イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む」読了

2020年12月29日 | 2020読書
三田完 「不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む」読了

阿久悠というと、「スター誕生」でいつも怖い顔をしてオーデションを受けに来た人たちに厳しい言葉を投げかけているという印象の人であった。当時、小学生だった僕はこの人がいったいどんな人なのかということはまったく知らなかった。
もう少し大きくなってあの歌もこの歌も作詞をした人だということを知った。僕が加太へ向かう道中いつも口ずさんでいる「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌もこの人が作詞したものだ。

阿久悠の詩というのは歌がなくても詩を読んでいるだけでひとつの物語が浮かび上がってくる。日本語がちゃんと存在している。
父親の仕事の関係で淡路島の学校を転々としていた関係で、故郷に対する感覚は薄いというか、父親からは別れる時に悲しくならない程度に友達と付き合えと言われ、そのことからか、叙情的ではあっても郷愁はない、常に通りすがりの人の立場で作詞している。そういうところがまたひとりよがりにならずに物語が広がっていく要因にもなっている。
そして、この頃ひたすら通った映画館が後の創作活動に大きく影響しているという。僕も、「ニューシネマパラダイス」を観てみたくなった。

この本は、阿久悠が昭和56年(1981年)元旦から亡くなる半月前(2007年=平成19年8月)までの26年7か月毎日書いていた日記をもとにして作詞家の人生に迫ろうというものだ。著者は元NHKのディレクターで、後に阿久悠をマネジメントする会社に就職した人だ。
阿久悠の全盛期というのは、1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)の6年間ほどだったそうだ。この日記は全盛期を過ぎたあとに書かれたということになる。全盛期を過ぎたと言っても、日記を書き始める直前、昭和55年の日本レコード大賞は八代亜紀の「舟歌」だったのであるが・・。
この6年間に発表された歌は、主だったものを挙げるだけでもこれほどある。「狙いうち」「ジョニィへの伝言」「絹の靴下」「わたしの青い鳥」「コーヒーショップで」「恋のダイヤル6700」「ひまわり娘」「学園天国」「宇宙戦艦ヤマト」「ロマンス」「北の宿から」「嫁に来ないか」「ペッパー警部」「津軽海峡・冬景色」「渚のシンドバッド」「UFO」「ウオンテッド」「ブーメランストリート」「勝手にしやがれ」「能登半島」「サウスポー」「透明人間」「狼なんて怖くない」「林檎殺人事件」
このブログを読んでくれている人たちも、これらの歌を誰が歌っていたのかというこを全部思い出せるのではないだろうか。

阿久悠の日記の書き方は独特で、毎日気になったことを次々と小さなメモに書き、1日の終わりにそれらを眺め日記にまとめていた。世界情勢であろうと政治経済であろうと自分の考えや行動までも同格に扱っていた。とくに重要だと思うことや印象に残ったものは赤いサインペンで強調して書いていた。創作を生業とする人だから自分が死んだあと、この日記は他人の目に触れることもあると想定して書かれているかのようであったというのが著者の印象だ。

阿久悠は昭和12年に淡路島に生まれた。生まれたのは美空ひばりと同じ年だったそうだ。小学生の頃、自分が死んで新聞に載っても「少年死亡」の4文字だが、美空ひばりが死んだら4万文字くらいの記事になるのだろうなと考えていたというのだからやっぱり普通の人とは違う。この頃から何かをして世に出ようという野望のようなものがあったようだ。
小学生の頃に先生から作文を褒められたことがあったという回想録からも、文章を書くことで身を立てたいという願望がこの頃から芽生えていたのだろう。
もとは作家か脚本家志望だったらしく、広告代理店で働きながら2足のわらじを履いて放送作家をしていたそうだ。会社にばれないように作ったペンネームが、「阿久悠」であった。「スター誕生」しかり、「ニュースステーション」も企画段階から阿久悠が関わっていたそうだ。

作詞家になるきっかけというのは、テレビの台本を書く中で番組のテーマソングの作詞をしたことであった。
その後は3年連続でレコード大賞を取り、破竹の勢いが続く。しかし、全盛期が6年間とは思えないくらい、あの歌もこの歌も阿久悠だったのかという曲ばかりだ。

この本では阿久悠が作詞家として成功した要因は何だったのかというようなものは特に書かれていないが、過去に語った言葉として、『100メートル走で100メートル先をゴールとして走るのと、103メートル先をゴールとして100メートルを走り切るのではゴールを切る時の速度は違うのだ。』というのもが紹介されている。もちろん元から才能があったということは大前提だが、こういう貪欲さというか、努力というか、そういうものがなければ大成することはないのだろう。常に自分を高みに登らせようというエネルギーがすごい。
何事に対してもなんとか逃げ切ろうととしか考えていないような人間にはゴールどころか横の溝に落ちるのが関の山ということだろう。耳が痛い。

そして、作詞をする上でのモットーと挑戦は、「怨念と自虐に頼らず書く。」「どうせ、しょせんという言葉を使わない。」ということであったそうだ。日本の文学で認められようとすれば怨念と自虐が必要というのが通説で、かつ歌謡曲のなかには「どうせ」「しょせん」という言葉や意味が頻繁に使われてきた。それにとらわれずに新しい作詞の形を作り上げようとし、その後の小説の創作活動もその考えのもとに続けられた。

