イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

この1年を振り返る。

2014年12月31日 | Weblog
今年もあとわずか、この1年を振り返る。

今年のハイライトはなんと言ってもこの3匹の真鯛だろう。50センチオーバーを3匹釣り上げた。

   

今までの記録をかるくオーバーしてしまった。
そしてタチウオ。洲本沖での釣果を安定的に得ることができた。最大は110センチ。手前味噌だがもう釣り方を会得してしまったようだ。

 


季節を追っていくと、年始からは真鯛でスタート。幸先がよかった。



唯一のグレ釣りはまったく振るわなかったし乗っ込みのチヌも去年に引き続き年なしは出なかった。これは来年にお預けだ。

  

それでも真鯛は順調に続けたことがうれしかった。
サバも釣れた。寒のサバはすこぶる美味しいのだ。



夏はチョクリも爆釣まではいかないが去年よりはましだった。キスも爆釣。100匹が目の前までせまってきた。

   

 

秋は上述のタチウオが珠玉だった。
冬になってからはどうも釣果が伸びない。悪天候のせいにでもしておこうか・・・。


夏と冬は天候が不順でスズキはゼロ、12月の加太沖への釣行も休みのたびに停滞となった。これも地球温暖化の影響なのだろうか。
スズキはぜひとも釣りたい獲物であった。そしてもっと新しい獲物にもチャレンジしてみたい。30年以上ぶりの夜釣りには挑戦できたがまだまだやってみたいことがある。ハゼ釣りもやってみたいしハエ釣りもまたやってみたい。なんだか小物ばかりだが、魚釣りの真髄は実はこんなところにあるのだと思っている。しかし、既存の獲物を求めながらさらに釣り物を増やすのはこれまた困難。悩みは尽きない。


今年の釣行回数は56回。海上釣り堀を入れると57回になる。去年より6回多かった。そしてボウズと記録したのは3回だけ。しかし1匹、2匹ということも多く、これはけっして誇れるものではない。
秋以降、真鯛はなんとかボウズを免れる程度。これはダメだ。ある程度までは技術が向上しているのだろうが、その後のブレイクスルーがない。こんなのをスランプというのだろうか・・・。
仕事も同じなのだろうが、考えて考えて考え抜く必要があるのだろう。

これだけ回数を稼げたのはやはり勤務先が変わったことだろう。出勤前にも釣りに行くことができるようになった。
今年のエクストリーム出勤回数は5回。もうすぐカッパの下にスーツを着て釣りに行くようになるのではないだろうか・・・。

前の上司からは相当嫌われていたらしく、6年前は出向、今回は異動。動くのはいつもこの人の下だった。向こうは体よく追い払ったつもりだろうがそれぞれでいい経験と勉強をさせてもらった。都落ちといえばそうなのだろうが、あまり未来があるとも思えないこの会社の中で偉そうな顔をしていてもむなしいだけだろう。それに僕にはnoblesse obligeという言葉はまったく似合わない。それよりも能天気に57回魚釣りに行くほうがよほど楽しいのだ。
そしていまの職場には“おいやん言葉”がいつも飛び交っている。ぼくは父親を含めてこの言葉をしゃべるおいやんたちにいつもあこがれていた。おいやんたちのやっていることは何でも楽しそうだった。なんでも自分でやって、できないことはべつのいやんが手伝ってなんでもできてしまう。おいやんたちは元祖ヤンキーだ。いまでも僕を助けてくれるのはそんなヤンキーおいやんたちとその末裔たちだ。グローバルビジネスマンなんてくそくらえだ。
らいねんもそんな人たちに助けられて楽しい魚釣りができればそれ以上のうれしいことはない。

さて、来年はどんな1年になるだろう。

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水軒沖、加太沖釣行

2014年12月30日 | 釣り
場所:水軒沖、加太沖
条件:小潮6:28干潮
潮流:10:31転流 13:40上り1.9ノット最強
釣果:コウイカ 5匹

さあ、今日は釣り納めだ。お正月のイカがないので絶対にイカは釣らなければならない。水軒沖でイカを5匹釣れていて時合に間に合えば加太に向かおうと考えていた。
午前6時半に出港。



一文字を越えると予想以上に波が荒い。船が大きく傾く。これでは加太までいけそうにない。イカを選んでよかった。



前々回にアタリがあった旧の一文字と新波止の交差点からスタート。開始から15分ほどで最初のアタリ。いいサイズのコウイカだ。水槽に入れるのをミスしてしまいデッキの上が真っ黒になってしまった。年末で船をきれいにしておかなければならないのに・・・。



