イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2023年11月26日 | 2023釣り
場所:水軒沖
条件:大潮5:30満潮
釣果:ボウズ

先週は釣れたので今日も釣れるかと思ったがまったくダメだった。

週末は天気が荒れそうだと前回の釣行時のブログに書いたが、今日は寒いけど風はなさそうだ。寒いだけなら我慢ができる。コウイカ釣りに出発したものの前記のとおりだ。

11月なのに気嵐が出るほどの寒さが水温に影響したのか、なんだかこんな浅い海で二枚潮っぽい流れであったことが悪いのかさっぱりわからない。多分イカだと思ったアタリは1回だけだった。
そのほか、いつもの通り魚のアタリもあるが鉤には乗らなかった。



少し流れが速かったがそれでも底を取れないわけだはなかった。これくらいの流れならあきらめるほどのものではない。
それとも、天候が原因ではなく、大物が掛かったら確実に獲ってやろうとこんなものを作ったのがアダになったのかもしれない。



仕掛けの先端まで殺気がみなぎっていたのだろう。

気嵐の画像に写っている船は、つい2、3日前、SNSにアップした僕の書き込みを見て初めて連絡をしてくれた人だが、この場所は釣れますよとご案内しておきながら当の本人がボウズでは申し訳ございませんと頭を下げるしかない・・。

まあ、どちらにしても前回の釣行で今年はちょっとましかもしれないと思った淡い期待は無残にも崩れ去ってしまった。


何も釣れなかったので普段は日曜日が休みなのにたまたま営業していたわかやま〇しぇへ。何種類かの冷凍揚げ物を購入してクーラーボックスを満たして帰宅をした。




11月の釣りは今日が最後だが、夏日で始まった釣行がクリスマスごろの最低気温で終わった。今日は上下防寒着で、長靴も冬用、ネックウオーマーに毛糸の帽子という重装備で家を出た。こういうのも地球温暖化が原因なのかもしれないが、なんだか体が追いついていかない感じもするのである。


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加太沖釣行

2023年11月23日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:若潮8:52干潮
潮流:6:19転流 9:36下り2.0ノット最強 12:25転流
釣果:カワハギ10匹 アカヤガラ1匹 ハマチ1匹 サンバソウ1匹 

11月に入って、週末ごとに天気が悪い。たまたま木曜日の祝日は荒天の谷間の好天だ。
今日もカワハギ狙いで前回から始めた釣り方がいいのか悪いのかの検証をしてみたいと考えている。

太陽が昇ってくる場所もかなり南になり、赤い橋のほうから明るくなってきていた。夜が明けてくるのも遅く、この明るさでやっと午前6時だ。



しかし寒い。そして暑かった。
今朝の和歌山市の気温は8.7度。ヒー〇テックとネックウオーマーで重武装しても肩や背中から侵めこんでくる冷たさは防ぐことができない。歳を取ってくるとこういうところの防御機能が薄れていくのかもしれない。
そして最高気温は20.8度今度は着ているものが気持ち悪くなるほど暑くなってくる。歳を取ってくると体温の調整機能が損なわれてもいくようだ。というか、その機能の限界を超えている温度差だったのかもしれない。

加太への道中、東の空は燃えるような朝焼けになっていた。ポイントには急ぎたいがスロットルを緩めてしばし鑑賞。



前回と同じFさんポイントでスタート。



今日も順調でいきなりアタリがあった。しかし、今日は魚が小さい。煮付けにすればなんとか食べられるというサイズだ。
新しい竿の感度はかなりいいものの、万能ではなさそうで、3回連続で3本の枝素のエサがことごとく無くなってしまったときには14000円は無駄であったのではないかと思えてしまったし、潮の加減では底を摺っているのかアタリなのかがわからないこともあった。しかし、カワハギはエサを盗るのがすこぶる上手な魚だからこんなものかもしれないとも思う。

今日は若潮なので潮はそれほど速くはない。舳先のほうでサビキの仕掛けを下ろしながらカワハギを釣っていたのだが、サビキのほうに本当にアタリがあった。ハマチはアジを期待していたのだが、なんだかよくわからない引きで上がってきたのはそこそこ大きなアカヤガラだった。全長は1メートルくらいあるのだが、この魚、前後に無駄が多い。なんでこんな顔をしているのかと思うのだが、当の本人もそれが恥ずかしいのか顔の周りのヌルヌルがすごい。くるくる回転もしていてサビキ仕掛けの下の方が使えなくなっていた。かなりの高級魚らしいが・・。