そして、この日記は昭和から平成に時代が変わる頃に書かれているのだが、それは日本人の価値観も大きく変わった時代だ。高度経済成長からバブル崩壊~デフレの時代を見つめた作詞家はさらに時代の波に乗り続けるために新しい作詞の形に挑戦する。時代はシンガーソングライターが全盛で、職業作詞家という人たちは時代に合わないと考えられ始めたころだ。歌詞は日本人の機微を歌わなくなり、桑田佳祐は一体何を言いたいのかわからない。(でも、僕はそれも好きだが・・・。)AKBの歌詞はいい内容だと思うがあの歌唱にはついてゆけない。病に斃れそれは実現しなかったが、阿久悠が今を生きていれば一体どんな歌を創り出していたのだろう。
また、美空ひばりや山口百恵に対する思い(ふたりとも阿久悠の歌は歌っていないそうだ)や、それぞれの時代の様々な出来事に対する阿久悠の思いが日記に書いていることがそのまま掲載されている。
僕も同じ時代を子供時代から成人するまで過ごしていたのであらためてひとつの大きな時代の流れの中にいたのだと感じさせられた。

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「令和版 全訳小説 伊勢物語」読了

2020年12月28日 | 2020読書
服部真澄 「令和版 全訳小説 伊勢物語」読了

伊勢物語が最近流行っているというのを聞いたことがあって、読みやすい本を探していた。この本は、完全口語訳でときおり注釈が挟み込まれているという構成だ。口語訳の部分と注釈として挟み込まれた部分が判別しづらいという部分を除けばものすごく読みやすい。文語がまったくわからない僕としてはありがたい構成だ。
原文は、ほとんどが仮名文字で書かれているらしく、浪人時代の古文の講師の先生が全部ひらがなで書かれた和歌を虫食い形式で出題して、文法や単語の説明をしてくれたことを思い出した。
高校時代の古文の先生に比べるとはるかによくわかる説明をしてくれたので2年目の共通一次試験の古文と漢文はほぼ満点を取れたのはこの先生のおかげだったといまでも感謝している。けっこうスケベなことも教えてくれて、平安時代はフリーセックスと通い婚だったというのを浪人時代にはじめて知った。刺激的すぎた・・。
料理屋の店先に塩を盛るのは、当時の上流階級は牛車に乗っていて、牛は塩を見つけると舐めたくなるのでそこで立ち止まる。だから男を引き込みたい女性は玄関先に塩を盛っていたのだということも教えてくれた。
今ではまったく文語なんてわからないけれども、当時はそこそこ読めたのにと思うと残念だ。

伊勢物語とは、『平安時代初期に実在した貴族である在原業平を思わせる男を主人公とした和歌にまつわる短編歌物語集で、主人公の恋愛を中心とする一代記的物語でもある。』とウイキペディアには書かれている。作者は不詳。125段ある章のほとんどが「むかし、おとこありけり」という文章で始まるというのが特徴だ。『源氏物語』と双璧をなしており、『古今和歌集』を加えて平安時代の三大文学とも呼ばれているそうだ。使われている和歌のほとんどは実際に在原業平が詠んだ和歌だそうだ。

内容はというと、在原業平らしき人の恋愛遍歴が満載という感じだ。下世話な書籍紹介を読むと、業平のスーパープレイボーイぶりがエロチックに書かれているみたいなことを書かれているが、むしろ、しっとりとした男女の機微が書かれているといったほうがいいように思う。
男女のコミュニケーションのほとんどが和歌のやりとりで成り立ち、その36文字にいく重にも隠された掛詞が使われ、無限の意味を持ってくる。そして手紙のやりとりというゆったりした時間の流れがその想像力をいっそう膨らませるというのがこの時代のコミュニケーションだったのだろう。

瞬時にメールが届いてしかも画像付きという今の時代はそういう意味では想像力が働かない。今、この時代にこういう文学が注目されるというのはたしかによくわかるような気がする。

在原業平と言う人は、平城天皇の孫にあたる人で政争に敗れ在原姓を名乗ることになったけれども運がよければ天皇になっていた人だ。だから物語のそこここになんだか悲哀のようなものが隠れているような気がする。(実らぬ恋の場面が多いというところもあるのだろうが・・)
有頂天の物語よりもこういったものの方が長く語り継がれるというのも徒然草や方丈記、平家物語と同じような雰囲気をかもし出しているのかもしれない。

六歌仙・三十六歌仙の一人というくらいで、掲載されている和歌にはたくさんの掛詞が入っていて、解説が付いていなければまったくその意味を解せない。この時代の人たちはこういった和歌を相手の気持ちと一緒に理解できたというのは相当な教養とひとの機微をわかっている人たちであったのだと感心させられる。これもきっと今のように安直に情報を伝えられない時代ならではの能力であったにちがいないと思うのだ。

きっとこういう生き方の方が人間らしいんだろうなと読みながらずっと思っていた。


桜の季節になると必ず頭の中をめぐる
『世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』
という歌は伊勢物語に収録されていた歌だということもこの本を読んでははじめて知ったことであった。
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「いのち愛づる生命誌〔38億年から学ぶ新しい知の探究〕」読了

2020年12月23日 | 2020読書
中村桂子 「いのち愛づる生命誌〔38億年から学ぶ新しい知の探究〕」読了

この本が今年100冊目の読書になった。

著者は分子生物学者で、執筆当時はJTが運営する、「生命誌研究所」の副館長という立場であった。生物はDNAの情報を基にして作られた機械のようなものであるという現代主流になりつつある生命観に異を唱え、『DNAまで還元せずに、細胞のDNAの総体であるゲノムを単位にすれば生物の多様性が見えてくる』という生命観=生命誌を提唱した人だそうだ。
ゲノムが作り出す様々なタンパク質はかなりの部分で各生物に共通している。生命誌の世界ではすべての生物がつながっていて、それは時間の流れによってつながっているのだというのが著者の考えだ。
38億年前、ひとつの細胞が生まれ、分裂を始めた。それが多細胞化し、性が生まれその果てに人間が生まれた。僕の先祖をどんどんさかのぼっていくと必ずその単細胞までいきつくことができる、はずだ。ある日突然、どこかからワープしてきた宇宙人が先祖だということはまずあるまい。
こういう、どちらかというと哲学的なことが科学としてどんな形を作っていくのかというのには興味がある。科学の世界では法則性、論理性、客観性、再現性という考えが基本だが、生命誌の考えでは同じ種でも個別に持っているゲノムを尊重して考えねばならないという理念もある。こういう部分も哲学的である。
ただ、この本に書かれている「生命誌研究所」が研究している内容が紹介された部分では、そういった理念がどのような場所に反映されているのかということがよくわからない。生物の遺伝情報を解析してそれがそれがどんな祖先から由来してきたということを調べることは普通の生物の分類学と変わらないのではないだろうか・・。

