イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2010年06月28日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:大潮6:37満潮
釣果:アジサバいっぱい

昨日は嵐のような天気だったので船での釣行はかなわなかった。
前の会社の上司やその友人の方々とキスを釣って天ぷらお腹いっぱい食べようと企てたのだが残念だ。
仕方がないのでバーベーキューサイトを予約している田ノ浦で防波堤からキスやイワシを釣っていた。
メンバーの中にフードコーディネーターの方がいたり、僕より100倍くらいマメな男性がいたりで釣果は少ないながら刺身や天ぷらをその場で作ってくれた。
バーベキューをすると僕も大概作る側に回るのだが今回は至れり尽くせりだ。僕の仕事はそうめんを茹でただけで終わってしまった。

メンバーのフードコーディネーターの女性は僕と同じ会社を辞めて自分の好きな道を目指したらしい。
もう一人も今までのキャリアを元手にして新しい仕事見つけるために今回のリストラに応じたらしい。
そういうのを聞くと自分は一体何をしているのだろうと考え込んでしまう。

それでも僕は釣りに行きたい気持ちが勝ってしまっているのでこんなことでいいのかと自問自答しながらも土曜日の出勤の代休を取って釣りにでてしまった。

天気は昨日とうって変わって無風快晴。
魚は相変わらずどんどん釣れてくる。1時間半ほどの間にクーラーが満タンになってしまった。
今年は水軒の沖にはアジとサバが充満しているようだ。
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「焚火料理大全」読了

2010年06月20日 | Weblog
本山賢司「焚火料理大全」読了
僕は仕事と称してショッピングセンターやファッションビルの雑貨屋さんの見学に行く。
この前は伊丹市に行ってきたのだが、そこの雑貨屋さんにこの本が置いてあった。最近の生活雑貨屋さんというのは、ライフスタイルのトータル提案ということで、特定のジャンルの書籍を置いているところが多くなった。安直な表現方法といえば安直だ。

なかなか面白いタイトルだと思い、ネットショップで買ってみた。500円だし。
一応、キャンプで作る簡単料理のレシピが載っているのだが、著者の「どうだ、俺は焚火キャンプの達人だぞ!!」というにおいがプンプンしている。これがどうも鼻に付く。ので、あまりおもしろい本でもなかった。

子供も大きくなり、キャンプに行くこともないだろうから、僕には無用の本であった。
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はやぶさ

2010年06月15日 | Weblog
60億キロの距離を旅してはやぶさが帰ってきたというニュースは久しぶりに感動したニュースだ。ワールドカップで1勝したなどというニュースは足元にも及ばないのだ。
最後に撮影したという地球の姿もなんとも言いがたい構図だ。多分、どんな有名な写真家も太刀打ちできないのではないだろうか。やっと帰り着いて自分の死期を見抜いた達観の趣きがある。ただの機械とはいえ、宇宙の厳しい環境にさらされて魂を宿したようだ。

旅は2592日間かかったそうだが、人類は189年後には往復298000光年の旅をしなければならない。それも365日間で。
事業仕分けで「2位ではダメなんですか?」などとは言っていられないのだ。

これだけの精密な乗り物に乗ることができれば僕も無事に和歌山の支店に落っことしてもらえるのではないだろうかなどと思ったりするのである。

別に本田君に蹴り込んでもらってもいいんだが・・・。

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「檸檬」読了

2010年06月14日 | Weblog
梶井基次郎「檸檬」読了。
この前、戸坂へ釣りに行ったときにひらったブイが檸檬に似ていたもので、ふと、この本を読んでみようと思った。
こんな本はきっと学生時代に読んでおくものなのだろうが、まったく文学を理解することのできる脳みそがかけらも存在しないので遅ればせながら呼んでみた。
一時、「檸檬」の舞台になった本屋さんが閉店するというので話題になったが、それもすでに5年ほど前のことだったらしい。

各篇には生きることに対する無常観というか、絶望感が漂っている。作家は結核をわずらっていたことで思うどおりの生き方ができなかったことから出てくるものであるのだろうが、今のこの時代にも共通することが多々あるような気がする。

ましてや僕の今の心境にも似たようなところがあるので読みながら痛くなってきた。
大規模なリストラがって業界も疲弊している中にありながら、別会社に出向してしまったものだからその苦労を経験せずにこの1年半をすごしてしまった。いずれはもとに戻りたいとは思っているが苦しい時代を知らずに帰ってくる人間を受け入れてくれる余地はあるのか、それよりもこれからさき、会社は維持されるのか、などなど。
そんなことを思っているからか、会社にいてもそれほど仕事に身が入らない。もちろん会社に対しては何かの貢献をしなければならないはずなのだがそれが何なのかがわからない。
焦りからか、よく見る夢が、走っても走っても前に進めない夢だ。まるでプールの中で走っているように。

魚釣りを思い切り楽しむためには後顧の憂いがないように会社の仕事をきちんとしておかなければならないとわかっているつもりだが、それができない。通勤時間があまりにも長く、朝も早く起きないと出勤時間に間に合わないのでつい会社を早く出てしまう。回りの人たちとのギャップが開くばかりだ。それも自分に対する矛盾感を大きくする。
ずっと、ずっと、僕はこのままでいいのかと自問を続ける毎日だ。
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雨の日曜日

