イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「老神介護」読了

2023年03月30日 | 2023読書
劉 慈欣/著 大森 望、古市 雅子/訳 「老神介護」読了

この本は「地球漂流」と同時に発表された短編集だ。5編の短編が収録されているが、SF小説でありながらデストピア小説というような趣の作品群だ。
表題になっている「老神介護」は超高齢化社会、「扶養人類」では格差社会、「白亜紀往時」では巨大国家間の衝突、「彼女の眼を連れて」「地球大砲」では環境汚染問題。そういったものが取り上げられている。現代の中国、もしくは世界が抱えている社会問題を反映させているようにも思える。

「老神介護」では突然現れた宇宙船団から自分たちは人類を創造した“神”であると名乗る人たちが地球に下りてくる。彼らは歳を取りすぎ、自分たちの生き方を機械のゆりかごに頼りすぎたことでテクノロジーはすっかり忘れ去られ古くなった宇宙船では暮らせなくなったから地球上で面倒を見てくれという。
当初、その進んだテクノロジーに魅了された地球人は20億柱の神々を受け入れるが、モノがあってもそれを作り出すことができないことを知った後は邪魔者扱いをされることになった。
結局、年老いた神々は地球を離れるが、その間際に、彼らは宇宙の中にあと三つの文明を作り、二つの文明はお互いに衝突したことで滅んだが、残りのひとつは健在でいずれこの星を滅ぼしにやってくる。生き残るためにはその前に相手の文明を滅ぼさねばならないと言い残して地球を去る。

「扶養人類」では、その“兄文明”が地球を滅ぼしにやってくることから始まる。
地球より少し文明が進んだ兄文明は地球を植民星にしようとしている。オーストラリア大陸に閉じ込め、現在地球の最低層の人間の生活レベルを保証すると迫ってきた。兄文明の調査団が迫る中、地球各国のリーダーたちは大規模な貧困者救済策によって最低層の生活レベルを引き上げようとし始めるが貧困者の中にはそれに従わないものがでてきた。リーダーたちはそういったものたちを殺し屋を雇って殺そうと考えた。というのが大まかなストーリーである。オチというのが、兄文明からやってきた侵略者自身も、たったひとりの人物に空気や水までも富として独占された難民であったということだ。
貧富の差の極りが生む結果である。

「白亜紀往時」は蟻と恐竜が協力して作り上げた文明の話である。蟻と恐竜は隕石の衝突がなかった地球上で高度な文明を築いていた。しかし、恐竜の文明は二手に分かれ、お互いに反物質を使った最終兵器を開発してしまう。それが抑止力になっているのだが、蟻の文明はその脅威を取り除くため両国の兵器を破壊する工作を始める。しかし、その工作は失敗しすべての文明が滅んでしまい、恐竜は滅び、蟻もかつての文明を復活させることなく普通の蟻に戻ってしまうというストーリーだ。
国家間の力の均衡の危うさを描いている。

「彼女の眼を連れて」は近未来のバーチャル体験システムをストーリーのギミックとして利用している。地球から遠く離れた場所にいる人のためにボランティアでバーチャル体験をしてあげるというストーリーで、「地球大砲」ではその離れた場所にいる人は実は地球の内部で漂流している人であったということが明かされる。そしてその人は主人公の孫であった。
狂気の科学者の技術で、中国は地殻を掘り進み南極まで到達するトンネルを作り上げる。人工冬眠で不治の病から生還した父親はその工事で犠牲になった人たちの恨みを買う。このトンネルは地球の中心付近を通るためそこにほうり込まれた物体は振り子のように出口を入り口を往復したのちにいずれ無重力状態にある中心地点に落ち着くことになる。そこは超高温高圧の環境なので防護服の生命維持装置の電源が無くなれば命を落とすことになる。それが犠牲になった人たちの恨みを晴らす手段なのだが、なんとか助けられ、その後また、増えすぎた人口対策のために人工冬眠させられることになる。
再び目覚めた時、このトンネルは「地球大砲」というレジャー施設に生まれ変わっていた。無重力状態の地球中心を通るときの勢いを利用して身体だけで宇宙まで飛んでゆくというアトラクションだ。
その時代の世界は簡単に宇宙と地球を往復することができ、産業インフラも宇宙に進出している。人工冬眠から目覚めた主人公にとっては夢のような世界である。主人公は地殻の中をいまだ彷徨っている孫にこの光景を見せたいと願うのである。

と、いうような短編集であった。

著者は、現代の技術はますます進み人類を地上以外の場所に進出させてゆくだろうと予想し、人はそうやって広がってゆくべきだと考えているようである。この2年ほどで著者の本をかなり読んだがその思いはどの作品にも表れているように思う。
それは中国人特有の上昇志向なのか、それとも人間が持っている本能なのかはわからないが、昨今の国際情勢を見てみると、こういうことを成し遂げるとすれば、それは自由主義国家ではなく、独裁主義的な社会主義国家であるのだろうなと思えてくるのである。
それは人類として望む姿かどうかは別として・・・。
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田辺湾釣行

2023年03月28日 | 2023釣り
場所:田辺湾 カナヤ
条件:小潮 8:42満潮 
釣果:チヌ 8匹

年に1回の乗っ込みチヌ狙いに行ってきた。今日もズル休みである。もともとタラノメ採りの予備日として休みを取っていたのだが、今年はすでにタラノメは採ってしまったし、乗っ込みの季節はまだ突入したばかりだが好釣果の情報も入ってきた。

