劉 慈欣/著 大森 望、古市 雅子/訳 「老神介護」読了
この本は「地球漂流」と同時に発表された短編集だ。5編の短編が収録されているが、SF小説でありながらデストピア小説というような趣の作品群だ。
表題になっている「老神介護」は超高齢化社会、「扶養人類」では格差社会、「白亜紀往時」では巨大国家間の衝突、「彼女の眼を連れて」「地球大砲」では環境汚染問題。そういったものが取り上げられている。現代の中国、もしくは世界が抱えている社会問題を反映させているようにも思える。
「老神介護」では突然現れた宇宙船団から自分たちは人類を創造した“神”であると名乗る人たちが地球に下りてくる。彼らは歳を取りすぎ、自分たちの生き方を機械のゆりかごに頼りすぎたことでテクノロジーはすっかり忘れ去られ古くなった宇宙船では暮らせなくなったから地球上で面倒を見てくれという。
当初、その進んだテクノロジーに魅了された地球人は20億柱の神々を受け入れるが、モノがあってもそれを作り出すことができないことを知った後は邪魔者扱いをされることになった。
結局、年老いた神々は地球を離れるが、その間際に、彼らは宇宙の中にあと三つの文明を作り、二つの文明はお互いに衝突したことで滅んだが、残りのひとつは健在でいずれこの星を滅ぼしにやってくる。生き残るためにはその前に相手の文明を滅ぼさねばならないと言い残して地球を去る。
「扶養人類」では、その“兄文明”が地球を滅ぼしにやってくることから始まる。
地球より少し文明が進んだ兄文明は地球を植民星にしようとしている。オーストラリア大陸に閉じ込め、現在地球の最低層の人間の生活レベルを保証すると迫ってきた。兄文明の調査団が迫る中、地球各国のリーダーたちは大規模な貧困者救済策によって最低層の生活レベルを引き上げようとし始めるが貧困者の中にはそれに従わないものがでてきた。リーダーたちはそういったものたちを殺し屋を雇って殺そうと考えた。というのが大まかなストーリーである。オチというのが、兄文明からやってきた侵略者自身も、たったひとりの人物に空気や水までも富として独占された難民であったということだ。
貧富の差の極りが生む結果である。
「白亜紀往時」は蟻と恐竜が協力して作り上げた文明の話である。蟻と恐竜は隕石の衝突がなかった地球上で高度な文明を築いていた。しかし、恐竜の文明は二手に分かれ、お互いに反物質を使った最終兵器を開発してしまう。それが抑止力になっているのだが、蟻の文明はその脅威を取り除くため両国の兵器を破壊する工作を始める。しかし、その工作は失敗しすべての文明が滅んでしまい、恐竜は滅び、蟻もかつての文明を復活させることなく普通の蟻に戻ってしまうというストーリーだ。
国家間の力の均衡の危うさを描いている。
「彼女の眼を連れて」は近未来のバーチャル体験システムをストーリーのギミックとして利用している。地球から遠く離れた場所にいる人のためにボランティアでバーチャル体験をしてあげるというストーリーで、「地球大砲」ではその離れた場所にいる人は実は地球の内部で漂流している人であったということが明かされる。そしてその人は主人公の孫であった。
狂気の科学者の技術で、中国は地殻を掘り進み南極まで到達するトンネルを作り上げる。人工冬眠で不治の病から生還した父親はその工事で犠牲になった人たちの恨みを買う。このトンネルは地球の中心付近を通るためそこにほうり込まれた物体は振り子のように出口を入り口を往復したのちにいずれ無重力状態にある中心地点に落ち着くことになる。そこは超高温高圧の環境なので防護服の生命維持装置の電源が無くなれば命を落とすことになる。それが犠牲になった人たちの恨みを晴らす手段なのだが、なんとか助けられ、その後また、増えすぎた人口対策のために人工冬眠させられることになる。
再び目覚めた時、このトンネルは「地球大砲」というレジャー施設に生まれ変わっていた。無重力状態の地球中心を通るときの勢いを利用して身体だけで宇宙まで飛んでゆくというアトラクションだ。
その時代の世界は簡単に宇宙と地球を往復することができ、産業インフラも宇宙に進出している。人工冬眠から目覚めた主人公にとっては夢のような世界である。主人公は地殻の中をいまだ彷徨っている孫にこの光景を見せたいと願うのである。
と、いうような短編集であった。
著者は、現代の技術はますます進み人類を地上以外の場所に進出させてゆくだろうと予想し、人はそうやって広がってゆくべきだと考えているようである。この2年ほどで著者の本をかなり読んだがその思いはどの作品にも表れているように思う。
それは中国人特有の上昇志向なのか、それとも人間が持っている本能なのかはわからないが、昨今の国際情勢を見てみると、こういうことを成し遂げるとすれば、それは自由主義国家ではなく、独裁主義的な社会主義国家であるのだろうなと思えてくるのである。
