イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

この1年を振り返る。

2021年12月31日 | Weblog
今年もあとわずか、この1年を振り返る。

振り返るといっても、今年はあまり印象に残った釣りがない。71回も行ってるので僕の記憶容量には入りきらないというのは当然なのだが、満足できるような釣りもなかったということなのだと思う。
去年はコロナ休日がいっぱいあったので相当な回数行ったけれども今年もそれに匹敵する回数になった。大きな台風の襲来がなく、冬に入っても強い冬型の気圧配置の日というものがなかったというのが大きな要因だ。母親の思いもよらぬ癌の病いというのがあったけれども病院に行く前の時間を利用して回数をこなすことができた。近場で魚が釣れている時期を選んで病気になってくれたのが幸いであった。

その中でもなんとか頭の中に残っている釣りは初島で釣ったブリだ



飲ませサビキ釣りに挑み始めて初の大物であり、かつ多分僕の人生最大サイズの大物であった。
その後の釣行でもサワラを釣ることができ、ここでやっとこの釣りのために竿を買った甲斐があったと思ったのだ。



といっても、結局、飲ませサビキはこの2匹で終わってしまったのであるが・・。

新しい釣りでは、去年の年末から始めた加太でのサビキ釣りがある一定の効果を表し始めたのはうれしいことだ。加太で釣れるオニアジは確かに美味しい。真夏に釣れるものでもお腹の中にたくさんの脂を蓄えている。同じ時期にはマルアジも釣れるのだが、今年はこちらに引き寄せられるようになってしまった。



逆に釣れるはずの魚があまり釣れなかった年でもあった。今年だけに限ったことではないが、キスとタチウオは芳しくはなかった。キスは新しいポイントとして紀ノ川河口を教えてもらったが、浜の宮へはとうとう行かずに終わってしまった。



浜の宮はどんどん釣れなくなり、マリーナシティに行ってもたかが数はしれていると思うと足が遠のいた。
ただ、これは思い過ごしなのかもしれないが、浜の宮で釣れるキスの方が美味しいようなきがするのだ。ちょっとした臭みと身の弾力が違うような気がする。シラスのバッチ網が海底をかき回すので卵が孵化しないのだという話を聞いたけれども、自然は少しのバランスの変化で狂ってしまうのかもしれない。
タチウオも紀ノ川河口もダメだったし、加太も洲本もまったくダメだった。紀ノ川河口ではやっぱり20本以上は釣りたいし、沖に行けば大きい魚が欲しいと思うが、どこもダメだった。ブログを見てみると、20匹釣れたのは1回だけであった。



洲本は2回行くことができたが、ただ燃料を使っただけのような気がする。初めて洲本に行った年から比べると半減以下という感じではないだろうか。確かに遊漁船も増えてきて釣りにくくなったのも事実なのかもしれない。



コウイカも目下のところ、5匹が最高だ。せめて1回くらいは二けた釣りたいと思っている。


大した釣果ではなかったものの、禁断の仕掛けに大きな魚が食いついてきてくれたのはうれしいことだ。獲れたのはサワラ1匹だけだが、目の前では1メートルはあろうかというサワラが逃げて行ったし、10号の枝素を切っていった魚もあった。毎年あんな大物が回遊してくるのかどうかはしらないが、来年、もしチャンスがあればもっと大きいやつを仕留めてみたいものだ。



加太ではまったく釣れなかったハマチも限りなくツバスに近かったとはいえこの仕掛けで釣ることができた。悲しいけれども貴重なツバスであった。そういう意味では加太でのメインの魚、真鯛とハマチは芳しくなかった。サバフグの襲来というものが邪魔をしたのかもしれないが、今だハマチを釣り上げることができていない。真鯛も、最後の最後になんとか満足のいく釣果を得たのみだ。これは原因のひとつは確実にいろいろなことをやりすぎているのだ。去年から今年にかけて、ハゲ釣り、サビキが加わり、それにタチウオだ。たかだか4時間ほどの時間にこんなにいろいろ詰め込んだら釣れるものも釣れなくなく。二刀流や七つ道具というのは大谷翔平や弁慶のような超人でなければまともなことはできないのだ。
それまではというと、高仕掛けとガシラ釣りしかしていなかったはずだ。
ただ、そんなことを言っても知ってしまったらあとには戻れない。このままどっちつかずで過ごしてゆくことになるのだと思う。

魚の扱いについてはふたつ得るものがあった。ひとつは神経締めだ。



脳天に穴を開けてワイヤーを突っ込むというのは知っていたが、そんなものうまく入るはずがないと自分ではできないと諦めていたがNさんの手ほどきで80%くらいの確率でやれるようになった。よく考えると、釣ってから2時間以内には魚をさばいているし、翌日に残るほどの釣果を上げているわけではないので宝の持ち腐れのような技術だが、やはりできるとできないとではなんとなく気分が違う。
そしてもうひとつはついこの前買った真空パックマシンだ。これは優れものである。まあ、これももっと魚を釣らなければ宝の持ち腐れになってしまうのであるが・・。

新しい調理法も試した。あんまり釣れなかったサバだったが、水煮はかなりいける。



来年はもっと釣ってもっともっと作りたいと思うのだ。

年末最後の釣りも終わり、それぞれの船に松飾りを取り付け今年のすべては終了した。大きな船の故障もなく、重大事故というものもなく過ごせたというのが一番よかった。

せっかく取った30日、31日の休日も大荒れで終わってしまい、松飾りを取り付けるだけで終わったけれども、来年も釣果は二の次、無理をせず、とにかく安全に1年を過ごしたいものだ。

 

ぺらぺらになってしまった潮時表と友ヶ島水道の潮流表を処分して新しい年の準備をしよう。


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「星野道夫の仕事〈第1巻〉カリブーの旅」読了

2021年12月31日 | 2021読書
星野道夫 「星野道夫の仕事〈第1巻〉カリブーの旅」読了

今年最後の本は星野道夫の写真集だ。写真集だから読書と言えないかもしれないがまあ、1冊としておこう。
今年は12月30日から元旦までまとめて休みを取った。就職した年が1987年だったのだが、以来、大晦日に朝から晩まで家にいたことはなかった。30数年ぶりに家で過ごす年末なのでゆったりと写真集でも眺めてみようという考えだ。

星野道夫は写真が好きで写真家になったわけではなかった。アラスカに憧れアラスカで生きるすべとして写真を撮ることを決め、アラスカで出会った生物学者のアドヴァイスに従ってカリブーを追うようになった。亡くなったあと、作品を数冊の写真集にまとめられたうちの1冊である。