今は桜の季節。前日は途中下車して桜を見ながら明日の策を練る。



渡船屋に問い合わせると一番船は午前5時だそうだ。働き方改革で4年前からはこの時期は午前5時半に変わっていたのだが、客からのクレームが続いていたのだろう。
それに合わせて午前2時20分に出発。食料を買って、印南のサービスエリアでトイレを済ませてエサ屋に寄ってちょうど2時間。高速がほぼ2車線になったことの恩恵は大きい。この磯に通い始めてほぼ40年。当時は自動車道は湯浅までで、そこから一般道を峠をふたつ越えて行っていた頃は倍くらいの時間がかかっていたのではないだろうか。

あまりにも朝が早いので渡礁した頃はまだ真っ暗だ。



ヘッドライトを準備しておけばよかったと思ったが代わりにスマホのライトが役に立った。ライフジャケットのポケットに差し込んで使うとかなり明るい。



しかし、暗い中で磯の中、重い荷物を持って歩いていると、手のひらは切るしカッパのお尻は破るしで何もいいことはない。

少し明るくなって釣りを開始。
今のところ風はない。そして隣の爺さんのタバコの煙が鬱陶しい。こんな清々しい環境のなかでわざわざタバコなど吸わなくてもよいのにと思う。そしてその鬱陶しい気分と同じようにエサ取りさえもない。やっとウキが沈んだかと思ったら手のひらくらいのチャリコだ。持って帰ると塩焼きにはなりそうだが、鼻のつながった明らかな養殖真鯛だ。せっかく脱走に成功したのだから食べるのはかわいそうだ。2匹釣ったが二度と釣られるんじゃないぞと諭してどちらも海に帰ってもらった。
それから二時間以上、まったく何の反応もない。今回が最後の釣行になるかもしれないと思っているのに、このままで終わるのかと思うと焦りと悲しみが襲ってくる。

しかし、午前8時を過ぎた頃から状況が変わってきた。風が西向きに変わってきて隣の爺さんのタバコの煙が気にならなくなってきた。この風で水に動きが出てきたか、その後やっとアタリが出た。まあまあの型だ。この時が小さな時合だったか、その後すぐにアタリがあった。これもまあまあの型だ。3匹目はその少しあと。
しかし、この頃から風がどんどん強くなってきた。船頭の予報がピタリと当たった。スカリも磯の際で右往左往していて破れそうになってきたのでここで1回魚を締めることにした。食べる分はこの3匹で十分なのであとは放流することにした。キープするとしたら年なしサイズが釣れた時だけである。

そしてますます風は強くなってきた。そこから1時間。再び時合が来たか、時折アタリが出るようになった。沖からの回遊組だろうか、魚体はシルバーで型が小さい。朝の時合とは明らかに違う。風の強さに合わせてウキ下の調整をこまめにやったことも奏功したようだ。
4匹目

6匹目

7匹目


これらの魚は全部放流。5匹目は少し血を流していて急いで放流したので画像はない。

この間もまったくエサ取りはない。昨日よりも若干水温が下がっていたようだが、そういうことが影響しているのだろうか・・。
そして、お昼を回った頃から釣りにならないほどの風が吹いてきた。ウキ下の調整も限界だ。



最後の1時間はおだんごクラブ秘伝のウキなし釣法に切り替えた。3、4回の打ち返しのあと、本当にアタリが出た。今日最後の1匹がこの魚だ。これは少し大きかったのでキープ。



この魚のお腹を開くと胃袋の中はヌカとムギでいっぱいになっていた。アタリがない時間でもこの場所でずっと僕の撒餌を食んでいたのだ。きちんと底を取るということの大切さを思い知る結果である。
しかし、今日はここまで。最終船を待たずに午後2時で終了。


体力的な限界も感じるので今年が最後の磯釣りかと思っていたが、その前に経費の面で今年が最後になりそうである。エサ代1880円、プラス押しムギ230円、渡船代4000円、高速代往復で2730円、ガソリン代燃費13㎞/ℓとして約2000円で合計10840円。加太へ行く5回分だ。
ひと昔前、同じ分量のエサ代は1000円ちょっとだった。今年のヌカはワカメと物々交換でタダでもらったが焼け石に水である。おまけにこれにはサナギ粉の値段は入っていない。数年前まではこの季節にマルニシで特売があって1個300円以下で買えたので買い溜めをしていたが、それもストックがひとつしか残っていなくて追加で買おうと思うとひと袋700円以上だ。これは無理だと今日はひと袋だけで我慢をしていたので、最初、アタリがないのはこれが原因だと思っていた。
渡船代は湾内だと2500円の時代もあった。
高速代も通勤割引がなくなり深夜割引しか使えない。ガソリンは軽自動車に乗り換えたから燃費が良くなったけれどもこれも帳消しだ。
何もかも高くなった。
しかしこの釣りも面白い。
体力面は午後2時に上がるとかなり楽だ。港に戻って渡船屋の流しを借りて魚の下処理をしてからいつもの酒屋に寄っても帰宅は午後4時。魚を捌いて道具を洗って午後6時。いつもの時間に夕食をたべることができる。高速道路は半自動運転だからこれもかなり楽である。
サナギ粉もひと袋でも問題なく魚が釣れるとなると少しは経費的に楽になる。
壊れていたリールもローラークラッチユニットを分解して整備しなおすとなんとか使えそうだ。今回は勝手に逆転するというトラブルは皆無だった。

