イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2020年03月31日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:小潮 9:09満潮
潮流:6:26 下り1.3ノット最強 9:59転流
釣果:ボウズ

まったく何もやる気が出ないのだが船には定期的に乗らなければならない。

昨日、コンビニ店員の継続を言われた。当初2週間だったのが当面また2週間ということだ。直属の上司からの連絡ではなく、応援先の担当者から聞かされたので上司に確認をしてみたら、そんなことは知らない。初めて知ったと言う。そんなことはないはずだ。人選はこの人がやっていることは間違いがない。他の部署からも同じように応援が駆り出されているがそれをひとりだけでやらされているのはどうも僕だけらしい(他の部署は公平に交代で入っている。)。
応援先ではコロナウイルスの影響でコンビニが閉店しているので明日はフィットネスクラブの会員募集をして来いと言われている。これでは強制労働みたいなものじゃないか。本来業務から外して別のところで働かせることが目的のようにしか思えない。これはひょっとしたら追い出しにかかられているのではないかと不安で仕方がなくなってきた。ちょっと食って掛かるような態度で上司に電話をしてしまったのでさらに心象を悪くしてしてしまったかもしれないが言わずにはいられなかった。そんなことをしても何も変わることはないのに・・。
従わなければならないのはわかるのだが、どうしたらいいかわからない。そんなに悪いことをしてしまったのだろうか・・?

気持ちと同様に鬱陶しい天気でぎりぎり雨が降らずにおさまっているという感じだ。



魚探には反応があるけれどもアタリはまったく出ない。これいじょうやる気も出ない。エンジンも十分回したので午前10時で終了。

帰る頃には少し日差しが出ても、港から見える山の桜が咲いても気分は晴れない。

 
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「月 人との豊かなかかわりの歴史」読了

2020年03月27日 | 2020読書
ベアント ブルンナー/著、山川 純子 /訳/ 「月 人との豊かなかかわりの歴史」読了

月についてどれだけ知っているか?
以外と知らない。地球を約28日かけて一周していて常に同じ側を地球に向けているということぐらいだろうか。釣りをしている人間なら潮の大小は月と太陽の位置関係で決まるということは知っているけれども、どんなサイクルでそれがやって来るのかということは潮時表を見ないことにはわからない。毎日、帰宅の時に出ている月を眺めても今日の月がこれだから明日の月はどこまで欠けてこの時刻にこの位置にあるはずだということがまったくわからないのだ。魚を釣るのが下手というのはこういうことにも起因しているのかもしれない。

あらためて勉強してみると、満月から新月にかけて右側から欠けていき、この頃には真夜中に東の空から昇るので帰宅時間には見えないことになる。逆に釣りに行く時間には下弦の月として西の空に見えているはずだ。
新月以降は左から太って行って昼過ぎに東から昇り日の入り頃に南中するので帰宅時間には少し西に傾いて上弦の月として見えることになる。僕が帰宅時間に見ている月は上弦から満月にかけてということになる。
ややこしいが、上弦の月は帰宅時間に見ると弦が下を向いている。釣りに行く時間に見る下弦の月は弦が上を向いている・・。これは月の出の時に上か下どっちが丸いかで決まるようだが、西に見るときには上下が逆になっている。う~ん、これで合っているのか間違っているのかそれさえもわからない。頭が悪いな~。世間の人はみんなこんなことが当たり前のようにわかっているのだろうか・・・。


この本は科学的な月の話というよりも、人が歴史のなかで月とどういう関わりをもってきたかということを様々な面からまとめている。
望遠鏡がなかった時代。人は月にも人が住んでいると考えていた。精度が低いながら望遠鏡が発明されたあとでも、月世界人が火を灯しているとか運河を作っているとかなどということをまことしやかに発表する学識ある人たちはたくさんいた。1900年代に入ってもそういう主張があったというのだから、それから70年も経たない間に人が月まで行ったというのは驚くべき科学技術の進歩だと思う。

初期の想像上の月世界人は平和主義者で友好的、月の世界はユートピアだと考えられていたが、そういう想像が観測技術の進歩で少しずつ嘘だということが分かり始めると月世界人は野蛮で攻撃的であるということになってくる。もちろんこれらは空想の物語のなかの話ではあるけれども不思議な見解の変化だ。

