イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「匂い立つ美味 もうひとつ」読了

2013年03月23日 | Weblog
勝見洋一 「匂い立つ美味 もうひとつ」読了

作家が食べ物のシーンを書けるようになると本当の一流の作家と認められるそうだ。

タイトルがあまりにも美味しそうだったので買ってみたが、中身は普通のブログに毛が生えた程度のようなものだった。
なにやら著者の自慢話のような気がしてならなかった。

確かに経歴や元奥様のことを調べて見ると自慢したくはなるのだろうが・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2013年03月23日 | Weblog
場所:加太沖
条件:中潮4:55満潮
潮流:8:10転流 10:53下り2.1ノット最強


オイル交換も済んだのでちょっと寒いが加太へ出発だ。
今日の転流時刻は8時なので家をゆっくり午前6時半に家を出た。勝手口を出たときに、ちょっと風が強いのか・・・と感じたが、春の北風だ。大丈夫だろうとたかをくくって港を出て見たが、これが悪かった。
紀ノ川の前はかなり波が高い。南からのうねりは入っていないのでなんとか田倉崎の沖までたどり着いたがやっぱり波は高いままだ。船はローリングとピッチングを繰り返している。ローリングしながらピッチングをするのはなんというのだろうか?そんな日だった。



帝国軍の艦船もそれほど出ていなくて、僕の周りにはほとんど船がいない状態だ。



船が風に流されて仕掛けがまっすぐ入っていかない。それもほとんど水平に近い状態だ。クラッチを前進に入れながリトリーブを繰りかえさなければならない状態だ。
こんな日は僕みたいな素人では操船は無理だ。絶対に仕掛けは安定していない。

おまけにクラゲがものすごい。
幹糸にもハリにもべったり付いてくる。
もうこうなってはお手上げだ。すばやく退散して燃料のロスを最小限に抑えるのが肝要だ。


しかし、やっぱり20リットルの燃料はしっかり使ってしまっていた。
朝起きてテレビを見ていると地震があり、道中民家の塀に突っ込んだ車を見、どうも嫌な予感で始まった釣行はやっぱり4回連続のボウズで終わってしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タラノメ+オイル交換

2013年03月22日 | Weblog
今日は朝からタラノメ採りと船のオイル交換の予定だ。

タラノメは前回の休みで去年より確実に早く大きくなっていると確信したので、もうひとつのポイントにも早く行かねば大きくなってしまっているかライバルに先を越されてしまう。

ポイントに到着してみると今年の一番乗りだ。去年も一番乗りだったが、見知らぬライバルたちはどうしてしまったのだろうか?お年を召して動けなくなってしまったのだろうか。
まあ、どんな理由でもライバルがいなくなるというのはいいことだ。



手のひらにも余るほど大きなものがたくさん採れた。




急いで家に帰って今度は船のエンジンオイル交換だ。
毎年1回、春の頃におこなっているが、去年よりよく乗ったのか汚れが目立ってきたので早い目におこなった。約1ヶ月去年より早い。
今年はエレメントも交換しなければならない。2年前の交換のときはエンジン場にオイルをこぼしてしまったので今年は慎重にやらなければならない。
エンジン場とデッキに新聞紙を敷き詰めて作業をスタートだ。

中森明菜は、♪恋も二度目なら~、少しは上手に~♪と歌っていたが、オイル交換も3度目となるとだんだん慣れてくるもので、まった漏らすことなく終了することができた。



明日も休みだ。
ボウズ記録を伸ばすのかはたまたピリオドを打つことができるのか。
とりあえず新しいオイルで爽快にクルージングしてこよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太まで行けず・・・

2013年03月19日 | Weblog
春一番の嵐が過ぎ去って波が治まるという予報を信じて船を出したが、水軒一文字を通り抜けると相当うねりが残っている。
紀ノ川を越えたあたりからもっとすごくなってきた。
全長135メートルのばら積み貨物船も目で見てわかるほどローリングしている。



北港釣り公園の横の防波堤に打ちつける波は大きく防波堤を超えている。



これを見るともうだめだ。帰ろう。しかし、ここまで来たのだし、何もしないのはもったいないので双子島の際まで戻って早朝のスーパーで半額で売っていたイワシの開きをきざんで仕掛けを下ろしてみた。



しかし、アタリはまったく無い。いっそのこと、このイワシでおかずを釣るのをあきらめてこのイワシをおかずにしたほうがいいのではないかと発想の転換をしてみると、もう魚を釣っている気がしなくなった。
午前9時には港に戻ってきてしまっていた。

手ぶらで帰るのは嫌だしということで、いつもタラノメスポットへ行ってみると、半分くらいの木は採られてしまっていたがまだ残っていた。どうも背の低い人が採っているのか、高い場所はそのままだ。
この2、3日の暖かい天気で一気に成長したのか、ちょっと大きくなりすぎていたが、自分で食べる分には十分だ。



釣竿をかついで山で山菜採りというのもおかしな話だが、なんでもいいのだ。食べるものが手に入れば・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワカメ採り