今日はここから離れず流されては戻りを繰り返しながら8時半くらいまでに5匹をそろえてしまった。
この頃には波がしずまってきたので加太へ向かおうと決断した。
しかし、この判断は間違いだった。あわよくば正月は真鯛の刺身だと考えていたが、さすが小潮だ。まったく潮が動かない。風もなくなり僕のモチベーションも完全になくなってしまった。
1時間半ほどあっちこっちを流して午前11時に終了。
天気はすこぶるよく、そういう意味では年末にふさわしい釣行であったが、やっぱり魚が釣れないことにはしまりがないのだ。



僕が釣っているあいだ、すぐ横で小さな船団ができていた。これが噂のハス釣り集団なのだろうか?これだけピンポイントで攻める技術がないとこの海では偉そうにできないのだろう。



そして、港に帰ってからの情報では、今日はタチウオがよかったそうだそれもソラセの沖だったらしい。う~ん、あんなところでタチウオが釣れるのだろうか。たしかに大きな船団ができていたのは確かだが・・・。
そういう意味では今日はまったくの作戦ミスだった。


家に帰って一服し、港に戻って給油と迎春準備。
バッテリーを交換したとき、魚探を直結していると常に微弱な電流が流れているのでよくないですよ。と教えてくれたのでメインスイッチ経由に配線を変更。機械にも電気にも疎い僕には困った作業だ。



年末に水漏れを起こしたところを少しだけ掃除し、翠勝丸と第三翠勝丸に注連縄と鏡餅をお供え。

 

これで今年のすべての魚釣りが終わった。
来年はどんな1年になるのだろうか。事故と故障が起こらなくて無事に過ごすことができればまずはよしということにしておこうか。

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加太沖釣行

2014年12月27日 | 釣り
場所:加太沖
条件:中潮3:39干潮 10:20満潮
潮流:7:15転流 11:10上り2.7ノット最強
釣果:ハマチ2匹 サバ1匹

今日はいい潮だ。午前6時過ぎに港に到着してエンジン始動前のオイル点検をしようとキャビンの電灯を点けようとしたら、ん?点かないぞ?もしやと思いメインスイッチを入れてみたがセルはうんともすんとも言わない。
一瞬原因がわからなかった。バッテリー上がりでもかすかに電灯が点くのだろうが真っ暗だ。この前のオイルクーラーの修理のときに何かなったのだろうか。でも修理後にエンジンは試運転されているはずだ。
今日は会社の人を招いているのにえらいことだ。とりあえず電話を入れて事情を話したが、とりあえず港までは行きますとのこと。来てもらっても・・・。
ヘッドライトを借りてエンジン場を眺めてみるが特に異常は感じられない。仕方がありません、申し訳ないですけど解散してください。と言っていると渡船屋さんが帰ってきた。原因だけでも確かめておこうと電流計を持っていないか聞いてみたところ、そこからコトが回り始めた。
一度ケーブルをつないでやろうとでっかい渡船を横にもってきてくれた。つないではみたがセルはカラカラ鳴るだけ。しかしこれでバッテリーが上がってしまっているとわかった。次に渡船屋さんがしてくれたことは電機屋さんへの電話。しかし午前7時ですよ。来てくれるのかいな?と思っていると、8時過ぎには来ることができるとのこと。本当にその時間にやってきてくれた。おまけに取り付けまでやってくれて午前8時40分ころ出港。

多分、僕一人なら今日はあきらめていただろう。家にイカの道具を取りに帰って小船で出直していただろう。事実、そうしようと思っていた。
同行の方々と渡船屋のおじさんの執念に感謝だ。う~ん、僕に足らないのはやはりこの執念だ。だから仕事も・・・。


当然ながら田倉崎を前にしてすでに太陽は南の空高く上ってしまっていた。



想像していたよりも波は高く、前進が困難なほどだ。なんとかテッパンポイント近くまで到達し仕掛けを下ろす。
すぐに舳先の一人がタイラバでヒット。大きな真鯛だ。
すぐあとに僕にもヒット。こっちも大きい。ハマチが2匹だ。立て続けに残り二人もヒット。
時合はこの頃だったのだろうか、その後はアタリが遠ざかり、なんとかサバを1匹。前の3名はアタリもないようだ。

前を行くおだんごクラブの管理人、土さんも苦戦中らしい。



せっかく来てくれたのに出港が遅かったので釣れても釣れなくても午後2時くらいまでは粘らないと申し訳ないと思っていたら、前のほうはアタリがないのでもう飽きが来ているようだ。
そこですかさず終了を宣言、午後0時半終了。