月には何もなく荒野が広がっているとわかったけれども、もっと観測精度が上がって来ると水や金属資源、核融合の材料になるヘリウム3もかなりあるとわかってきた。「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」というものがあって、月は所有者がいない天体であるということで合意し、約100ヶ国が批准しているそうで、アメリカも中国もその批准国になっているけれども中国もトランプもいつ抜け駆けをするのかわからない。
眺めるだけなら夢を駆りたてられたりするけれども遠い将来、やっぱりここもデストピアになっているのだろうなと冷めた目でみてしまうのだ・・。

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「補陀洛ばしり物語」読了

2020年03月25日 | 2020読書
中嶋隆 「補陀洛ばしり物語」読了

偶然に見つけた本であった。図書館で本を借りたあと、入り口近くにある新規購入図書のコーナーをふと覗いたらこの本が目に止まった。
現世では本意ではなく様々な罪を背負い、報われることなく生きてきた主人公たちが補陀落渡海を通して自分の本当の心を取り戻し見つける。それは観音菩薩に出会うことでもあった。
そんな内容の本である。主人公たちの苦しみは救いがないほど悲しいが、どうしてだか読後感に疲れのようなものは残らない。これは観音様の力でもあるのだろうか。

主人公たちを見守る僧はこう言う。
「一切衆生悉有仏性、人には誰でも穢れがある。虫を踏まずには、人は生きておられぬ。人と仏は違うのじゃ。汚れにまみれて生きていることは恥ではない。ただ一心に歩け。考えずに体を痛めつけろ。そうすれば仏が顔を見せる。」
これも偶然に、この本の舞台のひとつになっている四天王寺のすぐ目のコンビニで何もかもしっくりいかないでいる今の自分には沁み込んでくる言葉だ。
僕もこの言葉に助けられた。なんとか2週間、やってみようと思えるようになった。
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タラノメ採り3回目

2020年03月24日 | Weblog
第2ポイントの1回目のタラノメ採りから6日目。はやり少し大きくなりすぎていた。ほとんどの芽はこんな感じまで大きくなってしまっていた。



これでも十分食べられるのだが、やはりベストの状態のタラノメを採りたい。この感じでは今年の採り頃は3月21から3月23日だったのかもしれない。その年の寒暖に左右されずに第2ポイントではこの3日間が採れ頃なのかもしれない。来年また検証してみよう。



そのまま港に向かって前回の休みに加工してもらった金具をセットしてみた。



これはなかなかいい感じだ。見た目はかなり強度もありそうで、これならあと数本追加してもいいかもしれない。今年の台風を過ごしてみてまた考えてみよう。


大きかったタラノメはグラタンにしてみた。



自家製のベーコンをたっぷり使ったのでそっちの味が勝ってしまった。
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「魚たちの愛すべき知的生活 何を感じ、何を考え、どう行動するか」読了

2020年03月22日 | 2020読書
ジョナサン・バルコム/著, 桃井緑美子/訳 「魚たちの愛すべき知的生活 何を感じ、何を考え、どう行動するか」読了

この本は、以前に読んだ、「魚は痛みを感じるか」という本をさらに発展させて、魚は社会性を持ち、知識さえも持っているのだということを証明しようとするような内容だ。

まず最初の章では、世界中で魚はどれだけの数が人間によって殺されているかということが推定されている。
その数は、2014年の推計で、年間1570億匹、魚釣り(いわゆるレジャーとして)釣りあげられている魚の数は470億匹、そのうち170億匹が殺されているという。著者はこうした魚の殺され方に対して、魚は儲けのためとか娯楽のためといった人間本位の価値を押し付けてよい存在ではなく個としての彼ら本来の価値によって生きる存在であるという見解をもっていて魚という生物はひとが考えているよりもはるかに知能が高いのだということをこの本の中に示している。

大半の人間が魚について持っているイメージは、「生物の進化の過程で水中に取り残された下等な動物である」としている。そこから、魚は感情も知性もない。だから当然痛みや苦しみを感じることもないのだ。と思っている。まぶたがなくて表情がないことがそういうイメージをよけいに植え付けることになる。