カリブーというのはトナカイのことであるが、季節ごとに生活の場を大群で移動する。その大群の数は時として数十万頭となり大地を埋めつくすという。文字では読んだことがあってもそれはどんなものなのか想像するしかなかった。
こんな世界が誰も見ていないところに存在するのか、それでは人間原理というのは一体なんなのかと思える。人が見ていなくても、いなくてもこの世界には変わりはない。人間原理などというものは単に人間が考え出した屁理屈かエゴでしかないのかもしれない。

この本は星野道夫が亡くなったあとに出版されているので、池澤夏樹があとがきのようなものを書いているが、そこに、『カリブーにとって死は悲劇ではなく必然、生に含まれるもの、生きていることの一部である。カリブーたちはそれを知っているから、死を素直に受け取る。』と書いている。では、死を素直に受け取れない人間にとって死は生きていることの一部としては考えられないということだろうか。
たしかにそこのところの折り合いをつけるために宗教が生まれたと考えれば合点がいく。
しかし、死を悲劇と受け取る代わりに希望というものを抱けるようになったというのも人間だろう。絶望しないかぎり人間は希望を抱き続けることができる。失望したなら失ったものを見つければいい。そう思わせてくれる1冊だった。

年末なのでちょっとだけ前向きな感想を書いてみた・・。



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「英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人―知られざる日本軍捕虜収容所の真実」読了

2021年12月28日 | 2021読書
デリク・クラーク/著 和中 光次 「英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人―知られざる日本軍捕虜収容所の真実」読了

今年は日米開戦から80年になるそうだ。”そうだ”というあいまいな表現にせざるを得ないは当然で、太平洋戦争というのは見聞の世界でしかなく、両親もそんなに戦争時代のことについて語ることはなかった。
毎年、8月25日になるとテレビでは戦争に関するドキュメンタリーなどが放送されるのであんなことがあった、こんなことがあったというのはその時だけの記憶として消えてゆくのだが、今年のNHKの12月8日に合わせたドキュメンタリーは市井の人々が戦争に対してどんな考え方をしていたかということを残された日記などの手記に残された単語の数量から読み解こうとするものであった。
戦争はお互いに正義と正義のぶつかり合いという部分があるのだろうが、それは戦争をやると決めた人たちの正義であり、それに従う人たちは戦況の変化に応じてそれぞれの時にそれぞれの思いをもつ。
もっと知りたいと思い、それらしいタイトルの本を探していたときこの本を見つけた。
知りたい内容とは違うものであったが、これはこれで戦うことではない部分の戦争というものを垣間見ることができるものであった。

著者はイギリス人で、招集されて軍人になった人だ。1942年にシンガポールで日本軍の捕虜となり終戦を迎えた。2月のことだったというので太平洋戦争の間のほぼすべての期間を捕虜として過ごしたことになる。
軍隊に入れば世界一周ができると思ったが、日本からは太平洋を渡ってアメリカ経由で母国に帰ることになったので本当に世界一周をしたことになった。それにちなんで、原題は、『No Cook‘s Tour』という。 “Cook”というのは、イギリスにある世界最初の旅行代理店のことで、Cookを使わないで世界一周をしたという意味だ。

3年半もの間、無事に生き延びることができたのは数々の幸運が重なったものであると著者は書いている。絵を描くのが得意だった著者は、軍人になる前の職業を画家と偽ったことからプロパガンダ要員として日本に送られる。
東南アジアの捕虜収容所の生活というのは相当過酷であったそうだが、日本での捕虜生活は、過酷は過酷であったものの、命に関わるほどでもなかったようだ。
捕虜収容所の生活というのは奴隷の生活のように強制労働と死なない程度に食事が与えられるのみの世界と思っていたけれども、意外と自由な部分があり、少ないながらも給与も支払われていたという。当然、それを使用する売店もあった。いくらかの生活の自由もあったということだ。
そして、配給だけでは十分な栄養が得られず、捕虜として自由が制限されるなかでは当然ながら著者のほとんどの関心は食べることになるのだが、少ない食料をなんとかしようと、貨車の荷下ろしの際に積み荷となっている米や缶詰を盗み出そうとする。それは看守の軍人とのばかし合いと言えるようなものだが、それをイギリス人らしいユーモアで書き綴っている。
そしてそれを看守たちの目を盗んで調理するのだ。見つかれば虐待が待っているとはいえ、一種のゲームと化しているような感がある。戦争末期には日本人の食事事情もひっ迫し、見逃す代わりに一緒に盗んだ食材を食べているというシーンもあった。
1944年のクリスマスには演劇もおこなわれた。衣装は看守たちが映画会社に交渉して調達してくれたという。そしてその演劇は日本軍の軍人も一緒になって観覧した。敵同士であり虐待もしながら心の交流もあった。
そんなことが書かれていた。

こんな話を読んでいると、いったい戦争というのは何なのだろうかと思えてくる。領土の奪い合い、宗教上の対立、その他の目的を完全に成し遂げようとすれば相手をすべて消し去るのが筋だと思うが、捕虜として敵を捕まえ、労働力として利用するという側面はあるもののある一定の寛容を敵に見せているのである。個人としては目の前の相手には何の恨みはないとはいえ、矛盾している。形而上は相手を消滅させたいと思いながら形而下では寛容な態度を見せる。これでは首尾一貫していないような気がする。捕虜の扱いについてはジュネーブ条約というものがあって、それは国際条約だからということでどこの国も守らなければならないらしいがそもそもケンカをするのにルールがあるのだというところが矛盾していると思うのだ。国際赤十字は敵対している国々に慰問箱というものを贈るらしいが、これとて、英米が詰めたものを日本も受け取っている。まこと憎いのであれば間違いなく拒絶するであろう。ルールの中で命を懸けるというのはどうもばかげているし、それで命を落とす人はあまりにも哀れだ。そもそもルールというのはどんなルールでも危険を回避するためにあるのではなかったのか。
まったくもって、統治者たちが様々な交渉をするためのお膳立て、もしくは生贄として血を流すようなものだ。そんなことをしなくてもそれなら最初から話し合いで決着をつければ誰も死なずに済むではないかと思うと虚しくなってしまう。

それでもまずは戦争をしなければなにも始まらないとすれば人間とはあまりにも度し難い存在だとつくづく思ったのだった。
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「無理難題が多すぎる」読了

2021年12月25日 | 2021読書
土屋賢二 「無理難題が多すぎる」読了

本を探すときは、気になるタイトルや作家の名前をみつけると図書館に蔵書があるかどうかを確かめて自分のスマホ宛てにメールを打ち、それを見ながら本棚を探すということをしているのだが、古いメールだとこの本はどういうきっかけでメールに書いたのかを忘れてしまっている。
土屋賢二というひともそうであった。確か、哲学者だったということだけは覚えていたので、哲学の入門書のようなものを期待していたのだと思う。

