イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「 テクノロジーとイノベーション―― 進化/生成の理論」読了

2018年05月30日 | 2018読書
W・ブライアン・アーサー/著、 有賀 裕二/監修、 日暮 雅通/訳 「 テクノロジーとイノベーション―― 進化/生成の理論」読了

テクノロジーは進化するというお話で、よく考えてみれば当たり前でもある。
それを細かく分析してみようという試みの内容である。
前回読んだ本では、知性は単純な反応が複雑に絡み合って出来上がってきたものだという論調であったように思うけれども、この本では、テクノロジーの進化は単純なテクノロジーと単純なテクノロジーが癒合して新しいテクノロジーが生まれることを繰り返しながら複雑になってきた。そしてその単純なテクノロジーは必ず自然現象を利用して出来上がっている。と書かれている。
自然の中から生まれてきた。そして単純なものの複雑な組み合わせというところでは知性とテクノロジーは共通したロジックで進化をしてきたように思う。そして、知性もテクノロジーも「目の前にある問題を解決するためのものである。」という定義からするとさらに似通っている。コンダクターが自然世界であるか人間であるかというところは大きな違いがあるけれども、それは数億年と百数十年という時間の違いだけだとしたら、ゆくゆくはテクノロジーはひとり歩きをして進化を始めるのだろうか。
シンギュラリティとき言葉がセンセーショナルに取り沙汰されている一方で人工知能に人間が支配されることは絶対にないという意見もあるそうだが、やはりテクノロジーが進化を続けていると、知性を持ってくるのだろうか。そしてそのときには人間の敵になってしまったりするのだろうか。

話は変わるが、先日NHKで放送していたドキュメンタリーでホモサピエンスとネアンデルタールの話をしていた。よく言われていたのは、ホモサピエンスがネアンデルタールを滅ぼしたという話だが、そうではなく、家族単位の集団でしか行動をしなかったネアンデルタールに対して、ホモサピエンスは家族単位を超えた集団で生活をすることができた結果、気候変動に耐えて生き残ることができたらしい。殺し合いをするような衝突はなかったそうだ。
集団で生活を続けるとたくさんの知恵が集まる、そしてそれは原始的な世界でもテクノロジーの発達を促し、石器の形がほとんど進化しなかったネアンデルタールに対して用途別に進化した石器やアトラトルという槍を遠くに飛ばす発明は食料の確保を容易にした。このアトラトルという発明は画期的であったらしい。家族単位以上の集団生活を支えたのは宗教であったそうだが、しかしながらそれはまた同士で殺し合いをする原因にもなったというからそれは悲しいことである。

そうやって地球上に残ったテクノロジーを持った知性は1種類だけなのであるけれども、これがこの世界の必然であるのなら、さて、どちらが残るのであろうか・・・。


これから先の究極のイノベーションというのは宇宙に出て別の星まで行ってそこで生活をすることだと思うけれども、おそらくそのためには重力を操ることができなければならない。テクノロジーは自然現象を利用した単純なテクノロジーの集合だというけれども、重力を操るための前段になる単純なテクノロジーとはいったいどんなものなのだろうか。今でもその芽は出ているのか。それともこれから出てくるのか。そんな時代に僕は生きているわけではないけれども、重力の力で自ら作った空間ホールに落ちるようにして光速を超える人間の姿はぜひ見てみたいものだ。そんなものまで人間は作り出すことができるところまで行けるのだろうか・・・。

著者は科学者ではなくて経済学者だそうだ。経済もテクノロジーが組み上げられたものだという。それならどこまで組み上げられると予測できるのか聞いてみたいものだ。光速を超える旅ができるほどまで・・・。

