イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「眼ある花々」読了

2013年08月23日 | Weblog
開高健 「眼ある花々」読了

この本はかつて読んだことがあったのかどうかを思い出せないのだが、単行本を見つけたので読んでみた。
装丁やサイズが凝っている。
A5の変形サイズというのだろうか、ほぼ正方形の形に、装丁は山口はるみというイラストレーターだ。パルコなんかの宣伝のイラストを描いていたそうだから、かなりのアバンギャルドな人だったのだろう。
元サントリーの宣伝部に所属していた師ならではのこだわりだったのかもしれない。

花をテーマにしたこの本にはなにやらこの妖艶な装丁がふさわしい。文庫本や電子ブックでは味わえない。

沢田研二の歌に、♪片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を♪というのがあったが、まさしく師の心のひとつだったのかもしれない。
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「空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」 」読了

2013年08月19日 | Weblog
空海/〔著〕 加藤精一/編 「空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」 」読了

即身成仏とは、真言密教の根本である大日如来はこの宇宙、この世界にあまねく隅々まで存在し、宇宙、世界を構成している物質そのものも大日如来自身なのである。よって自分自身の体も大日如来の一部=仏様なのだ。それを感じ取ったときに人はすぐに仏になれる。これが即身成仏だ。人々(衆生)がそれを理解できなのは修行ができていないからで、それを感じ取ることができるようになるために人々は修行をしなければならないということだそうである。

この本に納められている理論は、信仰の考え方ではなく、大日如来は空想の世界のものではなく、実在する生命体なのであるということをさまざまな論理を使って証明しようとしている。
そこでは、声や文字の存在から大日如来の存在を証明しようとしている。
実在はしているが、どうも実体はないような説明の仕方だ。
空海が生きた時代というのは、戦や飢饉が頻発し、人々は死人から衣服を奪い取るようなそんな時代であった。
物があるから欲望が生まれ、持つものと持たないものが身分の上下を作り、支配するものとされるものができる。そこからまた欲望が生まれる。また、生身の体だから情欲も生まれてくる。完全無欠の存在はじつは実体がないのがふさわしいのだろう。

私たち自身が大日如来と同じ存在なのだから欲望があってもいい、煩悩があってもいい。しかし、それを容認するためには私たちは大日如来と一心同体だということを悟っていなければならないのではあるのだが・・・。多分それを悟ったときには自動的に欲望や煩悩がなくなっているのではると思うが。

空海は物を持っていても、悟りがあれば仏様と同じ心を持てる。道元は物を持っているから人間は欲望と煩悩にまみれるのだからはじめから持たないことで悟りを得るのだという、似ていないようでもよく似ているような教えのような気がした。

アウシュビッツというところは、人間というのはここまで残酷になれるのだという見本のような場所だとあるコラムに書いていた。
空海も道元も人間というのはそういうものだからなんとかしてひとりでも多くの人にその悟りの心をもってほしいと考えたのだろう。
どちらも大きな伽藍を建て、空海は政治の世界でも活躍をしたようだが、それはそれぞれの教えを広めるためであって本位ではなかったようで、晩年は高野山に篭り、都からの招聘には一切答えなかったそうだ。道元も都を離れ、福井県の山奥に隠棲した。
彼らにしてみれば、人々はやっぱり偶像的なもの=物体を目の当たりにしなければ納得をしないということに、ある意味、限界ややるせなさも感じていたのかもしれない。

空海は修行の場に山の中や海岸などの自然の中を選んだ。精巧にできた生物の姿を見ると、大きな力が世界を作ったと感じるのだろうか。何の光もない中で星空を見てみるとあまりにも広い世界には何もないのだと感じるのだろうか。
それはきっと世界の東の果てのこの国でしか生まれなかった思想ではなかったのかと思う。

やっぱり人はこういうふうに生きなければならないのだろうなと考えさせられる1冊であった。


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双子島沖釣行

2013年08月16日 | Weblog
場所:双子島沖
条件:長潮7:45干潮
釣果:スズキ70センチ以下2匹

お盆も終わってしまったので今日が仮説の最後の日だ。
ダメはダメなりに仮説が正しいかったかたそうでなかったかは見極める必要があるのだ。

しかし、もう何回もボウズというのは、これはこれで悲しいので保険のつもりで前日は会社を早く抜け出してカゴを仕掛けておいた。



船を買い換えてからは一度も仕掛けたことがないのでもう、何年ぶりだろうか。
タコが入るか、カニが入るか、アナゴが入るか・・・。これはこれでカゴを引き上げるときが楽しいのだ。

前回はほの暗いときにしかアタリがなかったので今日はものすごく早く出港だ。
空は完全に真っ暗で、ほとんどこれでは夜釣りではないかという状況だ。
一文字を出るときに流れ星が光った。今日はいいことがあるのだろうか・・・

いつものポイントへ投錨。まったく夜が明けてくる気配がない。
ルアーのセットはヘッドランプを使ってだ。
ペンシルベイトを投げて見るが反応はなし。今日は長潮なのでますます条件が悪くなっているのだろうか。

もうちょっと派手に動くほうがいいのかもしれないと考えて、ポッパーに変更。
1投目の着水のときに魚が出たようだ。まったく見えないが着水したあたりで大きな音がした。
同じ場所へすぐにキャスト。ポコポコさせているとまた魚が出たようだ。すぐにロッドに重みが伝わってきた。
ああ、釣れた。ヘッドランプを点灯して取り込みを開始。
50センチほどのフッコだ。とりあえず仮説は成立した。