しかし、内容はというと、僕もこんなブログが書きたいのだと思えるような、軽妙でかつ、何か奥の方には相当な知性の裏付けがあるのではないかと思わせてしまうようなものであった。
それはそのとおりで、著者は東大出身でお茶の水女子大で文教育学部学部長まで務めた哲学者だ。疑う前にとんでもない知性の裏付けがあったのだ。
週刊文春に掲載されているエッセイをまとめたもので、半ば自虐的ながらそれを面白おかしく語っている。自虐の極みは、連載が単行本にまとめられてその後文庫本になったのではなく、いきなり文庫本として出版されているというところだ。ご自分の文章は単行本ほどの値段を付けられないと思われたのだろう。
しかし、この本は、2020年の本屋大賞発掘部門「超発掘本!」を受賞したということなのできちんと世間には認められているのだ。

哲学というものきっと、宗教よりももっとクールなものではないのかと思い始め、何か入門書のようなものだけでも読みたいと常々思ってはいたものの、大概は入門書とはいいながら分厚くて文字が細かく、パラパラページをめくるだけで、これはダメと思うものばかりだ。
もともと、哲学というのは、自然科学や宗教、おそらく人間の意識がかかわるものすべては哲学からはじまったはずであるので、そう簡単には理解させてくれるものではないのだろう。自然科学のほうは物理学や化学、天文学の分野に発展し、心理的なものは宗教や心理学になっていった。
ひとはなぜ存在するのかということを考えるのが心理的な部分の根本だと思う。そこに悩みが生まれる。自分は存在すべき存在なのか・・。その悩みはまた、内側に向かうものと外側に向かうものに分かれる。内側に向かうものは「何故自分の思い通りにならないのかという悩み。」外側に向かうものは人間関係の悩みだ。アドラーの考えでは人の悩みはすべて人間関係の悩みであるというのだが、「思い通りにならない」というのは人間関係とは別の悩みになるのかもしれない。

その思い通りにならないということについては、『「思い通り」というからには何かを思っているはずだ。その内容を変えればいい。テレビ番組に失望するのは「面白いはずだ」と思うからだ。何も思わず、何も期待しなければ問題ない。念のため、何を思ったかをあとで決めればいい。テレビが面白くなければ、虚心に「故障した」と困り、「思った通りだ」とつぶやけばいい。宝くじが外れれば、「外れたか、思った通りだ」とつぶやくのだ。こうすれば、自分の気持ちひとつでどんな事態になっても思い通りに起こったことになる。』となる。
釣りに行っても、「ボウズだったか・・」「思った通りだ」とつぶやけば何も悲しむことはない・・・。
プライドが傷ついた人には、『誰かに愛着をもってもらわないと無価値だというのは不合理すぎる。何物とも代替できない自分固有の価値が、他人まかせであっていいわけがない。他人から無視されようと、ゴミ扱いされようと、自分には無条件に価値がある。そう考える。第一、そう考えるしかプライドを救う道はない。』と言い、『何事も、決めてから実行するより、自然に出たものを味わいながら流れに任せる方がよい結果が出る。自分で考えて決めるとロクな結果にはならない。思い通りになる人生はつまらない。全能の神でないことに感謝せよ。思い通りにならないときこそ、視野を広げ、価値観を深め、プライドを捨てる時だ。』と、それを捨ててこそ浮かぶ瀬もあると説いている。
要は、視点を変えるとすべての悩みは消えてしまうのだということだ。
『壁が真っ白であるべきだと想定すれば、子供の落書きは〈ヨゴレ〉と判定されるが、そう想定しなければ、模様として味わえる。〈絵は実物そっくりであるべきだ〉と思うものはピカソを楽しめない。失恋もそうだ。人生に挫折や失敗があるべきではないと考えるのはおろかである。』というのもなかなかの名言だ。

同じく、最大の人の望みである幸福についても、『幸福でなくてはいけないと思い込んでいる幸福病患者が多すぎる。幸福になれなければ、幸福に目もくれない生き方を模索せよ。友人がいないなら孤独を求めよ。病気ばかりするなら健康を軽蔑せよ。すべての価値観をくつがえすのだ。』となるのだ。
これらこそきっと哲学ではないのかと思うものなのである。

相当ウケを狙って書いているところもあって、そういうところは臭く思えるが、そんなところにも何か伏線があるのではないかと思わせてしまうところがこの本のすごいところであり、「超発掘本!」と讃えられた要因だったと思う。確かにこの本を発掘した店員は小躍りしたことに違いない。

そのほかにも、これは哲学の話題ではないが、「パーキンソンの法則」というものが紹介されている。暇なときは何でもないことが大仕事になるという、「仕事に要する時間は使える時間に応じて増減する」という法則だ。なるほど、僕が常々思っていた疑問を解消してくれる法則だ。普段やらないような突発的な仕事をやらされても、べつに残業することなく帰ることが多々あったのだが、それじゃあ、普段突発的なことが起こらない日、僕はその時間、ただボ~っとしているだけであったのかと思っていたが、この法則を適応すると、僕は怠け者ではなかったということになる。これにはホッとした。
そして、『なぜ目に余る欠点を抱えた女が自分を完璧だと思えるのが不可解だが、多分、他人の欠点を指摘するのに忙しすぎて、自分の欠点に目を向ける余裕がないのだ。』という、いつかは誰かに言ってやろうと心に留めるべき名言もあった。

そして、奥様に虐げられているご自分を哄笑しているのも面白い。もちろん、それはお互いの信頼関係の賜物であるのは間違いがないが、これはどこの家庭でも同じようなものであると認識した。我が家でも同じく、僕のすることをことごとく冷ややかな目で見ているのが僕の奥さんだ。しかし、先日買った真空パックマシンは違った。ヤフオクで中古を買ったのだけれども、またこんな変なものを買いやがってと思われるのかと思ったがこれは違った。出来上がった真空パックを見て、これは使えると追加で買った真空パックのロールはお金を出してくれたほどだ。僕もたまには褒められることがあるのである。



そう、この人の文章のように、一見アホらしい文章なのだけれども、その奥に何か目を背けることができない、思わず見入ってしまうようなものが垣間見える文章を書けるようになりたい。今からでは遅すぎるが・・。



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加太沖釣行

2021年12月23日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:中潮 9:15満潮
潮流:6:09転流 10:22 上り3.3ノット最強 14:10転流
釣果:真鯛6匹