少しでも楽に安く考えて、来年、もう一度行ってみたいと思い始めているのである。

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タラノメ採り3回目

2023年03月25日 | Weblog
タラノメ採りもおそらく今日が最後だ。今年は気温が乱高下したからか、芽吹きがバラバラで、しかも高い気温の日があると一気に芽が伸びるようで今日のタラノメは中3日で相当大きくなっていた。もちろん、食べるには問題ないので壊れた高枝切り鋏を駆使して採ってゆく。
前回と同じ2ヶ所を回ってそれなりの数を採ることができた。ボリュームがあるのでかなりの嵩にはなる。



今日は風が強いので釣りには行けない。新しいポイントを見つけようとタラノメロードを徘徊してみた。
道中は桜が咲き、菜の花も満開である。この辺りはきちんと里山の姿が残っていて、耕作放棄地も見当たらないのでバイクで走っていても心地よい。僕もこんな場所で生きたいと毎回思うのである。

 

そしてまた、新たなコロニーを見つけた。
WBCを観ていて思ったのだが、大谷選手のように何かに心底打ち込んで目的が達成されたときに雄叫びを上げられるほどの喜びをあげられるようなことが人生の中でどれほどあったのか、いや、まったくなかったとタジタジとなってしまった。



あんなに全力でプレーをして喜びを体中で表されるとこっちが興ざめしてしまいそうだが、あの姿を何度観てもそんなことはみじんもなかった。彼はやっぱり神に違いないと思えたのだ。


タラノメの木も見つければうれしいものだが残念ながらいつの頃からか何の感動もなくなってきたような気がする。限界効用が逓減してきたか、家に持って帰ってきてもそんなに喜ばれなくなってきたからか・・・。

去年見つけた場所もそうだが、木が大きすぎて高枝切り鋏をいっぱいに伸ばしても届かない。タラノメロードの木はとにかく大きい。あの秘密兵器を投入しなければならないのかもしれないのである。



家に帰って給油のために港へ。
章魚頭姿山の桜もきれいに咲き始めたようだ。



その後、紀ノ川ポイントにこちらも最後の収穫に向かう。
ここも大きくなりすぎた芽と採りごろの芽が混在している。

それから恒例の和歌山城へ。
お堀の遊覧船をやっている菊新丸さんにタラの芽を届けるためだ。



ついでに花見もしてくるのである。
ここも満開開花と思いきや、満開の木もあれば五分咲きくらいのものもある。



どうも今年の春は不安定だ・・。

採ってきたタラノメは天ぷらばかりでは飽きてくるのでチーズ焼きにしてみた。わかやま〇しぇで買ってきたチーズソースというものを使ってみた。
ソースを大胆に盛りすぎたのか、人工的な旨味が山菜の鮮烈さを覆い隠してしまった。次回作るときはもう少しソースの分量を減らさなければならない。



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「科学者はなぜ神を信じるのか」読了

2023年03月24日 | 2023読書
三田一郎 「科学者はなぜ神を信じるのか」読了

「宇宙と人類を創造して世界の運行を司る、全知全能の絶対者」というのが広辞苑に出てくる『神』の定義であるらしいが、科学者の使命とは領域を次々に自然法則で説明し、相対化していくことであった。
しかし、そこには大きな葛藤があった。
ここで言う『神』とは、西欧世界、特に旧約聖書の世界における神のことであるが、そこで生まれ育った人々には心の中には多かれ少なかれ聖書の考え方が染みついているのだと思う。日本人が“神頼み”だなどと言っていることとは重みが全然違うのだ。
旧約聖書の冒頭、神は「光あれ。」と言って光を作り、その後天と地を作り、植物、動物をつくり、最後に人間を自らの形に似せて作った。都合6日間で神が創り出した世界、これがその後の西洋の、ひいては人類の科学の発展の足枷になってきたのである。

聖書では神の意志に基づいて作られたと書かれてはいるが、自然科学が解明してゆく宇宙の姿というのは、それとはまったく異なる姿をしていた。
この本は、「なぜ神を信じるのか」というよりも、神を信じる科学者が、自らが次々と解明してゆく自然の摂理と聖書が描く宇宙の姿との違いにどう折り合いをつけてきたかということが書かれているように見える。革新的な考えは教会からは異端とされ、迫害を受ける。そういう意味では、聖書と折り合いをつけるというよりも、教会とどう折り合いをつけてきたのか。そういうことであったとも言える。
これは物理学の世界だけはなく、生物学の世界でも同じだったのであるが、著者は物理学者なので物理学、とくに素粒子物理学を含めた宇宙の始まりや天体の運行についての力学を発見した科学者たちが神の存在をどう考えていたかということを物理学の発展の歴史と共に紹介している。
ちなみに著者自身も素粒子物理学者であり、カトリック教会の助祭でもある。
宇宙の姿を解明しようとする物理学の歴史の中で、エポックメイキングな業績を上げてきた科学者は神の存在をどのように感じ取ってきたのだろうか・・。