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水軒沖釣行

2018年05月25日 | 2018釣り
場所:水軒沖
条件:若潮 3:14満潮
釣果:サバ 2匹 マルアジ 2匹

昨日はお客さんに傘で殴られるし、帰りの電車は先行車両がイノシシを跳ねたとかで遅れが出て乗り継ぎができず汗ばむなか一駅を歩いて帰る羽目になってしまった。そんな憂鬱な気持ちを引きずっての釣行だ。
しかし、今時の老人は意外と先端を行っている。修理代を無料にせよ、ここまできた電車賃を出せと無理難題をいうのでひたすら断っていたのだが、「そんなことを言うのならこのことをブログに書いてやる。」と凄むのである。
電車賃がないと帰れない、ここにずっと居てやる。って言うし。完全に脅迫に恐喝だわな・・。
婆さんがブログを書くのだ・・と感心してしまった。まあ、いろんな人に知らしめたいのならTwitterのほうがいいと思うのだがそこはやっぱり老人だな。

とにかく朝の時合を逃したくないと思い、午前4時に出港。魚探に反応が現れた水深42メートル付近にたどり着いたころにやっと空が赤くなってきた。



最初のアタリが出たのは仕掛けを下して間もなくだった。かなり引くのでサバかと思ったがかなり大きなマルアジであった。その後は魚探には反応がなくアタリもない。幸いにして海は穏やかなのでもっと沖を目指してみた。
フェイスブックの仲間の情報では初島の沖ノ島沖水深50メートル付近で釣れているそうだ。そこまでじわじわと沖を目指してゆく。陸地から見えない沖ノ島の西側が露わになってきた。



そしてそこに頼もしい先生である菊新丸さんが停泊していた。



さっそく電話を入れてみると、少しだが反応があってすでに10匹ほど釣り上げているとのこと。これは期待が持てる。
僕も仕掛けをおろして魚探を覗き込む。なかなか反応が出ないけれどもかすかだが反応が現れたとおもったとたんに一気に竿先が引き込まれた。
とんでもなく引く。このままでは仕掛けを切られそうだ。ドラグを緩めて対応するが、どう見てもアジサバではなさそうである。この辺は夏にはブリが釣れるようだが、メジロクラスの魚なのではないかと思える。
もしそうなら、6号のハリスでは捕るのは難しそうで、おまけにタモの用意がなくて水槽から魚を移すための小さなタモがあるだけだが切れるまでは頑張ろうとドラグを調整しながら道糸を巻き上げてゆく。なんとか切れずに仕掛けが上がってきて向こうもとうとう力が尽きたか最後はあっけなく上がってきた。水面を見てみるとかなり大きなサバだ。完全にノルゥエー産冷凍塩サバ1本980円をはるかに凌駕する大きさのサバが2匹付いていた。よく引くはずだ。

その後マルアジを1匹追加して菊新丸さんからも帰り支度をしますという連絡が入って僕も午前7時半に終了。


午後からはアートの鑑賞。



海南市の漆器工場の跡地を使っての展示会なのだが、若い人たちが自分のやりたいこと、しかも物づくりに励んでいるということがうらやましくて仕方がない。
町おこし共々頑張ってほしいものだ。

今日の獲物はきずしとカナッペになった。
カナッペはタモリと檀一雄のレシピを応用したものなのだが意外といけるのだ。

 

記録:




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「植物は〈知性〉をもっている  20の感覚で思考する生命システム」読了

2018年05月23日 | 2018読書
ステファノ・マンクーゾ 、 アレッサンドラ・ヴィオラ/著) マイケル・ポーラン/序文  久保 耕司/訳 「植物は〈知性〉をもっている  20の感覚で思考する生命システム」読了

「植物は知性を持っているか?」そんなテーマで書かれているのだが、知性を持っている持っていないにかかわらず、植物はすごいというお話である。

著者は高等動物が持っている五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)に加えて15もの感覚を持っていることが知性を持っているという証拠だという。しかし、視覚は光の方向に伸びてゆく能力、聴覚は振動を感じる、嗅覚は根が持っている養分に反応する力、触覚は食虫植物などが葉を閉じるときの反応のもとになるものや蔓が伸びてきて何かに撒きつくときの動きの元になっているなどなどが根拠だといっているのだが、これはあまりにも植物愛が強すぎるのではないかと思うのである。こういうのは、ただの反射行動にすぎないと思うのである。人間でも内臓同士が脳を介さずに情報の交換をしているとNHKでタモリが言っていた。しかし、全然動かなくて立っているだけにしか見えない植物だが、これだけのことをやってのけているというだけですごいのだから、わざわざ知性を持っているというようなことを言わなくてもいいのではないかと思えてくる。