今日は合計4名の乗船だが、船足がグッと遅くなった。こんなに遅くなるとは・・・。トルクが少ないようだ。
これからは3名までとしておこう。



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水軒沖釣行

2014年12月24日 | 釣り
場所:水軒沖
条件:大潮8:09満潮
釣果:コウイカ 1匹

今日はクリスマスイヴ。就職してからこの方、絶対に会社にいた。この業界では当然のことだった。
しかし、店舗が変わって出勤前に釣りにいける。勤怠の調整ができずに今日に休みが入っている。今年の休みはのこりわずかで正月のイカのストックがほしい。第三翠勝丸も1ヶ月動かしていない。
この条件が揃ったら休日出勤しなければならないといえども行かなければならない。

午前6時半出港。まもなく日の出だ。




なるべく実釣時間を確保したいので距離的に近い旧波止と新波止の間からスタート。しかしアタリがない。
今日は時間がない。ラン&ガンで場所を移動。新々波止の沖へ。しかしここもアタリがない。すぐに元の場所へ移動。やっとアタリ。
その後もアタリがないので旧波止と地の一文字の切れ目まで移動。ここでもアタリがなくタイムリミットの午前8時半になってしまったので今日は終了。

まあ、3匹釣れればいいほうだと思っての出撃だったが1匹とは情けない。お正月のためにはせめて3匹なければ・・。

今日の潮では釣っていた時間帯がほぼ潮止まりだ。これが悪かったのかもしれない。今までも早朝に釣れなくても後半で連発ということもあったことを考えるともっと時間に余裕が欲しかった。
帰港時間が決まっているので焦りが出てしまった(すなわち腕がない。)というのが真実なのだが、今日はクリスマス、潮のせいということで・・・。
天使の梯子もクリスマスらしく赤っぽかったことだし。




出勤してから仕事場を抜け出し先日の船の修理代の支払いと更新された免許証の受け取りに再び海へ。



これも今の異動先のおかげだ。僕をここへ飛ばしてくれた元上司に感謝だ。
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名草戸畔を訪ねる その2

2014年12月13日 | Weblog
今日は強風で海に出ることができない。
以前に訪ねた名草戸畔ゆかりの神社の最後のひとつを訪れてみた。
北西の風が吹き、みぞれ混じりの天気では自転車は相当きついので今日は原チャリを駆っての訪問とした。


最後の1社は千種神社だ。ここには神武天皇に敗れ体を三つに分けられた名草戸部の足の部分が祀られているという。

 

大きな敷地とはいえ、杉尾神社と同じく少しうら寂しい社だった。人がだれもいない。多分にぎわうのは初詣の時くらいなのだろう。由緒ある神社のはずだが、残念だ。
これで名草戸畔をゆかりの神社の訪問は終わりだ。世の流れか、それとも地方の人口減少とグローバル化の陰に隠れた地方の衰退の影響か、宇賀部神社以外の二つの神社は残念だけれども訪れる人も少なくなっているようだ。

次の訪問先は濱宮神社だ。こっちは戦勝側の神社だ。
浜の宮ビーチの名前の由来になっているのだろう。
ここは天照大神が伊勢に鎮座する前に最適な場所を求めて全国を巡ったときに仮に鎮座したという場所だそうだ。神話の時代からの由緒なのだ。



ここは社務所に人が常駐しているようで境内もきれいに手入れされていた。流石に勝った方は偉いのだ。ろうか?
そんなせいか、明日が選挙の候補者がお参りにきていた。最後は神頼みのようだ。さて、小選挙区では勝てるか?



神様の思し召しか、探していた船の燃料キャップのパッキンを道中のホームセンターで見つけることができた。55ミリという大きなサイズのパッキンというのは需要がないのかまったく見かけなくなってしまっていたのだ。




その足で港へ。
先日の水漏れを修理してくれているというので覗いてみた。
想像以上に分解されてしまっていた。



夕方電話をもらい、オイルクーラーが目詰まりを起こして水圧が上がっていたそうだ。
これで次の休みは出撃できそうだ。
神のご加護で天気と豊漁に恵まれますように・・・。




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「kotoba 第17号」読了

2014年12月09日 | 読書
集英社 「kotoba 第17号」読了

今日は師が亡くなってからちょうど25年の日だ。師の没後25年記念特集号というのが発売されていた。
作家、ジャーナリスト、学者、さまざまな人が師の著作を分析、解説している。
大まかにはデビュー当時の遠心力で書かれた時代、ベトナム戦争を体験して後の求心力の時代、その後の釣りと食をめぐるノンフィクションの時代。
この振れ幅をいかに理解するかがテーマになっている。