今年の休日も今日を入れて残り4日。いまだにお正月のためのにらみ鯛を確保していない。次の休日は大荒れの天気だそうだからどんどんチャンスは減ってゆく。
幸いにして今日は穏やかな天気という予報が出ている。なんとか叔父さんの家の分とウチの分、2匹は釣りたいと思って出撃したが、思いのほかの釣果に恵まれた。

昨日、遠くに見える友ヶ島の姿はまことの穏やかそのものだったが、朝起きてバイクを表に出しているとかなり風が吹いている。



それも北からの風だ。少し佇んで様子をうかがうが時折ド~っという感じで風量が増す。いつもの煙突からの煙も真横に流れている。



う~ん、早朝の情報番組でも今日は穏やかな天気だと言っているのになんでここだけ風が吹いているのだと自分の不運さに思わず天を仰いでしまった。

とにかく港までは行かないとわからないと思い、道中を急いだ。港に到着してみると、天を仰いだことはまったくの杞憂で、港内は穏やかそのもの。海面には満月がきれいに映り込んでいるほどだ。



確かにこの季節、夜に風が吹いていても明るくなるころには少しずつ治まっていくということがよくある。

今日の予定は、潮が緩い間はカワハギを狙ってみて、潮流が最強を迎える前にアジサバ、最強前後に真鯛というまたもや二兎を追う者は一兎をも得ずという戦略で挑むつもりだ。二兎を追うといっても、一応、僕なりに考えた戦略で、正月の真鯛をこのカワハギ仕掛けで掛かってくるチャリコかカスゴで確保しようという考えなのだ。高仕掛けにはまったく自信が持てないので、イソメを使った方が釣れる確率は高いはずだという理論だ。貧乏な家庭のにらみ鯛は外道で釣れてくるそのくらいのサイズで十分なのだ。この釣りでは魚が鉤を呑み込んでしまうことが多いので小さいやつの場合、放流しても生きて還してあげることができないのできれいな釣りとは言えないが、今日は勘弁してもらおう。

いつもの自販機でイソメを買おうとすると、自販機が新しくなっていた。



ついでに値段も上がっていて、全部500円になっているし、300円のパックが消えている。世間では様々なものが値上げラッシュだというニュースが出ているが、イソメよお前もかと悲しくなる。パッケージはえらい重厚になったが、へんなところに投資をするくらいなら値段を据え置いてくれよと怒りがこみ上げる。



しかし、いつも弱い方の立場は消費者だ。泣く泣く500円分の硬貨を投入口に放り込む。

風が心配だったので少し遅めに港にやってきたが、奥の港からは続々と船が出てゆく。
僕はゆっくりと準備をして、航海灯がなくても航行できるくらいになって離岸。



紀ノ川方面からも相当な数の船が出てゆく。
予定通り、カワハギポイントに到着するとこの海域にはまったく船がいない。



今のポイントは第2テッパンポイント付近のようだ。帝国軍の船がそこに集結している。



いきなり戦略を間違ったかと自信が揺らぐが、イソメを買ってしまっているのだから使わないわけにはいかない。しかし、仕掛けを下してみるとすごい2枚潮だ。すぐに底がわからなくなる。やっとアタリがあったと思ったら10センチほどのチャリコだ。流石にこれは焼き物にはならない。幸いにして呑み込んだ鉤もきれいに取り出すことができたので元気に海に還すことができた。

この場所を見切り、少し南下して試してみるも一向にアタリはない。いっそのこと、この仕掛けの上にサビキ仕掛けをくっつけると二刀流で今日釣りたい魚をすべて狙えるのではないかとあらぬことを考え始めた。大体、二刀流などというものは大谷翔平のように能力のある者がなせる業なのであるし、そういう釣り方に効果があるのならすでにほかの誰かが実用化しているはずだ。この時点で我ながら、今日も戦略レベルで見ても戦術レベルで見ても敗北は必至だと思い始めたのだ。まあ、魚は掛からなかったものの、イソメにアタリがあったということは感知できたということは、戦術的に完全に間違いであるとは言えないということがわかったということはよしとしておこう。

さすがにこれではいかんと気を取り直し、当初の戦略に戻り純粋なサビキ仕掛けに変更。しかし、これでもアタリはない。魚探にはときおり反応があるのだが、これは魚ではないのだろうか・・。また悩み始め、そこから迷走を始めた。どこかに魚はいるはずだと第2テッパンポイント、四国沖ポイントの横、はては遠く大和堆ポイントにまで移動したが、そこにいた船団は釣り船ではなく、シラスを獲るバッチ網の集団だった。シラスがいるということはアジサバもいるのではないかと思うのだが、さすがにあの中に入ってゆくことはできない。仕方なくまた北上。

 

第2テッパンポイントから少し南に下ったところでサビキを続けるがアタリはない。予定よりも早いが高仕掛けに変更。カワハギは釣れず、アジサバにも振られ、背水の陣ではあった。(確かに周りは水だらけなので背水の陣であるには違いない。)そしてそこからの読みが当たった。この時点で午前9時半。最初はまったくやる気がなく誘いをかけていたのだが、午前10時、当初考えていたとおり真鯛が釣れるのはこの時刻からだろうと思っていた時に最初のアタリがあった。
バレるなよと慎重にやり取りをする。前にリールの分解掃除をしたとき、ドラグ部分にはオイルを入れなかった。多板式のドラグにはオイルを入れてはいけないということを聞いていたので、同じドラグならここにも注油をしないほうがいいのだろうと思っていたのだが、それではどうもダメだったようで、まったく滑らかにドラグが滑ってくれない。そこをなんとかいなしながら1匹目を確保。とりあえずこれで正月を迎えられる。あとは叔父さんの家の分を釣ったら今日は満足だ。そして、1匹釣れるとがぜん集中力も増してくる。すぐに次のアタリを捉えた。魚の活性も上がってきたのか、前アタリからすぐに竿の先を引き込む本アタリに変わってくれる。

1時間足らずで3匹釣り上げ、もうこれでいいやとせっかく買ったイソメを使い切ろうとカワハギ仕掛けに変更。第1テッパンポイントに移動して仕掛けを下す。相変わらずカワハギのアタリはまったくないが、魚探にはたくさんの反応がある。これはひょっとして真鯛の反応ではないのだろうかと思い、仕掛けを変更。そしてすぐに答えは出た。正解だ。連続して3匹を釣り上げた。今日の最大サイズもこの時に釣り上げたものだ。

