める。

この辺りの感じだと今日はまったく潮が動いていない感じだ。潮時表に倣うと潮が満ちてきているはずなのであるが・・。感覚的には多少潮の流れはあったほうがよいと思っているので、う~ん、今日もダメか・・という悪い予感が頭をよぎる。
青岸灯台の前に差し掛かると、今度は凄い抵抗を感じる。何かゴミでも引っかけたかという感じだ。本当にゴミが引っ掛かっているとまずいので一応仕掛けを点検。何も問題個所がないのでこれは潮の流れの抵抗のようだ。あまり流れが速すぎるのもな・・と思っていたらアタリが出た。かなり強い引きなので間違いなくタチウオだろう。慎重に仕掛けをたぐり寄せるとそれほど大きくはないが4匹も食らいついていた。それはよく引くはずだ。それから30分は怒涛のようなアタリラッシュだ。船が動き始めるとすぐに喰ってくる。なのでほとんど同じ場所で釣り続けるという感じだ。
相当活性が高いようで、喰ったタチウオにまたタチウオが喰いついてきて体が半分になって上がってくるのもあれば、三又のサルカンの下の補強糸が1本切れてしまう場面もあった。ほぼ最盛期のような喰い方である。しかし、そんな時間もあっという間に終わってしまった。これがあと30分も続けば20本以上の釣果になるのだが、それはまた今度にお預けだ。

それほど大きくはないと言いながらベルトサイズのような小物はいない。ほぼ全部指3本以上はある。例年なら小さいタチウオから釣れ始めて徐々に大きくなってゆくのだが、去年から居ついている魚の活性が上がってきただけなのかそれともたまたま大きな魚体の群れがやってきたのか、どちらにしてもこのままのサイズを保ちながら9月に入ってくれれば楽しい釣りができそうだと期待が持てる。まあ、もう少し様子を見る必要がありそうだが・・。

アタリがなくなったので禁断の仕掛けを流すため新々波止の南に移動。こちらの仕掛けにはまったくアタリはない。やっとアタリがあったと思ったら小さいサバだ。2匹掛ったが1匹だけガシラ釣りのエサにするためにキープ。この時点で午前6時。魚を捌いて仕掛けを洗ってちょっと余裕があるくらいかとこれで終了。

タチウオもそうだし、禁断の仕掛けもそうだが、エソがやたらと掛かってくる。タチウオの仕掛けなど明るくなってくるとエソばかりになる。今年はエソが多いのだろうか。多分、タチウオに比べるとエソの方が動きは俊敏そうだから先に喰ってくるのかもしれない。これにはタチウオの邪魔をされそうである。自然の流れには逆らうこともできないので何ともしようがないのだが・・。

家に帰って素早く魚を捌き、仕掛けを洗って病院へ。
お盆だというのに病院は盛況だ。役所や銀行も含めて日頃から世間のお役にたっている重要なインフラなのだからお盆くらいは休めばいいのにと思うが、正月は休んでもなぜかお盆は休まない。正月が休めるのならお盆に休むこともできるのではないかと思う。関東と関西ではお盆の時期が違うので全国一斉に休めないからだというのを聞いたことがあるが、それこそ、きちんと地方の習わしに沿った休み方をするべきだと思うのはいけない考え方なのだろうか・・。
ただ、普段よりも休んでいる人も多いのか、採血の順番がなかなか回ってこない。待つのは辛いがこれはこれでよいことなのかもしれない。



採血やCTの場所はけっこう混んでいるし、泌尿器科なんていうところもかなり混んでいたのだが、消化器外科にやってくるとここにはまったく人がいない。診察室もガラガラで無人だ。多分だが、ここの診療科では自分たちが休みたいものだから意図的に予約を受け付けていないのだろうと思う。診療科によってこんなに違うというのもおかしな話だ。要領よくやっているといえばそれまでなのであろうが・・。
医師は休んでいても、僕たちのように点滴や検査だけの目的に受診にやって来る患者もいるので、看護師の方々はきちんと出勤している。処置室だけが稼働中だ。エラいひとたちの特権というのだろうか、象牙の塔のいやらしさを垣間見たような気がした。




ひと通り検査を終えてお昼を食べてから仏さん参りへ。港の近くの叔父さんの家と海南市の叔父さんの家を訪ねたのだが、この暑さでバイクもオーバーヒート気味なのか、エンジンの警告灯が点灯し回転が上がらなくなってしまった。エンジンを切ってしばらくするとまた走り始めることができるのだが走り始めるとじきに警告灯が点灯してしまう。