2013年03月15日 | Weblog
今年もワカメの季節だ。
3月に入ってやっといい天気に恵まれた。
しかし、午後2時に会社の会議に出席しなければならない。
朝一番は満潮時刻だが仕方がない。
午前7時に家を出て、ワカメを採りはじめたのは一番潮が高い時刻だ。それでもみんなに、「そんなに長い竿、要るの?」といわれながら切り出した竹竿が威力を発揮する。
午前9時まで1時間あまりでなんとか1年分ほどのワカメを収穫。
急いで家に帰ってすべて干し終え、石の墓場のような都会へ向かった。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「南方熊楠を知っていますか? 宇宙すべてをとらえた男」読了

2013年03月13日 | Weblog
阿部博人 「南方熊楠を知っていますか? 宇宙すべてをとらえた男」読了

“知っていますか”と聞いていたので一応、僕も知っている人なので一応買ってみた。
タイトルにもあるように、熊楠も究極は宇宙の真理みたいなものを理解したいと考えたようだ。
交流のあった高野山真言宗の管長土宜法竜の影響を受けて自分なりのマンダラを作り上げたわけだ。
宇宙の中心である大日如来から分かれた物と心が再び合わさって事が生まれる。この事こそが物質としての宇宙そのものである・・・
結局わけがわからない・・・。

こんな無頼な人が普通に生きられた時代というのは本当にいい時代だったのだろうなとつくづく思った1冊である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田辺湾釣行

2013年03月11日 | Weblog
場所:田辺湾 カグラ
条件:大潮 5:46満潮
釣果:ボウズ

今年はどうしても3月中に2回は田辺に行きたい。
磯釣りをやらないと僕がボクでなくなるような気がする。

般若心経の最後のほうにある、“掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧莎訶(ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそーぎゃーてー ぼーぢーそわかー)”というのは意味のない呪文のようなものらしい。
心を空っぽにして呪文を唱えると心が落ち着いて悟りに近い心境が得られるらしい。
エサ箱からオキアミを取り出し、シッポを喰いちぎってハリに刺す。
ヌカを右手にすくってオキアミを乗せる。
左手でまたオキアミを取ってその上に乗せる。
その上からヌカをまぶしてゴルフボールより少し大きめのダンゴを作って勺の上に乗せて放り投げる。
ヌカダンゴの重みでウキが沈み、再び浮き上がってくるのを待つ。

1日中これを繰り返す。ある時点からこれが無意識に繰り返されるようになる。アタリのない日は無意識がいっそう際立つ。
僕もこのときは心が空っぽになっているのかもしれない。
僕はボクなりの悟りの境地になっている。これが僕がボクでいるひとつの形だ。だから磯に立たなければならない。
しかし、船の釣りのシェアが多くなってくると、体力、コストの両面から磯への足が遠くなってくる。

だから今年の春は2回は行きたい。
3月の今後の予定を見てみると、今日行かなければ確実に1回で終わってしまう。
夕べの会社帰り、北風はものすごい。午前2時半に起きて外に出て見ると風は治まっていない。
それでも天気の回復に淡い期待をこめて家を出た。

沖磯はどう考えても紀州釣りができる状況ではないので今日は湾内のカグラだ。この磯に乗るのもなんと2年半ぶりだ。
年々歳々人は変わるが、磯の形は当たり前だがまるで変わっていない。うれしいかぎりだ。

しかし、朝はものすごい北風が吹いている。



釣り座からは若干の追い風になるのでなんとか釣りにはなっている。
水温が高くなっているらしく、こんな状況でも朝一番からアタリはある。キタマクラ、チャリコ。なにやらひょっとしたらいい感じなのかもしれないと思ったが、最初の30分ほどのことだった。
それからはまったくアタリはなく、エサもそのまま残っている。
それでも午前7時半ごろアタリらしいアタリがあってサンノジが上がってきた。



しかし、それからは長い沈黙が続く。ずっと続く。
次に動きがあったのは午後1時半を回ったころ。
ウキが少し動くようになってきた。風も大分穏やかになってきた頃だ。
フグが釣れ、チャリコが食い。その中で小さいグレが釣れた。



これが最後のまともな魚。

風は終始後ろから吹き、けっして釣りにくい状況ではなかったがチヌの顔を見ることができなかった。

唯一の収穫はこの手袋。



おだんごくらぶの管理人の土さんに教えてもらった手袋だ。
寒い中でも手袋をはめたままでダンゴを握れる。
これはいい。少々寒くても紀州釣りができるのだ。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テングサ採り

2013年03月08日 | Weblog
田辺に電話を入れると沖磯には出ることができないととのこと、チヌつりは次に回しておくとして加太へ行くのも予報は波が1.5メートルだが波がちょっと不安だ。
ということでテングサ採りに母親と共に帝国領内へ陸路から攻め込んでみた。