地動説の最初の提唱者は16世紀のコペルニクスだと言われているが、それよりももっと前、紀元前500年代のピタゴラスが最初であった。宇宙の中心には、よくわからないが「火」というものがあってその周りを地球や太陽が回っているというので実際の宇宙の姿とはかなり違うものの、とにかく地球は宇宙の中心ではないという考えがこんな昔からあった。
それまでは、多分、世界は平らでその周りを星が回っていると考えられていたのだから飛躍的な進歩だ。
それを再び後退させたのはアリストテレスだ。紀元前300年代の人らしいので200年で古い考えに逆戻りした。雨や放り投げた石が地面に落ちてくるのは宇宙の中心が地面の下にあるからだということがその根拠だが、その考えがキリスト教に受け継がれた。
しかし、それは必然であったわけではなく、トマス=アクイナスが書いた「神学大全」(1273年完成)がたまたま協会公認のテキストとされたからだ。
その中に書かれている『宇宙の中心に神が存在する地球があり、太陽やそのほかの天体は神の手によって天球を動かされているのだ。』という考えは、当時の教会にとってはその正当性を主張するための絶好の後ろ盾となったのである。
それを打ち破る結果となったのが、コペルニクスの「天球の回転」という書物だ。コペルニクスはこの書物の中に書かれている考えのとおり地動説を考え出したが、これは間違いなく教会の教義に反すると考えて出版をためらい、支持者の支援によってようやく出版されたのは1543年5月24日、コペルニクスが亡くなった日と同じ日であった。
それから70年ほど経ち、ガリレオ・ガリレイが当時発明された望遠鏡を使った観測で、これはもう間違いなく地球は動いているという確信を得た。
同じ頃、ケプラーは師匠のティコ・ブラーエが残した大量の観測データを分析し、惑星の軌道は楕円であるというケプラーの第1法則から第3法則までを発表した。

コペルニクスとガリレオ・ガリレイ、ケプラーのスタンスだが、ガリレオ・ガリレイはその少し前に天動説を否定したジョルダーノ・ブルーノが火あぶりの刑に処せられてしまったということがあったので自分の命を守るために自らの考えを否定するしかなかった。コペルニクスは天動説を支持している教会に反した考えを発表することにためらったけれども、発表したのちにはカトリック教会はあまり相手にしなかった。しかし、革新派であるプロテスタントのルターからは強い非難を浴びたそうだ。カトリック教会の司祭があろうことか地動説を唱えていると政争の具とされたのだ。
対して、ケプラーはプロテスタントであったため、異端審問にかけられることはなかった。
こういう結果をみてみると、教会というのはまったく非科学的で自分たちの都合だけでものを言っているということしか見えてこない。

この時代までの科学者たちは、神を信じるか信じないかという以前に、神=教会にひたすら遠慮と恐れを抱きながら自然の事実を追い求めているように見える。自然世界は美しく単純な法則によって成り立っていて、神はなぜ宇宙をこのように作ったのかを知るのが科学であると考えていたのである。
そしてこの頃に、ダーウィンの「種の起源」が出版され、物理学と神の関係も大きく変わってゆく。
その後、1665年6月~1667年にかけてニュートンが発見した「ニュートンの運動方程式」と「万有引力の法則」は、ケプラーが発見した、「天体はいかに動くか」ということに加えて、「なぜ動くか」ということまで解明する結果となった。そして、この運動方程式と万有引力は、ある瞬間の、地球上での場所と速度がわかればある物体の過去から未来にわたるすべての時間での速度と場所が理論上では計算できてしまうことになった。これは全知全能の神でなくても未来が予見できてしまうことを意味していた。

コペルニクスやガリレオの地動説は、神の居場所に変更を要求したかもしれないが、神の存在そのものまでを危うくするものではなかった。彼らはただ純粋に、神の意志がこの世界にどう映し出されているかを追い求めていればよく、教会との軋轢のほかには神に疑問を感じることはなかった。
しかし、ニュートンの発見は質的に違っていた。ニュートン力学によって神は「天界」という聖域を侵され、「天体の運行」という秘儀を失い、「全知全能」という絶対的な権威までも揺るがしかねない事態となった。
フランスの数学者ラプラスは、『もし、ある瞬間におけるすべての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつ、もしそれらのデータを解析できるだけの能力をもった知性が存在するとすれば、不確実なことは何もなくなり、その眼には未来も(過去同様に)すべて見えているであろう』と語った。かつてはそのような知性が神であると考えられていたが、ニュートン力学で計算可能なデータさえそろっていれば神ではない別の知性でもそれができてしまうということとなった。後世のひとたちはそのような知性を「ラプラスの悪魔」と呼ぶようになった。

そうはいっても、ニュートンも熱心なキリスト教の信者であり、自分の科学の中にはどんな形で神が宿っているのかというと、自分がいかに神業を解明しようとも、美しい天体や宇宙を造った神について、その意図するところや力のすべてを理解することは不可能であると考えていた。謎の先にはもっと謎なものが存在し続けるというのである。それが神そのものであると考えたのである。

20世紀に入り、アインシュタインの相対性理論は光だけが絶対的存在で時間や空間は可変するのもだということを発見した。
ルメートルはその理論を基にして膨張宇宙論を作った。膨張宇宙というとハッブルが銀河の動くスピードを観測したことで発見したとされるがじつはこの人のほうが早かったそうだ。それを、観測を通して実証したのがハッブルであったのだ。
アインシュタインは無神論者だと言われているが、宇宙は不変のものだという考えを持っていて相対性理論によって作られた方程式では宇宙が伸び縮みするというので「宇宙項」という定数を加えて宇宙は膨張も収縮もしないと決め込んだくらいなので、やっぱり神のような絶対的な存在はいてほしいと願っていたようである。だからルメートルの考えには納得できなかった。それは、神が「光あれ。」と初めに言ったという聖書の言葉を心に感じていたからたどり着けたのかもしれないとアインシュタインは考えたようだ。
ルメートルは物理学者であるがカトリック教会の聖職者でもあったらしく、これはキリスト教の教義にも反するし、自分は目立たないほうがよいと考えたか、それとも科学と宗教の対立を煽るような結果になってしまわないかと考えたか、あまり表立って主張することはなかった。それはこの人の述べた言葉、『聖書の執筆者はみな、「人間の救済」という問題について何らかの答えを得ていた。しかし、それ以外の問題については、彼らの同時代人たちと同程度に賢明、あるいは無知だった。だから、聖書に歴史的・科学的な誤りがあるとしても、それは何の意味もない。不死や救済の教義に関して正しいのだから、ほかのすべての事柄についても正しいに違いないと考えることは、聖書がなぜわれわれに与えられたかを正しく理解していない人が陥る誤解である。』によく表れている。
同じくアインシュタインも、『神は謎だ。しかし、解けない謎ではない。自然法則を観察すれば、ただただ畏敬の念を抱くばかりだ。法則にはその裁定者がいるはずだが、どんな姿をしているのか?それは人間を大きくしたような存在ではないことは確かだ。』と言い、『聖職者たちはいつの世も、自分たちの地位や教会の財産が保護されさえすればよく、何世紀にもわたって妥協を重ねてきた教会からは、世界が求めている新しいモラルなど生まれることはない。』と辛辣な意見を述べている。本当の神は教会が定めている神とは似ても似つかないものであると言っているのである。

その後、量子物理学はさらなる発展を遂げ、アーネスト・ラザフォードや長岡半太郎は原子はさらに原子核と電子に分割されることを発見し、さらにニールス・ボーアは電子は粒ではなく波であるという見解を示した。そして、エルヴィン・シュレーディンガーとヴェルナー・ハイゼンベルクは、粒子の場所と運動量を同時に厳密に測定することはできないという不確定性原理を発見する。ここまでくると、神が宇宙の何もかもを決定づけているということが崩壊する事態となってしまった。
さらに、ポール・ディラックは、真空のエネルギーという概念を考え出した。それの元になっているヴォルフガング・パウリの排他原理というのはさっぱりわかないが、とにかく、真空の中で、正のエネルギーと負のエネルギーが生まれることによって何もないところに凸凹ができて物質が形作られたのだという。そこにはもう、神が世界を作ったという事実は消えてしまったように思う。

量子論のなかでは同じ結論を得た科学者たちだが、神に対する見解は人それぞれだ。アインシュタインの光量子仮説に大きな影響を与えたマックス・プランクは、『科学は客観的に物質の世界を語る。現実を正確に観測してさまざまな関係を理解しようとする。他方で宗教は主観的にこの世界を語る。何が正しいか、何をすべきかを語り、それが何であるかを語らない。』と考えたし、パウリは、宗教が始まった時代には、コミュニティの底辺の人たちに様々な知恵や価値観の枠組みを理解させるための枠組みが必要であった。それが宗教の役割であったのだが、新しい知識の発見の時代になるとこれがかえって足かせになったのではないかと考えた。
ディラックは、神は全能の存在であるとい定義には意味はないと考える。神が防げるはずの多くの悲惨さと不公平、裕福な者による貧困の搾取をどうして許すのだろうかというのである。
ハイゼンベルクは、そんなディラックの考えに対して、『人間社会が常に存在する以上は、生死について、そして生活について、広い文脈で共通の言葉を見つけねばならない。そうした共通言語の検索から発展した霊的な形態をもった宗教は歴史的にみても大きな説得力を持っているのである。』と反論する。
なんだかみんなバラバラな意見のように思うが、成熟した物理学を極めた人たちのこれらの考えは、多分、この本のタイトルの答えを出しているのだと思う。
科学と神は切り離したくてもどうも切り離せない。そんなところだろうか。

そしてとうとう、スティーブン・ホーキングは虚数時間という考え方を導入し、宇宙には始まりがなかったという考えに到達する。神は何も創造しなかったというのである。ホーキングは無神論者であったと言われているが、有名な書籍の「ホーキング、宇宙を語る」の最後は、『なぜわれわれと宇宙は存在するのだろうか。もしそれに対する答えが見いだせれば、それは人間の理性の究極的な勝利となるだろう。なぜならそのとき、神の心をわれわれは知るのだから』という文章で締めくくられている。
そういう意味では、人類はまだ、宇宙の成り立ちのすべての理論を解明したわけではない。
本当に神が存在しているとしたら、人類がすべての理論の扉を開いたとき、神はきっと、「よう来たな・・。」と答えてくれるのだと思うのである。



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タラノメ採り2回目と加太沖釣行

2023年03月21日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:大潮6:17満潮 12:08干潮
潮流:6:58上り2.8ノット最強 10:29転流 13:00下り2.2ノット最強
釣果:ボウズ

今日の午後から当分は雨模様だそうだ。週末は釣りに行けるかどうかわからないので今日行っておこうと考えた。
しかし、タラノメも気になる。先週の土曜日から3日後、もう少し成長しているだろうと期待を込めて空が明るくなり始めた頃を見計らって家を出た。急いでポイントを巡ってから加太に向かおうと考えている。
午前5時45分出発。去年見つけた場所に向かうとそれなりに芽は出ているがまばらだ。まだ息吹すら感じられない枝も多い。たいがいは一斉に芽吹くものだがこれもここ数日、気温の変動が大きかったからなのだろうか。ちなみにこのポイントに向かう途中にあるタラノメも全然芽を出していなかった。

