イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2014年03月28日 | 釣り
場所:加太沖
条件:中潮10:42満潮
潮流:8:43転流 11:28下り2.3ノット最強
釣果:真鯛56センチ以下2匹 ハマチ1匹 ガシラ1匹

今日の潮の時合はかなり遅い。この季節は忙しく、タラノメも早く行かないと大きくなってしまうし、誰かに盗られるとこれまた悔しい。
♪誰かに盗られるくらいなら、いっそ枯らしてしまいたい~♪(石川さゆりの「天城越え」でどうぞ)
だから夜明けを待ってまずはタラノメ採りに出撃だ。

いつものポイントは今年も無傷でいてくれた。



1日では食べきれないくらいのタラノメを収穫。



家に帰って装備を取替え、港へいざ出陣。

午前9時までに加太沖に到着すればいいので楽なものだ。

すっかり夜は明け、海はすこぶる穏やか。

 



前回はボウズだったので今日はさまざまなリサーチと今までの検証から新しい仕掛けを準備していた。
僕のボスはほぼ毎日、朝礼でお経のようにPDCAが大切だとのたまわれている。お経なので、誰かの受け売りで唱えているだけだと思うが・・・。
僕も仕事でPDCAを回すことはないが、いざ魚釣りとなると、計画、実行、検証、修正はどんどんおこなえるのだ。
この情熱を仕事に振り向けることができればもっと出世をしていたかも知れないが、そんなことになるとくだらない会議やなにやかやで休みを奪われる。ボスを見ていると、こんなくだらないことをよくまじめ(かどうか知らないが・・)やっていられるものだと思う。
だから現状維持で十分だ。


今日は下り潮なのでいつものテッパンポイントから離れて、コイヅキ周辺からスタート。
今日の仕掛けは、下半分が新型、上半分は信頼性が高い従来のパターンにしている。

帝国軍が2艘出ていたのでそのそばでスタート。



流し始めてまもなくアタリ。
少し油断をしていたので残念ながらバラシ。これは従来のパターンに食ってきた。
しかし、久々に帝国軍にロックオンされこの海域から撤退を余儀なくされてしまった。

今日はこの海域でなんとか続けたいので少し離れ、以前に見つけていた漁礁回りで釣りを再開。
本当は向こうに見える帝国軍のそばでやりたいのだが・・・。



しかし、ここでもまもなくアタリが出た。
十分食い込んだだろうと、緩くなっていたドラグを締めたのが悪かった。またまたバラシ。
残念。しかし、この魚は新型の仕掛けのほうに食ってきていた。
少し自信が出てきた。いい感じだ。


潮がはっきり下りの感じになってきたので、コマサキに近い場所に移動。
潮流は複雑だ。場所によって船が流されていく方向が全然違う。
これが美味しい魚を育んでいるのだろう。



うまく場所が当たったようだ。
ハマチが食いついてきた。引き上げてみると、まだ下のほうに魚がついている。
下は真鯛だった。新型仕掛けで早くも1匹確保だ。これはうれしい。この春もこれで戦えそうだ。

午前10時半くらいだっただろうか、何度か同じ場所を往復しているうちに自己記録になる56センチが釣れた。

その後、ロスタイムに入る頃にアタリがあったが、強烈過ぎてリールを巻き続けることができず、あえなくバラシ。
今日はこれで終了。


今日は3月最後の休みなので、増税前に買えるものは買っておこうと、釣具屋さんとホームセンター、ガソリン、軽油を買いに行ってきた。
4月からは高速料金も上がり、燃料も上がるらしい。3%のアップも大変だ。
どんどん世知辛くなるが、なんとか魚釣りはつづけていきたものだ。




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田辺湾釣行

2014年03月24日 | 釣り
場所:田辺湾 塔島
条件:小潮 10:14満潮
釣果:チヌ47センチ以下5匹 ヘダイ47センチ カワハギ23センチ以下2匹 カンダイ37センチ1匹


3月中に1回はチヌ釣りに行きたいと考えていたので、今日の休みの前の日と次の休みの前の日は勤怠を早番にしてもらっていた。最後まで勤務すると帰宅が午後11時になってしまう。これでは体がきつすぎる。なんとも厄介なことになってしまったものだ。
今日はグッと気温が上がる予報なので迷わず田辺へ出撃だ。

去年は2回とも厳しい天気だったが今日はすこぶるいい天気だ。
きれいな朝日と物憂げに空を見るゴリラの岩のコンビネーションがいい感じだ。



水温もかなり上がってきているようで、きょうは釣れる気がムンムンする。
その気持ちが竿の先に伝わったか、1投目からアタリだ。
大きなカワハギがすれアタリで釣れてきた。魚の活性はかなりいいようだ。やっぱり期待が持てる。
すぐ後にまたアタリ。チヌではないがカンダイが釣れた。いい感じだ。