ただ、著者の考えでは、かつて哲学の中から科学が生まれてきたのだからそれをまたひとつにするのだというのがなかなか素晴らしい考えなのだろうなと思う。
物質的な部分の科学が進歩し続けてもそこに心が追い付かなければ悲劇を生むだけだというのが今のこの時代に当てはまっているような気がする。

著者は生命の進化の中で、ふたつの場面が非常に重要だと書いている。最初の重要な場面は、細胞が生まれた時。ふたつめは真核細胞が生まれた時である。
生物というのは、宇宙の中で唯一、外部からエネルギーを得て代謝をして自らの複製をつくることを繰り返すことができるものだ。ただの物質がどのようなきっかけでそんな活動を始めることができたのはいまだもって謎なのだそうだ。
人は必ず、どんなものに対しても必然を求めるものだけれども、はたして生命が生まれる必然というものはあったのだろうか。
そして核を持った細胞は、その構造を複雑化しその先で性を持った。その延長線上に意識であったり感情であったりというものが生まれるのだが、はたししてそれも必然であったのだろうか。

宇宙戦艦ヤマトの続編では、彗星帝国の帝王が、「人類は性を持ったゆえに“愛”をもった。そしてその愛は憎しみや争い、そして苦しみの根源である。真実の愛というのはそれを抹殺することだ。」と言う。人類とは、『オスとメスが愛を育まねば繁殖もできない不合理な生き物。奪い、憎み、殺し合う。この宇宙の調和を乱す、ヒトという混沌。』であるという。
これが真実の一面を持つのかどうかは知らないが、この地球上でおこっている、格差や偏見、差別、妬みも、自分たちの仲間への愛の強さゆえの反動と捉えれば納得のいくところもある。
それが必然であったというならば、なんと神様は非情なお人であったことか。
かつて神は自分の似姿として人間を創ったという。神様も意外と嫉妬深かったりするのかもしれない。
生命誌という学問が目指す究極の心理というのは、この、「必然」を探し求めるものだったりするのだろうか。


掲載されているエッセイは、2000年前後のものが多い。1900年代というのは科学の世界は大発見が続いた。放射性物質やDNA発見、宇宙の膨張の証拠が見つかったなどなどは1900年代の前半であったそうだ。技術的にも機械文明が急激に発達したのが1900年代だ。
2000年というと、国際宇宙ステーションの運用が始まった頃だそうだが、その後の科学の発展は驚異的なものではなかったような気がする。人類はいまだに地上から400キロしか飛び出していない。
技術の進歩の加速度というものはゆっくりと低くなっていくというのは間違いないことであり、そして、もう、これ以上そんなに科学技術の進歩が必要なのだろうかとも思ったりする。
僕の中では、ボタンひとつで注文した商品が翌日に届くような便利な世界になればそれ以上は望まなくてもいいのではないかと思っている。それよりも、僕の身には直接押し寄せてきているわけではないけれども、これ以上ゴミが増えて自然環境が壊されて魚が釣れなくならないようにしてくれればそれでいい。(ついでに山菜も採らせてくれ。)長生きをするといっても、どうだろう。ずっとお金の心配をしながらならそれも面倒くさい。
今年のノーベル賞は遺伝情報を自在に書き換えることができるゲノム編集技術を作り出した人たちがもらったけれども、その編集した先には何があるのだろうか。やっぱり神と似たものとなってその必然を探し出そうとしているのだろうか・・・。

生物を機械と捉えると効率を追いかけるという考えしか生まれてこない。しかし、生命誌的な世界観を中心に据えるとあらゆる社会の底にある普遍的な価値が見えてくる。
著者はそれをもとに、「ライフステージ社会」というものを提唱した。
「ライフ・シフト」と「里山資本主義」をミックスしたような考え方のようだが、著者は大平内閣時代、実際に「田園都市構想」というものの中で実際にブレーンとして提案し、小渕内閣でも同じような構想が提案されたが、両内閣とも総理の急死でこの構想が消えてしまった。
多分、お金ですべてを計るのではない社会の実現というところであったのだと思うが、僕も、必要じゃないものを売りつけないし買わない、そんな社会で一度暮らしてみたかった。

著者は最後の章で生命誌を「曼荼羅」に例える。
これには納得させられた。密教の曼荼羅は中心に大日如来がいて、周囲の如来、菩薩たちはそれぞれが関係しあって全体世界を作り上げている。著者が作った生命誌の曼荼羅は、中心に受精卵がある。受精卵はすべての生命の根幹でありすべての細胞は受精卵と同じDNAを持ちながら異なる器官を作り、その生物たちが関係しあって世界を作っている。そのすべてが同じ遺伝子情報でつながっているというものだ。

最初は生命誌というものの考えというのがいまひとつよくわからなかったけれども、ライフステージ社会、生命誌曼荼羅というふたつの考え方を読んだ時に、著者の考えていることがおぼろげながらわかったような気がした。

そんな100冊目であった。
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「NHKラジオ深夜便 絶望名言2 」読了