そんなことをしていると次第に潮が流れ始めてきた。そうなってくるとほかの魚も気になってくる。この潮だときっとコイヅキだと思い移動。



あまり深くないところで即席で補修をしたサビキを下ろしてみるとすぐにアタリがあった。しかし、持って帰れないほどのチャリコだ。その後高仕掛けに変更してみるがまったくアタリはなく、残ったエサを使い切ろうとまた、もとのFさんポイントに戻った。
カワハギの仕掛けを使おうと思ったが魚探には中層で反応が出ている。ダメもとで高仕掛けを下ろしてみると今度もすぐにアタリがありハマチが上がってきた。このままアタリが続くのかと思ったがアタリはなく、帰る時間まではそれほどないのでカワハギ仕掛けに変えるとすぐにまたアタリがあった。少し型は大きくなっている。こういうのは潮のかげんなのだろうか。よくわからない。2匹目は造りができそうな大きさだ。そして次はかなり大きい。これはきっと尺超えだと慎重にドラグを使いながらリールを巻きあげてくるとサンバソウだった。噂には聞いていたが加太では初めて釣る魚だ。本命ではないがうれしい獲物である。その後、1匹追加してエサも底を尽き12:30終了。

10匹とはいえ、初めてのふた桁のカワハギだった。この釣り方にも少し自信を持てる感じだ。多分、もう、テンビン仕掛けは必要ない。この釣りを教えてくれたFさんには感謝だ。


話は変わって、中古釣り具の買い取りの話であるが、毎年、タチウオシーズンが終わると拾った電気ウキを中古釣り具の店に持っていくのだが去年持って行った時、なんだか数を誤魔化されたのではないかという疑念を持ってしまい、今年は事前に数を数えて持って行ったのだが、今年もやはり1個誤魔化されていた。



運営会社に文句を言ってみたら素直に誤魔化したことを認め、新品と同額の弁償(1000円ほど)をすると言ってきた。これはラッキーと消耗品である30号のオモリ6個をもらってきた。しかし、6個で1000円ちょっととは中古釣り具の店にしてはあまりにも高額すぎるのではないだろうか・・。



同時に持って行った、折れた竿を修復したものはさすがに折れているということがばれてしまっていて200円しか値段を付けてくれなかった。じゃあ、部品取りにするしかないと思ったのだが、セ〇ンドストリートという店は工具類などを下取りするとき、けっこう商品価値が解らずに値段を付けているとSNSで知ったので、近くの店に持って行くと200円のものが3000円になっていた。これはラッキーとそのまま3000円もらってきた。



噂のとおりで、釣り具に対してもど素人らしく、型番だけ見て値段を付けているという印象だ。まあ、それだけ僕の補修テクニックが素晴らしかったということかもしれない。元の全長からは30センチも短くなっているのだが・・。僕が詐欺を働いたというのでもないのでこれは正当な取引ということにはしておこう。
結局、今回は総額5000円以上の下取り価格となった。とりあえずはラッキーとしか言いようがない・・。

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「失踪願望。 コロナふらふら格闘編」読了

2023年11月22日 | 2023読書
椎名誠 「失踪願望。 コロナふらふら格闘編」読了

日記文学という感じだろうか。集英社の「集英社学芸の森」というウエブサイトに連載されていたものをまとめたそうだ。(一部書下ろしもある)
始まりは2021年4月。終わりは2022年6月。つい最近のことである。サブタイトルのとおり、コロナ禍の真っただ中。東京、大阪、京都、兵庫の4都府県で3度目の緊急事態宣言が出されたときだ。僕の歴史では女帝に悩まされていた頃だ。
半径10㌔からは出ることがない僕個人の生活が一変してしまったということはなかったはずなのだが、世間の人々は行動制限のために行きたいところにも行けず、食べたいものも食べられなくなってしまったという最後の大規模な規制が始まり徐々に元の生活に戻りつつあった期間でもある。

最近の椎名誠の著作を読んでいるともう書き切ったという感があるように思うのでこういった日記文学で日常の事実を著者の思いを絡めて書き進むというのはいいことなのかもしれない。著者自身の回想はいつもの通りだがそれを今の時代とオーバーラップなり逆に対比をさせたりしながら書いてゆくというのは新しい発想だと思う。まあ、それでもやっぱりこの人はすでに書き切っているという感は否めないのだが・・。椎名誠の本はおそらく足かけ40年以上に渡って読んできたと思うのだが、そういう経験からもそう思う。
また、この本には下段に当時のニュースが記されている。たった2年前のことだが、記憶のかなたの境目で、ああ、こんなことがあったなと僕以外の人たちが経験した激動の期間を思い出すことになった。著者自身がコロナウイルスに感染していたということは知らなかったが・・。