しかし、この本の中には魚たちの自然界や実験室で観察される様々な行動を通して知性の高さを説明している。道具として石やサンゴを使う魚。ここには知能の高さを見ることができる。他の種類の魚やタコと共同で狩りをする魚。ここには利己的ではなく利益を分け合うという社会性を見ることができる。社会性というと、世代の異なる魚が混ざった群れでは先代の行動を見て狩りを覚える種類の魚もいるらしい。また、同じ種類の魚でも集団ごとに好みの住処というものが決まっていて別の集団と入れ替えても同じ住処には入らないという実験から集団ごとには文化があるということがわかる。
弱った魚に呼吸を促すために体を寄せて水面までいざなう魚や様々な子育ての方法には愛情を見ることができる。
自分の棲んでいる環境の地形を記憶して行動する魚や、自分に餌をくれたり、体をグルーミングしてくれる魚には記憶力の高さがあることがわかる。実験では1年近くも前の記憶をとどめている魚もいるということが観察されているそうだ。これは鳥類と同等の記憶力らしい。(鳥って意外と記憶力が高く、「鶏の脳みそ」などと言って記憶力のない代表格のように言われるが、まったくのウソだそうだ。鶏の脳みそとは僕だけのことを指すらしい。)
こららのほか様々な例をあげて魚の知能の高さを証明しようとしている。

この本のタイトルは「愛すべき知的生活」となっているけれども、著者が最も言いたいのはこれだけ知能のある存在に対して人間は、食材として加工する場面や魚釣りという娯楽のためにおこなっている残酷な行為を批判している。表現は魚という存在をもっと知ってほしいとなっているが、本心はどうしてそんな残酷なことができるのか。ということだと思う。

魚釣りを楽しみにしている僕としてはものすごく身につまされるのだが、著者がいうことはどこまで本当なのだろうかと考え込んでしまうのである。
周辺の認知機能や社会性といってもこれは本能の範疇ではないのだろうかと思うのである。痛みを感じるというが、それをどこまで認知しているのか。おそらく究極なことを言うと、「死」を意識できないと知性があるといえないのではないだろうかと僕は思うのである。
死の恐怖がなければ痛みを痛みと感じることはできないのではないだろうか。そうでなければ短なる反射反応というのではないだろうか。そして、死を意識するというのは宗教を持つということにつながってゆくはずだ。いくらなんでも魚が神様を信じているとは思えない。
僕も魚を締めるたびに魚には申し訳ないと思うのであるが、知性があるのだと思ってしまうとそれをするのが困難になってしまう。だからこんな考え方を持ち出してきてしまうのだけれども、そこはなんとか許してほしいと思うのだ。


そして魚をいじめ続けた報いかどうかはわからないが、今回の異動で堕ちるところまで堕ちたと思っていたら、下には下があるものでまだまだ堕ちようと思ったら堕ちることができる場所があった。今度はコンビニの店員の仕事を仰せつかってしまったのだ。
これにはまいった。今の部署の仕事を覚える間もなく2週間コンビニに応援に行けというのは一体どういう理由なのだろうか。
うちの会社ではこういったフランチャイズの事業は、現経営者たちが親会社から持ち込んだ絶対に利益を生み出さなければならない事業であるらしく、多分このコロナショックでそうとう業績が悪くなってしまったのだろう、アルバイトの人件費を削減するために各部署から人員を招集したらしい。僕は今の部署ではまったくの外様で仕事も一番知らない人間のひとりであることは間違いがない。上司としてはいちばん役に立たなくて何の義理もない人間を差し出したというところだろうか。ここできちんと仕事を覚えさせて戦力にしようという気というのがまったくないということがよくわかってしまった。
役職定年になって今までと畑違いの部署に移らされた人間の末路とはこういうものなんだということが身に染みてよくわかった。僕は多分会社からは必要とされていない部類の人間なのであろう。
まあ、たしかに迷惑はかけても貢献はしていないよなとは薄々感じてはいたのだが・・。
それでも僕にも小さいながら矜持というものもある。この歳になって望みもしないコンビニの店員の仕事を命令されてはいわかりましたと心から言えるものでもない。
仕事に貴賤はないというけれどもやっぱりそういうものはきっとあるのだと思う。
実質10日くらいの勤務になるのだろうか、やり切れるかどうか心配だ。1日目の研修ですでに心が折れてしまった。家のトイレ掃除もしたことがないのにここでは一番下っ端だからそういうこともやらされるらしい。
産業医の先生は、辛かったら逃げなさい。休めばいいんです。と言ってくれるけれども、僕が逃げたらまた別の犠牲者を生むことになる。それはそれで恨まれるのは嫌だ。マスクで顔を覆いながら苦痛にゆがんだ顔を隠し通せるか・・。でも、やり切る根性は多分ないだろう。



魚にはそんなプライドはきっとないだろうと思う。だからやっぱり魚には苦悩や苦痛という感覚は持っていないのだと僕は結論づけたい。いまとなっては魚に生まれたほうがよかったなんて思ってしまうが・・。
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タラノメ採り2回目

2020年03月20日 | Weblog
こんな天気の日でも帝国軍のお艦船は傭兵を乗せて出撃している。さすがスーパースターデストロイヤー級の大きさならこの風の中でも出撃できるようだ。



僕のショボい船では港から離岸すらできないので陸路帝国軍領内に侵入して今日は2回目のタラノメ採りだ。去年見つけた木を見に行ってきた。

しかしながらここは太い幹線道路沿いに木があるのでさすがにコンペティターにやられてしまっている。目立つ木はことごとく盗られてしまっている。



もう少し歩いて付近を探ってみるとけっこうたくさんの木を見つけることできたけれどもここも乱獲されて痛めつけられてしまったか、太い木はほとんど枯れてしまっていた。



そんななか、少しは盗り残された芽を見つけることができる。おかしいことにこんなに成長しきっている芽があると思えばまだまだ固いままの芽もある。株によって相当なばらつきがあるのだ。可哀想だけれども今夜のおかずは確保しなければならないので小さな木の芽も摘んでしまう。

 

ひと通り全体を見て回り、近くの海岸に降りてテングサも収穫。じつはここは相当なデンジャラスゾーンらしく、その理由はまたいつかの機会に書いてみたいと思うが、そんな危険な場所なので疾風のごとく袋ひとつ分を確保して急いで海岸を脱出したら息が切れて死にそうになる。これも血圧が安定しないからなのだろうか・・。




無事に逃げおおせることができたのでその後は護岸の鎖の補強用の金具の溶接をお願いするためにYさんの家にお邪魔した。



Yさんの作業小屋にはありとあらゆる工具が整然と収められている。溶接機も持っておられるのだ。ご自分の船のオーニングの枠も自分で作ってしまったそうだ。僕もこんな作業場がほしい・・。



溶接をやっていただいたうえに、護岸へアンカーボルトを打ち込むための穴もあけていただいた。感謝、感謝だ。これで台風を完全に乗り切れるわけではないかもしれないが少しは安心材料になるだろう。


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タラノメ採り、ワカメ採り

2020年03月18日 | Weblog
先週の調査から1週間。タラノメはそろそろ大きくなっているだろうか・・。そしてワカメも気になる。次の休みは冬型で海には行けそうにない。ええぃ!ままよ!休んじゃえ!サラリーマンには年次有給休暇という飛び道具があるのだ。今までそんなものほとんど取らずにやってきたけれども方針転換なのだ。幸いなことに、今の職場はけっこうみんな普通に取っている。僕はもう責任のある立場でもなんでもなくなったので自由なのだ。

そしてタラノメ第2ポイントへ。
一昨年くらいからこのポイントには開発の波が押し寄せてきている。今年はポイントへのアプローチがえらいことになっている。



いつまで安泰でいられるだろうか・・。

先週の芽はこれくらいまでに大きくなってきていた。



まだ採り頃とまではいかないが次に来ることができるのは6日後になるのでとりあえず採っておく。
ポイントを奥へ進むと大半はまだ芽を出していない状態だが気の早い芽は少し大きくなっていた。
とりあえずこれだけ採れれば今夜のおかずにはなりそうだ。



次に第3ポイントへ。どうしてだろう。すべての木が枯れてしまっている。なんということだ。ひとつポイントがなくなってしまった・・。



そしてまだまだ早いとわかってはいるものの、第4ポイントへ。
やっぱりここは芽を出す気配もない。



ここはコンペティターがいっぱいいるのでこれだけの木の数があってもまともに芽を採ることができない。一番乗りを目指すにはサラリーマンという身分はものすごく不利なのだ。

家に帰って準備をしなおしてワカメ採りへ。
ただ、今日の潮はワカメを採るに最悪だ。



午前中は潮が引かない。こんな日ってあるんだというのを初めて知った。
そして一文字の切れ目を越えるとうねりがある。本命のポイントへは近づけそうにない。



仕方がないので少し離れたところに錨を下してワカメを探る。まだあまり大きくなっていないのかなかなか採れない。しかし、上がってくるワカメは柔らかくて美味しそうだ。ただ、干すには小さすぎる。今夜食べる分を採って長らく行っていないポイントへ移動。
ここにはたくさんのワカメがあった。こっちの方が成長が速いようだ。



ただ、ここも潮が高くてなかなか採りづらい。
いつもの半分くらいしか採れなかったけれどもいいワカメを採ることができた。



春がスタートした。
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「スカレーット」に想う

2020年03月17日 | Weblog
朝ドラの「スカーレット」が始まって、ぜひとも信楽を訪れたいと考えていたけれどもおそらく多分行くことがかなわないと思うので「スカーレット」に対する思いを書き留めておこうと思う。

ドラマがスタートする前はセーラー服の戸田恵梨香と異国人顔の北村一輝はどうも設定がおかしいのではないかと思っていたし、大阪NHKの制作で花の名前のタイトルとなるとこれは「カーネーション」の二番煎じを狙っているだけじゃないかと期待はまったくしていなかった。しかし、始まってからはなんともこのふたりを含めて絶妙のキャストであったと思えるようになってきた。
戸田恵梨香の出ていたドラマなんて見たことがなかったけれども、バラエティー番組でみる彼女はちょっと頭がおかしい人ではないかという印象しかなかった。しかし、このドラマでは一本筋が通った男気?のある性格をいい味を出して演じている。そして幼馴染の林遣都と大島優子がまたよい。これはのちほど書こうと思っているけれども、「おしん」との対比で考えてみるとなんだか奥深いものがありそうだ。
林遣都は「べっぴんさん」に出演していた時と比べれば180度どころか720度くらい違うイメージでキャストのきずなをまとめる役を演じている。そして大島優子はトップアイドルながら友達のいないお高く止まった女性の役を嫌味なく演じている。

脚本の水橋文美江は、このドラマを描くにあたって、「悪人は絶対出演させない。」と決めていたそうだ。荒木荘の人々も、信楽の人々もまさにその通りで、最初のうちはこの場面で現れるこの人は多分この人は悪役(例えば照子の夫、敏春や喜美子の後援会長)だと思いながら観ていたけれども、途中からは、そうだ、絶対にみんないい人なんだと心して観るようになった。

そんなドラマであるけれども、もうひとつの楽しみは小ネタがちりばめられているところである。小ネタというか多少ストーリーには関わってくるけれどもどうしてもこの場面は必要じゃないだろうという場面だ。最近では八郎が節分の鬼の面を被らされたところなどだが、これは脚本家の水橋文美江が「寺内貫太郎一家」や「ムー一族」を見て育った世代だからであろう。BK制作で吉本の芸人が多数出演しているからそっちの笑いかとも思うけれども僕は向田邦子の流れなのだと思っている。こういうところも僕らの世代にはうれしいところだ。

そしてもうひとつ注目したいのが、「おしん」との対比だ。BSでは連続して放送されることになったけれども、ヒロインを含めて女性ふたりと男性ひとりがものがたりの中心にいるという設定はまったく同じである。
喜美子、照子、信作の3人は最後まで家族の絆や人を思う時間の大切さ、そういうものを一番大切なものとして人生を送るけれども、おしん、加代、浩太は自分や家族を犠牲にした時代を憎み、そこから豊かになることを願った。クライマックス付近の年代も、おしんは昭和58年、スカーレットは昭和59年とほぼ同じ年代で終わることになるが同じ時代でも大きく物語は違うのである。
「芸術以外で、人の人生を豊かにするもんは何や? 人を思うことや。自分以外の、誰かの人生を思うことや。」これは元女優、小池アンリのセリフであるが、まさしくこれがスカーレットとおしんの陰と陽の対比を指摘している。おしんはまずお金がなければ人生は豊かになれないと思いながら人生をひた走ってきた。
水橋文美江が本当に同じ期間に放送される「おしん」を意識していたのかどうかはわからないけれども、僕にはそう思えて仕方がない。

あと、1週間あまりでこの物語も終わってしまう。最も気がかりなのは武志の病気が快復するかどうかだ。この物語のモデルになった陶芸家の神山清子の息子は残念ながら31歳で他界したそうだが、「悪人は絶対出演させない。」という脚本家の思いがあるのならそこまで事実に忠実にドラマを作らなくてもいいからなんとか武志を回復させてあげてほしい。
ついでに安田智也君もなんとかたすけてやってほしい。せめて、亡ってしまう前にドラマの最終話を迎えてほしいのだ。
水橋文美江さん、なんとかお願いします!!

そして、もうひとつふたつ・・・
富田靖子についてだ。僕が若いころ、ケンウッドというオーディオメーカーがあって、この頃、高校に合格するとステレオを買ってもらうというのが近所の習わしで、僕も少しだけ装置に興味があった頃のことだ。電気屋のカタログを漁っているとその表紙に、この人は誰!!と思うほどの美人が載っていた。それが富田靖子だった。名前くらいは知っていたが、こんなにかわいい人だったとは思わなかった。それ以来あんまりテレビには出てこなかったけれども、「はるが来た」で炭鉱夫の妻役をやっていたかと思ったら今回はヒロインの母親役である。僕も歳をとったが富田靖子も歳を取ったなと感慨と悲しさが入り混じるのであった。
そしてその夫、常治役の北村一輝の最後である。家族に囲まれて、「ほな、またな」と言って息を引き取るのであるが、家族に囲まれて死んでいくか、ひとりで死んでいくか・・・、マツのように気が付けばひとり穏やかな顔をして息を引き取るというのもこれはこれでドラマチックだが、これは大きな人生観の分かれ目になるのであるのではないかとひとり密かに思いをめぐらした。

こんなに無防備でやさしい人たちが暮らす信楽のまちとはいったいどんなところなのか、この目で確かめに行きたかったけれどもこれからの春のスケジュールを考えるとそれも叶わなくなった。それだけが心残りだ。ドラマが終わって町が少し落ち着いたころのまた訪問することを考えてみようかしら。

朝ドラを真剣に見るのもこれが最後になりそうで、次のドラマからは週5回の放送にもなるそうで、ハイビジョンでの撮影もこれが最後だそうだ。そういう意味では「なつぞら」よりもエポック的な作品といえるかもしれない。最後の最後にいいドラマを見ることができたのは僕にとっては至福のことであった。


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「ルバイヤートの謎 ペルシア詩が誘う考古の世界」読了

2020年03月16日 | 2020読書
金子民雄「ルバイヤートの謎 ペルシア詩が誘う考古の世界」読了

ペルシャの時代、ルバイヤートという四行詩集があるということを新聞の記事で知った。日本でいうところの短歌のようなものであるらしい。一、二、四行目に韻を踏むというのが特徴である。
ルバイヤートというのは、「ルバーイイ」の複数形で、一般的にはオマル・ハイマールという詩人が書いた詩集を指すそうだ。
なぜこの詩集に興味を持ったのかというと、お酒を称えた内容が多いと書いてあったからで、禁酒の戒律があるイスラムの国にどうしてお酒を称えた詩が生まれたのか、そして僕の目に留まるほどどうして有名になったのかというのを知りたくなった。
日本語に訳されたルバイヤートを読んでみようと思ったのだが、その前にルバイヤートについて解説された本を読んでみようとこの本を手に取ってみた。

ルバイヤートはもともとオマル・ハイマールが公表するつもりもなく私的に書いていたもので、それが友人の間で口伝で伝わったと考えられるが、どうして人に知られるようになったかというのは謎のままだ。その後、900年以上も日の目を見ることはなかった。
世界に知られるようになった最初はイギリスの詩人エドワード・フィッツジェラルドが英訳をして出版したものからだった。ここから世界中に広まってゆくのだが、このエピソードが面白い。フィッツジェラルドは最初250部を自費出版したが全く売れなかった。仕方がないので古本屋に並べ始めてから売れ始めたという、機動戦士ガンダムのヒットのような道を歩むことになる。名作は最初は理解されないのだ・・。
1923年、母国語のペルシャ語で書かれ、真作として選定された143篇の詩が掲載されたルバイヤートがサディク・ヘダーヤトの編集で出版された。これがのちに世界中の言葉で翻訳される底本となってゆく。

作者のオマル・ハイマールは、今のイラン、当時のペルシャのニシャプールという都市で生まれた。11世紀の終わりから12世紀の初めにかけて生きた人らしい。
詩人が職業ではなく、天文学者、数学者として当時のスルタンに仕えていたそうで、3次方程式の解き方を発明したり、イスラム歴を作ったという、西洋で言えばレオナルドダヴィンチ、日本で言えば平賀源内というような人であった。
これはのちの憶測ではあるが、イスラム教の厳格な教義になじめず、自由を求めた人であったのではないかと言われている。ひとつはお酒や女性との交わりを制限されること、そして学問についても自由に学ぶことができず、この時代は科学や芸術の中心が中東世界からヨーロッパに移っていく頃に当たっているのであるがそのことに対する失望感を持っていた。
密かに語り継がれたのには厳格な教義に反対するスーフィーという秘密結社の存在も貢献したのかもしれないというのも筆者の見解である。

ルバイヤートには酒、女性、花が題材になった詩が多数収められているけれども、恋に夢中になったり、人生の楽しみを語りかけるようなものはまったく見られない。実は暗い現実をじっと見つめているような、この世の移ろいやすさ悲しさを訴えてくるものばかりなのである。
それは厳格な教義に対する反抗の表れであり、学問の欲求に対する不満や恨み節、嘆きのようなものがこのルバイヤートには込められている。さらにそれは宗教を指導する人、為政者たちへの反骨心へともつながってゆく。同じ思いを持った人たちはたくさんいたのだろう。それがのちに1000篇を超える贋作の元になる。世間に対する不平不満を詩にしたものの多くがオマル・ハイマールが創ったものとされてしまったのだ。
そんな内容の詩がきっと僕みたいな社会から落ちこぼれたけれども開き直ることができない男たちに染みこんできたのだと思う。

僕の友達が仕えるボスの話を書こう。ボスといってもはるか雲の上の人なのであるが、あるとき事務所を訪れて“法〇”という名字の新入社員をつかまえて、
「君の名前は“ノリ△〇”クンと読むのか。」と聞いたそうだ。
彼は、
「いえ、“ホウ△〇”と言います。」
と言いったのだが、そのあとボスはこう自慢したらしい。
「君、法という字は“ノリ”とも読むのを知っているか?なかなか知ってるひとはいないぞ。僕はものすごく漢字をよく知っているだろう。(このひと、「ものすごく」が口癖なのだそうだ)」
よく知っているもなにもこんな読み方誰でも知っているのじゃないか。それを自慢するとはこの人はよほどのおバカではないかと呆れてしまった。冗談にしては突っ込みようのないお言葉であったと彼は笑っていた。
ゴミくずのようなものなのにどうしたらそんなに高額な値付けになるのかというものを買って満足する客を相手にそいつらの懐具合を舌なめずりしながら窺っているような人間のしゃべりそうな言葉だ。向こうも下品ならこっちも下品だ。そこにはリベラルアーツという言葉は出てこない。
韜晦ってどう読むか知ってますか。と聞いたらちゃんと答えてくれるボスであってくれとひたすら願うのだ。ついでに意味も噛みしめてくれと言っていた。