この本では“知性”の定義を、「生きている間に問題を解決する能力」としている。その定義からすると、例えば、虫がやってきて葉っぱを食べられたとすると、植物はその葉っぱの周辺の葉っぱだけ虫が嫌う物質を発散するように仕向ける。または食虫植物が虫を消化する過程、ある種の蘭の花はハエのメスそっくりに擬態し交尾を誘って受粉の手助けにしていること、葉っぱや根はそこに栄養分や光があるからといって一斉にそっちを向いて成長するのではなくてバランスよく成長しながらなおかつきちんと生きてゆくための材料を求められるようになっているとか、そういう事実が知性を持っている根拠になるのであると言っているのだが、これらもはやり、きっと様々な反射行動の積み重ねがそうさせているに過ぎないと思うのだかどうだろうか。
事実、著者も、鳥が編隊を組んで動き回ってもぶつからないのは非常に高度な技術ではあるけれども、それは個別の鳥が隣と必ず一定の距離を保って動くという決まりを守るという単純な行為だけでそれが成り立つ(これを創発と呼ぶらしい。)そういう単純な行為が複雑極まりない動きを生み出すといっているのだからきっとそうに違いない。

最後は哲学的な話になってきて、 “知性”の定義が再度哲学的に語られる。
人間のようなタイプの知性だけを知性と呼ぶのなら、地球外生命を探すという行為は無駄であり、この宇宙、もしくは地球上にでさえ知性というものにはさまざまなタイプがあってしかるべきだというのである。また、人工知能はいつになったら知性を持ったことになるのかと問いかけもしているけれども、もっとシンプルに、数億年という時を経てこれだけの能力を身につけた植物に敬意をはらうだけで十分ではないのだろうか。
もしくは、もっと哲学的に語るのであれば、そもそも知性とはただの反射が複雑に絡み合った結果であり、その絡まり方が、人間の方がわずかに多いだけのことであるのだからすべての生物の間に知性の境界線はなく、人間だけが偉そうにできるものではないのだということになるのではないだろうか。




実感として、これはすごいと思ったことをいくつか書いてみようと思う。
まずは、ウチの庭に生えている植木のバベの木だが、自分で剪定をおこなうとやたらに切り過ぎる傾向がある。というか、植木屋さんというのはちょこっと切るだけで木はどんどん大きくなっていく。彼らは背の高い脚立を持っているから大丈夫なのだろうが、こっちにはそんなものがないから去年、思いっきり枝を切り取ってやった。特に手が届かない頭頂部を必死になって刈り込んだのであるが、その途端、幹であろうと枝の途中であろうとおかまい無しに新しい芽が吹き出てきたのだ。若返ったというのでもないだろうが、自らの命の危機を感じたのだろうか、とにかく葉をもっと出さなければということになったのだと思う。どこにも司令部らしき器官はないはずなのであるけれども木の中のネットワークのすごさを思い知った。
次はタラノメ。この木は大体、森が途切れて日が当たるようなところに生えている。だから新しく道や住宅地を作るために切り落とされた法面の上のほうを探すと見つけることができるのだが、そこが森に飲み込まれてしまうと枯れてしまう。しかし、古くなって他の木の勢いが増している場所でよく観察してみると、タラノメの周りというのはそこだけ空間が残っていたりする。港の近くのタラノメしかり、去年見つけて今年アクセスしてみた生石山のタラノメしかり、ブッシュの中、そこだけぽっかり空間ができているのだ。これはきっと植物同士の戦いのようなものが繰り広げられ、何か他の植物を寄せ付けないような工作をしているに違いないと考えるのである。
家の木は切ってやらねばおそらく2、3年で家を飲み込んでしまうほどの勢いで枝を伸ばしてしまう。近所にもそんな家がいくつか見受けられるが、その生命力のすごさは動物の比ではないように思うのである。人間さえも抵抗をし続けないと住処を奪われてしまうということだ。誰もこの庭を愛でたり、眺めながらほっこりするようなことがなく、当時はどの家にも小さいながら植木や石をあしらった庭があったので僕の父親もそれに倣ったまでだったと思う。僕の植物に対する価値観は食べられるかどうかでしかない。それならいっそ切り倒してしまえばいいと思うのだけれどもそれは可哀想だと思いとどまってしまう。