この本は、そのテーマをメインタイトルどおり「失踪願望」という言葉に置いていたという。
著者のようにたくさんの人に囲まれて、ある意味自分がやりたいことをやり切ってきたと思える人が「失踪」したいと思うのだろうかと思うのだが、そこは何かを創り出そうとする人と、無気力なサラリーマンとの違いなのだろうなと思ったりもする。
いや、椎名誠の「失踪願望」とはまだまだこれから新しい世界へ向かって行きたいという野望なのかもしれないとも思ったのである。




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「数学にはこんなマーベラスな役立て方や楽しみ方があるという話をあの人やこの人にディープに聞いてみた本 2 」読了

2023年11月19日 | 2023読書

数学セミナー編集部 「数学にはこんなマーベラスな役立て方や楽しみ方があるという話をあの人やこの人にディープに聞いてみた本 2 」読了

この本には同じタイトルの本が3巻ある。その2巻目だ。残念ながら図書館の蔵書には2巻までしかない。3巻目が蔵書されるのを期待したい。

第2巻に出てくる人たちの職業は、ゲームクリエイター、建築家、劇団の主宰者、サッカー選手、コンサルティング会社の経営者、造形美術家、木工職人、プロ棋士だ。
第1巻に出てきた人たちもそうであったのだろうが、この本に登場する人たちも、自分がやりたいことには数学が必要であったから数学をやっていたということだ。学生時代から数学が得意で、自分が見つけた道がそれに役立ったひともあれば、自分が見つけた道がたまたま数学的であり、さらに勉強を進めることでその道を究めることができたということだが、
それに加えて、その根底にあるのが情熱だといえる。情熱的なひとが論理的な考えを持っていると数学ができるようになるのかもしれない。必要は発明の母であるということに似ているのかもしれない。
感情的に生きている僕などはやっぱりもとから数学の素養がなかったということがわかってしまった。だからこそミスタースポックのような冷静で論理的な人物に強い憧れがにじみ出てしまうのだ。
おそらく、そういう人は何をしてもその道を究めることができるに違いない。魚釣りを通して知り合った人たちのなかには学校の先生をしていた人や理科系の仕事をしている人たちがいるが、そういう人は確かに上手だ。魚釣りにも論理的な思考は確かに大切で、運と勘と迷信だけに頼っていては上手くなれるはずはないのだ。

1巻目もそうだったが、数学に関係してはいるが、数学をしていた人ではないひとがひとりだけ2巻目にも登場している。こういった人を意図的に登場させているのだろうが、今回は書店員だった。偶然の人事異動で数学書の棚を担当しただけであったらしいが、やはりこの人も情熱を持って品ぞろえをして、自分なりに数学を理解し人脈をつくりイベントで盛り上げる。
僕も数学的な思考ができたのなら、もう少し仕事でも芽が出たのかもしれないが、これも人間としての限界なのだろう。仕方がない・・。

2巻目を読みながら、そういえば、対数関数というのもさっぱりわからなかったとか、必要条件と十分条件という言葉を僕はこのブログでよく使っているけれども実はその違いをよくは理解していないんだよな・・。とかそういうことをしみじみ恥ずかしく思い浮かべていたのである。


読み終わって三日後、この本に紹介されていた円周率の本が届いた。



円周率が100万桁に渡って書かれているだけの本だが、2017年までに2万八千部も売れているらしい。値段も税抜き314円というのが面白い。



間違いなく読むことはないのだが、僕が死んだあと、遺品整理をするであろう家族に対して、何でこんな本を買ったのかと謎を残しておくのは面白いし、混んだ電車の中でこの本を広げて読んでいると気持ち悪がられて僕の周りに空間ができるかもしれないという用途にも使える。

円周の計算式は、直径×π(円周率)だが、そのπの値が無限に続く無理数であるのならば図形としての円はどうして書けるのかなどと考えてしまう。厳密にいうと、線自体が幅を持つ図形のようなものだから円として書けるというのもあるのだろうが、電子顕微鏡レベルで書き始めと書き終わりの境目を見た時、そこはどうなっているのだろうかと考えてしまう。
そんな細かなことを考えている僕の人生の円は、やっぱり閉じることはないのだろうとも思うのである。
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「数学にはこんなマーベラスな役立て方や楽しみ方があるという話をあの人やこの人にディープに聞いてみた本(1 )」読了

2023年11月15日 | 2023読書
数学セミナー編集部 「数学にはこんなマーベラスな役立て方や楽しみ方があるという話をあの人やこの人にディープに聞いてみた本(1 )」読了