青柚子を手に入れたくて少し遠回りをしてきたのだが完全に止まってしまわないかと気が気ではなかった。一度カバーを外してラジエーターを点検してみないといけない。

両方の船もエンジンに不安を抱えているし、おまけにバイクまでとなってくると、なんだかか、ひとつの終焉を迎えつつあるのではないかと思えてくる。今の職場もおそらくもうすぐ終わりだし、昨日久しぶりに寄ってみた難波のコーヒーとワインの安い店もいつも買うコーヒーとワインは軒並み値上げされていた。そんな値段ではわざわざ難波まで出向くこともないと思うので昨日が最後だろう。ついでに青柚子もあるにはあったがこれも2割増しの価格になってしまっていた。
お盆という時期がそう思わせるのか、本当に僕の中で何かが終わろうとしているのかどうかはわからないが、ネガティブにならざるを得ない今日この頃なのである・・。



釣ったタチウオの尻尾はいつものとおりチーズ焼きに。普通は捨てるもので1品できあがるというのは毎度ながらうれしいのだ。



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「三人孫市」読了

2022年08月14日 | 2022読書
谷津矢車 「三人孫市」読了

著者のプロフィールを調べてみると、時代小説の世界ではいくつかの賞を取ったりしている人のようだ。雑賀孫市が主人公の小説を何冊か読んだが、いままでは調べても出てこない人ばかりであったことと比べると、司馬遼太郎や津本陽まではいかなくてもけっこう有名な人のようだ。

雑賀孫市は謎の多い人物なので様々な空想の世界の中で物語が作られるが、今回は複数の孫市が一度に存在したという設定のもとに書かれている。これは元々、「雑賀孫市」という名前は名跡として存在し、雑賀一族の統領が代々受け継いできたものだということをヒントにしているのだと思う。
雑賀一族は傭兵集団という側面を持っているので、雇われれば敵と味方に分かれて戦うこともあったらしい。(どこまで史実かは知らないが。)そういった真逆の立場に立つようなことが、複数の人格があってもいいだろうとなり、それなら同じ名前を名乗る人物が複数いてもいいだろうという想像の膨らみにつながっていったのかもしれない。
物語の中では、長男と次男のふたりが同じ名前を名乗ることで武勲が大きくなり、自分たちを利することになるというのでそんな名乗り方をしたということになっている。

主人公は3人の兄弟である。雑賀一族の統領のひとり、鈴木佐大夫の息子たちという設定である。長男の秀方は聡明ながら病弱、次男の重秀は体躯も大きく勇敢、三男の重朝は神秘的で他人を寄せ付けない雰囲気だが銃の名手という設定になっている。次男の重秀という名前は実在した名前のようだ。
雑賀一族は自分たちの生き残りを懸け、時には一丸となり、時には敵と味方に分かれながらも自分たちのための戦いを展開するという内容である。ちなみに、孫市が愛用したとされる「愛山護法」という銘の銃も3丁に分かれて登場する。

主人公たちはいつもながらのスーパースターでぶりで、長男は戦略立案の名手であり、その策はいつもズバリと当たる。愛機は銃身が2本ある「愛山護法・海」。連射ができるということが特徴である。次男の重秀は屈強で、ひとたび金砕棒を振り回すと敵兵が5人、10人と血まみれになって死んでゆく。普通の人間ではそこまでの力は出せないだろう。愛機は「愛山護法・陸」。銃身の直径は通常の倍以上。命中精度は低いがその破壊力は強力である。三男の重朝はまだ、7、8歳のころ、初めて銃を見たそのとき、何かに憑りつかれたように銃を扱い見事に鴉を打ち落とす。そしてその鴉には三本の足が生えていた。そこにこの三人の兄弟の運命が暗示されているのである。愛機は「愛山護法・空」。銃身の長さが通常の倍あり、射程距離と命中精度が高い。その後も腕を上げ、1発の銃弾で3匹のスズメを一度に打ち落とせるほどにまでなるのだが、まず、そんな芸当はスズメが立方体の箱の中に詰め込まれているような状況でも作らないかぎり無理だろう。しかしながらその腕前は数度にわたって信長の命を脅かすことになり、後に兄弟同士戦いという悲劇を生む。

雑賀庄の統領の使命として、長男の秀方はまずは領地を守ることこそが一番であると考える。病弱であるがゆえに戦場での働きはできないものだと悟り、戦術書を読み漁り、名高い軍師に教えを乞うことで軍略家として成長する。そのきっかけとなるのが、刀月斎という本願寺から流れてきた老人である。ボロを纏ってはいたが、腕利きの鉄砲鍛冶であった。刀月斎は雑賀庄に鉄砲と阿弥陀信仰をもたらしたことで雑賀庄に波乱が巻き起こる。「愛山護法」を造ったのも刀月斎である。
次男の秀重は秀方が考案した鉄砲の運用術を使いこなして名うての戦術家となる。生き残るために織田、羽柴の軍門に降った雑賀庄と本願寺との間に悩みながらも武士としての本分を全うすべく自分の信じた道を行こうとする。三男の重朝はそんな次男に付き従いながら自分の技術をさらに高める道を進むのだが、本願寺と織田家の軋轢から生まれた悲劇により二人の兄と争うことになる。