と、いうようなことを考えてみると、やっぱり植物にも知性があり、戦略と戦術を駆使していきてきたのだろうかなどと考え方が変わったりしてしまう。
ならば、僕が生石山で摘み取ってくる山菜類も摘み取られる瞬間は断末魔をあげているのであろうか・・。
いやいや、そうは思いたくない・・・。

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双子島沖釣行

2018年05月22日 | 2018釣り
場所:双子島沖
条件:小潮 6:21干潮
釣果:ボウズ

とうとうこれでボウズ4連発になってしまった。今日もスズキを求めて午前4時出港。昨日のJR六十谷鉄橋の下はまだまだ濁りがあったので今日は双子島沖。




何種類かのルアーを投げてみたけれどもやはりアタリは無し。

今日も船の性能維持というところか・・・。少しの間乗らないといたるところにクモの巣がはびこってくる。



負け惜しみにもならないが仕方がない・・。

今年の釣行回数も18回を数えたがそのうちボウズが7回。勝率は6割1分。プロ野球の選手も3割打てば強打者だ。まだまだいける・・・か?


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田ノ浦釣行

2018年05月18日 | 2018釣り
場所:田ノ浦
条件:中潮 7:31満潮
釣果:ボウズ

紀ノ川はまだ先日の雨の影響で濁っている。気圧配置は南風。双子島沖に行きたいところだが小船では心もとない。
そこで田ノ浦に出かけてみた。今週の日曜日の早朝に放送している釣り番組で、ここの浮き桟橋からスズキが釣れていた。エビ撒き釣りであったがひょっとしたらルアーでも釣れるかもしれない。そして、今年の新型仕掛けをもうひとつ試してみたいのだ。



新しい仕掛けとはタイラバをキャスティング仕様に改造してみたのだが、どうだろうか。



海面にはたくさんのベイトが泳いでいてなかなか期待が持てそうだが・・・。



まあ、結果はやっぱりという感じだ。前回のたたき釣りに引き続き失敗続きだ。しかし、これも1回目、まだまだチャンスはあるだろう。

今朝はやたらと蒸し暑かったけれども海辺の早朝はさわやかだ。これだけでも儲けものだ。



そして陸っぱりの釣りなどめったにやらないのでいろいろなスタイルの釣り人を見ることができた。紀州釣りの人も健在だ。こんなステッカーが売られているということはまだまだ絶滅危惧種でもないようで、少しうれしくなる。



しかし、テレビの世界と現実の格差は甚だしい。釣果もしかり、釣りガールもしかり・・・。




家に帰って細々と用事を済ませる。すべて午前中に終えなければならない。
まずは角材を買ってきて花の台作り。我が家の近くのホームセンターでは車を貸してくれるし、コーヒーがタダで飲める。

 

庭木の剪定を1本だけやり、



風呂のカビ取り掃除。
すっかり疲れてしまった・・・。

記録:

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「猫はこうして地球を征服した: 人の脳からインターネット、生態系まで」読了

2018年05月17日 | 2018読書
アビゲイル・タッカー/著 西田美緒子/訳 「猫はこうして地球を征服した: 人の脳からインターネット、生態系まで」読了

去年の暮れのニュースで、日本の飼い猫の頭数が犬を抜いたと報道されていた。
猫が953万匹(前年比2・3%増)に対し、犬は892万匹(同4・7%減)だそうだ。
僕の仕事場でも岩合光昭の写真展やネコのモチーフの商品を売り出すとやたらと人が集まってくる。