数学の本だが、縦書きになっていたので借りてみた。
受験生時代、数学はからっきしダメだった。多分、嫌いではなかった。文科系の受験生だったが共通一次試験では必須であったし、経済系の学部を受験しようとすると二次試験にも数学の試験があったので当然僕も数学の勉強をしていた。
二次試験に出題される問題の答えはほとんどが「0」とか「1」になった。その答えを導くために、A4の解答用紙いっぱいに数式を書くのだが、これがうまく0とか1になるとその時は気持ちがよかった。演習問題の20問に1問程度しかこういう出来事はおこらなかったが、そういったときにはつかえていたウ〇コが一気に放出されたような快感があった。だから嫌いではなかった(ように思う)。ただ、数学ができなかっただけなのである。
微分や積分はとりあえずこうやっておけばいいという程度で、因数分解はなんとかこなせる程度というのが文科系の数学だったが、それでも数列や行列、確率などとなってくるとまったくわからなかった。問題を解くときは運と勘に頼るしかなかった。
それでも、あの当時、僕でも調子がよかったら解答用紙いっぱいに数式を書いていたのだと思うと、今では驚きでしかない。

だから、数学ができる人がうらやましくて仕方がなく、到底そういう人にはなれないと思い、ましてやそれを職業に生かすとか、それをもとに何かを創るということなど想像もできなかった。
この本は、「数学セミナー」という雑誌に連載されていたインタビュー記事をまとめたものだそうだ。
数学はこんなところにまで使われているのだというようなことがそれに携わる人たちのインタビューと共に紹介されている。数式というものはまったくといっていいくらい出てこないのでインタビューを受けているひとの人生録という感じに仕上がっている。

学校の先生というのはまあ、それを教える人というのだから数学をやっているというのはわかるが、デザイナー、漫画家、小説家、木工職人、気象学、折り紙、音楽。こんな職業にまで数学が活かされているらしい。気象予報などといのうは方程式の塊だそうだ。
この本に登場するデザイナーというのは、東京オリンピックのエンブレムをデザインした人だが、あのエンブレムはひし形を組み合わせた幾何学模様になっているそうで、ペンローズタイリングというものの一種だそうである。
3種類のひし形の各辺の中点を結んだ長方形の集まりがあのエンブレムなのだそうだ。



漫画や小説などというと創作の世界だから数学を題材に取り上げるというのはわかるが、当然ながら数学を知らないと創作もできないのであるからこういう人も二刀流というのであろう。
また、Perfumeのパフォーマンスの音楽や映像にも数学が欠かせないそうで、今のシンセサイザーというのは数学的素養がないとまったく音が作れないという。こうなってくると数学はOSのような基盤であるといえる。
そんなものを駆使できる人というのがうらやましすぎる。僕にもそんな素養があればまったく違った人生を歩めたのかもしれないと思うと、悲しい生き方をしてきたと思ってしまうのである。

数学を学んだ人たちではないが、数式を書物にするための版組をしている会社の社員のインタビューも掲載されていた。分数や積分の記号などを1行の中に組み込むというのは機械化をされた今でも熟練の技が必要だそうだ。こういう人たちがいるから数学を勉強することができるのだろうが、せっかく頑張って作ってくれた版組も僕には何の響きも与えてくれなかったのである。

申し訳ない・・。
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水軒沖釣行

2023年11月12日 | 2023釣り
場所:水軒沖
条件:大潮5:39満潮
釣果:コウイカ 5匹

形而上学というのは、「感覚を超越したものについて考える。」学問だそうで、その対義語である形而下というの「感性的経験で知り得るもの。時間・空間の中に形をとって現れるもの。」であるのだが、海の世界ではまったくその逆で、海上の概況は状況としてよくわかっても海面下の世界は想像するしかない。そこは感覚を超越した世界なのである。
11月にもなるとそろそろコウイカが釣れるはずなのだが海の上の形而上を見てみるとまったく釣れそうな雰囲気がない。暖かすぎたのだ。僕の感覚的経験では北風が吹く中、ゴム手袋をはめて釣るのがコウイカなのである。

それがやっと昨日くらいからそんな雰囲気が出てき始めた。去年より2日早く木枯らし1号が吹いたそうだ。もたもたしていた気候が一気に加速した。これくらいになってくると海の形而上だけの判断ではコウイカが釣れる雰囲気だけはしてきた。
釣れても釣れなくてもとりあえずは調査だ。

出港は明るくなってからで十分だと思っていたので、午前4時過ぎに起き出して新聞を読んでいたら汽笛の音が3回、けっこう大きな音量で聞こえてきた。多分、青岸付近を航行するフェリーからの汽笛なのだろうが、寒くなってくると冷たい空気の中を伝わってくる音波が空で反射して5㌔も離れた僕の家の中でもはっきり聞こえるほどになってくるのである。やっぱり寒くなってきたのである。