正午になり、北風に押されて船が南に流され始めた。ここが引き時と釣りを終了。

イソメはまったくの無駄になってしまったが、イソメを持って行かなければ最後の3匹は釣り上げることができなかったのかもしれない。結果オーライというのは別の意味でいうと読みができていないということになるのかもしれないが、もともと加太での釣りはこの高仕掛けで真鯛を釣るということが本分であると思っていながらその本分を忘れてイソメで真鯛を釣ってやろうと考えていたのだが、それに対して神様が、「初心に戻れ。」と警告を与えてくれたのかもしれないと自分への戒めとしたいのである。

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「僕の種がない」読了

2021年12月22日 | 2021読書
鈴木おさむ 「僕の種がない」読了

著者は、森三中の一番大きい人の旦那さんだ。放送作家をしていて小説も書いているということは知っていたが、特に興味のある人でもなかった。なのにどうしてこの本を読んだのかというと、11月に参加した図書館のバックヤードツアーの中で業務体験というのがあって、納品された書籍に蔵書印を押すというのをやった。その本がこの本だったのだ。
このゴム印は僕が押したものなのである。



ここで、図書館に本が並ぶまでの流れを書いておきたいと思う。
まず、毎月、和歌山県立図書館に納品される新刊図書というのは約1000冊だそうだ。今では蔵書は100万冊になるという。どうやって1000冊が選ばれるかというと、基本的に納品元は株式会社図書館流通センターというところ1社だけだそうだ。郷土資料という、和歌山に関する本などは別途違うルートもあるそうだが、この会社が作っているカタログの中から職員が選ぶという流れらしい。ジャンル別に担当者がいるらしく、いわばその人の好みが反映されるということになる。もちろん、選ぶのはカタログからなので担当者のカラーというよりもむしろカタログを作った人のカラーと言ってもいいかもしれない。まあ、一般書店ではないのだから、本屋大賞みたいに、私の好みで選びましたと言われると、公共施設としてのバランスを欠くことになるからこのほうがいいのかもしれない。
この会社名、どこかで見たような気がすると思ったら、ウチの会社からひとり出向しているひとがいる。本業とはまったく畑違いの会社だが、調べてみると図書館の業務委託業界では筆頭らしく、となると、我が社は凝りもせず、今度は図書館の運営受託を狙っているのかもしれない。

図書館に並んでいる本はすべて透明なシートできれいにカバーされているが、これも図書館流通センターでカバーされた状態で納品されるらしい。僕はてっきりこれは図書館の人がやっているのだと思っていた。相当システマティックに運営されているようだ。
納品された本は、「日本十進分類法(NDC)」という分類法に従って背表紙のシールが貼られ、データベースに登録されたあと書架に並ぶ。
出版されてから大体1ヶ月遅れくらいで僕たちが読める状態になるそうだ。


肝心のこの本のあらすじだが、ひとりのドキュメンタリー製作ディレクターとお笑い芸人が主人公だ。
ディレクターは、テレビ業界に携わりたいと、ドキュメンタリーを主に製作している制作会社にアルバイトに入る。そこで出であったドキュメンタリー作品に感動し、自身もドキュメンタリーの製作を志し、独特の感性と突進力で業界でも一目置かれる存在になっていった。
お笑い芸人は元ヤンキーの兄弟。そのヤンキー気質があだとなり、芸人仲間には受けるもテレビ業界からは干される立場である。一念発起で始めた、路上で捕まえたひとを笑わせる動画が人気を集め一流芸人へと登り詰める。
しかし、兄に肺がんが見つかり、余命半年の宣告を受ける。自分の生きざまをさらけ出し笑いに変えてきたと自負する兄は自分の最後も記録に残したいと考え、ディレクターにその撮影を依頼する。普通の闘病記では面白みがないと、ディレクターが提案したのは、まだ子供のいなかった夫婦に子作りを勧めることだった。
しかし、夫婦には子供ができない理由があり、それは兄の無精子症が原因だった。
ディレクターはそれ以前にテレビの企画で無精子症のひとと出会っていた。それでも子を持ちたいという希望、そして生まれてきた子供への感動。そういったものを思い出し、キンタマから精子を取り出す手術を勧める。それに同意した芸人のキンタマから取り出されたたった2匹の精子が奇跡を生む。
そんな内容だ。

偶然だが、この本を読んでいる期間、購読している新聞のコラムで無精子症の患者の話が連載されていた。著者はテレビの業界で働いているだけあって、タイムリーな話題を題材にして小説を書いたということなのだろう。
無精子症というテーマはさておいて、芸人という人たちの生きざまについても厳しいというか、驚きというか、ああいう業界で生き残っていくためには凄まじいエネルギーが必要なのだということを垣間見た。そういった芸人たちを間近で見た人でなければこういった書き方はできなかったのではないのだろうかと思うのだ。
一昨々日にはM1グランプリを放送していたが、ひとを笑わせるというのはそれほどに難しいことなのだろう。自分の身を削り、笑いを絞り出しているのだ。
大分昔、仕事場に設置されているホールの隅っこで、イベントの出演者としやってきていたミサイルマンという漫才師の太い方が、相方に真剣なまなざしで何かを語っていたところを見た。おそらくはどうやったら客を笑わすことができるかということを語っていたのだと思う。ちょうどその頃、COWCOWというコンビが「あたりまえ体操」で全国区にのし上がったころで、同じイベントに出ていた太い方が舞台の隅っこからCOWCOWをにらみつけるような目で見ていたのが印象に残っている。
きっと、うらやんでいるというのではなく、いつかはこいつらを超えてやるという気持ちか、自分たちの方が絶対面白いという自負のまなざしであったのだろう。

常に貪欲に目の前の目標に食らいつくという姿勢は真似ができない。そんな人たちだけに与えられるのが生きる価値なのではないかと思う1冊であった。
結末は落語のオチのようだが、偶然出会った本としてはいい方だったと思う。

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水軒沖釣行

2021年12月20日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 7:29満潮
釣果:ボウズ(不戦敗)

今年の休日もあと4日。今日も午前10時に病院に行かねばならないが2時間だけコウイカを狙っての釣行を決行した。
明後日が冬至なので夜明けは遅い。



できるだけ釣りをする時間を稼ぎたいので今日も真っ暗の中で出港準備をしていた。燃料ホースのポンプをシュポシュポして、セルを回すとエンジンが始動しない。今日はこの冬一番の寒さだからエンジンがかかりにくいのかしらと思い何度もボタンを押すがダメだ。あんまり回しすぎるとセルモーターが焼け付くかもしれないのでこれはどこかが故障したと断定し、その後のことを考える。
このまま「わかやま〇しぇ」に行って冷凍コロッケを買って帰るか、大きい方の船を出して初期の目的を完遂するか・・。
下した決断は、今年の休日も残りが少ないのだからやはりここは行くべきだと考え、大きい船にエンジンの火を入れる。
この時点で午前6時48分。



港に戻らなければならないリミットは午前8時半だからおそらく釣りをできる時間は1時間ほどとなってしまった。それでも、うまくいけば1匹は釣れるだろう。
大きい船はスクリューに物を巻き込むとか船底に浮遊物を当ててしまうとかのトラブルを起こすと厄介なので港内は特に微速前進しかできない。もどかしいが仕方がない。

やっと一文字の切れ目にさしかかり、間から沖を見てみると、けっこう波が高い。それでも思い切って抜けてみるとこの船でもデッキの上で体を安定させるのが難しいほどの揺れだ。西からの風も強い。港までの道中、幹線道路沿いのコンビニの旗が大きくたなびいていたが、これは通行する車の風圧のせいであると思い込んでいたが、これは認知バイアスだったようだ。

とてもじゃないがイカを釣れるような状況ではない。底を取ることは無理だろう。写真を2枚だけ撮ってすぐに港へ引き返した。



帰りの道中、また池○マリンのお兄ちゃんに連絡しなくてはならないだろうな~。しかし、僕の小船は年末になるとご機嫌斜めになるなと2年前に修理を依頼したことを思い出していた。

しかし、セルは勢いよく回るのにどうして始動しないのか、原因をいろいろ考えてみた。最近は、燃料フィルターの中にガソリンを残すのはよくないと聞いたので帰港してからホースを抜いてガソリンを焚き切るようにしていた。オイル交換の時も試運転で同じことをしていたので、何らかの理由で燃料パイプが詰まってシリンダーまで入って行っていないのではないかと思い始めた。
帰る前にもう一度点検しなければと思い、ポンプは作動しているか、燃料の漏れはないかを見直しながら、ふとハンドルの方に目をやると、あれ・・、今日はキルスイッチの爪をはめ込んだかしら・・。と疑念が浮かんだ・・。ああ、原因はこれに違いない・・。改めて爪をはめ込んで始動させると、何事もなかったようにエンジンは回り始めた。



オイル交換に来たのにオイルを忘れ、年金を積み立てる口座のカードの行方を忘れ、毎回同じ手順で準備をしているはずのものを飛ばしてしまう。
物忘れのひどさに我ながら恐れを感じる。車の運転もそうだが、船の運転も命に関わる。なんとかここで踏みとどまらないとえらいことになりそうだ。
まあ、あの波をみていると、小船では相当危険であったに違いない。僕がキルスイッチの爪を入れ忘れたのは、今日はこの船に乗ると危険だよという神様のご宣託だったのかも知れないと思っているのは認知機能が衰えている中で顕れた認知バイアスという幻想だったりするのだろうか・・。
合わせて、船の老朽化に伴い脳みその劣化も順調に進んでいると楽観的に見ているしか仕方がないと痛感したのである・・。




忘れるというと、こんなこともあった。病院の駐車場は駐車サービスの登録をしてもらっても2時間以上停めていると200円かかる。前回、14日に行った時、何を思ったか、今日は承認してもらっているからタダだと小銭の準備をせずにゲートに入ってしまった。そこで気が付き、慌てて財布から200円を取り出すという失態をしてしまった。
今日はきちんと200円を準備してゲートに向かったが、母親の癌を診てもらう前に僕の脳みそを診てもらう方を急がねばならないのではないかと思い始めたのである。

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「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方」読了

2021年12月19日 | 2021読書
暦本純一 「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方」読了

もう、何かを考え、新しいことをやるという仕事をするようなことはないのでこういったアイデアづくりの本を読んでも何の参考にもならないのはわかっていて、もちろん、こういうハウツー本を読んだからと言ってみるみるうちにアイデアが湧き出てくるとも思っていない。そんなに簡単なら、世の中はエジソンだらけになってしまうことになるし、大谷翔平選手が使っていた目標達成シート(マンダラチャートというらしい)を書いたら世の中の全員が大リーグでMVPをもらえてしまうことになる。

だから、最後の1冊だと思って読んでみたというわけだ。もともと、以前に読んだ本の中で、「アイデアの作り方」という本が紹介されていて、その本を検索していたらこの本が見つかったのである。著者は、今はだれでも恩恵にあずかっているスマホの画面を親指と人差し指で拡大したり縮小したりできるシステムを創りだしたひとだそうだ。だからこの本のハウツーも、もともと天才だったひとが活用するから有効に働くのであって、僕のような無能な人間がこのハウツーに挑んでみたところで何も生み出せないということを前提に読み進めようと思う。
無能というと、最近こんな箴言を聞いた。『平和というのは、無能が最大の悪徳とされないような幸福な時代を指して言うのだ』う~ん、この言葉を言った人もきっと天才だったに違いない・・。

この本の中で、著者が一番大切だと考えていることは、「妄想」することだと伝えている。すべては妄想から始まる。
我々は、現在の延長で物を考えがちである。しかし、妄想は、今あるものを飛び越えて生まれるものである。だからこそ新しいのだという。しかし、アイデアは自分の中から勝手に生まれてくるもので、それが「妄想」なのである。
そして、その妄想を育むための源泉は自分の「やりたいこと」である。「実現可能かどうか」という判断を優先させていたら、「妄想から始める」どころか、妄想を抱いた瞬間に終わってしまう。だからまずは妄想をし続けなければならないのである。そしてそこには遊び心が必要だ。著者はそれを、「非真面目」という言葉を使って説明している。真面目なイノベーションが、「やるべこことをやる」ものだとしたら、「やりたいことをやる」のが非真面目なイノベーションであるというのだ。
まあ、今時、企業でも、大学でも、そんな余裕のあるところはほとんどないのが現実であるだろうが・・。

次にそれを妄想を言語化してみる。それを「クレーム」という。そして、一言で言語化できるクレームはベストであるという。こういうところはマーケティングの考えと似ている。
マーケティングでも、企画の意図をキャッチフレーズとして書き出すのだが、これも短いほどよい。この本に載っているクレームでは「七人の侍」の例を揚げているが、黒澤明がこの映画のために作ったクレームは、「農民が侍を雇って山賊を撃退する」というものであったそうだ。なるほど簡潔でわかりすい。
逆に、くだらないクレームとは、「高機能な」「次世代の」「効率的な」「効果的な」「新しい」などの一見耳障りのよい言葉である。結局的を射ていないものになってしまうという。僕も営業計画で散々使ってきた言葉だ。だから役に立たないと思われてしまったのだと今になって気が付いた。
また、新しいアイデアは、何もないところから突如として出現するわけではない。そのほとんどは、「既知」のことがらの組み合わせである。既知と既知の掛け算なのである。だから、いろいろなことを知っておくということが大切である。他人が考えない自分らしいアイデアの源泉にするなら、好きなものが三つぐらいあるといいらしい。「多情多恨たれ。」という師の言葉に似ている。
その考えがどれだけ価値のある物かというのを計る尺度は天使度(発想の大胆さ)と悪魔度(技術の高さ)である。発想が大胆で、かつ高度な技術を要するものは他人が真似できないものとなる。もちろん、発想に技術が追いつけなければただの絵に描いた餅になってしまうが。
そしてそれを試行錯誤しながら実現可能かどうかを試してゆく。これを著者は、『素人のように発想し、玄人として実行する。』と書いている。これは、師がよく書いていた、「心は素人、腕はプロ」という言葉に似ている。