この本はどうして猫が人間を魅了し人間の社会に入り込んできたかということを分析している。
人間が動物を飼いならすのはそれが生きてゆくうえで有益だからである。ペットとしてのイヌは、狩りや放牧、番犬、今では盲導犬、聴導犬などとして実生活に役に立ったことの延長線に愛玩犬としての地位を築いた。しかし、しかしながらネコというのは人間の生活に役に立っているわけでもないのに溺愛されている。それに、イヌは愛想がいいけれどもネコは無愛想で従順そうなところがほとんどない。たまに擦り寄ってくるしぐさはかわいいが・・。
そして著者本人もネコに魅了されている。それを不思議に思い調査と分析が始まった。

ネコはネズミを獲ってくれるから食物の被害や伝染病から人間を守ってくれているという説もあるけれどもどうもそれは違うらしく、むしろネズミを獲らずにその他の貴重な野生動物を滅ぼすほど他のものに目を向けるらしい。
例えば、オーストラリアやガラパゴス、その他太平洋の島々ではネコがネズミ対策や食料として先に移植されたウサギ駆除の目的で移植されることによって固有の種が絶滅の危機に瀕しているという事実がある。ねずみ算というのがあるけれども、ネコの繁殖力もすごいらしくおまけに食物連鎖の頂点に一気に上り詰めて生態系を破壊する。おまけにかなり凶暴で、食べる以上に殺すらしく、これを過剰捕食(ハイパープレデーション)というらしいが、殺してそのまま放っておくこともしばしばだそうだ。
伝染病についても、むしろトキソプラズマという細菌の最終宿主となって、人間にも感染するとえらいことになる場合まである。また、この細菌は人間の脳に作用してネコに対して親愛の情をより表すように仕向けているという見解もあるそうだ。事実、感染したネズミはネコのおしっこの臭いを好むようになり、わが身をネコの面前にさらすようになるらしい。(これは読んでいて、ウチの周りに住んでいる野良猫たちにも絶対にどこかに行ってもらわねばと考えてしまった。)

それほど危険で厄介な動物であるのにどうして人間はネコを受け入れ、ネコは人間社会に溶け込んだか・・。
それは見た目であるという。眼が大きくてほぼ顔面の前面についている。顎も小さく鼻もイヌほど上を向いていない。これは肉だけを食べてきた動物が持っている特長らしいのだが、それが人間の子供に限りなく似ている。おまけにニャ~という泣き声も赤ちゃんのそれに似ている。そういうところから人間の母性本能をくすぐった。
コンラート・ローレンツはベビーリリーサーという言葉を使って説明をしているが、人間の子供を思い出させてホルモン分泌の連鎖を促すというものだそうだ。
そうやって人間を手なずけることによって人間と帯同し世界各地に勢力範囲を伸ばした。加えてネコは生きてゆくにあたって、あまり水分を必要としないということもあらゆる環境に適応できる要因となった。
そしてしたたかなのは、それをほとんど姿かたちを変えることなくやってのけたということだ。イヌは奉仕の仕方によって交配方法を変え、大きさや顔かたち、体型などたくさんの種類を生み出されたのとは対照的である。

読み進めると、インターネットの世界でもネコの世界征服が進んでいるのだと言うような論も出てくるのだけれども、そこはあまりにもこじつけすぎているのではないかと思うのである。

遠い遠い昔、人間の祖先はネコの祖先に狩りをされる立場であったらしい。恐怖の対象であったはずのネコが人間の懐に入って生活をしている。ネコが本当に戦略的に人間を手なずけたのかどうかは知らないけれども愛想がいいとも思えないネコに愛情を注いでいる人をみていると、確かに手玉に取られていると思えなくもない。

独立独歩、一見誰に頼ることなく自由に生きてきるように見えるネコの生き方にはうらやましいと思うところがあるけれども、飼いたいとも思わないし、ネットに溢れる画像に愛情を刺激させられることもない。
僕はまだ手玉には取られていないようだ。

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水軒沖釣行

2018年05月15日 | 2018釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 5:44満潮
釣果:ボウズ

例年ならすでにアジとサバが水軒沖に回遊している時期であるが、今年は未だいい話を聞かない。(まあ、去年も大漁だったのはもう少し後ではあったのだが・・)それでも一縷の望みをかけて水軒沖に出かけてみた。