午前5時を過ぎたのでバイクを引き出して港に向かう。今日は思っていたよりも雲が多いようで、出港支度が整った午前5時半になっても明るくなって来ない。午前6時まで待ってようやくちょっと明るくなってきたのでロープをほどいて船を出す。
いつもの場所で出港時刻の確認も兼ねて写真を撮ろうと沖の方を見てみると、万トンバースがえらく明るい。今日も大きな船が入港してきていた。



そういえば、以前に見たクルーズ船が近いうちに入港するという話を聞いたことがあった。それが今日だったようである。
あの汽笛はこの船が発したもののようだ。

とりあえず写真を撮って沖へ向かう。
ポイントは新々波止の切れ目の跡の前だ。



釣れるかな~。どうかな~と心配していたが、結果はすぐに出た。今シーズン初めてのコウイカだ。そして調子がいい。ひと流しで2匹、30分ほどで3匹を確保することができた。そして型が大きいものもある。
4匹目は少し時間が掛かったがそれでもこの短時間でこれだけ釣れればここ数年の不調の中では上出来といっていいかもしれない。
そして、5匹目はかなり大きかった。ひょっとしたら紋甲イカだったのかもしれないが、一時はリールを巻けないほどの引きと重さだった。なんとか水面まで上がってきたものの、これは竿でブリ上げるのは無理だと思い道糸をつかんで放り上げようと思ったが身切れをしてしまった。カンナには足が1本だけしか引っ掛かっていなかったのは見えていたのでどちらにしてもタモがないと無理だったのだのだろう。
しかし、この釣りの時にはタモは必要がないと思っているので今日も持ってきてはいなかった。むちゃくちゃ悔やまれる1匹だった。次回からはギャフでも用意しておかねばならないかもしれない。と、いいつつ、そんな準備をしてしまうと得てして釣れなくなってしまうので多分そんなことはやらないほうがいいのではあるが。・・。
結局僕の手元に残ったのは巨大イカのゲソの先っちょだけであった。



悔しいのでそれを食べてやったが、吸盤の中に入っているゴミがじゃりじゃりするものの甘くておいしい。
う~ん・・、惜しい。
そして、このバラしで僕のツキも落ちてしまったかまったくアタリがなくなってしまった。ひょっとしたらツキのせいではなく、護岸をかさ上げするための作業船が作業を開始し始めたからかもしれないが、どちらにしてもまったくアタリがない。



せっかくあった魚らしきアタリもアシストフックに掛からなかったのか途中でバレてしまった。
ここをあきらめて赤灯台の前に移動してみる。今日の潮の動きはあまり速くないのでここでもやれそうな感じがしたのである。
なかなかアタリはない。ここにはいないのかと思ったら小さなアタリ。ゴミかと思ったらやたらと足の長いタコが掛かっていた。ちょっと気持ちが悪いのでこれは放流したが、その後にアタリ。今日最後のコウイカであった。
このタコは手長ダコというそうで、韓国で生きたまま食べるやつがこのタコらしい。だから、食べると美味しいらしい。持って帰ればよかったと思ってもあとの祭りだ。



もう一度朝一の場所に戻って流してみたがやっぱりツキは落ちているようで、何のアタリもなく午前8時に終了。

港に戻って円卓会議に出席し、その足でクルーズ船を陸側から見学。やっぱり大きい・・。多分、今日、この船の右舷と左舷の両方を見たのは僕くらいではないだろうか。

 

まあ、僕には何の関係もない世界なのであるが・・。


ここからは昨日の話。
強風で釣りにも行けないので大きい方の船のオイル交換をしていた。



作業自体は特にトラブルもなく終了したが、入れ替えた廃油の捨て場所がない。軽油を買っているスタンドに持ち込んだが、もう引き取れないという。不愛想な社長のいけずなのかと思ったらそうでもないようだ。バイク屋さんでなんとか引き取ってもらったのだが、そこでの話だと、最近は環境基準が厳しくなって、廃油を燃料にしている業者の廃業が相次いでいてお店の方も無料で引き取ってもらえなくなってきているので客からも引き取れなくなってきているというのである。このショップに引き取りにきてくれる業者も年内で廃業するらしい。
これからは廃棄にも費用がかかってしまう。世知辛いというかなんというか、ものの値段が上がり、いままで無料だったものにもおカネがかかるようになってきては僕の楽しみをすべて放棄しろと言っているがごとくである。
この前読んだ宮本輝の本に、「人生は最後の5年間が幸せならそれでよい。」というようなことが書かれていたが、僕の最後の5年間は間違いなく幸せではないのは間違いがない。


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「量子テレポーテーションのゆくえ: 相対性理論から「情報」と「現実」の未来まで」読了