書かれている内容を今までの自分が読んできた本を含めて僕なりに理解すると、
遠心力の時代:
サルトルの「嘔吐」によってすでに自身の内面によって書かれた書物は完結している。師は異なった力で自分のキャリアをスタートさせた。
求心力の時代:
しかし、ベトナム戦争を体験したのち、「死」を意識したとき求心力に向かわざる負えなくなり、
ノンフィクションの時代:
その反動として釣りと食に生きることを見出した。
ということになる。

「死」を意識すること。これは遠い昔から人々は能動的に受け入れてきたはずだ。“メメント・モリ”という言葉がそれを証明している。
人間は“生きる”ということと“死”というものをやじろべえの両端にぶら下げてバランスをとりながら生きながらえてきたのだろう。
生きることに執着すれば利己的になり、死ぬことに執着すると気力がなくなる・・・。
両方のバランスのなかに生きるのが最良であるのかもしれない。
そういえば、今の日本は極端に“死”から遠ざけられた社会になってしまっている。なにやら理解し難い事件がやたらと起こるのもこのバランスが崩れてしまっているのかもしれない。
普通の人々は“死”を理解することに宗教を利用するのであろうが、師はそれを現実の世界=戦争に求めたのかもしれない。それは感受性豊かな青年が太平洋戦争を自身で体験してしまったことによるのか。
プレボーイでの「オーパ」の連載、それに続く読者の投稿欄への執筆の終盤、もう一度純文学へ方向を切ろうとしていたそうだ。もう一度求心力に戻ろうとしていた師はもしその後も存命していたならどんな物語を綴ったのだろうか。
それとも師でさえもそのバランスを見出すことがでなきなかったのであろうか。

師は釣り人について、「釣り人は心に傷を負っている。その傷を癒すために釣り場に向かう。しかし本人はその傷がどんなものかを知らない。」と語っているが、師でさえもその答えが見つけられなかったのかもしれない。答えを見つけたときはきっとペンを置いていたであろうからそれはそれで困るのだ。

僕達は師からその考えるためのフレームワークを受け取った。師が亡くなった年齢まであと8年。ぼくはそのフレームワークを駆使して答えを見つけることができるのだろうか。
僕も釣り師の端くれ、自分の傷がどんなものかを知らない。そりゃ~無理だわな・・・。


師の回顧展は京都や難波で節目節目で実施されてきた。
しかし、一番ゆかりがあるはずのわが社ではおこなわれていない。
師の誕生したところはグループ本社のすぐそばだ。師のエッセイには父親に連れられて百貨店で買い物をして食事をしたというエピソードが出てくる。青春期を過ごしたのはその沿線。北田辺の駅前には文学碑も建立されている。
著作のために編集者に缶詰にされたのは東京の白金台にあるグループのホテルの和室だった。



牧羊子に結婚を迫られたのは本店のすぐ南側にある中華料理店の2階の座敷であった。(いまでもこの中華料理店はそこにある。)それほどのゆかりがあるのに当社は回顧展をやろうとしない。
10年前、催事の担当者に回顧展はどうだ?と提案したが相手にもしてくれなかった。(多分、彼はそんな作家の存在自体を知らなかったのかもしれない。)
そんなことだから当社の業績は伸びないんだと悔しがるのはぼくのエゴだとわかってはいるのだがやっぱり悔しい。

今、NHKの朝の連ドラは「マッサン」だが、鴨居商店のモデルはサントリーの壽屋。そこで宣伝のコピーを書いていたのが師である。(日本で最初のコピーライターであったのではないかと言われている。)鳥井信治郎のすばらしいマーケティングを宣伝で支えたのだ。
わが社の社員の方々もこういう先人の業績を心に留めて、マーケティングの重要性を真剣に考えていただきたいものだ。
自分のことは棚に上げておきながら・・。

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加太沖釣行

2014年12月08日 | 釣り
場所:加太沖
条件:大潮7:37満潮
潮流:8:10上り最強3.3ノット 11:59転流
釣果:カスゴ 2匹 ウマヅラハゲ 1匹

長い長い荒れた天気がようやく治まってきた。実は今日は会社でファッショントレンドの説明会というのがあったので休日出勤をしようと考えていたのだが、ずっと行けていないうえのこの天気では仮病を使うしかない。
あくまでも休日出勤だ。休んでどこが悪いのだ!!休みを取るのは労働者の当然の権利だ!!