まあ、結果は自ずとまったくダメ。空も魚探のモニターも一点の曇りもない。

 

やっぱり群れはまだ到着していないようだ。元々今日は長居をするつもりはなかった。義理の父親が入院したので午前中に様子を見に行きたかったのだ。



ただ、僕以外に3艘のチョクリの船が出ていたので、まったく釣れないわけでもなかったのではなかろうかと思ったりもするのである。



半月ほど前であろうか、どうも胸の調子が悪いということで検査をして、やっと入院することになった。あまり症状はよくないようで、本人もかなり弱気になっている。ポッとつぶやいた言葉が、「やることはやってきたから・・」であった。多分、その後ろには、「悔いはない。」という言葉が続くのであったのだろう。僕はただ、あぁ、そう言えるんだ・・・。としか思いが浮かばなかった。僕が知る限り、とにかく家族第一で過ごしてきたように思う。僕はまったく大したことがない息子であったけれども、娘はたったひとりの孫を医学部に合格させ、妹も旦那のほうが再婚とはいえ開業医に嫁ぐことができた。表向きは姉妹ともいいところまで行かせることができたというのがその言葉の裏にあるのだろうか・・・。

そして誰が見ても真面目一筋のような人であった。義理の母の葬儀の時、火葬場で火をつけるボタンを押す際、人差し指をくるっと一回りさせて指差し確認をしてからボタンを押したのを見て、あぁ、多分、この人は家族のために仕事だけをひたすら頑張ってきたんだろうなとそれだけを思った。会ってもあまり話すことがないのでなんとなく苦手であった。
だから、そういう言葉を聞いて、「あぁ、そう言えるんだ・・・。」と思ってしまう。僕とは正反対なのだ。家族と仕事はまあ、適当に、僕は僕でやりたいことをやりたい。僕の父親は亡くなる前、病院のベッドの上で、「まだまだやりたいことがいっぱいあるんだ。」と言っていた。べつに何かの野望があったのではなく、細かな遊びをセコセコともっとやりたいとそんな意味だったと思う。だから、きっとこの世に未練を残しながらあの世へ行ったのだろうなと思っている。そういうのが普通なのだとずっと思っていた。僕自身もそんな感じで悶えながら死んでいくのだと思っているので「やることはやってきたから・・」という言葉が複雑に伝わってきた。誰かのために生きているのかどうかということだろうか・・・。やることはやってきたとはいえ、まあ、もう少しは余生を楽しんでもらいたいとは思うのである。

病室を訪ねて間違えて開けたカーテンの先のベッドに座っていたのが、あのオジイやんズのメンバーのひとりであった。最近全然港で見かけなくて、どうも体を壊していると聞いていたけれども本当に入院していたらしい。世間は狭いね~と話し合ったのだけれども、まあ、明後日めでたく退院ということで、こっちは何よりである。ただ、もう船に乗るのもしんどいので買いたい人があったら売りたいんだよということだ。これはこれで寂しくなる。港では今では最長老格のひとであるので、そんなひとがまた引退を考えなくてはならないというのは悲しくもあるのである。
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「笑いのこころ ユーモアのセンス」読了

2018年05月11日 | 2018読書
織田正吉 「笑いのこころ ユーモアのセンス」読了

笑いのメカニズムみたいなものを分析した本だ。最近笑えることがあまりにも少なくなりこういう本を読めばすこしは笑いを取りもどせるかもしれないと手に取ってみた。

人はどういうときにおかしく思いそれが笑いにつながるか。
予想通りの答えだが、自分の常識からかけ外れたものに出会うところにおかしさが現れる。それを利用してギャグやナンセンスを作り出すというのがお笑いである。
そしてこの本は常識に囚われることに対して警鐘を鳴らす。ある一つの考え方に固執していては新しい考えが出て来ないし、他人の考えを受け入れることができない。それを荘子やガウディ、三島由紀夫などのエピソードや作品を例に上げて説明をしている。それを理解できるのがユーモアのセンスである。