怒涛のアタリラッシュは午前7時半頃にやってきた。4連発でチヌが掛かった。
今日はいったい何匹釣れるんだと期待が高まったが、そのあとは潮が動かなくなってしまい、まったくアタリがなくなってしまった。
沖磯でこれだけ静かな状況はかなり珍しいのではないだろうか。



気持ちはいいが、アタリがないのが辛い。

次のアタリは午後12時、少し潮が動き始め、ボラが廻ってきていたのでまたボラかと思いきや、巨大なヘダイだ。これだけ大きなヘダイは珍しい。ヘダイ独特の模様も消えてしまっている。この磯の主の1匹ではないのだろうかというような威容だ。

せっかく潮が動き出したが沖のほうからうねりが入ってきた。紀州釣りではこんなうねりの状況は厳しい。差し餌が海底で安定しない。
納竿直前に今日最後のアタリ。うねりが若干収まってきたときだった。
再び時合かと思ったが、この1匹で終わってしまった。
どうも満ち潮に変わったときから沖から冷たい潮が入ってきたようだ。
これが後半まったくアタリが遠のいた原因かもしれない。


帰りの道中、何気なくラジオを聞いていると、センバツ和歌山代表智辯和歌山が試合中だった。延長12回、そうか、それでは僕の息子も甲子園に行っているのか・・。全然知らなかった。
延長15回、あえなくサヨナラ負け。この学校は高校三年生になるセンバツが最後の甲子園応援になる。息子の甲子園もこれが最後になってしまった。残念・・。
緊張した試合のおかげで帰りは眠くならずに済んだ。これで勝つか引き分け再試合になってくれていたら・・・。


磯の釣りの回数が減り、体力も衰え、かなり疲れているのだが、タラノメスポットが気になる。3日前はまだまだ芽は固い状態だったが、ここ2日の気温上昇でかなり大きくなっているのではないかと思うと疲れていてもタラノメを採りに行かなくてはならない。少し遠回りなるがポイントに寄り道してみた。
まだまだ小さい芽もあるが、食べごろになっている芽も出ていた。

チヌといい、タラノメといい、やっぱり今年の冬はかなり寒かったようで、本格的な春を迎えるにはもう少し時間がかかるようだ。


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山菜取り Ⅰ

2014年03月21日 | Weblog
海沿いの山ではすでにタラノメが食べごろだったので、僕のもうひとつのポイントもいい感じではないだろうかと今日もタラノメを採りに出かけてみた。
しかし、こっちはまだまだ新芽は堅く、採るのにはもったいない状態だった。あまりにも拙速過ぎたようだ。

手ぶらで帰るのももったいないので貴志川をさかのぼり、フキノトウを探しに行ってみた。
しかし、こっちはすでに大きくなりすぎたものしか見つけることができなかった。
もっと標高を稼がないとダメなようなので、思い切って生石山を目指した。山頂に差しかかってくると、路肩に雪が残っている。エエッ、生石山はこんな時期まで雪が残っているのか?と思いきや、今日の冷え込みで朝から雪が降ったと山頂の売店のおばさんが教えてくれた。

そのおかげで、なんともすばらしい景色を見せてもらえることができた。

フキノトウも土から顔を出したばかりだ。それに今朝からの雪がふりかかっている。駆け出しの春の光景だ。



山には雪が薄っすら積り、こっちは冬の最後の景色だ。

  

遠く西の方は強風と夕べからの雨で凛と晴れ渡っている。



夕日百選のオブジェの表面は氷でびっしり覆われ別の金属のような肌触りだ。



山頂の気温は0℃。



ふもとでは桜が咲きはじめ、まさにここが春と冬の境目だ。




今日の夜はフキノトウと2本だけ採ることができたタラノメの天ぷらをいただいた。
渓流釣りに行っていたころはアマゴが釣れないのでこれだけを持って帰ってきてよく天ぷらにしていたが、それもご無沙汰してしまっていて久しぶりの苦味は鮮烈な春の味だ。
冬の間に濁りきった血液がリフレッシュされるような気になる。





午後からは船のエンジンオイルの交換をした。
これも毎年の春の行事で、午前は山菜採り、午後はエンジンオイルの交換というのが、早春の定番行事になりつつあったりする。







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加太沖釣行

2014年03月19日 | 釣り
場所:加太沖
条件:中潮 7:37満潮
潮流:5:40転流 8:42上り1.5ノット最強
釣果:ボウズ

加太へ向かうのも久しぶりになってしまった。
春は海が荒れる日が多いしワカメも採らなければならない。気がつけば3週間ぶりの釣行だ。
朝のうちは波が高い予報だが潮流に合わせると夜明け前には出港しなければならない。紀ノ川を越えるあたりまでは波は大したことはなかったが、田倉崎を越えると波が高くなってきた。
波高はかるく1メートルを超えているようだ。山に乗り上げるとその後はドスンと船首が海面に打ち付けられ、谷に落ちると今度は船首が海面すれすれまで沈み込む。これはかなり怖い。
うねりは大きくないので微速前進でポイントへ。