2020年12月17日 | 2020読書
頭木弘樹、 NHK〈ラジオ深夜便〉制作班 「NHKラジオ深夜便 絶望名言2 」読了

以前に読んだ、「絶望名言」の続編だ。「文豪たちの憂鬱語録」よりもこっちのほうがひとりひとりの人物について深く書き込まれているので共感を得やすい。

そして最初から僕の心の内を見透かされてしまったかのような名言が紹介されている。
その人物は中島敦だ。「山月記」という小説の作家だということしか知らないし、山月記の内容がどんなものかさえも知らないが、この作家は若いころから体が弱く、作家として名声を得たのはなくなる前の数か月だけであったそうだ。
そんな人物が心の奥底に抱えていた闇が、『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』であった。中島敦は詩人を志してはいたが、はたしで自分がそれで大成することができるかどうかが不安であったために、誰かに師事したり、求めて詩友とまじわったりすることはなかった。それは、自ら努力をして失敗することで自尊心が傷つかいないように、あらかじめ失敗しそうなふうに自分を持って行くという行為であった。
何かをしようとしたとき、常にそういう気持ちがあったように思う。これをやってみてもうまくできることはないのだから最初からやらないでおこうと言い訳を作って結局やらない。いまではこういう心理行動を、セルフ・ハンディキャッピングと言うらしい。
だからたいした資格も取ることもなく、大きな仕事も成し遂げたことがなかった。ひとから見られると、それは“逃げている”と受け取られる。そう、いつも何かから逃げている人生だった。
それでも中島敦は死の直前、たくさんの傑作をこの世に残すわけだが、ぼくの方はというと、あと何年でここから逃げ出すことができるのか・・。そればかりを考えている。

次はベートーベンの名言が紹介されている。
ベートーベンは難聴で苦しむのであるが、偶然襲われた不幸に対してどんな気持ちで臨んだかそんなことが書かれている。「ハイリゲンシュタットの遺書」という書簡集が残されているそうだがそこにはベートーベンの様々な心の葛藤の跡が残っているそうだ。
偶然襲った不幸に対して人は必然を求めるものだが、ベートーベンはそうはしなかった。運命を乗り越えたいと思う一方で、『あきらめとは何と悲しい隠れ家だろう。』といいながら、希望に別れを告げる道を選ぶ。仏教では欲望を捨て去るためには諦観というものが必要と説くけれども、ベートーベンもそうした諦観を見つけることができたのか、その時期は「傑作の森の時代」と呼ばれ、「英雄」「運命」「田園」などの作品が生まれたときと一致する。
しかし、その諦めとはうらはらに、こんな言葉も残している。
『ああ、神様、歓喜の一日を私にお与えください。心の底から喜ぶということがもう、ずっとありません。』そういえば僕も心の底から喜んだことがないなと、ベートーベンでもそうなのだから仕方がないと思うわけだが、やはり、偉人は違う。自分の仕事に対しては、『自分が使命を感じている仕事を成しとげないでこの世を見捨ててはいけないように思われるのだ。』と言っている。やはり逃げの一手の僕とはまったくちがうのだと当たり前だが思ってしまうのだ。

その次は、向田邦子の名言が紹介されている。
向田邦子のドラマの脚本「家族熱」のなかに家族とは何なのかという問いかけがある。
『昔の暮し、すっかり忘れたつもりでいるでしょ。そうはいかないのよ。体の中に残ってるのよ。』別れた家族の思い出が無意識の中にこびりついていることを魚屋で買う切り身の数に見てしまうのであるが、著者とアシスタントはこんな会話をする。『家族っていう言葉はですね、あたたかとかぬくもりとか、かけがえのないものというふうにとらえられていまして、現実にそうでしょうけれども、しかし、うっとうしいもの、そこからのがれたいと思っている人もけっこういる。そういう存在でもありますね。家族というのは、なかなか一筋縄ではいかない。完全無欠の健康体というものがないように、完全な家庭というものもあるはずがない。』
きっとそれもそういうことなのかもしれないと思うのだ。家族って、何なのだろうと思わせられる。

また、“食べる”ということについて、別のドラマのこういうセリフを紹介している。
『じいちゃんは悲しかったのだ。生き残った人間は、生きなくてはならない。そのことが浅ましく口惜しかったのだ。』
どんなに苦しくても人は食べてしまう。食べなければ死ぬ。今でも奥さんは毎日弁当を持たせてくれるが、どんなにクズみたいな仕事をしていてもお昼になれば弁当を食べる。メシなんか食う資格があるのだろうかと思いながらも食べている。たしかに、浅ましく、口惜しいといつも思っているのだ。向田邦子の言っていることは正しい。

そしてゴッホ。
このひとは存命中にはまったく絵が売れずに苦労したというのだから、たしかに絶望のひとであったのかもしれない。
努力しても報われない自分を、『怠惰と性格の無気力、本性の下劣さなどからくるのらくら者』などではなく、『心の中では活力への大きな欲求にさいなまれながらもなにもしていない不本意なのらくら者』なのだと言っている。
ゴッホは、何をしても一所懸命になりすぎ、から回りするきらいがあったらしい。そして常に誰かを助けたいという気持ちを持ち続けていたという。そのひとつの手段として絵を描くことがあったそうだ。画家として活動したのは晩年の10年間だけ。それまでは伝道師をしたり、職を転々としていたらしい。

“炎の画家”と呼ばれているが、春に対する感情は、『春なのだ、しかし、なんと沢山な、沢山な人々が悲しげに歩いていることか。』であった。これも、内に秘めたるものはあるけれども、やりたくてもうまくできないという気持ちの現れであるというが、僕の春に対する毎年の感覚とよく似ている。
春は山菜やワカメ、チヌも大型が釣れるといううれしい季節なのだが、反面いつも憂鬱な気分を抱えている。なにか悪いことが起こる(人事異動を含めて・・)のはいつも春だという印象が大学受験を失敗したころからずっと続いているからだろう。
ゴッホの感じ方とはまったく違うとは思うのだが、春は何か暗いイメージがつきまとう。