そういう意味ではユーモアのセンスを磨くには知性と知識が必要である。最近は誰かが何かを言うとすぐに揚げ足を取って批判をする人ばかりだ。僕はセクハラを容認しているわけではないが、アソウさんなんかはユーモアたっぷりの話し方をすると思っている。日本の国の大半の人たちはそのユーモアを理解する余裕も知性も知識も持ち合わせていないようだ。まあ、発現する場所を考えない(考えてわざとやっているのか?)というのがアソウさんの最も悪い所ではある。ただ、あれだけ部下を守ってくれる上司は今時いないとも思う。なんたって叔父さんはあの吉田健一だ。センスと知性と知識は本物だろう。
野党の方々やネットを炎上させる方々も、同じである。クレーマーの方々もしかり。どんどん世知辛い世の中になってくる。言論統制をされている独裁国家のようだ。自由を叫ぶ人ほどユーモアのセンスがないのじゃなかろうか・・・。

柳田國男は笑いが嫌いだったそうだ。笑いというのは敵に勝った時に笑い、騙されたときに笑われる。笑いは攻撃の方法であるというのだ。笑われるものは精神的に傷つき、笑いに飢えたものは笑われるものを求める。その対象は弱者に向けられる。これはユーモアではない笑いの種類になるけれども、僕も同じように、釣り番組で魚を釣り上げてバカ笑いするアングラーに好感を持てない。命のやり取りの場に笑いは要らないだろうと思うのだ。だから僕はけっこうブスッとした顔で釣りをしていることが多いと思う。決して釣りが面白くないわけではない。

そして最近の僕の笑いは愛想笑いばかりだ。いつも嫌味を言われる会議でボスの面白くない冗談だかなんだかわからないものにとりあえずひきつった笑いを浮かべる。通路ですれ違ったときにも表面だけ愛想笑いで逃げ腰に針路を変える。笑いは免疫力を高めて寿命を伸ばす効果があるなどともいうけれどもひきつった笑いはきっと寿命を縮めているに違いない。

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加太沖釣行

2018年05月10日 | 2018釣り
場所:加太沖
条件:長潮 3:09満潮 9:25干潮
潮流:6:44転流 9:51 下り2.2ノット最強
釣果:ボウズ

例年ならチョクリ釣りが始まるころだけれども今年はやはり水温が低いらしく水軒沖までは魚が北上していないらしい。ということで、ちょっと風がありそうだけれども加太へ。

午前6時40分に転流を迎えるのでできるだけ早く出港したつもりだったけれども田倉崎を越える前に朝日が昇ってきてしまった。夜明けがどんどん早くなってきたので午前4時には出港しなければならないようだ。



潮が上りの間はテッパンポイントで釣りをしていたが潮の動きが緩いのか、北風がちょっと強いのか、船は南に流される。困ったものだが仕方がない。

アタリがないので少しずつ北上してナカトシタまできて転流時刻を迎えた。回廊を通り非武装ポイントへ。



非武装と言いながらそこはすべて帝国軍に占拠されている。



前回のような衝突は避けたいので今日はおとなしくポイントの辺縁域で釣りを開始。
アタリはなく、傭兵を乗せていない帝国軍は早々と帰投を始めた。なんと悲しい・・・。



僕も最強時刻の9:51ちょうどまで粘ってみたが、あえなくボウズ。
まったく何のアタリもない完全玉砕であった。
言い訳さえも思い浮かばない・・・。

記録:

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「アンのゆりかご―村岡花子の生涯」読了

2018年05月07日 | 2018読書
村岡恵理 「アンのゆりかご―村岡花子の生涯」読了

朝の連ドラで「あまちゃん」の次に秀作であると思っているのは、「花子とアン」である。このドラマは主人公の村岡はなと「赤毛のアン」の主人公であるアン・シャーリーのキャラクターが見事にシンクロしている。
ついこの前までBSで再放送をしていて、やっぱりこの本を読まなくてはと手に取ってみた。
放送後4年も経つと古本屋で手ごろな値段で手に入れることができるのだ。

この本は「花子とアン」の原作であり、村岡花子の生涯が綴られたものだ。
せっかくなのでドラマのキャストの一覧表を作ってみて、あの人はこの人でこの人は実在しなかったのかなどと確認をしながら読んでいた。