ここで採れたのはこれだけ。



すぐに第2ポイントに向かう。ここも同じく、芽はまばらだ。かなり木が少なくなってしまったとはいえ、結局ここでの収穫のほうが多かった。
家に戻ってきたのは午前7時ちょうど。1時間15分の行程であった。

バイクに積んだ高枝切りハサミを釣り竿に乗せ換え港へ。



出港は午前8時。相当遅い。



これからの時間だと潮がどんどん緩んでいく。かなり厳しい釣りになりそうだが仕方がない。そしてそれは現実となった。

今日はWBCの準決勝だからなのか、午後から雨の予報だからなのだろうか、祝日にも関わらず船が少ない。いつものパターンなら四国ポイントでサビキをやってみて別の場所に移動してゆくのだが、小さな船団を無視して第2テッパンポイントを目指す。残り少ない上りの潮に賭けてみようと考えている。



ビニール3本、毛糸3本の構成で高仕掛けを下ろしてみる。魚探の反応はほとんどない。30分ほど後だろうか、やっとアタリが出た。しかし小さい。持って帰れないほどのチャリコだ。



一番下の毛糸に掛かっていた。多分、この時間くらいまでがアタリが出るリミットだったのだろう。その後は銅板ポイントからナカトシタ、軍港前と場所を移したがまったくダメであった。

 

潮が下り始めたので最後はやっぱり四国ポイントへ。

ここではいきなり魚探に大きな反応が出てきた。期待を込めてアタリを待つがさっぱりだ。
他の船も上げている気配がない。一体、この反応はなんなのだろうか・・。



そうこうしているうちに雨が降ってきた。



反応も全然なくなったので今日はこれで終了。ひょっとしたら下り潮のピークを越えてからチャンスはあったのかもしれないが忍耐力もここまでだ。

港に戻り、もう少しタラノメが欲しいと思い、近くのタラノメスポットへ。
ここはもう少し後かと思っていたが大きい芽は大きくなりすぎているほどだ。しかし、やっぱりここもまばらだ。おまけに盗られたあとがたくさんある。



この場所を見つけて3年目くらいだろうか、これだけたくさん盗られていたのは初めてではないだろうか。裏のポイントまで盗られている。まあ、僕の私有地ではないのでこれは仕方がない。ここもあと10年、僕のために居てくれればそれでいい。

そして、家に帰り、WBCの結果を見て驚いた。劇的な逆転サヨナラゲームだったらしい。これは釣りに行かずにこの感動的なゲームを観ておけばよかったと思うばかりだ。スポーツ全般、もちろん野球にもまったく興味がなく、ヨシダマサタカという選手はどこのチームの人かということも知らなかったのだが、これは観るべきであった。
しかし、もし僕がこのゲームを観ていたとしたら、時の流れが変わって侍ジャパンは負けていたかもしれない。そうなるとこのゲームを観なかった僕がこのゲームの最大の功労者なのではなかったのかと思うのである・・。

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紀ノ川河口~水軒沖釣行 そして昨日はタラノメ採り

2023年03月19日 | 2023釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 5:21満潮
釣:ボウズ

昨日の休日、雨が上がるのを待ってタラノメの具合を調査しに出かけてみた。昨日行ったのは第2ポイントと去年見つけたタラノメロードだ。
一番心配だったのはそれぞれのポイントで木がなくなってしまってはいないかということだったが、なんとか残っていてくれた。
タラノメの木なんて普通は雑木でしかないものだから、ちょっとした環境整備で切り倒されてしまう。図書館に向かうルートにあるタラノメの木は残念ながら切り倒されてしまったのだ。だから残っていてくれるだけでもありがたい。



しかし、タラノメロードは去年見たままだったけれども、第2ポイントはどんどん規模が小さくなってきている。3年ほど前に周りの雑木が一気に切り倒されてから端のほうの木から枯れていっている。この分だとおそらく10年ほどですべて枯れてしまうのではないだろうか。まあ、10年持ってくれたら僕も絶えてしまっているだろうから御の字だ。

一応、毎年この日がタラノメの基準日だと思っていて、今年は去年に比べるとかなり温かったのでかなり期待はしていたが芽を出している枝はわずかだった。



ここ何日かの気温が低かったことでタラノメも足踏みしたのだろうか。
2ヶ所でやっと夕食のおかず分くらいしか採れなかった。本格的に採れるのは次の休み以降のようだ。

そして今日、船のローテーションどおり小船で出てみた。紀ノ川でスズキが釣れないかというのと、渡船屋の釣果ではヤナギが釣れているのであわよくばという思いがあったけれども、そんなに甘くはない。
それに加えて、ちょっとやってみてアタリがなければすぐに飽きてしまう性格はこういう釣りには向いていない。

 

今日も渡船屋の釣果ではハマチやヤナギが釣れていたようなのでもう少し頑張ればひょっとして何らかの答えがあったのかもしれない。
まあ、今日は元から早く切り上げて佃煮用のワカメを採って帰ろうと思っていたのでこんなものだろう。
今年のワカメ採りはこれで終了。また来年を楽しみに待ちたいと思う。