何人かの著名人の絶望名言が紹介されているわけだが、絶望名言というよりも、これらすべては自分の望みをかなえるためのもがきの言葉であるように思える。すべてのひとたちは最後にはそれぞれの立ち位置で立派な業績をあげているではないか。
この人たちは、きっと、失望はしていても絶望はしていなかったのだと思う。絶えたものは生まれ変わることはないけれども失ったものはまた見つければいい。この本の登場人物はみんな、再びまたそれを見つけたのに違いない。

僕はどうだろうか。すでに見つけ直すための気力が枯渇してしまっている。『ため息をつくのは強制的な深呼吸である』そうだが、強制的に酸素を注入しても、再び燃え出すものは何も残っていないのだ・・。やはり絶望している・・。
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「文豪たちの憂鬱語録 」読了

2020年12月15日 | 2020読書
豊岡 昭彦、高見澤 秀/編集 「文豪たちの憂鬱語録 」読了

この本は、前向きにさせてくれる力強い名言とは真逆の、『文豪たちのいわば、「本音」ともいえる「憂鬱」、「絶望」。「悲哀」、「慟哭」などに満ちた言葉をすくい取ったもの』である。
『どんなにがんばってm、人生には失敗や挫折、災難はつきものだ。そんなときに「もっとがんばれ」とか「あきらめなければ道は開ける」とか言われても本人にとってはつらいだけということも多いだろう。がんばったからといって、解決できない問題があるのも人生なのだから。そんな残念な人生に必要なのは、じっと黙って傷ついた心に寄り添ってくれる言葉』なのである。

最初から太宰治のこんな文章が出てくる。
『生きてゆくから、叱らないでください。』
確かに苦悩と悲哀に満ちている。もう、そのあとにかけてあげる言葉が見つからないほどだ。
そのほか、芥川龍之介、石川啄木、島崎藤村、坂口安吾などの作品からネガティブな文章をピックアップしているのだが、一連の文章の中からそこだけ取り出してみても実際それがどんな意味で書かれたかということがわからない。そこが残念である。もっとそれそれの言葉を深く掘り下げて読み解いてほしかった。
宮沢賢治でさえ闇の部分があったのだということで童話の中から集められた言葉が並べられているが、これもやっぱり前後のつながりで違った意味を持っていたりもするのじゃないかと思うのである。

掲載されている大半の作家は若くして自殺したり薬に溺れたりはたまた女性で失敗したりした人たちだ。心の闇の中に闇を抱えていたの確かだろうがここまで破天荒に生きることができればそれはそれ本望であったのではないだろうか。
いっそそうしてやろうかと思ってもそこまで踏み込めない。当時とは生きてゆくのに必要な固定費が違いすぎる。ぼくの家なんか、携帯電話とインターネットのプロバイダに払うお金だけで毎月2万円近く払っている。破滅するにも先立つものがいるということだ。作家という仕事はそれなりに金回りがいいのだろうからそんなに家族に迷惑をかけなくてもひとり破滅できたのかもしれない。

それさえもできないそんな境遇が悲しい・・・。

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「和食はなぜ美味しい ― 日本列島の贈りもの 」読了

2020年12月14日 | 2020読書
巽好幸 「和食はなぜ美味しい ― 日本列島の贈りもの 」読了

日本列島の地形や地質がおいしい日本食を生み出したという内容の本だ。去年か一昨年、まったく同じような内容のテレビ番組をNHKで放送していて、この本が元になっており、番組の解説も著者がおこなっていたようだ。
この本に登場する地球物理学者は多分著者の分身なのであろうが、各地の名産品以外はくだらない食材だというような表現や、当然だが自分で獲ってくるわけでもなく、自分で調理をするわけでもないとこころが鼻持ちならなくて共感を得ないけれどもそれ以外はなかなか面白い内容だ。
いつもの通りで、テレビを見ても次の日にはその内容を忘れてしまっているのでまた新たな気持ちで読みたい。
しかし、大学の教授ともなると、こんなにグルメな生活が送れるのだなと思うとうらやましい。

まずは日本食の基礎になるだしの話からとなっている。日本食のだしというと昆布とかつおぶしだが、これにもわけがある。欧米では動物質の材料でスープを取るが、それは欧米の水質というのは硬水が多くて日本のそれは軟水が多いというところにあるという。
硬水はミネラルの成分が多いのだがそのなかのカルシウム分が動物の臭み成分である血液や脂と反応して取り除いてくれる。対して、ミネラルの少ない軟水が主な日本ではそれができないので臭みが残る。だから魚介類を使ってだしを取る。日本はもともと海産物が多い国だということもあるが、水質にも要因があるということだ。逆に、カルシウム分が多いと、昆布のアルギン酸と反応して表面に沈殿物ができ、水の吸収を妨げ、いいだしが取れないらしい。京都の水は超軟水らしく、京都が日本食のメッカになったというのもうなずけるとなる。
そして、その軟水を生むのが、急峻な日本の地形である。山から海まで一気に流れ落ちるので水がミネラル分を含有する時間がないので軟水になる。

その他、日本海のなりたちから富山のブリ、駿河湾の急峻な深海ではボタンエビなどが紹介されていた。しかし、やっぱり興味を引くのは瀬戸内海、それも淡路島、紀淡海峡辺りのなりたちに興味がある。