そう言えば、僕の勤務していた事務所に月1回訓示を垂れにやって来る子ボスも、多分ひと月かけて必死で探してきたのであろう何を言いたいのかわからない自分では箴言だと思っているエピソードをのたまうが去年拝聴した1年分の何ひとつ思い出すことができないほど薄っぺらいものだった。

きっとそんなことを腹の中で思っている人たちのあいだで長く語り継がれた詩集だというのがこのルバイヤートであったのだろう。

詩集はいちばんたくさん掲載されていても新たに92篇がオマル・ハイマールの策として加わった数らしいからそれほど頭を悩ませずに読むことができるかもしれない。今度は詩集として編集されているルバイヤートを探して読んでみたいと思う。


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「渚の思想」読了

2020年03月13日 | 2020読書
谷川健一 「渚の思想」読了

著者は日本の海岸線が自然の状態ではなくなり、コンクリートに覆われてしまったことを嘆いている。昭和53年時点で日本の海岸線の49パーセントしか自然の海岸が残っていなかったそうだ。
古来からの渚と日本人のかかわりをもう一度見直そうというか、記録にとどめておきたいというのがこの本の趣旨だ。

日本人と渚の関係の基本は沖縄から日本中に伝わったと著者は考えておりこの本にも沖縄での渚にまつわる伝承や風習の紹介が多い。

そのひとつは、現世と来世の境界線の役割を渚が担っていたというものだ。沖縄ではニライカナイの伝承があり、その他の日本各所でも常世という思想がある。人は常世と現世を行ったり来たりするという輪廻の考えだ。遠い昔、女性が子を産む場所は海岸であったそうだ。産屋を立ててそこで生む。生んだ後の女性は家に戻る前に塩水で体を清め、あるいは赤子の顔を塩水でふくことで清める。
墓も海に向かって建てる風習も各所にある。

また渚は様々なものを渚に寄せる。ヤシの実は童謡だが、クジラが打ち上げられたり海藻も打ちあがる。南の海では木材もそこから調達した。もちろん海岸は重要な漁場でもあるのだ。


この本の中にもうひとつ興味のあることが載っていた。それは「ドンガ」というものだ。僕の船を係留している港のそばにトンガの鼻というところがある。「トンガ」とは変わった名前で、太平洋のどこかにトンガ王国という国があるけれども、いくらなんでも太平洋の島々とは関係がないだろうと思っていたが、ヒントは奄美の風習にあった。
奄美では8月の行事の終わりの日を“ドンガ”と呼んだ。これは先祖の洗骨、改葬する日であった。そして収穫を終えた1年の終わりの日であったそうだ。
そんな風習が黒潮に乗って和歌山の地に流れ着いたとしても不思議ではない。きっとあの場所でそんな1年の終わりの儀式を海に向かってやっていたのかもしれない。

そしてもうひとつ、“ウブスナ”という言葉だ。父親が船を買った時、安全祈願のためには産土神社に行かねばならないと言い、どこで聞いてきたのかわからないが、加太の向こうの県境にある産土神社を探して一緒に参りに行ったことがある。変わった名前だと思っていたが、その語源は産屋の床に敷く砂のことであるかもしれないとこの本には書いてある。産屋に敷く砂だからウブスナだ。それは穢れを吸い取ってくれる砂であったらしい。
今思うと産土神社ってけっこういろいろなところにあってどうして加太の向こうに行かねばならなかったかという疑問はあるけれども父親も海では大きな事故(一度だけ木材のいかだを留めておく大きな杭にぶち当たって舳先を潰したことがあったが・・)もなく釣り人生を全うしたのだからそれはそれでご利益があったのかもしれない。

海岸が人工物でおおわれることにより人は渚から遠ざからざるおえなくなる。そうすると人は古くからの伝承を忘れてしまう。ただの伝承だといえばそれまでだが、それは自分たちの来し方そのものである。それを忘れてしまうことは自分の根っこを失うことと等しい。それは人が人でなくなるということではないかと思うのである。
何をバカなことを言っているのかと思う人は僕を笑えばいいが、そういうことは歳をとってくるほど身に染みてくる。
様々なことが忘れられていくのが今の世なのかもしれないが、僕はもっと知りたいと思う。
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