 

しかし今日は帝国軍がかなりの数出ている。それも僕のテッパンポイント付近だ。なにやら期待が持てそうだ。

期待は大きかったがまったくアタリがない。今日は新色のエサ板を試してみたのだがこれが悪かったのか、それとも昨日の雨が悪かったのか、はたまた高仕掛けで臨んだこと自体が悪かったのか・・・。
春の釣りは難しい。というか、全然わからないというのが実情だ。まだま試行錯誤が続きそうだ。

わが社のように船頭が多いと船は山に登ってしまうが、僕はひとりでも山に登ってゆく。
魚が釣れないのなら山でタラノメだ。港の近くの山に登ってタラノメ採りに行ってみた。渡船屋のおじさんも原チャリに高枝切りバサミをくくりつけているのを見て、「こいつはここに何をしに来ているのだ?」と思っているに違いないが、魚釣りでも山菜採りでも大切なポイントは人には教えないのだ。

山の入り口はすでに刈り取られてしまっていたが、奥のほうは手付かずで残されていた。
どうも僕のコンペティターのひとりは散歩の途中に大した装備もなしにやってくるらしい。去年は奥のほうもやられていたのでまだまだたくさんのコンペティターが蠢いているようだが、今年は僕の勝利だ。
こういうときは、会社で売上予算を達成したときより何十倍もうれしいものだ。なんとも困った性格だ・・・。



今日の夜は刺身はないが、タラノメの天ぷらをお腹いっぱい食べられそうだ。

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ワカメ採り2回目

2014年03月15日 | Weblog
今年は2回目のワカメ採りに行けた。
去年は1回だけで、それも時間がない中での収穫だったのでおすそ分けをしていたら1年持たなかった。
今年はうまく休みの廻りと天気のめぐりがよくて2回目に行けた。去年と同じで、今日も出勤ではあるのだが・・・。

潮は大潮、朝は満潮、おとといは大雨で条件は最悪だが午前9時までには家に帰らなければならない。
実質40分間で前回の半分くらいの収穫で帰宅。



こんな日のこんな時間にワカメを採っているのはぼくだけかと思いきや、他に3艘の船が出ていた。
中にはこんな大きな船が・・。
こんな浅瀬によく停泊させられるものだ。僕にはとうていできない芸当だ。





僕の生活には無縁の高級ブランドと、



これまた僕には無縁の美女のおかげで出勤の憂き目にあってしまったのだ。




急いで家に帰って干す作業は母親と奥さんにお任せで急いで電車に乗りこみ、今年も石の墓場のような都会というか、都会の中の巨大な墓石のようにみえないこともないモノの腹の中へと吸い込まれていくのであった。

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「デフレの正体」読了

2014年03月11日 | 読書
藻谷浩介 「デフレの正体」読了

昨今は日銀のインフレ誘導で物価が少しずつ上がってきている(燃料だけのような気がするが・・・)ようだが、去年まではデフレの時代が長く続いていた。
このデフレ、景気循環の流れではなく、団塊の世代の高齢化が引き起こしているのだというのがこの本の趣旨だ。

バブル崩壊後も団塊の世代はまだ現役だったから消費は伸びていた、その後、団塊の世代を含め、高度経済成長の恩恵を一番受けた世代が現役を引退しだした直後から不景気の波が押し寄せてきたのがその証拠だと論破している。
合理化によって消費財の生産効率はどんどん上がっているが、消費は伸びないから余った商品がダンピングされデフレの元凶になる。これがデフレの正体だ。
今後も人口、特に生産年齢人口と呼ばれる15歳から65歳の人口はどう考えてもふけることがないから、このままでは日本の経済はシュリンクしていくしかない。

それを回避するには、高齢者から若者世代への所得移転、女性の就労と経営参加、インバウンドの受け入れ、を挙げている。
インバウンドはなるほどと思うが、高齢者の所得移転はどうだろう、著者の理想的な提案として、年金制度から共済制度による相互扶助が語れているがそのような性善説が今の日本でまかり通るのかははなはだ疑問だ、女性の経営参加についても、自分の会社の方々を見ているとそんなことをしたらどんどん会社が潰れていってしまうぞと思える、海外とはまったく違う能力差ではないのだろうか。(ウチの会社だけなのかもしれないが・・)
だから著者もそれをしっかり認識しているから、里山資本主義という考えを生み出したのではないだろうか。
生きてゆくいくつかの部分は地元での地産地消でまかない生活を維持してゆく。経済成長はマイナスしてもかまわない。
僕もそれが理想だと思う。
山や海、その恵みから生きてゆく糧を得る。僕もそうありたいと願っているからだ。