それは人類として望む姿かどうかは別として・・・。
この本は「地球漂流」と同時に発表された短編集だ。5編の短編が収録されているが、SF小説でありながらデストピア小説というような趣の作品群だ。
表題になっている「老神介護」は超高齢化社会、「扶養人類」では格差社会、「白亜紀往時」では巨大国家間の衝突、「彼女の眼を連れて」「地球大砲」では環境汚染問題。そういったものが取り上げられている。現代の中国、もしくは世界が抱えている社会問題を反映させているようにも思える。
「老神介護」では突然現れた宇宙船団から自分たちは人類を創造した“神”であると名乗る人たちが地球に下りてくる。彼らは歳を取りすぎ、自分たちの生き方を機械のゆりかごに頼りすぎたことでテクノロジーはすっかり忘れ去られ古くなった宇宙船では暮らせなくなったから地球上で面倒を見てくれという。
当初、その進んだテクノロジーに魅了された地球人は20億柱の神々を受け入れるが、モノがあってもそれを作り出すことができないことを知った後は邪魔者扱いをされることになった。
結局、年老いた神々は地球を離れるが、その間際に、彼らは宇宙の中にあと三つの文明を作り、二つの文明はお互いに衝突したことで滅んだが、残りのひとつは健在でいずれこの星を滅ぼしにやってくる。生き残るためにはその前に相手の文明を滅ぼさねばならないと言い残して地球を去る。
「扶養人類」では、その“兄文明”が地球を滅ぼしにやってくることから始まる。
地球より少し文明が進んだ兄文明は地球を植民星にしようとしている。オーストラリア大陸に閉じ込め、現在地球の最低層の人間の生活レベルを保証すると迫ってきた。兄文明の調査団が迫る中、地球各国のリーダーたちは大規模な貧困者救済策によって最低層の生活レベルを引き上げようとし始めるが貧困者の中にはそれに従わないものがでてきた。リーダーたちはそういったものたちを殺し屋を雇って殺そうと考えた。というのが大まかなストーリーである。オチというのが、兄文明からやってきた侵略者自身も、たったひとりの人物に空気や水までも富として独占された難民であったということだ。
貧富の差の極りが生む結果である。
「白亜紀往時」は蟻と恐竜が協力して作り上げた文明の話である。蟻と恐竜は隕石の衝突がなかった地球上で高度な文明を築いていた。しかし、恐竜の文明は二手に分かれ、お互いに反物質を使った最終兵器を開発してしまう。それが抑止力になっているのだが、蟻の文明はその脅威を取り除くため両国の兵器を破壊する工作を始める。しかし、その工作は失敗しすべての文明が滅んでしまい、恐竜は滅び、蟻もかつての文明を復活させることなく普通の蟻に戻ってしまうというストーリーだ。
国家間の力の均衡の危うさを描いている。
「彼女の眼を連れて」は近未来のバーチャル体験システムをストーリーのギミックとして利用している。地球から遠く離れた場所にいる人のためにボランティアでバーチャル体験をしてあげるというストーリーで、「地球大砲」ではその離れた場所にいる人は実は地球の内部で漂流している人であったということが明かされる。そしてその人は主人公の孫であった。
狂気の科学者の技術で、中国は地殻を掘り進み南極まで到達するトンネルを作り上げる。人工冬眠で不治の病から生還した父親はその工事で犠牲になった人たちの恨みを買う。このトンネルは地球の中心付近を通るためそこにほうり込まれた物体は振り子のように出口を入り口を往復したのちにいずれ無重力状態にある中心地点に落ち着くことになる。そこは超高温高圧の環境なので防護服の生命維持装置の電源が無くなれば命を落とすことになる。それが犠牲になった人たちの恨みを晴らす手段なのだが、なんとか助けられ、その後また、増えすぎた人口対策のために人工冬眠させられることになる。
再び目覚めた時、このトンネルは「地球大砲」というレジャー施設に生まれ変わっていた。無重力状態の地球中心を通るときの勢いを利用して身体だけで宇宙まで飛んでゆくというアトラクションだ。
その時代の世界は簡単に宇宙と地球を往復することができ、産業インフラも宇宙に進出している。人工冬眠から目覚めた主人公にとっては夢のような世界である。主人公は地殻の中をいまだ彷徨っている孫にこの光景を見せたいと願うのである。
と、いうような短編集であった。
著者は、現代の技術はますます進み人類を地上以外の場所に進出させてゆくだろうと予想し、人はそうやって広がってゆくべきだと考えているようである。この2年ほどで著者の本をかなり読んだがその思いはどの作品にも表れているように思う。
それは中国人特有の上昇志向なのか、それとも人間が持っている本能なのかはわからないが、昨今の国際情勢を見てみると、こういうことを成し遂げるとすれば、それは自由主義国家ではなく、独裁主義的な社会主義国家であるのだろうなと思えてくるのである。
それは人類として望む姿かどうかは別として・・・。