20日以上出港していないうちに夜明けがさらに遅くなった。午前6時になっても明るくならない。
低温が続いて心配だったバッテリーだが始動は一発。これで完全に復活したと考えていいだろう。
気持ちよく出港したが、紀ノ川を越えて、ふと、海水の循環系を見てみると、漏れている・・・。やっぱりずっと漏れていたんだ。それも今日はそこそこ溜まっている。
大事を取って帰るべきか、前進すべきか、しばし逡巡。どこから漏れているのかさえもはっきり見えない。破裂まではしないだろうとタカをくくって前進に決定。最悪の事態になっても今日の天気では遭難ということもないだろう。


潮は上りなので今日はテッパンポイントからだ。西には満月、東には朝日。今日のこの時間は月と太陽を両方見ることができる。

 

空の景色はきれいだが海上は混戦模様。目的地は帝国軍で占拠されてしまっている。しかも同盟軍がまったくいない。



明日は師の命日であるが、1965年2月14日、ベトコンに包囲された師の心境もこんな感じであったろうか・・・。比べるべくもなし。




今日はまともに釣りになるのは午前9時過ぎまでだろう。
仕掛けを下ろすと10分ほどで最初のアタリ。しかし、今日は帝国軍の包囲網とエンジンがどうなっているのかで気持ちが集中できない。
魚が乗らない。1回目のロックオン。ここで継続していればもっとアタリが取れるだろうがここは一時退却。
しかし、この海域を離れるわけにはいかない。少し移動して射程圏外で再開。単騎の帝国軍も傭兵を擁する帝国軍も魚を上げている。悔しい。
その後やっと1匹釣り上げたが、それを見ていた帝国軍に再びロックオンされてしまった。

この時点で午前9時。大潮の日は一気に潮が止まるので念のために持ってきた青イソメに交換。
午前9時半、少し大きめの魚が掛かったが残念ながらバラしてしまった。今日の最後のアタリだった。

沖に出ると少しは潮が動いてるかもしれないと思い移動したがここも潮の流れはあまりない。おまけに風もなくなりポカポカしてきた。
多分2分間くらいは意識がなかっただろう。
もう仕掛けを誘う気力もなくボ~っとしていたらウマヅラハゲが喰っていた。
これでは釣れる気がしないので午前11時に終了。

帰り道も穏やかそのもの。ここ1週間ほどのあの荒れた天気が想像できないほど心地がいい。





港に戻ってエンジンの下に頭を突っ込んで調べてみたら、原因はやっぱり塩が滲みだしていたパイプからだ。



タカシさんに電話をして修理を依頼。
また出費だ・・・。




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ヴィンテージ 32番

2014年12月04日 | Weblog
今使っている鯛釣り用のビニールが底をついてきた。追加で購入しようとしたところその色は品切れだと言われた。じゃあ追加はいつ入るのと聞くと、「もう入らない。」という。このビニールはメーカーに特注で染めてもらうそうなのだがその都度微妙に色が変わるらしい。そのたびに品番(というかただの番号)を変えるらしい。
まるで毎年出来がちがうワインのようだ。まさしくヴィンテージだ。
巷では11年のピンクの8番はよく釣れるとか、8年のパープルはダメだった。などとささやかれているのかもしれない。

とりあえず買わなければならない。今の色に近いものが欲しいので家に残っているものを持ってあらためて出直してきた。
右は今までのもの、左が今回購入したもの。



画像でも実物を見てもよくわからないが、店主曰く、微妙に違うそうだ。おまけに1番違いで少しだけ色が違うものまであった。
この店だけでもゆうに20色はある。多分それなりにすべて需要があるのだろう。
ここで釣り師はものすごく迷う。いままで使っていたものが一番。それがないと釣れないと思ってしまう。そこに違う色を選べといわれるとものすごく不安になる。選んだもので果たして魚が釣れるのか・・・。しかし選ばねばならない。店主に聞いても、「自分の幸運は自分で掴み取れ。」という、子供を谷底に突き落とす獅子の親心か単に面倒くさいのか、「さあ?」というぶっきらぼうな答え。もともと愛想が悪く、気の短い僕の父親もここで喧嘩をしたことがある。

ハイド博士の作った薬よろしく6番しか釣れないのか、新たな32番は威力を発揮するのか、腕がない釣り師は振り○めサギか怪しき新○宗教に簡単にひっかかってしまう人々と同じ人種かもしれないのだ。
しかし、魚って人間が見分けることが難しいほどの色を識別してこれはニセモノ、これはエサらしいと判断をしているのだろうか?

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