2023年11月10日 | 2023読書
アントン・ツァイリンガー /著 大栗 博司 /著,・監修 田沢 恭子/訳 「量子テレポーテーションのゆくえ: 相対性理論から「情報」と「現実」の未来まで」読了

著者は去年のノーベル物理学賞を受賞した人のひとりだそうだ。『物質を構成する原子や電子のふるまいについて説明する理論、「量子力学」の分野で、「量子もつれ」という特殊な現象が起きることを理論や実験を通して示し、量子情報科学という新しい分野の開拓につながる大きな貢献をした。』というのが授賞理由だそうだ。

この時点でさっぱりわからないのだが、SFの世界に出てくるこの手の話ならよくわかる。「三体」の中では、この理論を利用して4光年離れたアルファケンタウリになる惑星と地球との交信に使っていた。「スタートレック」では転送装置がこの理論を使って作動されている(らしい)。

この本では、この、量子テレポーテーション(量子もつれ)について、なぜそういう現象が起こるのかということではなく、そういう現象が起こっていることをどうして知ることができるようになったのかということを書いている(ように思う)。
実際にこういう実験が過去に行われ、こういう理解から量子もつれがおこっているということが証明されるのだという説明が200ページ以上にわたって続くのだが、それがさっぱりわからない。
ある大学生のカップルがその実験に参加するという形式をとっていて、実は一般人にわかりやすく説明してくれているはずなのだが、それがさっぱりわからないのである。
その実験はこんな内容だ。
量子の状態を観測できる検出器が両端にあり、その中間には量子もつれを起こした一組の光子を両方の検出器に送り出すことができる発生器がある。
両方の検出器で観測された状態が同じ結果ならば、量子もつれが実際に起こっていると確認できるというのである。
量子もつれを起こした粒子は双子のようなものなのだから両方で同じ状態が観測されるのはあたり前だと考えてはいけない。その性質が現れるのは観測された瞬間で、それまでは様々(ある意味、無限)の状態が重ね合わさっているのである。
で、それを観測するためには光の偏光具合を見るというのだが、それくらいのところからもっとわからなくなってくる。ベルの不等式の破れ、局所実在論、隠れた変数理論・・。
一応は一般向けの読み物となっているので、一般人にも理解ができるはずなのだがそれでもさっぱりわからない。だから感想文はここで終わってしまうのである。
      
これだけで終わっては感想文が短すぎるのでこの本に書かれていた面白そうなエピソードを残しておく。
アルベルト・アインシュタインがノーベル賞を受賞したのは相対性理論ではなく「光量子仮説」というものであったが、なぜ、世界で最も有名な相対性理論でなかったかという理由について書かれていた。それは、ノーベル賞の選考委員のなかにふたり、この理論が好きじゃなかった人がいたという理由だったそうである。しかし、こんなに有名な科学者がノーベル賞をもらっていないというのはノーベル賞の権威にかかわるというので別の受賞理由を付けて賞を与えたというのである。だから、受賞理由というのが、『理論物理学への貢献に対し、とりわけ光電効果の法則の発見に対し』というへんてこなことになったというのである。
純粋に理論だけが評価されるのが自然科学の世界だと思っていたが、そこには好き嫌いがあるというのが人間の世界というものかとあきれるというか、アホらしくなると思えてくる。こうなってくると、文学賞なんてもっと好き嫌いがあって、村上春樹はきっと選考委員にオベンチャラをやっていないのではないに違いない。どんな時代になっても権威とはくだらないのである。

そのアインシュタインは、こういった量子の不思議な性質のことを、「不気味な遠隔作用」と呼んだそうだが、その不思議な性質を否定するため、ボリス・ポドルスキー、ネイサン・ローゼンという物理学者と共同で論文を発表している。それは1935年のことだそうだが、そんな昔にすでにこんな小さな世界のことが解明されていたというのが驚きである。しかし、本当にそうなのかということが実験で確かめられたのは40年以上もあとになってからだそうだ。相対性理論と量子論には相容れない部分があるそうで、量子論の不思議な世界が本当に存在すると証明したのが、先に書いたベルの不等式の破れ、局所実在論、隠れた変数理論というものだそうだ。
う~ん、わからない。

「スタートレック」は1966年から放送が始まったそうだが、だから、その当時にはすでに量子論は知られていたので、「転送装置」は、作れないということはすでに分かっていた。転送する対称(人間や物)のその時点の量子レベルまでの状態を確定し、そのデータを受信器に送りそこにある物質を使ってデータ通りに作り直すというのがそのメカニズムであるが、不確定性原理によってその状態というものが確定できないというのがその理由である。
そこで、このシリーズの技術アドバイザーが考え出したのが「ハイゼンベルク補正器」なるものを考え出した。もちろんこれは架空の補正器でその仕組みはわからないが、タイム誌の記者にその働きを問われたマイケル・オクダは、「じつによく働くよ。おかげさまで。」と答えたという。かっこいい回答だ。その人が日系人だったというのもなんだかうれしかったりする。
しかし、データをコピーされて送信されても、コピーしてもらった本人はそこに残っているということになるから、それはそれでちょっとまずいのではないだろうか・・。