例えばはなの妹のかよさんに当たる人は実在しなくて、ということは本当の郁弥さんはかよさんにプロポーズをした瞬間に震災に遭うということはなかったのだけれどももっと悪いことに、関東大震災で亡くなってはいるのだけれども、本当の郁弥さんは別の人と結婚していて子供までいたそうなので不幸の度合いはもっと厳しい。お兄さんの吉太郎さんらしき人は実は弟で早くに養子に出されて不幸な人生を送ったようだ。そして、本当の英治さんには子供がいて、離婚をいていたとはいえ、奥さんが存命中に花子と結婚をしたそうだ。養子に出ていた息子は震災で亡くなり、英二さんと花子の心にも大きな傷となって残ってしまったのである。

また、ドラマでは蓮さまとはなは蓮さまの息子の戦死をきっかけに一時期確執を深めたけれども、実際はそういうことはなかった(少なくとも書かれてはいなかったし、一緒に女性の地位向上の運動もやっていたようだ。)というのはよかった、よかった。
そしてずっと疑問に思っていたのだが、どうしてはなの父親は娘を修和女学校(本当の学校名は東洋英和女学校)に入学させることができたのかというと、この人、若いときにクリスチャンとして東洋英和女学校の創設メンバーから洗礼を受けていて、その縁を頼って花子を入学させることができたそうだ。ドラマでも社会主義運動っぽいことをやっていたけれども、実際はかなりそれにかぶれていたらしく、晩年は山梨で葡萄とワインを作っていたのではなくて、出身地の静岡県で生涯社会主義運動のようなことをやっていたそうだ。仕事をせずにそういうことに明け暮れていたので花子たちにとってはいい父親ではなかったのだけれども、娘をひとりだけとはいえ、学問の道に送り届けられたというのはこれはこれで大した事をやったと思うのである。
ドラマでははなが子供のころ、病気になってそのとき辞世の句を読んだというエピソードがあったけれども、これは本当だったらしい。また、ブラックバーン校長が空を飛ぶ戦闘機を見て話した言葉やテル号のエピソード、戦後、アメリカ軍人から、「あなたはポーシャのような人だ。」と言われたことも本当にあったことらしい。(ドラマでは放送局のなかでの出来事であったけれども、実際は軍事法廷内でのできごとだったそうだ。こっちのほうがポーシャらいしといえばポーシャらしい。)このシーンや、山梨での教員としての生活は実際は阿暮里小学校ではなくて東洋英和女学校の系列のミッションスクールであったそうだが、これれはきっとセットを追加でつくるのがもったいなかったという理由ではなかろうかなどといろいろ想像するのも面白い。
ちなみに、本当の花子は「私のことを花子と呼んでくりょ。」とは言ったことがないようだ。「花子」というペンネームは蓮様に誘われて和歌の教室に通い始めてから使い始めたそうである。


ドラマのほうは蓮さまとの友情、英二さんとの夫婦愛を中心に描かれているように思うけれども、本のほうは、花子が携わった女性の地位向上と少年少女に向けての翻訳や創作活動に重きを置いて書かれている。
女学校時代から秀才であった花子の交友関係はある意味華々しいもので、僕でも知っている政治家や作家、「はるが来た」のはるさんまでもその知己のなかにいたそうだ。
そして当時は少なかった少年少女向けの読み物を世の中に広めていこうという使命を自らに科しそれを実践したというのはやっぱりすごい人だったのだと思うのだ。

何の使命感もない僕にとっては、こういう人の話を読んだり聞いたりすると、すぐに、「こういう人はもともと頭の回転が鋭くて要は天才だったからこういうことを成し遂げられたに違いない。僕みたいな脳みその回路の配線の幅が太すぎて脳細胞の集積度が少なくできている人間にはそういうことは無理なのだ。」と思うわけだけれども、父親の勧めはあったにせよ、貧しい境遇から努力ひとつでそこまでやり遂げたなんていうことをまざまざと見せ付けられると本当にたじたじとなってしまうのである。

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