その悲劇とは、こんな内容である。
雑賀一族は織田信長と雑賀庄での合戦の和議の条件として本願寺には与しないという約定を飲む。しかし、統領のひとりである土橋平次はその約定を破り本願寺へ物資を流していた。雑賀庄を守るため、重方はやむなく平次を斬る。そして、その娘であり、鴉の巫である娘のさやの命も奪ってしまう。
秀方は非情なまでの決意で雑賀庄を守ろうとし、秀重はなりゆき上本願寺派を守るため信長、秀吉軍に戦いを挑む。そして、重朝は心に秘めた思いから悲しい復讐に燃えるというかたちで物語は進行してゆく。その思いとは、さやに対して、鴉の巫という窮屈な立場からいつかは自由にしてやると約束をしていたことであった。重朝はその死を知って怒りに震え、兄を仇として討つことを誓う。そしてそれは手段を択ばぬものであった。この、悲しい復讐劇が物語のクライマックスとなる。重朝は羽柴方に寝返り本願寺に味方する秀重を討ち、そしてまたさやを殺した長兄の秀方さえも狙うのである。

信長や秀吉にとっては雑賀一族などというのは地方の小さな豪族に過ぎず、たとえ戦場で苦杯をなめさせられたとしてもそれは一時のものであり世の中のすう勢を決するようなものでもない。今までの孫市が主人公の小説というと領地を守るための戦いと信長、秀吉に一矢報いるというような流れで書かれているが、この小説は3人の兄弟を登場させることでもっと小さな世界での戦い、すなわち、自分の名誉であったり恋焦がれる人への思いであったりのための戦いを書いているというのが大きな違いだ。
きっと、この時代でも、もっと時代が進んだ昭和の時代の戦争でも、大多数の人たちは大局などは別の世界のこととして、もっと小さな世界で自分たちのための戦いをしていたんだろうなとあらためて思わせる内容であった。戦争などというものは結局、政府なり、幕府なり、大名なりの欲望やエゴだけで始められるものだ。前線で戦っている人たちにはそんなことは関係ない。もしそれが正義の戦争だと信じているのであればそれはただ洗脳されているだけである。もし、そういう人たちに大義があるとすればその大義はもっともっと身近で小さなものである。そういうところを重朝というキャラクターを使ってうまく書いているなと思うのである。


最近「ちむどんどん」では、ここはおかしいとか、こんな展開はあり得ないと、「#ちむどんどん反省会」などと称していろいろ突っ込まれているように、主人公たちの射撃の腕や武勇伝を別にしてもこの小説にも細かな点でこれはおかしいのではないかというところがいくつかある。僕もそういったところを突っ込んでみようと思う。
まずひとつ目だが、この物語が動き始めるきっかけになる部分だ。先に書いた通り、秀方は長男ではあるが、病弱であるがゆえに戦場に出ることもままならず、家督を継ぐことを諦めているのだが、そこに本願寺から流れてきた刀月斎という老人が現れる。その登場シーンというのが、八咫烏の従者として巫の役割をしているさやにボロをまとった汚い姿で取りすがったところを捕らえられるという感じなのだが、その時は祭りの最中だということで手討ちにされるのを免れる。この領地には牢屋がない(ここも、戦国時代の傭兵集団の里に牢屋がないというのはおかしい・・)というので監視役として秀方が指名されるのだが、場面は変わって一応、体はきれいに洗われてそれなりの着物に着替えさせられている。そこで、「お前は力が欲しくないか。」と2丁の鉄砲を包みから取り出すのだが、ボロをまとった姿から着替えさせられているのだから、その時に持ち物も検査されているはずで、普通なら鉄と木でできた見たこともないような怪しいものは一体何かと尋問をされていてもおかしくないはずなのに、何故、そうはならずにその後に路上で秀方に見せることができたのか・・。この場面がなければ雑賀一族が鉄砲隊として戦国の世に名を上げることができなかったのだが、相当無理がある設定のように思うのだ。
ふたつ目は、いわゆる「雑賀川の戦い」だ。川底に壺を埋めて騎馬武者をパニックに陥れるという奇策が有名だが、この小説では普通の落とし穴となっている。空想は空想でよいのだが、この戦いは雑賀一族の知略の象徴だと僕は思っているのでやはりここはそのストーリーで書いてほしかった・・。
三つ目は、雑賀庄の秀方は織田方、弟の重秀は本願寺方に分かれた後のことだが、本願寺は降伏して顕如上人は鷺ノ森別院に隠れ、そこに重秀も同行するのだが、信長は執拗にその行方を追っている。しかし、雑賀庄と鷺ノ森というのは目と鼻の先というか、鷺ノ森も雑賀庄の一部であるにも関わらず、重方たちはその存在にまったく気が付いていない様子なのだ。これだけの高僧と屈強な武士が一緒のところにいれば、すぐに噂が広がって見つかってしまうと思うのだが・・。
と、もちろん、この小説は100%空想で書かれているのでそれはそうなっているのだからそう読んでおけばいいのだが、ひねくれた性格の僕はどうしてもそういうところを突っ込みたくなるのである・・。
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