干したワカメのいくらかを会社の人たちに配ったのだが、その時に言われたのが、「ワカメって年中採れるんじゃないんですか?」という言葉であった。
僕も人のことは言えないし、夏さんは確かに、アキちゃんとちょっとした喧嘩をするたびにワカメらしき海藻を季節関係なしに干していたのでそんなに思うのも無理はないのかもしれないが、都会の人の季節感覚というのはこんなものなんだと思うと、なんだか悲しくなるのである・・。


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「作家と酒」読了

2023年03月15日 | 2023読書
平凡社編集部/編 「作家と酒」読了

最近、旧車とかノスタルジックカーというのが人気だそうだ。バッテリーで駆動したり、安全装置てんこ盛りの車が増えてきた中で、自分で操縦している感が強い車、なおかつ、自分が若い頃にあこがれた車に再び乗りたいという思いがそんな人気を盛り上げているようだが、僕もそのひとりなものだからネットニュースでもよく目に止まるのである。

同じように、読んでいて安心するのは自分よりもはるかに年上で若い頃から憧れていた作家たちの文章だ。この本に収録されている作家たちもほとんどの人が物故されているほど昔の人たちだ。だから、尊敬と安心と憧れを持って読み進めることができるのだ。加えて、コンプライアンスが第一のこの時代、お酒にまつわるいろいろなエッセイというのも書きづらいだろうから、まさに旧車のごとき文章が並んでいるということになる。

作家が書いた酒にまつわる文章を集めた本というのはいろいろな出版社から出ているが、僕も旧車を眺めるがごとく、こんな本を探しては読み続けるのだと思う。

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住金沖釣行

2023年03月14日 | 2023釣り
場所:住金沖
条件:小潮9:26満潮
釣果:ボウズ

今日はワカメ採りの予備日として取っておいたズル休みである。干すために必要な分のワカメは確保できたので今日は実験的な釣りに出てみようと思った。
住金の沖でメバルが釣れるという噂を確かめたかったのである。“確かめる”という言葉は相当おこがましい言葉で、いままでどの場所でもメバルなんて釣ったことがないのでどうやって噂を確かめるのかというところから始めねばならないのである。
以前に作った仕掛けはあまりにも安いナイロン糸で作ったので枝素がすぐに絡んで使い物にならなかった。今回はもう少しグレードアップしてすべてフロロカーボンの糸で作ってみた。その効果も試してみたかったのである。

しかし、今朝はまた寒い冬に逆戻りしてしまったようだ。もう、防寒着は必要ないと思っていたが、今日は再び防寒着を羽織って出港した。
とりあえず獲物が欲しいので最初は禁断の仕掛けを流すため朝は前回よりも少し早めに出港した。



“とりあえず”という言葉も、釣れるかどうかもわからないのだからおこがましい。



仕掛けを持つ手は寒さで痺れるようで、アタリもないのでさっさと終了して住金沖へ。

テトラや護岸に近づくと何やら魚探に反応がある。ひょっとしてこれはメバルの反応かと急いで仕掛けを下ろしたが小さなオセンが食ってきただけだった。しかし、ここ仕掛けでも魚が釣れるということを立証できただけでもこの1匹には価値がある。自分で干したサバ皮にも魚は違和感を抱かなかったようだ。

その後は釣り公園の前を流しながら北上していったが時々魚探の反応はあるものの魚は釣れない。



パイルの入った護岸を越え、



スリットの入った護岸の前で本命らしきアタリ。しかし、残念ながらチャリコだった。

 

ここまで来てアタリがなかったので今日はこれで終了。港に戻って焚火をして遊んでみた。



今日は火打ち石を使って着火。風がないと一発で着火できる。僕の腕も少しずつ上がってきているようだ。
今日はかなり寒かったものの、焚火をするのも今シーズン最後かもしれない・・。
家に帰ってワカメを干していた物干し竿を片付け、山菜採りの道具が入ったボックスを取り出し、来週はタラノメの調査に出てみようと思う。
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加太沖釣行

2023年03月12日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:43満潮 15:09干潮
潮流:7:20転流 10:16上り1.2ノット最強
釣果:マアジ 3匹

今週も週末は良い天気だ。昨日のワカメ採りに続いて加太に向かった。
今日の和歌山市の最低気温は10.5℃。しかしその分、花粉だか黄砂だかが飛びまくっているのか、鼻の奥がむずがゆい。僕は花粉症持ちではないのでこんな状態になることはなかったのだがそれでも喉と鼻がやられてしまった。まあ、歳を取ってくると粘膜の質も劣化してくるのかもしれないが・・。

防寒着も着る必要がなく雨ガッパの上だけを羽織って出港。午前5時50分に出港したものの、夜明けは今日もどんどん早くなっており、すでに東の空は明るくなりかけていた。来週なら午前5時半に出港せねばならないだろう。



加太に到着するころには潮が止まりかけているだろうから、コイヅキに行ってみようと考えていたのだが、途中、デンシャポイントに船団ができていた。妥協の産物かどうかはわからないが、そっちに向かうことにした。



サビキ仕掛けを下ろしてみるがアタリはない。魚探の反応もなく、ああ、ダメだと思うのだが、いつも姿を見る本職の人はタモを入れている。魚はいるようだ。しかし僕には釣れない。