思考錯誤の途中で諦めてはいけない。自分でなくてもできそうなアイデアはオリジナリティが低い可能性がある。なかなか成功しないものほど独創的であるということだ。そんな紆余曲折経て成功する人たちは、どんなに失敗を重ねてもけっこうそれを楽しんでいたのではないだろうか。というのが著者自身の経験から言えることだそうだ。

アイデアに失敗する例としては、自分のアイデアはかわいく見えるという「認知バイアス」やサンクコスト(埋没費用)効果というものが紹介されている。どちらもそれに固執し、そこから抜け出せなくなるというものだが、確かに、一度始めたものを止めてしまうのには勇気がいる。川に釣りに入って道に迷ってもなぜだか後戻りはしにくいし、360円のイワシの投資がもったいなくて結局燃料を焚きまくるというこの前の洲本釣行というのがいい例だ。
逆に、こういったことは新たな発想を生む種になるということも書かれている。ひとつはピボット(方向転換)という考え方だ。これはあるアイデアを違った方向から見直して新たな発想をするというものだが、今、この瞬間にも使っている光学マウスだが、これは、コピー機の連続印刷の紙送りの原理を応用しているらしい。あれは、なんとカメラでコピー用紙を撮影しながら1000分の1秒単位で紙の位置を検出して次の紙を送り出しているそうだ。コピー機のカメラは固定されているが、それを移動式にして動いた距離と角度を解析しているのが光学マウスだそうだ。そういえば、リールのストッパーもプリンターのローラーの原理を応用していると聞いたことがある。そのおかげで、昔みたいに、ロックがかかっているときにカックンとならなくなったのである。確かに、新しいことを考えるひとは見ているところが違うのだ。
ひとつは、今は役にたたないものでも、寝かせておけばいつか役に立つという。科学者や企業は論文を投稿したり、特許をとることで自分が初めて考えついたのだということを世間に周知させておくのだそうだ。
これらの考えも師の言葉や、マーケティングの理論に所々似ているということは、「既知」のものを組み合わせた考えなのだということがよくわかる。著者のいうとおり、既知の考えの組み合わせで新しい発想が生まれるのである。

まあ、くだらないことでも、今までとりあえずはいろいろなことを考えてきた。一番いやだったのは無反応であるということだった。会議で何を言ってもとにかく無反応。褒めてくれることはないにしても、無反応なのである。意見や非難をもらうところというのは揚げ足を取るようなところばかりというのがこの会社であった。この本には、相手を一瞬、「キョトン」とさせるアイデアはいいアイデアであるということも書かれていたが、キョトンどころか、みんな死んだイワシの目のようであった。
認知バイアスではないけれども、こいつらの見る目がないから無反応なのだと思いたくなった。このブログにコメントをいただく、warotekanaさんからもたくさんのヒントをもらい、これは他社でも実績のある企画ですと言っても無反応だ、せめて、なんでお前がそんなことを知っているんだと言われてもよさそうなものだが、それもなかった。こんな資料を作りましたと配布しても、これはどう見るのだという質問もない。作るだけ無駄というものであった。
僕のほうも、モノづくりには興味があったので雑貨の部門で長くいられたというのは幸運であったのかもしれないが、ファッションビジネスというものにはまったく興味はなかった。だから好きなもの三つを見つけることさえできなかったというのが本当のところである。
どんどん衰退してゆく業界で、何を考えてもそれは防戦一方の方策でしかないというのはわかるが、こんな会議だから防戦一方になってしまうんだろうなと今はそんな会議にも出ることがなくなりホッとしているのも事実である・・。
と、なんだか人生の総括というような感想になってしまった。
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二日間かけてオイル交換をする。

2021年12月17日 | Weblog
今日は冬型の気圧配置でこの冬一番の寒さになるらしい。病院にも行かなくていいし、じっくり釣りに行ける日であるがさすがに船は出せない。



こんな日は少しでも船の整備をやっておこうと、小船のオイル交換をしてみた。本当は、前回の休日にそれをするはずだったのだが、準備をして家を出て、港に到着する直前になって肝心のオイルを持ってくるのを忘れていたことに気が付き、何もすることができずに帰ってきていた。



少し前、義母の法事に行った帰り、お寺の近くのホームセンターでオイルを買ってから玄関に置いたままにしていて、それに気が付かずに家を出てしまった。どんどん物忘れがひどくなってきて、この日はホースをつなぐためのビニールテープも持って行くのを忘れていて叔父さんの家で借りたりもした。それを防止するため、それぞれの作業で必要なものはなるべくひと固まりにして置いておき、できれば数日前から準備をしながら頭の中で作業の手順をシュミレーションして準備のし忘れがないかを確認している。前回の休みは発作的に今日はオイル交換だと思い立ったので忘れ物が続出したというわけだ。自分の脳みその劣化具合に自分自身がおののいているのである。

今日は準備万端整えて港に向かった。



1時間ほどで作業を終え、ホースやケーブルを紫外線から守るためのカバーを取り替えて終了。




家に帰ると、奥さんから、この前言っていた金利がいい定期預金をするために、あなたが会社で作った確定拠出型年金を管理する口座のカードが必要らしいのだが知らないかと言うので、僕はオカネのことはあなたにすべて任せているので知らないと言うと、そんなことはない、絶対に私は受け取っていないという。SDGsの理念からは相当かけ離れていると思うけれども、どうしてオンナというのは、こうも自信たっぷりに自分は間違っていないと主張できるのかと思うと少しカチンときたので、どうしていつも僕の方が間違っているとばかり言うのだと食って掛かったものの、記憶力という部分でははるかに相手の方が勝っている。確かに口座番号を書いたカードを会社からもらった記憶はあったので念のためパソコンを置いている折りたたみ机の周りを探してみると・・、あった・・・。下の段にホコリを被った封筒を見つけてしまった・・。