2010年06月13日 | Weblog
♪雨の降る日曜日、何もすることがなくて何気なくあなたの名前を呼んでみたりするの・・・。
というのは昔ファンだった歌手の歌詞だが、今日から梅雨入りのようで朝から雨が降っている。
休日に朝から家にいるのは久しぶりのような気がする。

前回までの釣行で仕掛けのストックをほぼすべて消耗してしまっていたので、夕食の仕込みをしながらせっせと新しい仕掛けを作ってみた。
チョクリの仕掛けも父親がたくさん残したものがあったのだが、さすが10年もたてば底をついてしまった。
キスの仕掛けもたくさんあったと思ったが前回は船の上であわてふたいめいてしまった。
備えあれば憂いなし、こんなときに一気にたくさん作っておくのだ。
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片男波沖釣行

2010年06月10日 | Weblog
場所:片男波沖
条件:中潮3:46満潮 10:45干潮
釣果:キス 38匹

先週の土曜日が出勤だったので今日は平日だけど休みをもらった。みんなは仕事をしているのにごめんなさい。と、一応は書いておく。

このところの釣行はチョクリとキスの交互が恒例になってきた。
今日はキス釣りだ。前回とは違い、片男波沖へ一直線だ。

双子島の沖で、そろそろタチウオはどうかと思い仕掛けを流してみたがエソが2匹だけであった。
平日は相変わらずシラス網の船がたくさん出ている。それもものすごい数だ。片男波の沖もかなり陸に近いところを引いているので釣りができる場所はかなり限られてくる。やっぱり浅すぎるのか、あまりアタリがない。それとかなり海底がかき回されているのも悪いのだろう。いくら表層を引く網とはいえ、7、8メートルしか水深がないところでは影響が皆無と言えないだろう。場所を転々としながら少しずつ数を稼いではいたが不完全燃焼の1日であった。

今朝は少し靄がかかっていたので朝日がまっかっかで昇ってきた。
花札のボウズのようだ。

                      
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水軒沖釣行

2010年06月06日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:小潮 7:48干潮
釣果:アジ、サバいっぱい

今日もチョクリ釣りに出発。
午前2時半に起床し、あらびき団のビデオを見ながらうだうだして午前3時20分に家を出発。
午前4時過ぎには出港したが夜明けがどんどん早くなってきているのであたりはうっすらと明るくなり始めていた。

ほぼ同時刻に港をでた船があり、そいつを追いかけていたら35メートル付近で停泊、僕もほぼ同じ場所で釣をスタートしたがまったくアタリがない。アジが1匹釣れただけであった。
これでは埒が明かないと思いもう少し沖へ移動。潮があまり動いていないのか、潮目がみえない。しかし、わずかにそれらしきものを見つけたのでここから再スタート。
仕掛けを入れると置き竿のほうにアタリが出た。急いで回収していると手持ちの方にもアタリ。
手持ちの方は10本の針に9匹の魚がついていた。型は先週に比べるとひと回りほど大きい。

アタリはあまりないが、回遊している一つ一つの群れが大きいのか、アタれば2本ともまとまった数で釣れてくる。
今日も仕掛けをもつらせながらの釣りになったが、30本を超える釣果で終わることができた。

今日は少し雲が出ていたがこんな日の夜明けはすこぶるきれいだ。
久しぶりにすばらしい朝焼けを見ることができた。
                           
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「アメリカの鱒釣り」読了

2010年06月03日 | Weblog
リチャード・ブローティガン 藤本和子 訳 「アメリカの鱒釣り」読了

タイトルは「鱒釣り」だが、内容はほとんど釣りとは関係がない。
この本のタイトルを知ったのは「BE-PAL」か「OUTDOOR」かのどちらかだったと思う。
バックパッキングブームからスタートした雑誌なのでその前段階になるアメリカの若者文化の本も紹介していたのだと思う。

しかし、内容はまったくちんぷんかんぷんだ。何を書いているのかがわからない。もともと固有名詞が多いせいもあるが、まったく普通では考えられない物語の展開である。
なにか、夢の中に出てきた物語をそのまま文章にしたような・・・、という内容だ。
なにせ、川が切り売りされていて、その川が倉庫の裏の空き地に積み上げられている・・・。トイレがしゃべる。ついでに死人も文句を言っている。などなどの物語がずっと続いているのだ。最後は、マヨネーズで終わりたいから結びの言葉はマヨネーズで終わっている。なんでマヨネーズなのだろう?

そもそも、“アメリカの鱒釣り”という言葉もどうも人の名前のようなのだがそうでもないような、結局はよくわからない。
ネットの中の解説なんかを読んでいるとそれぞれの物語には当時の時代に対する批判のようなものが含まれているそうなのだが、それを理解するには僕の知識はなさ過ぎるのである。
まあ、それを差し引いても、多くの人が書いている通り、やっぱり何を書いているのかわからない。

僕が読んだ本は第19刷で、2005年には文庫本も出ているくらい日本でもたくさん読まれているようだが、どうしてこんな本がそれだけ読まれるのか・・・。村上春樹も影響を受けたということだが、やっぱりわかる人にはわかるのだろうか。ちなみに、僕は村上春樹のよさもわからない。「ノルウェイの森」と「ねじまき鳥クロニクル」を読んではみたがやっぱりさっぱりわからなかった。
語呂がいいので、僕のブログのタイトルに使わせてもらったが。

こんな内容の本を訳した藤本和子というひとも大したものだと思ってしまった。
なにはともあれ、なんとも不思議な本であった。

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