瀬戸内海と紀伊半島はこうして出来上がった。
紀伊半島、四国地方は1400万年前にここで起きた火山活動が収束し、地下に大きな花崗岩の塊が残ったことに始まる。花崗岩は地殻の中では軽い部類にはいるのでそれが浮き上がって隆起したという。それが陸地になった。岩が浮かび上がるということが想像ができない・・。この頃、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに陥入をはじめ、その地殻の温度が高かったことで巨大な火山ができたらしい。その隆起した部分ともとからあった本州(本州は大陸、今の朝鮮半島の北の方から大陸から引きはがされてできたそうだ。その間にできたのが日本海ということになる。)に囲まれたところが瀬戸内海になった。
ちなみに、紀伊半島にはその頃、大峰山・大台ヶ原と熊野の2か所に火山がありそれが巨大なカルデラを形成したそうだ。地下にあった花崗岩の塊が隆起し、その周辺に今でも温泉地が点在している。温泉は当時の余熱で温まっているので火山がないのに紀伊半島には温泉があるのだ。
そして、瀬戸内海は、淡路島、小豆島などの島しょ部とその間に大きな灘と呼ばれる海域が交互に存在しているのが特徴だ。
その理由は、フィリピン海プレートは西南日本(中国、四国、九州地方)を乗せたユーラシアプレートの下に潜り込んでいっている。この方向が少し西に振れているため、ユーラシアプレートの断層面である中央構造線と南海トラフとの間の部分(四国の下の部分)、これが小さなプレートなって、中央構造線の北の部分を押すことになり、その北側が隆起と沈降を繰り返す。隆起した部分が淡路島や小豆島、しまなみ海道で、沈降した部分が大阪湾、播磨灘、燧(ひうち)灘である。
淡路島は急流を生み美味しい真鯛が育まれ、浅いところではタコやアナゴが獲れるということになる。
紀伊半島の北の方から徳島県にかけて帯のように三波川帯と呼ばれる地帯がある。これが泥の海底を作る。ここにできる変成岩は縞模様があり崩れやすいという特徴を持つ。これが泥の素になって淡路島の南側では泥底の海域ができる。だから沼島の南の方ではそこで美味しいハモが取れるのだ。ハモは泥底に穴を掘って潜むからこういう土質がいいそうだ。和歌山市内で家の塀や庭石によく使われている青石はまさにこれだ。だから、三波川帯に属する僕たちの港がある紀ノ川河口一帯も同じく泥底だ。これは紀ノ川が運んでくる泥かと思っていたら、もともとの地質がそうであったというのを初めて知った。ハモやアナゴは少ないがコウイカはきっとこういうところで釣れるのだ。

確かに、友ヶ島の岩肌を見ているとものすごい力を受けたような褶曲の地層が見られ、僕の港の回りはだだっ広い泥底が広がっているからまったく違う地勢といっていい。そして友ヶ島の島の色と、双子島の島の色は明らかに異なる。



そしてその境目こそが中央構造線なのである。
友ヶ島付近の海底は想像以上の起伏がある複雑な地形をしているが、これもフィリピン海プレートのなせる業だと思うと地球の息吹がものすごく身近になる。
この本には紹介されてはいないものの、その境目に当たる加太の海があんなに魚がたくさんいるというのも納得だ。
僕がホームグラウンドとしている海域にはふたつの異なった特徴を持つ地質が存在していたのだ。
もっと釣りの腕がよければその違いを利用してもっとたくさんの種類の魚を釣ることができるのだろうが、そこはまあ、この本には関係ない・・。

そのほか、様々な陸地の動き方が様々な地形を生み、そこに様々な生物が生息しそれが多彩な食文化を生んだのだという。それのすべてはプレートテクトニクスという地殻の移動がもたらした結果だ。そのプレートの動きを地球規模で見てみると、日本がある一帯はたくさんの地殻の切れ目があり、いろいろな方向に沈み込んでいったり浮き上がって行ったりしているという地球上でもまれにみる複雑な場所だ。
しかし、タケノコやサツマイモがその生育に適した土壌がこういう地球の活動で生み出されたというのは確かにわかるけれども、海産物については一部を除いてどれほどの部分が地殻の変動によっているのかというのは疑問に思うところもある。ただ、瀬戸内の魚やウナギなどは確かにこの地形がなければ生育環境が整わなかったかもしれないし急峻な深海はプレートの移動がもたらしたものだとおもうとやっぱり著者のいうことには確かな根拠があるのかもしれないと思うのがこの本の内容だ。





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「カリスマ解説員の 楽しい星空入門」読了

2020年12月11日 | 2020読書
永田 美絵/著、矢吹 浩/イラスト、八板 康麿/写真 「カリスマ解説員の 楽しい星空入門」読了

『人間は空を見上げて両手を広げると、落ち込むことができない。』という言葉からこの本は始まる。プラネタリウムのカリスマ解説員だという著者が四季の星座にまつわる様々な神話やエピソードを書いている。

落ち込むことができないかどうかはさておいて、僕も星を見るのは好きで、わざわざ見に行くほどでもないが、早朝、港に向かう道中、水軒川の土手を走りながら東の空をいつも眺めている。だから、あの星の名前な何々で、あそこにはこんな星座があってそれにまつわる神話にはこんなものがあるということを知りたくて時にこんな本を読んでみるのだが、記憶領域が破壊されてしまっている僕の脳みそではこういう本を読んでも翌日には内容を忘れてしまっている。だから夜空を眺めても星座や星の名前を言い当てることができない。
でも、こういう本を読むのは面白い。読んでいるときだけは何かいいことを知ったという気持ちになれる。

すぐに星座を見分けられるのは冬の季節に見えるオリオン座くらいだ。僕はいつも早朝に見ているので冬というよりも秋の星座の趣があるのだが・・。

オリオン座を起点にしてもいくつかの星座や明るい星をみつけることができ、その見つけ方もこの本には書かれているのだが、次の釣行まで記憶が持たないだろう。それが残念だ。