しかし、今の資本主義はそれを許さない。マスコミもそうだろう。スポンサーは消費をしてもらうのが前提の企業ばかりだ。そんな社会が著者の意見を大きく取り上げるわけがない。
実現しようとすれば、宮崎駿が総理大臣になって、風の谷のような生き方をしようではないかとでも唱えないとムリだろう。

そういう意味では、これからの日本は経済成長に無縁の社会とひたすら消費による快楽を求める社会との二極化がもっと進むのだろう。わずかにその二極が接しながら国のバランスを保つ社会だ。
そのとき、僕は前者のほうで余生をまっとうしたいものだ。


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ワカメ採り

2014年03月11日 | Weblog
今年もワカメ採りの季節がやってきた。

今日はいつもの場所と違って水軒一文字の際の磯場で採ってみた。ここにもたくさんのワカメが生えていた。
約1時間で今年1年分のワカメを収穫できた。



家に帰って干してみると、いつものとおりの磯の匂いが庭に充満していた。



今年の3月のスタートは去年に比べてかなり寒いようだが、季節は少しずつ進んでいるようだ。


翠勝丸のほうも長いこと動かしてしないので、天気もいいので走らせてみた。
なんとも長閑な情景だ。



3年前のこの時間、東北で大きな地震が起きた。
いつまでもこんな穏やかな海でいることを祈るばかりだ。

15,000人以上が亡くなり、3,000人近くがまだ行方不明だそうだ。
亡くなったかたのご冥福をお祈りします。




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テングサ採り

2014年03月06日 | Weblog
今日は風が強いので釣りにもワカメ採りにも行けないのでテングサ採りに行ってみた。
毎年のとおり加太の淡島神社近くの海岸だ。



今年も母親は元気だ。それがなにより。腰が痛くて医者に通っているようだが中腰で一生懸命採っている姿を見るとこれが一番のリハビリではないかなどと思ってしまう。



地元の人は海草を採らずに貝を獲っている。聞くと、テングサは4月に入ってから採ったほうが寒天がよく出るそうだ。それではと地元の人を見習って貝獲りに変更。
獲れるのはガンガラとそれに混じってどうもサザエの子供に見える巻貝だ。おばさんたちはジンガサも獲っていた。たまに魚釣りのエサに使うくらいで、食べられるとは思っていなかった。加太ではヨメなんとかというそうだ。(名前を聞いたが忘れてしまった。)
今度はイソガネを持ってこなければならない。
晩酌のおつまみになるくらいを獲って今日は終了。

家に帰ると再び母親の仕事が待っている。テングサに混ざっているゴミを取り除きながら半月以上水にさらしては乾燥を繰り返す。



これを元気でやってくれるのもありがたいことだ。



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「古寺巡礼」読了

2014年03月01日 | 読書
和辻哲郎 「古寺巡礼」読了

大正8年の初版からいまだに読まれている元祖仏女のバイブルだ。
フェノロサや岡倉天心のように仏像や絵画、建築を芸術と捉えて評価をしているのだが、う~ん、こういうのは芸術といっていいのだろうか。
普通の彫刻や絵画と宗教、信仰の対象となっているものはちょっと違うのではないかと思う。
確かに完成度や表現力というものは芸術と評価してもなんらおかしくはないのだろうが、その完成度と表現力はずっと昔からの人々が、「本当の極楽浄土とはどんなところなのだろうか、きっとこんなところだ。」と想像力をめぐらせてそれを形にしていった結果がその姿であったのではないだろうか。真実を見たい。きっとこうだ。という思いが作り出したものならそれは芸術ではなくて、人の想いの結晶であって背後にある宗教の教えを理解してからでないと評価をしてはいけないような気がする。
仏像を彫ったのは芸術家ではなく職人であったと思う。僧侶や貴族が自分の想う極楽浄土や仏の世界はこんな感じだというイメージを伝えてそれを具現化する人だったはずだ。京都や奈良、そのほかかつて都があった場所では貴族や裕福な人々が資産を生かして賢覧豪華、精巧なものを造っただろうが、地方に行くと簡単な木彫りのそれも表情のわからないような仏像しかなかったとしてもそれで仏の世界を想像することができればそれでいいのだ。
ギリシャ彫刻の流れからガンダーラ、中国を経てどんな形態の変化があったかなんていうのは学問として研究していただければいいのだが、それは形而下の話であって、形而上的にはきっと何の問題にもならない。

「見仏記」という本はそういう意味では邪道かも知れないがここまでいってしまうとこれはこれで面白い。しかし、正攻法でこれは芸術だと言われると、いやこれは宗教だと言いたい。

だから僕もまだまだ仏像を拝むという資格はないのだ。


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