友ヶ島の方を見ると、黄砂かPM2.5かはわからないが、遠くがかすんでいるものの、天気はかなりよくて、海路でも十分攻め込めたんじゃないかと残念しきり。
しかし、どうも釣れていないのか、帝国艦船もまばらしか出ていない。先週よりも少ない感じだ。



テングサというと、これもまた全然流れていない。
やっぱりひと荒れないとだめなのかもしれない。



母親もどうもやる気が出ないらしいので、すぐに切り上げて淡島神社へお参りにいってみた。
流し雛の神事が終わった直後だがどうしてだか本殿には雛人形が山と積まれていた。そのまま流しちゃうとゴミになるので出戻ってきたようだ。これもどうも世知辛いかんじだ。



その他いたるところに人形や置物が置いてあるが、みごとに分類されている。ここの神職に方々は間違いなく血液型はA型だ。
干支関係の動物は本当に干支の順番に並んでいたりする。もうすぐ“くまもん”なんかも登場してくるのかもしれない。

   

帰り道は帝国軍の大本営である(のかな?)漁協の事務所を訪ねた。



サムスンの戦略と同じく、敵の最新技術を盗み取って自分の有利なほうに持って行ってやろうと真鯛用のビニールは売っていないかと思って訪ねたわけだが、受付に居合わせた若い漁師の兄ちゃんに相当不審な人物に見られてしまった。やはり敵も機密情報は外部に漏らさないらしい(というようなこともないのだろうが・・・)。

一体、帝国軍の将校たちはどこでビニールを調達しているのだろう。ますます知りたくなってくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2013年03月04日 | Weblog
場所:加太沖
条件:小潮 9:54満潮
潮流:9:05転流 11:56 上り1.0ノット最強 
釣果:ボウズ


今日は天気がよくて、加太に行ってきたがまったくアタリがなく終了してしまった。

朝いちは潮が止まっているのでメバルを狙ってやろうと思って田倉崎の周りを攻めてみたがまったくアタリがない。
疑似餌の使い方がまずいんだろうな~。ぜんぜんつり方がわからない。

8時半ごろに真鯛を狙うべくいつものポイントへ。
今日は潮が悪いのか、帝国軍の艦船もパラパラしか出てきていない。



水はうっすらと白く濁っていて、スラッジのようなゴミがいっぱい漂っている。おまけにくらげがいっぱいだ。
このアカクラゲというやつが漂っているとまずは釣れないので嫌な予感がする。
潮の流れもなくGPSで見る限り、船はまったく動いていない。
アタリらしいものと言えば針が1本切れていただけだ。多分サゴシが食いついたのだろう。

天気はよくて日差しもあったり、海面はすでに春の雰囲気で寒いながらもうとうとしてしまう。

 

ポイントを転々としてみたが状況は変わらず潮流の最強時刻を待たずに終了してしまった。

沖ノ島の南西方向に大船団ができていた。
赤い三邦丸が見えたのでタチウオを狙っていたのだろう。
ぼくもダメもとでこっちを狙ってみたらよかった。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「図解・仏像の見分け方」読了 

2013年03月01日 | Weblog
大法輪閣編集部/編 「図解・仏像の見分け方」読了 

日本の仏教にはまあ、ものすごい数の仏像のデザインがある。如来様、菩薩様、その家来の明王様、それを守っている天の方々・・・
大乗仏教ではそれを拝むだけで罪が消えて成仏することになっている。一人ずつ別々のご利益があるものだから日本人は拝むのに忙しい。
それでもって拝み癖がついてしまうのか、なんでも人の責任にしようとする国民性になってしまったようだ。
「お上」に頼りきりというのもこんなところから始まっているのだろうか。それともそれを巧みに利用し続けたのがこの国の宦官だったのだろうか。

僕の知る限り、キリスト教もイスラム教も偶像崇拝を禁じているはずで、両方とも戒律を守っていたら幸せにしてあげるという論理で自律を求めている。
他方、日本の仏教はとりあえず手を合わせていたらいいのだよ。というから、「川で遊んではいけません。」や「生レバーを出したらダメですよ。」などということになってしまうのだろう。
何か悪いことが起こると、「悪いのは世間の方だ。」ということになってくる・・・。
偶像崇拝は自分のことを自分で決める能力を退化させるのは間違いから、キリストもムハマンドもそれを禁じたのだろう。
古代エジプトも古代ギリシャも偶像崇拝の文明であってそれが原因かどうか、どちらも悲しい末路をたどったが、やっぱり日本もそんな道をたどるのだろうか。
特にこの国は、仏教の最後のセーフティーネットになっている、「悪いことをしたら地獄に落ちる。」という考えを誰も子供たちに教えなくなったのでよけいにたちが悪い。
人間というのは限りなくエスカレートする動物だから、ブレーキになる“怖いもの”がないとダメなのだ。

同じ大乗仏教の国の中国も韓国も、「何でも悪いのは日本だ。」という論調を続けるのも同じ宗教観が根底にあるのだろう。


それでもぼくはこの本を片手に、「ふむふむ、この仏像のご利益は・・・」などと仏様を拝んでいるのだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする