イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「へんないきもの三千里」読了

2014年01月25日 | 読書
早川いくを 寺西晃・絵 「へんないきもの三千里」読了

確かに変な本だ。
著者は「へんないきもの」という著作で人気が出たのだが、それを小説にしてしまった。
「へんないきもの」はおもしろそうな本だったのだが、左開きで横書きの本だったので敬遠していた。敬遠しているうちにこんな本に進化していたらしい。

要約すると、ディズニーか宮崎駿がファインディングニモみたいなロードムービーを変な生き物で作るとこんな感じになるのだろうというものだ。
毒ガエルの粘液を舐めて肉体と意識が分離してしまった少女がへんないきもの達とからみながら冒険をするというような内容だ。
やたらとルビがふられているので中学生くらいをターゲットにしているのかもしれないが、中身はアングラぽくってシュールな表現でおじさんにも楽しめる。たとえば、住血吸虫はボードレールばりの詩を吟じ、免疫細胞は軍隊組織し、ウオジラミは英国紳士のような振る舞いをする。
帯には、「夢、希望、友情といった虫歯の原因となる甘味成分は含まれていませんので、お子様はもちろん成人の方々にも安心してお読みいただけます。」書いているが、そのとおりだ。

こんな本は単純に楽しめばいいのだと思うが、もし、著者が主張したいことがあったとしたのなら、そのひとつは、ただ一片の迷いも、砂粒ほどの疑問もなく互いに食い合い、文字通り命を張って毎日を生きている生き物たちの様子に、鳥肌を立てつつも、奇妙な清々しさを覚えた。ということだろうか。人間は本能を失ったことによって生きる苦しみを味わうことになったそうだ。そう意味では、本能にのみ従って生きている生き物のほうがよほど幸せではないのだろうかということなのかもしれない。
そんなことを考えさせられる一冊であった。



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水軒沖釣行

2014年01月25日 | 釣り
場所:水軒沖
条件:長潮12:04満潮
釣果:クチ 3匹 ササノハベラ5匹

今日は一気に春めいた天気だ。
こんな日に釣りに行かないと罪悪感にさいなまれるのだ。なんでもかまわないから釣りに行かなければならない。
とりあえず海に行きたいだけなので家を出るのもゆっくりだ。午前7時を回ってのろのろと出て行った。
家を出てみると、なんとも気持ちがいい。凛とした気分に少しだけホわっとした感じというのだろうか。
“つとめて”と“あけぼの”の両方を味わっている気分だ。

前々から気になっていた水軒一文字のテトラ際でのカワハギ釣りに出てみた。

沖の波止の際でスタートするとすぐにアタリが出た。



しかし、ササノハベラだ。その後もすぐにアタリ。やっぱりササノハベラだ。
だいたい、即席で仕掛けを作って適当にやってきてほいほい釣れる魚ではないだろう。
それに、釣れていると聞いたのは去年の暮れだ。大分寒水温も下がっているだろう。そんなに甘くはない。

ベラのアタリも遠のいたので今度は新々波止の際に移動。ここは紀ノ川からの水が冷たいのか、まったくアタリがない。
なにもないので再びもとの場所に戻るも、2本作っていた仕掛けをすべて失くしてしまった。
エサか仕掛けがなくなったらイカを釣ってみようと思っていたのだが、家を出る直前、クチの仕掛けも持っていっておこうととりあえずポケットに忍ばせていたのがよかった。

パタパタとクチが掛かった。数はないが型はまずまずだ。

釣り始めは少し潮が動いていたが、次第に流れがなくなってきてしまった。アタリもなくなったので午前10時に終了。


帰港して、もうひとつ気になるところへ行ってみた。
雑賀崎の名物に「おおやさ」というものがある。土曜日限定で売っていると聞いていたので一度食べてみたいと思っていた。
普通といえば普通のよもぎ餅なのだが、なせか「おおやさ」というらしい。「おおやさ」というのも意味が不明だが、食べてみるとヨモギの香りと独特の食感がなんとも美味しい。



有名なのか、知る人ぞ知る名物なのかは知らないが、こんなところにひっそりと売られているというのはなにやら得をした気がしてうれしいものだ。

おおやさを買って雑賀崎の灯台に行ってみると、海の様子はまったく春の海だ。



船の上もお穏やか・・・。



まだ1月だが、春の先っちょを感じることができた。
少しだけ得をした気分だ。
今日は春とだんごでふたつ得をしたのだ。




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「里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く」読了

2014年01月22日 | 読書
藻谷浩介/NHK広島取材班 「里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く」読了

この本の主張は、日本の経済の常識であるマネー経済から地域で完結をする経済への転換こそがこの国を救うのだということだ。

具体的には地産地消、キャッシュを地域で回すことで富が外部に流れない。流れないからその地域が潤う。その原資になるものはもとはタダのもの、本来は捨てていたものを活用することで新たな富を生み出す。この本の例では集成材を製造する過程で出てくるおが屑で発電をしたり、高齢の農家が作った野菜を地元のケアセンターの食堂で使うなどが挙げられている。また地域の住民が連携することで孤独化の防止までも視野に入れた考えがすごい。
僕の仕事は間逆だ。それはそれで人間の欲望を満たしてあげることは大事だが、こんな本を読みながら自分が一番好きなことを考えているとどうもちぐはぐになってくる。
おもてなし、おもてなしと声高に叫びながら本当に顧客が買いたいものがなにかわからない・・・。それでは言葉たくみに要らないものをだまして売っているみたいなものではないのか?
里山資本主義は生活に必要なものを必要な分だけ自分たちの力で調達して自分たちで消費する。やっぱり間逆だ。

ブランドというものは伝統であり文化である。それにたずさわる人々がその実体価値を守るためにどれだけの努力をしているかも理解しているつもりだし、それはそれである種の人々が生きてゆくうえでは必要不可欠なものなのかもしれないが、それは僕の役割ではないのではないかと思い始めた。
もちろん今更仕事が嫌だと言うつもりも勇気もないのだが、いつかは自分もそんな里山資本主義の一角で息を潜めて生きたいものだ。

里山資本主義は本当の里山でなくても実践できると書かれている。僕の船を係留している周りも里山とはいかなくてもたくさんの畑がある。もちろん僕の畑ではないけれども・・・。また、新しい試みを始めている漁港もある。なにかかかわりをもってみたいものだ。畑にはこの本に書かれているとおり、出荷をしない野菜が畑の片隅にやまのように積まれている。



こんな野菜はお金にならないのか?
会社ではマーケティングのまねごとのようなことをしている僕だが、何かを考えてみたいものだ。不毛のような仕事よりもなんとなく夢がありそうだ。

ロダンの言葉に、「都会は石の墓場です。人の住むところではありません。」というのがある。都会は何も生み出さない。入ってきて出て行くだけだ。確かに僕は都会にはなじめない。

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加太沖釣行

2014年01月22日 | 釣り
場所:加太沖
条件:小潮9:52満潮
潮流:7:51転流 11:25上り2.1ノット最強

今月の加太への釣行はまだ1回。せっかくの連休も悪天候や出勤で行きそびれた。残りの休みと潮流を調べてみると今日が最後のチャンスだ。
朝の天気はよくないようだが、次第に回復してくるようだ。潮流の時刻を見てもそれほど急いで出撃しなくても大丈夫なので都合がいい。

朝、起きてみると夜明け前に雨が降ったようだが西の空は明るくなってきている。予報どおりだ。
午前7時半頃に家を出て港に向かう道中、水軒川沿いの畑は真っ白になっている。雪が降ったようだ。港に到着してみると駐車場にも雪ではなくてあられが積っている。船のデッキもあられで覆われている。
 
スーパーで氷をもらわなくてもデッキのあられを集めたら十分な感じだ。そして、こんな光景を見てしまうと出発がためらわれる。

それでも意を決して出港してみたが、田倉崎を前にして友ヶ島の方向を見てみると真っ暗だ。虎島はまったく見えない。しかも雨も降ってくるし北からの風も強くなってきた。



これは釣りどころではないのではないかと帰港を決意。しかしここまでやってくると未練が残る。
何回か後ろを振り返ると友ヶ島の方向が明るくなってきた。風はどうかわからないがとりあえず方向転換して再び加太を目指した。

到着してみるとそれなりの数の船が出ている。しかし、さすがにこんな天気だ。同盟軍の船はほとんど見当たらない。最近は威嚇をされることがないので帝国領内に出張って釣りを開始。
逡巡していたので開始は午前9時少し前になってしまった。しかし今日の潮ではこの時間くらいからが勝負だ。
はたしてそのとおりになり、すぐにアタリが出て1匹目を確保した。
それからは風が強くなり仕掛けが横に流れてしまう。
1時間後くらいに、下ろしてゆくしかけにアタリが出た。ハリスが切れたことをみるとサゴシだったようだ。
再び沈黙の時が続き次のアタリは10時半頃、2匹目を確保。前を流している帝国軍の乗合船でも竿が曲がっている。僕にもアタリがきたが焦りすぎたようで途中でバれてしまった。
もうダメかと思ったが最後になったアタリは午前11時を回ってから。慎重に取り込み3匹目を追加。
時刻は時合を過ぎる頃になり、帝国軍の艦船も帰港し始めたのでこれを汐に撤収とした。
帰る頃には空は青空。風も穏やかになっていた。
なんともめまぐるしく空模様の変わる1日だ。



帰りにいつものとおり叔父さんの家に1匹おすそ分け。帰りにはどっさりの野菜をもらって帰ってきた。



幸運の神様というのは前髪はあるけれども後ろ側は禿げているそうだ。通り過ぎる前につかんでおかないと捕まえることができない。今日はうまく幸運の神様の前髪を掴めたようだ。
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口和深釣行

2014年01月16日 | 釣り
場所:口和深 沖の三ッ石
条件:大潮 6:32満潮
釣果:グレ 1匹

気がつけば丸々1年以上フカセ釣りに行っていない。すでに半径10キロ圏内でしか釣りをしなくなってしまったが、やっぱり磯に立ちたい。腰が痛くても磯に立ちたいのだ。
半日の釣りに慣れきっているので1日の休みだけでは南紀までの遠征は体に堪える。連休をもらっていたので、気温は相当低くなってしまっているがこのタイミングを逃してしまうと足掛け3年フカセ釣りに行かないことになりかねない。
道中の外気温は摂氏0℃。う~ん、寒い。



長い間ずっと見老津ばかりだったが、ふと思い立って今回は口和深へ行き先を変更した。
口和深は2006年の11月以来、実に7年ぶりの釣行になる。ここは釣り人が多くて、船の舳先にどっさり人が群がる。それが嫌になって見老津をホームにしてみたが、ホームだと思っているのは僕だけで、船頭さんは常連さんをえこひいきしているみたいだというのがひしひしと伝わってきていた。釣果もあまり出せないし、再び口和深を目指したというわけだ。

今日は釣り人は少なく10名ほど。水温がグッと下がって15℃を下回っているようで、沖の磯は不利だという話だったが、先端にご利益があると思っている僕はダメもとで名礁沖の三ッ石へ渡礁。
磯から見る朝日はなんとも気持ちがいい。寒さなんかはこの時点で吹き飛んでしまうというものだ。



早朝は早い下り潮だ。なにやら雰囲気はかなりよさそうだ。
僕を含めて5名が渡礁したが、横に並んだ釣り人いきなりイサキを釣り上げた。
俄然やる気が出てくるが、釣り方が悪いのか、釣り座の位置が悪いのか、僕にはアタリがない。
ここの水道なんかはまったく魚がいそうな感じなのだが・・・。




やっとアタリがあったのは午前9時過ぎ。竿先を引ったくっていくアタリは気持ちがいい。しかし、これは合わせが弱かったのか、すっぽ抜けてしまった。
その後、潮が止まってしまったようで、まったくアタリがなくなってしまった。
そんな中でも他の釣り人はポロポロとグレを釣り上げている。自分の無力さが悲しい。
お昼を過ぎた頃から風が強くなってきた。真横、西から吹いてくる風なので釣りにならない。こんな中でも釣っている人は釣っている。しかし、僕の気力は失せてしまう寸前だ。荷物が風で飛ばされないように気を配りながら、早く終了時間になってくれないかとそればかり念じていた。もう、この時点で終わってしまっていた。

2回目のアタリは午後2時を回ってから。もう終わろうと思っていたときだった。風は吹き続けているものの、潮が再び下りに変わってきた。横の釣り人が早く終了したのでその跡に入ると風は後ろからになり仕掛けがスムーズに流れてくれる。
仕掛けをどんどん流しているとやはり竿先を引ったくっていくアタリだった。
悪運が強いのかなんなのか、ボウズを免れることができてしまった。

家に帰ってくるともうへとへとで体中が痛い。明日はもっと痛くなっているだろう。
しかし、この1匹は次に繋がる1匹になったようだ。

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「仏像のこころ」読了

2014年01月10日 | 読書
梅原猛 「仏像のこころ」読了

1965年の著作。もう50年近く前の著作になる。
仏像ごとのもつ意味合い、時代背景が著者の理論に元づいて展開されている。

日本に入ってきた仏像への信仰は、釈迦如来→薬師如来→大日如来→阿弥陀如来とうつろっていったそうだ。
現世は苦しみに満ちている、それを修行によって乗り越えろという釈迦の教えとして日本に入ってきた仏教はそれより手っ取り早くご利益をくれる薬師如来の人気が高くなり、平安の世になって密教が政治に色濃く影響をする時代では難しい大日如来は人気が出なかったが配下の菩薩や天、明王の人気が上がった。飢饉や戦が耐えなかった時代には、もうこの世は嫌だからあの世で楽しませてくれというので阿弥陀如来が人気を博し、現在に至っている。
なるほどと納得させられる内容だ。

こう見てみると、仏教は苦しみや死への恐怖から逃れるために人間が必死になって新しいものを創造していったのだということがよくわかる。知恵によってそういうものを知り、知恵によってそれを克服しなければならない。
現代では自らの知恵によって増やすことができたそのエネルギーを使って寿命を伸ばし、必死で死の恐怖から逃れようとしている。
これを、“知ることの苦しみ”というのかもしれないが、なんとも滑稽な話に聞こえてくる。ぼくもその人間の一人であるわけだけれども・・・。

動物や魚の写真なんかを見ていると、本当に澄んだ目をしているなと思うことがあるが、彼らは迫り来る死というものを意識していないからあんな目を持つことができるのかと妙に納得をしてしまった。
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水軒沖釣行

2014年01月06日 | 釣り
場所:水軒沖
条件:中潮9:56満潮
釣果:ボウズ

おととい行ったばかりだし、今日は相当寒いみたいなので釣に行くつもりはまったくなかったのだが、朝起きてみると雲ひとつないいい天気だ。
こんな空を見ていると、釣に行かないことに対する罪悪感にさいなまれてしまう。

家を出た時刻が午前8時。この時間からでは僕の釣りのバリーエーションはコウイカしかない。
空には雲がひとつもない。真っ青な空だ。しかし、空気は冷たい。小船にはシールドが付いていないから、生簀の縁からデッキこぼれ落ちた夜露が走行中に再び凍りついていた。

 

ゴムが緩くなってしまったぼろい防寒着の袖口からもどんどん冷気が入ってくる。指先、つま先の感覚がなくなってくる。


今日も新々波止の沖からスタート。アタリは全然ない。しかし、スッテを底から切ってフォールをさせている最中に魚らしきアタリが数回あった。一体なんなのだろう。そういえば、以前にも魚探にかなりの魚の影が映っていたことがあった。別の方法で何かが釣れるのだろうか?