何度か行ったり来たりをしているうちに大和堆ポイントにも船団ができはじめていた。
今日の本職の人たちの動きをトレースしてみると、デンシャポイントに船が集まってきたらそこを離れて大和堆ポイントに移動し、そこにまた船が集まってくるとそこを離れてデンシャポイントに移動していた。

休日はとにかく船が多いので魚へのプレッシャーを避けるための行動なのだろうが、これは参考になるのかもしれない。

僕も大和堆ポイントに移動した本職さんを追いかけたがやっぱりアタリはない。



考えていた通り、テッパンポイントに移動しようと思ったのだが、その頃には本職さんたちはデンシャポイントに移動していた。



もう少し本職さんを追いかけてみようと移動してみると、突然魚探に大きな反応が出てきた。こんなに反応があるのなら今日はダメもとでもここで粘ろうと決意し、仕掛けを下ろした。2回目の反応が出てきたとき、アタリが出た。大きなサイズのマアジが1匹。これでボウズはなくなった。
次か、その次の反応だったか、仕掛けを下ろそうとしたが途中で仕掛けが縺れてしまった。貴重な反応を逃してしまったのだが、その間にも前を流している本職さんは見ていただけでも2匹釣り上げていた。この場所で短時間の間にかなりの数をあげていたのではないだろうか。
なんとか2匹を追加したものの、こんなに差が出るのは僕の使っている仕掛けが太すぎるのかと思い始めてきた。菊新丸さんも、「この釣りは仕掛けがフワッとしているのがいいのである。」とおっしゃっていたが、それにしては僕のニュータイプのサビキ仕掛けは重すぎる。僕も作ってはみたものの、この鉤はちょっと太すぎるのかもしれないとうすうすは思っていたのでその疑惑はどんどん膨らんでゆく。
思い切って細い仕掛けに変えてみたが新たに出てきた反応の中でもアタリがなく、これは根本的に本職さんたちとはまったく仕掛けの構造が違うのではないかと途方に暮れるのである。

ニュータイプの仕掛けを新たなニュータイプの仕掛けに生まれ変わらせるべくまた試行錯誤を続けなければならなくなってしまった・・。

暖かく穏やかな午前中であったが僕の心はまったく穏やかではない・・。


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ワカメ採り 3回目

2023年03月11日 | Weblog
今日は忘れ物をしないようにきっちりと点検をして出発した。

満潮時刻は午前8時19分。おそらく1時間は過ぎないとまともにワカメを採れないだろうとそれまで地震のドラマを観ていた。海に行く前に津波のシーンがあるドラマを観るというのはなんとも縁起が悪いけれども、今日は3月11日、もう12年前のことになるそうだ。南海トラフ地震は100年から150年周期で起こるとされている。前回の地震は1946年だったそうなので100年目となると2046年、あと23年先ということは僕が81歳のときだ。ひょっとしてまだ生きているのかと思うとちょっと怖くなる。
ドラマの中では、“半割れ”などという恐ろしい言葉も使われていた。
まあ、地震が来るよりも忘れものをする方が怖いので、テレビを観ながら準備万端整えていたというわけだ。

出港時刻まではかなりあるのでコーナンプロに寄ったり片男波に砂を取りに行ったりしながら港に向かった。やはり護岸の水位をみてみてもまだまだだ。しかしあまりに遅くまで待っていると風が心配だし、午前中に干す作業が終わらない。
最低限必要な分量は確保しているので採れなければそれでもいいやという気持ちで船を出した。

今日の操業場所は本命の場所だ。自称チカ島、僕が勝手に名付けた場所であるがここの最先端部分で採れるワカメは最高の品質だと思っている。そこに入れれば今日はそこだけで粘るつもりだ。
幸いにして出港した頃には風は穏やかだ。少し波があるが無理をして島の先端にとりついた。
単に時期の違いかもしれないが、この場所のワカメは幅が広いような気がする。横に伸びているテラテラした部分が大きいような気がするのだ。それだけ波の力を受けて芯が強く育っているのだという気がするのである。



事実、洗濯ばさみのバネの力では抑えきれずに落ちてしまうほどボリュームがあるのである。なので爪楊枝で補強をする羽目に陥る。



座礁しないように注意しながらホイホイとワカメを採る。今日はそれほどの分量は必要ないと思っているのだが、生で配りたい先もあるので採れるだけ採りたいと思ったのだが、予想の通り、やはり北西の風が吹き始めた。
この場所ではかなり危険度が高まっているということなので泣く泣く引き上げることにした。




日本は地震の多い国で、いつ何時災いを被るのかわからないというような不安な日々を過ごしているのだが、その徳性が美味しい海産物を育んでいるというのも事実だ。

この辺り一帯は緑色片岩という岩石で覆われている。和歌山では“青石”と呼ばれている緑色の石だ。我が家のボロ庭に使われている石も父親がどこかからもらってきた青石ばかりだ。この岩石は大陸のプレートが沈み込む場所で発生する広域変成作用で生まれる岩石だ。断層の中で潰されてグニャっとずれるのでウエハースのような岩石が生まれるそうだ。層状に剥離する性質があるので画像のようなテラスのような地形を作る。



そのテラスで太陽光線をいっぱいに浴びて質の良いワカメが育つのだ。
そのほか、この岩石は風化作用後は泥の海底を作り、ハモやコウイカも育むのだ。去年のアマダイフィーバーを生み出したのもこの泥質のおかげなのでる。

そう思うと、これも仕方がないというのと、僕が生きている間はどうか揺れないでくれと願うばかりなのである。

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