もう、言い返す言葉がない、これからもあなたの言うことにすべて従いますと平身低頭するのである。

そこからの奥さんの行動は素早かった。今から農協に行ってオカネを下して郵便局からこの口座に振り込む。パソコンでしか操作できないらしいので定期預金の口座に振り替えてという。
これ、4、5千円の額ならどうでもないが、ウチの車が2台は買えるほどの金額だ。100均に行ってあとひとつ買い物をしようかどうしようかと悩んでいる僕からはその動きの速さと大胆さが想像ができない。まるで赤い彗星だ。おそらくそんなオカネを動かすとなると僕ならひと月くらいは悩みぬいても決断できないだろう。ここはさすが元銀行員、札束を見てもあまり動じることはないようだ。
20日までに申し込まないとこの金利はもらえないというのだが、それでもすごい決断力だ。
それに加えて、ウチの奥さんはこんなにたくさんのお金を持っているのかというのにも驚いた。口座名が旧姓だったのでオカネをおろすのに窓口ではできなかったと面倒くさそうに外廻りの職員を呼んでいたが、独身のころからどれだけ貯め込んでいたのだろうと思うと、恐ろしくもあり頼もしくもなったのである・・。
もう、絶対に逆らえない・・。

金利には相当うるさいが、マイナポイントでもらえる5000円には固執しないらしい。ペイペイをインストールして市役所まで連れて行って(自力では設定をすることが出来なかったのだ・・)あとはローソンでチャージするだけまでこぎつけているのにローソンに行くのが面倒だとこれまた大晦日までにチャージしないともらえないのをわかっていながら一向に行くそぶりがない。僕にとっては数百万の現金より5000円のほうが大切だと思うのだが・・。
ここはカードの仕返しにと無理やり近所のローソンまで連れて行きチャージをしてやってちょっとだけ威厳を保つのである。

これくらいの時間になると北西の風が異常なほど吹き始めてきた。午前中はそれほど大した風ではなく、オイル交換もスムーズにおこなえたのだが完全に本格的な冬の状況になってきた。



年末までの残りの休日はあと4日。母親を病院にも連れて行かねばならないし、うまく天気が合わなければ来年の正月は祝い鯛なしで迎えなくてはならないかもしれない。慌ただしい年の瀬になりつつある。
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「新しい星」読了

2021年12月16日 | 2021読書
彩瀬まる 「新しい星」読了

この本も新着図書の書架に入っていた本だ。何冊かの小説が貸し出されずに残っていて、そのうちの1冊を借りてみた。作家の名前も知らないし、どんな内容かもわからずに借りているのだが、これも本を読む醍醐味のひとつだろう。この本も次の予約が入っているところをみると、けっこう人気のある作家なのかもしれない。

学生時代、合気道同好会で出会った4名の30代の男女が主人公である。それぞれが主人公となる各章をつないでひとつの物語となっている。
それぞれに生き辛さを抱えながらもそれを包み込みながら次の人生を生きていくという内容だ。著者は1986年生まれということだが、この年代の作家というのはこれほど生きるということをポジティブに考えられるものなのだろうか。まあ、この時代、太宰治のような文章を書いても売れないだろうから、これも自然淘汰なのかもしれない。

世間一般、誰もが思うことであるが、『みんなが想像する「普通」からはみ出してはいけない。「普通」じゃないことが起こるのは、なにかしらの恥ずべき異常があるからだ。』という考えのなかで4人は生きていた。
生まれた子供を2ヶ月で失い、その後離婚した青子、仕事につまずき引きこもりとなってしまった弦也、コロナ禍がもとで子供と離れて暮らすことになってしまい、それが元で離婚をした卓馬、乳がんを患いながらも子育て、仕事、主婦という役割を続けながらも高校生になった娘を残して亡くなってしまった茅乃。それぞれ普通ではないことを思い煩いながらもお互い助け合いながら前を向こうとする。そんな物語だ。
主人公たちの言葉から、「普通」からはみ出してしまった苦痛がうかがえる。
『わかりやすく説明できないことばかりだった。どうして会社を辞めたんだ。どうして部屋から出ないんだ。』(弦也)
『社会で堂々と生きてゆけるほど、有能じゃなかった。嫌われた。迷惑がられた。』(弦也)
『いつしか悲しみが、ちょっとしたお守りみたいになってしまった。』(青子)
『未来に良いことがあると信じられないことは、こんなにも辛い。』(卓馬)
『彼女は考えないことをやめたのだ。そして抱え込んだものの中から、これからの人生で持っていくものと置いていくものをより分けようとしているのだ。』(卓馬の妻)
『自分の倍近い年齢を生きた母親の中にも、見下されることへの恐怖がある。』(弦也)
それぞれ、自分でもふと思うことがあるものばかりのように思える。結局うやむやになって何の解決策もなく、解決することもなくときの過ぎゆくままに流れていく。そうして生きてきた。
対して、彼らは突き付けられた現実に対して立ち向かうというわけではないが、それも人生のひとつだと受け入れることで次のステップを踏み出そうとする。
そこがポジティブだ。

冒険家というジャンルの人々がすべてポジティブな人たちだといわないが、えてしてポジティブな人たちが多いそうだ。ひとがポジティブであるかネガティブであるかというのはドーパミンの分泌が多いか少ないかである程度決まるという。
性格に関わるセロトニンやドーパミンを運ぶタンパク質をコードしているSLC18A1という遺伝子の136番目のアミノ酸が変異を起こすとドーパミンが多くなるそうだ。
アフリカを飛び出した人間は、そのルートをたどると、南アメリカの南の方に行くほど変異した人が多くなるという。アフリカ時代は不安症の人が多かったけれども、その中の、突然変異で心配や不安が少くなった人たちが思い切ってアフリカを後にすることができたのかもしれないというのが最近の研究結果だそうだ。

主人公たちも最初は自身に不安を抱えているが、久しぶりに出会った友人たちとの交流でドーパミンの分泌が促進されたというのが科学的な方面から見たこの物語のあらすじになりそうだ。

何が普通かと言われれば、そんな基準はきっとないのだとこの歳になると理解はできる。しかし、自分の基準に合わない事柄に対しては常に違和感を覚える、それが気になって仕方がないというのはきっと僕の中のドーパミンが少ないからだろうと思う。これも、この歳になって新たに増えることもなかろうと思うので、この性分と残りの人生を付き合っていかねばならないのだと思うのだが、この職場の雰囲気についてはどうもそうはいかない。なんとか、このアホみたいなカオスを楽しもうと努力はしているのだが、そのためにはもっと、ドーパミンによるドーピングが必要なようである・・。


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