そして、もっとも興味を引かれるのが、観測することではじめて状態が決まるということは、世界を決めるのは観測者である人間であるといえることである。世界は客観的ではなく主観的であるといっているようにも見えるが、著者も語っている通り、これはなんだか哲学的な話になってくる。
実在を追い求めた哲学が自然科学を創り出したのであるが、その自然科学の帰結のひとつが哲学であったというのはウロボロスの蛇を見ているようなのである。

やっぱりわからない・・。
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加太沖釣行

2023年11月09日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:若潮3:46満潮 9:42干潮
潮流:7:04転流 10:20下り2.3ノット最強
釣果:カワハギ7匹

昨日のブログで、「今日は終了。」と書いたのは、今日も加太に行こうと考えていたからである。一昨日から1週間の休みをもらっているが、その中で釣りに行けそうな天気の日は昨日と今日だけである。昨日は風が強くてなかなか釣りにはならなかったけれども今日はいい天気のはずである。

昨日と同様、午前5時40分に出港。



そのまえに、ちょっと気になっていたクーラントの補充をおこなう。



今まではそういうことはなかったけれども、オイルやクーラントのタンクのシールが破れてきているのかもしれない。原因箇所を見つけて修理となるとかなりの費用がかかるだろうから、だましだまし乗っていくしかない。

今日はいよいよカワハギ専用竿のデビュー戦だ。
この時間、潮はまだ上りが残っているはずなのでFさんお勧めのナカトシタ方面に行く。



僕がいつも行く帝国軍港前は、確信はないけれども下り潮のほうがよいような気がしているのである。
前回は冷凍アサリオンリーであったが今日は生のアサリから作ったむき身も持ってきている。これもどちらがいいのかという検証をしたいと考えている。

そして、今日の結果はすぐに出た。仕掛けを下ろし始めてすぐにアタリがあった。30cm近い大物が釣れてしまった。確かにこの竿はアタリが鮮明にわかる。それも、鋭角的というかバチバチっという感じのアタリの伝わり方だ。
ひと呼吸遅れた感じだが竿先の曲がりが少ないからかうまく鉤に乗ってくれた。
オモリが底を擦る振動とも区別ができる。テンビンを使った釣りでは、これはアタリか底を擦っているだけなのかというのがよくわからなかったが専用の竿はそういうところも違うようだ。

そして次は誘いをかけるために竿をあおったと同時に掛かった。ワッペンサイズより少し大きいくらいだが煮付けにすれば食べられそうなので持って帰ることにした。と、いうか、魚釣りのだいたいにおいて、最初に釣れてしまうとあとが続かないということが多々ある。今日もそんな予感がしてしまったのである。だから、小さな獲物でも貴重だと直感的に思ってしまったということだ。
そしてその予感はその通りで、潮が止まってしまったかまったくアタリがなくなってしまった。
潮が下りに変わるのなら大波止前だろうと考えて移動をしてみる。



このポイントはアタリがあるものの、チャリコとベラしか掛からない。う~ん、この場所はあんまりよくはないのかなと思いなおして再びナカトシタへ。
潮が流れ始めたのか、再びアタリが出始めた。相変わらずアタリは鮮明だ。いい感じである。
すべてのアタリを鉤掛かりに持ち込めるわけではないがうまくタイミングを合わせればカワハギが上がってくる。
残念だったのは2回のバラしだ。1匹は鉤が外れ、もう1匹は鉤が曲がってしまった。鉤が曲がった魚はかなり大きかった。竿が硬い分、鉤が持たないのだろう。加太のカワハギは規格外の大きさだからもっと軸の太い鉤を選ぶ必要がありそうだ。

エサも残り少なくなったころ、魚探の反応はにぎやかになってきた。



これは高仕掛けだと竿を持ち替えるのだが、これもだいたいにおいてよくあることだが、さあ釣るぞと思った頃には反応がなくなるのである。その後、上手に行ったりテッパンポイントに行ってみたりしたがまったくアタリはなく午前11時半に終了。



エサの検証だが、後半は真ん中に生のむき身をつけて、上と下には冷凍アサリを付けて釣っていたが、どちらに優劣があるかというのはなかったように思う。むき身の集魚力で集めてどれかに喰ってくるという感じだろうか。たった1回の検証だが、これがコストと釣果のバランスがいちばんよいのではないかと感じた。今年はこのパターンで検証を続けていこうと思う。