早朝の東の空にはもうすぐ春の星座を見ることができるようになる。
明るい星をつなげると、春の大曲線や春の大三角形という星のつながりが見られ、おとめ座やしし座が見えるらしい。もう少し読み込んでなんとか今年は探してみたいものだ。

星座というのは、1928年に、国際天文学連合が88個の数に決めたそうだ。ちなみに、ひとつの星は複数の星座の星になれない。
ヨーロッパだけでなく中国やほかの国も星座を持っていたがそれではややこしいということでこういうことが決められたそうだが、それを聞くとなんだか味気なくなる。古くからの伝承がここで途切れたような感じだ。それほど杓子定規にならなくてもいいのではないかと思ったりするのである。まあ、たかが星座だ・・。


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「ブルーアウト」読了

2020年12月10日 | 2020読書
鈴木光司 「ブルーアウト」読了

鈴木光司というと、ホラー小説を書く人かと思ったのでこの本もきっとそういうジャンルだと思った。本の扉のところに古い帆船とスキューバダイビングの装備のイラストと共に各部の名称が書かれていたので、古い帆船と共に沈んだ財宝をめぐってのサスペンスか何かだと読み始めた。郷土資料という書架にあったのできっと和歌山県が舞台だという思いもあった。

読み始めてみると、この帆船はエルトゥールル号だということはすぐにわかった。おそらく和歌山県人ならだれでも知っている船だ。
1890年9月16日に串本町沖にある紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難したオスマン帝国の軍艦だ。
この物語は、エルトゥールル号がイスタンブールを出港して遭難するまでの経過と、その乗員の末裔が遺品を探すという物語が交互に綴られている。その末裔をサポートするのがダイビングインストラクターをしている遭難者を助けた樫野崎の住民の末裔でありこの本の主人公という設定だ。

探している遺品というのは、遭難した乗員の先輩がエルトゥールル号の出港の際に妻から送られた小さな香水瓶というものだ。そこには妻の涙が入っていた。涙の入った香水瓶は航海の安全を祈るものだったらしい。船が座礁し、もう命がないというとき、その先輩は小さな紙切れに遺書のようなものを書きその瓶に詰めた。遺品を探しに来たトルコ人はその乗員の妻のいとこの末裔であり、先祖である乗員はその先輩に命を助けられたという設定だ。同時にその先輩は命を落としている。

鈴木光司はホラー小説だけではなく、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞という経歴ももっている。
ここからはそっちの路線だ。小さな海底洞窟の中でその香水瓶を見つけたトルコ人は海流に流され身動きが取れなくなる。それを助けに入ったインストラクターも残り少ない酸素の中でブラックアウトというものを経験する。
ブラックアウトというのはこう説明されている。『海中で呼吸ができない状態が続くと、すっと意識が遠のく瞬間が現れる。苦しさと無縁の、甘美ともいえる誘惑。しかし、その誘いに乗ってはならない。』
同じダイビングインストラクターであった父の言葉がよみがえり、九死に一生を得るというのが主な内容であり、そこにインストラクターの家族模様が交差する。
厳しいしつけを受けた主人公の弟は就職先の大阪で失踪する。じつは就職はしておらず、そのことを母に隠していた。母の父親で弟の祖父に当たる人は東京で大工をしていたがひょんなことから串本に住み着き父の思い出の中、ヨットでの日本一周を思い立つ。祖父をしたっていた弟はそれに同行しようと考える。二人を助けたのは偶然にも航海の練習中であった祖父と弟であった。そのことも絡まり母と弟、主人公と母とのわだかまりも解けてゆく。タイトルはそういうところをもじってブルーにアウトすることができたという感じだが、やっぱりそこはファンタジー小説だなと思うのである。偶然が多すぎる・・。

エルトゥールル号の遭難という事件は知っているがどういう理由で来日し、どういう経緯で座礁、遭難したかということはそんなに積極的に知ろうと思ったこともなかったけれども、そういうところがかなり詳しく書かれている。どうしてそこに家族の絆が書き加えられなければならなかったのかということはよくわからないが、そこがファンタジーといえばファンタジーなのだろうな・・・。

家族の絆というと、この本を読んでいる最中に、クリントイーストウッドの、「運び屋」という映画を観た。これも家族の絆を取り戻そうと老人が麻薬の運び屋になってお金を稼ぐという話だが、そんなに簡単に瓦解した家族の絆が元に戻るとは思えない。
人は心に思っていないことは口に出さない。たとえ家族であれ、いやいや家族であるからこそそんなことを考えていたのかと思ってしまうと絆とは何なのだろうと思えてくる。

ブルーアウトのほうの母親は結局、釈然としない気持ちのまま祖父と息子の旅立ちを見送ることになるのであるが、こっちのほうがファンタジーの中にのきちんとリアルがあると思うのであった。

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「日本語の奥深さを日々痛感しています」読了。

2020年12月07日 | 2020読書
朝日新聞校閲センター 「日本語の奥深さを日々痛感しています」読了。

新聞社には「校閲センター」というところがあって、紙面のすべてをチェックし、使われている日本語が正しいかどうかということを監視しているらしい。

「言葉は変化していくもの」ということを前提に時代に即した言葉を紡いでいくというのが新聞の紙面のひとつの使命でもある。『本来の用法から少しずれる言葉遣いに新鮮さを見いだすのが、言語変化の一つのパターン』だそうだからそういったものも受け入れながら時代に合わせてゆくということを常に考えている。正しい日本語の砦というところだろうか。

この本は、朝日新聞校閲センターとうところが朝日新聞に週に1回連載している、「ことばサプリ」というコラムをまとめたものだ。ウチは朝日新聞をもう何十年も購読しているが、このコラムを読んだことがない。これはもったいなかった。いまだに何曜日の何面で連載されているのか見つけることができないが・・・。

「出れる。」とか、「見れる」という言葉は日本語としておかしいと偉そうなことを思いながら、話をするときや文章を書くときそんな言葉を使わないでおこうと思っていたが、まだまだ日本語としておかしいものがあり、僕もそれを知らずに当たり前のように使っているものもあった。
「姑息」というと、ずるいという意味によく使うが、本来はその場しのぎの意味らしい。たしかにその場しのぎで適当なことを言うのはずるい行為だと思うのでなんとなくつながりはありそうだ。
「普通においしい。」というのもよく考えたらおかしいが、今朝のテレビ欄にはそのままのタイトルの番組あって、こういうのも普通に使われるのだなと、自分も使うことがあるので仕方がないのかと思った。
「しくじる」という言葉もおもしろい。今は“失敗する”という意味で使われることが多いが、もとは過失などがあって解雇される、または出入りを差しとめられるという意味だったという。キャンディーズの歌に「わな」というのがあって、サビの歌詞が、「あいつは~ しくじった~」と歌われていたのを、一体何をしくじったのかと思って聞いていたが、それは、「私に不愉快なことをしたことで嫌われて同棲先から追い出されたのだ。」という意味だったということが今になってわかった。この言葉は40年以上前から僕のレベルくらいの一般人には違った意味で理解されていたようだ。

言葉は意思の伝達のための手段であるからそれがおかしい使い方であっても自分の意思が伝わればそれでいいと思うのだが、こういう人たちがいて、言葉の変化を監視しながら、それを記録してゆくというのはかなり大事なことなのではないかとこの本を読みながら思うのである。

例えば、「美味しいです。」というのは普通に使われていると思うのだが、形容詞に“です”という言葉をつけるというのは文法的は間違いだそうだ。正しくは、「おいしゅうございます。」なのだが、なんだかすでにこっちのほうがおかしい気がする。
何か欲しいかと問われていらないときに、「大丈夫です。」答えるが、普通は「けっこうです。」としなければならないそうだ。


そんなことを読んでいると、自分は正しい日本を使えずに、かといって今の人たちがよく使う短縮語みたいなものの意味が分からず、記号を組み合わせたような絵文字はどうしても使う気にならない。
また、日本人的な言葉の使い方としてはこんなことが紹介されていた。
新聞やテレビでの、「無職」という表記について、どこに所属しているのかが比較的重要視される日本人の習性がそれを求めているという。「無職」という所属先でも欲しいということらしい。
「~れる」「~られる」という主語の隠れた表現は、『自然の中で影響を受けて生かされているという世界観の現われ』だそうだ。これなんかは奥ゆかしい感じがして文法的におかしくてもいいものだと思う。

古くからあるものが新しいものに取って代わられ、それがスタンダードになった時に、新語と区別するために逆に古いものが別の呼び名をつけ直されるということが起こる。それをレトロニムというそうだ。例えば、固定電話、フィルムカメラなんかがそうなのだが、そういえば、役に立たなくなった管理職もマネ〇ジ○ーなんていう言葉に置き換えられる。これもレトロニムのひとつというのなら、やっぱり僕は時代に取り残された人間なんだとしみじみ思うのである。


この本は2020年8月までの連載をまとめたということで、コロナウイルス関連の話題にも触れられている。「3密」「ソーシャルディスタンス」「テレワーク」「アマビエ」などの新しい言葉が生まれたと紹介されているが、どの言葉も今のところ、僕のパソコンの日本語システムでも予測変換で一発で出てこない。これから先、どの言葉が生き残っていくのだろうか。どれもすぐに消えてなくなって行ってくれるのが一番いいのだろうけれども、目に見えない疑心暗鬼は執拗なほど消えることはないのだろうなと思う。
しかし、3密というのはいかがなものかと思う。前にもブログで書いたが、おそらくは真言密教の「三密」をヒントにして誰かが考えたのだろうけれども、これは弘法大師に対して失礼ではないかといつも思うのである。
これだけは消えてなくなってほしいと思うのだ。
仏教つながりでいうと、旦那とドナーはどちらも梵語の、与えるという意味のdanaという意味から来ているそうだ。こういうことを知ると確かに日本語というのは奥深いものだと思うのである。
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「アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所」読了

2020年12月05日 | 2020読書
太田 哲雄  「アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所」読了


タイトルだけを見てみると、アマゾン川の流域のどこかで日本料理店を営んでいる人が今までの体験を書いたものだという風に見えるが、そうではなくて、海外経験豊富な料理人がどうしてアマゾンの食材に惹かれていったかというような内容だった。

著者はこの本の執筆当時、ペルーのカカオの輸入販売と出張料理のシェフの仕事をしているらしい。

あらすじはというと、こういう本によくあるような、無鉄砲に海外に出て、いろいろな出会いの末に自分の天職を見つけたというものなのでここで書いても意味がない。
それよりも、こういう本を読むたびに、その行動力や自分だけを恃みに行きてゆける力というのはどういうところから出てくのだろうかということだ。
収入がない中、単身海外に出て将来の生活に不安をいだいて怖気づいてしまうようなことはないのだろうか。僕ならまずそれを考えてしまう。そして、どんどん消去法をあてはめてそんなこと結局無駄ではないのかというところに行きついてしまう。

そんなことしか考えない僕みたいな人間は結局、どこかの会社で給料をもらうためだけに1日をおくるしかないのだということに結論が落ち着く。
だから、全然面白くない民放のテレビ番組のように、楽しみはコマーシャルのほうだという本末転倒な生き方しかないのだろうな~としみじみするのである・・。
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