波も穏やかで日差しは春のような柔らかさ。空気は冷たいがエンジンを切った船の上は微かな波の音がするだけでなんとも心地がいい。
こんな日は釣れなくっても全然気にしないのだ。とりあえず海にいるだけでいいのだ・・・。などと思っている僕を見ている他人様はこいつはそうとうイカれているなんて思うのだろうな。

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加太沖釣行

2014年01月04日 | 釣り
場所:加太沖
条件:中潮8:36満潮
潮流:5:17転流 9:16上り3.1ノット最強
釣果:真鯛50センチ以下5匹 ハマチ2匹

今日は初釣りだ。天気もいいし、潮もいい潮だ。
そういう意味では満を持しての出撃だが、これでボウズで帰ってきたら最悪だというプレッシャーもかなりのものだ。

初出勤は夜明け前だったが当然ながら座席で眠ってしまっていたので、今年はじめて見る朝日はまばゆいくらいの黄金に輝いていた。何やらよい兆しなのだろうか?



船団が僕の第1テッパンポイントに集結していたので僕も戦列の端のほうに入って釣りを開始。
いきなり根がかりで仕掛けをロストしてしまった。朝日は吉兆だったはずだがなにやら怪しいスタートだ。
しかし、そんな不安も吹き飛ぶアタリが間もなく出た。活性が高いのかハリ掛かりも素早い。
そして2回目のアタリはすぐ後にきた。今日の最大、50センチだ。

2回目の流しではアタリがなかったが、3回目の流しでこれまたアタリが連発。
しかし、この3回目の流しの途中から準備不足がたたってしまった。釣れているビニールのストックがなくなってしまった。
年末のボウズに打ちひしがれて何の準備もしていなかったのだ。その前にけっこう作っていたつもりだったのだが・・・。
仕方がないので道具箱のスミのほうに残っていた長らく使っていないビニールを持ち出して継続するが、疑似餌の釣りは確信の釣りだ。この疑似餌はダメなんじゃないかと思い始めると釣れる気がしなくなる。

しかし、4回目の流しでハマチの2連。それでも今日はなかなかだ。
時刻も潮流が最強になる時間を過ぎてしまったので幸運を使い切らないうちに終了。
3時間でこれだけ釣れれば十分だろう。なんとか初釣りは形がついた。これが一番うれしい。
帰りの道中もなんとも穏やかな海面だ。この海のようにこの1年、何事もなく平穏無事に過ごせることを祈るばかりだ。




家に帰って燃料補給の途中に毎年恒例のひとり初詣だ。
玉津島神社から塩竈神社へお参り。
 
塩竈神社は安産の神様だが去年もお参りしたのでとりあえず参内しておいた。
その後妹尾山へ。毎週に近いほどこの前を通っているが、橋を渡るのは初めてだ。
島の中心には徳川頼宣公の生母で側室とはいえ徳川家康の奥さんであった養珠院を弔うために建立されたという多宝塔があった。
こんなところにこんな由緒正しき建物があったとは今の今まで全然知らなかった。



次は和歌浦、田ノ浦、雑賀崎の各港の恵比寿神社に大漁祈願と海上安全のお願いにお参り。
和歌浦の恵比寿神社には残念ながら鍵がかかっていてお参りができなかった。横にお稲荷さんがあったので仕方なくこっちにお参り。う~ん、これではこの方面に釣りに行くキスが今年もダメなんじゃなかろうか・・・。

  

燃料補給後は僕の港の地区の氏神様へお参り。
ここは僕が子供の頃からお参りに行っていた神社だ。初午の時にはここでも餅まきをしていた。大人が燃えるので子供はだいたい端のほうでおこぼれを頂戴する。姑息な僕は参道の林のなかに隠れて流れ弾のお餅を待っていたものだ。

その後は矢ノ宮神社へ、



最後に円珠院へ。ここは徳川頼宣公が1622年に建立した武運長久を祈願する紀州徳川家の祈祷所だったそうである。遊学から帰ってきて肩身の狭い思いをしていた南方熊楠もここで寄宿生活をしていたそうであるが、なんとも寂れたところだ。鳥居があって石仏がいたるところに坐しているという不思議なところだ。だれもお参りをする人がないようで、賽銭箱すらなかった。日本らしい神仏習合の場所なのになんとももったいない。



まあ、これだけお参りすれば、ひとりくらい僕にご加護を与えてくれる神様もおわしますことだろう。
それを祈るばかりだ。
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