明日は大雨だという予報が出ていたがそんなことが信じられないほどのいい天気であった。これから先、やっと寒くなっていくらしい。



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加太沖釣行

2023年11月08日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:長潮2:55満潮 8:57干潮
潮流:5:38転流 9:15下り2.1ノット最強
釣果:アカヤガラ1匹

今日は立冬だそうだ。「冬」という文字は日本では必要がないのではないかと思えるほど暖かい日が続いている。夕べも強い南風が吹いていた。台風並みとまではいかないが、風の音で目が覚めてしまうほどであった。
連休を取っていて、初日の昨日は母親を病院に連れて行かねばならなかったのであるが、昨日の風が気になり、当初は予約の時間までに県税事務所に免税証をもらいに行くだけであったところをその前に急遽港に向かった。



港の入り口に入ると、すぐに渡船屋の船が見えるのだが、今日はなんだか姿勢がおかしい。
これはひょっとしてヤバいんじゃないかと思い、自分の船を見る前に点検した。
舳先のロープが切れていて、ホースヘッドが護岸に乗り上げている。



とりあえず押してみたが、僕の船よりもふた回りは大きい船体はびくともしない。
ウ〇コ事件以来、ほとんど話をすることも無くなったが、そうは言っていられない。すぐに船頭に電話をして現状を伝えた。
彼もあわててやってきたがなすすべもない。こうなってしまっては潮が上がってきて船体が浮かび上がるのを待つしかない。手前の護岸の低いところにキールを乗り上げさせてしまっていたら間違いなく転覆していただろうから浮かんでいただけでもありがたいというところだろう。
大して風は吹かないだろうと、細いロープで係留していたのが失敗だったようだ。

そして今日、風は北風に変わりちょっと強いがなんとか出られるだろうと考えて港に向かった。港内は穏やかなものだが加太に向かうにつれて風が強くなる。
それでも四国ポイントでは釣りをするにはまったく支障はない。



そしてアタリもない。時間的には下り始めているはずの潮はいまだ上りのような感じである。
ここで長く粘っても仕方がないと思い、きしさんポイントへ。



魚探の反応はないものの、なんだかアタリがあった。今日の本命のマアジかと思ったが、全然引かない。そうとう小さいアジかと思ったら、アカヤガラの子供だ。といっても長さは60cm近くある。まあ、半分は唇と尾ビレから伸びているアンテナだが・・。
南紀でフカセ釣りをしていると、撒餌に誘われて浮かび上がってくる姿を見ることがあったが、加太の海で釣り上げたのは初めてだ。これもきっと水温が高いせいだろう。
食べられるくらいの身はありそうなので持って帰ることにして釣りを再開したがその後はアタリはなく、沈船ポイントへ移動。プロの船もあとからやってきたが、苦戦しているようですぐにどこかに行ってしまった。



僕もこれで最後と大和堆ポイントへ。



ここでは魚探に頻繁に反応がある。



アタリはあるものの、チャリコとササノハベラしか釣れない。

  

ふたつ目の仕掛けをロストしたところで今日は終了。

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紀ノ川河口~水軒沖釣行

2023年11月04日 | 2023釣り
場所:紀ノ川河口~水軒沖
条件:中潮4:03干潮
釣果:ボウズ

3連休2日目も天気がよい。よいというよりもよすぎる。
11月に入ったのでコウイカの調査にでも行こうかと思っていたのだが、こんなに温かくてはコウイカというイメージではない。
泣きのもう一回、タチウオを狙いに出かけた。
しかし、今日もまったくアタリ無し・・。今年のタチウオは完全に終わってしまった。

気を取り直してアオリイカのポイントへ。これもまったくアタリ無し。
港に戻って釣具屋へ。思いきってというかあっさりカワハギ用の竿を買ってしまった。



Fさん曰く、専用の竿とそうでないのではまったくアタリの出方が違うというのである。
この2回の釣行で、確かに何の前触れもなくエサだけがなくなっているということが数回あった。これらは多分、カワハギであったのであろうと思っている。カワハギは13860円を投資しても惜しくはない獲物だ。それと、カタログをめくってみると、カワハギ竿って5万円以上のものばかりが目に付いていて、ダイワでこの値段なら安い!と錯覚してしまったのである。おまけに三連休は10倍ポイントというのでカワハギを釣る前に釣られてしまったのである。
これで釣果が絶対上がるという保証はまったくないが、必要条件としての投資であると考えておこう。

あまりにもやる気がなかったので写真を撮ることさえ忘れてしまっていたので今日は早朝の写真だけである・・。



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