その後は明るくなってもアタリはなく、リップレスミノーや古いCDラパラなんかをとっ替えひっ替えしてみたがやっぱりダメだった。
ところどころで魚が跳ねはじめたので再びペンシルベイトに交換。しかし、この魚はボラのようだ。
でもその中に飛び上がらない魚がいるようなのでそんなところを重点的に攻めていると本当に出てきた。
今度は70センチだ。これはスズキと呼んでも十分だろう。

少しだけ位置を変えて再びキャストを繰りかえしたがアタリもないので午前6時過ぎに終了。
今日は凱旋だ。

帰り道に仕掛けてあったカゴを引き上げてみると、
3個のカゴにはトビツキ2匹、ゴマアナゴ1匹。
こっちはやっぱり長潮の影響が出ていたようだ。

とりあえず、仮説は正しいと証明された。
そしてこれで夏を終わることができるのだ。

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双子島沖釣行

2013年08月13日 | Weblog
場所:双子島沖
条件:小潮4:03干潮
釣果:ボウズ

僕は決してストイックなルアーマンではないのだが、この、スズキだけなはんとしても釣りたい。
今日も午前4時過ぎに港を出発。
ペルセウス座の流星群が極大になる日なので出港の準備をしながら夜明け前の空を眺めていたが見つけることはできなかった。今日もやっぱり僕には運がないのかとかなり不安な気持ちをかかえての出発になった。

いつものポイントに投錨。すぐにトップウオーターをキャスト。
一発目でスズキが水面を割ってきた。しかしフッキングならず。その後も何度か水面を割ってきたがすべてハリには乗らなかった。
水面に魚が出てきたのはわずかに10分足らずだった。
リップレスミノーに変えてみるとカマスが1匹。そのあとに小さなダツが1匹。



こんなのが釣れるということはそれほど潮が悪いわけではないのだろうが、やっぱりボイルがないのがダメなんだろう。水面を見ていると小アジの群れが少しはいるようだが・・・。
魚が追ってきても完全に口にはくわえてくれないのかもしれない。

もう、こうなったら、海の神様が根負けするか、僕が音をあげるかどちらが早いか勝負だ。
次の休みも行ってやるぞ。
お盆が終わる前にスズキのフライを喰らうのだ。

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双子島沖釣行

2013年08月09日 | Weblog
場所:双子島沖
条件:中潮7:19満潮
釣果:ボウズ

8月はお盆まで双子島でスズキが釣れるという僕の仮説を証明するため小船に乗って双子島へ釣行した。

朝は思いっきり早く出てまだ暗いうちに現地へ到着してルアーをキャストし始めた。
3投目くらいだろうか、目の前でトップウオーターに追ってきたスズキがヒラをかえした。やっぱりいるぞ!今日の夜はスズキのフライだ!と勢い込んでキャストをくりかえす。
しばらくあとに再びトップにアタックしてきたがフッキングならず。どんどん緊張感が増してくる。ルアーの釣りはこれが面白い。
そのあとすぐに再び水面を割った。わずかに魚の重みを感じたがやはりフッキングならず。

リップレスミノーに切り替えて水面下をトレースするとカマスが1匹。
このあとは残念ながらアタリはなく、すぐに帰るのももったいないのでタコを狙ってテンヤを下ろしてみたがやっぱりこれもダメ。

魚がいることは証明できたが獲物がないのでなんともいえない。
次の休みも狙ってみようか、どうしようか。
悩んでしまうところだ・・・。
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「正法眼蔵の世界」読了

2013年08月06日 | Weblog
石井恭二 「正法眼蔵の世界」読了

「正法眼蔵」は曹洞宗の開祖であり永平寺を作った道元の著作だ。本物は当然読むことができないであろうと思うのでその解説書ならと思って買ってみたが、やっぱり何を書いているのかがまったくわからない。
読めない漢字が山ほど出ててきて辞書を引きながら読んでいたが、それでもやっぱりわからない。
こういう本は机にきとんと座って、教科書として読むべきものなのだろう。まあ、それでもやっぱり理解はできないのだと思うが・・・。
しかし、坊さんというのはこんな難解なものを読んでいるのだと思うと尊敬に値する人々なのだとあらためて思った。坊主丸儲けなんて今後一切言わないでおこう。

そんななかでも僕なりにわずかながら解釈してみたところでは、
時間というのはその瞬間瞬間がスライスされたような状態で積み重なっているだけで、前後の関係があるようで実は独立をしているのです。だから過去をくよくよしたり未来を悲観してはいけません。もちろん、前後は因果でつながっていないので自分を変えることもたやすいことになるのです。そして、欲望や煩悩を持つのが人間本来の姿であるのだから、それをありのまま受け入れて生きなさい。そしてそんな悩みの尽きない人々を見守っていくために僧たちは人知れず山にこもって修行をしているのです。
人の一生は死で終わるのではないのです。入ってきて出て行く・・・。もうひとつ大きな世界がある。生は一時の在りようであるだけなのです。だからそれにこだわる必要はないのです。しかし、常に意識していなければ悟りは得られません。(メメント・モリということだろうか。)

と、こんな感じだろうか・・・。それとも全然違った解釈をしてしまっているのだろうか。
それさえもわからない1冊であった。

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水軒沖釣行

2013年08月06日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:大潮5.32満潮
釣果:マルソウダ3匹 マルアジ4匹

前回の休みは早朝の雨で釣行ができず、その前はまったくお茶を濁したような釣りだったので今日は真剣に行ってみようじゃないか。と前日は棚卸しが長引きおまけにJRがやっぱり遅れてくれたので帰宅が午前0時になったのにもかかわらず午前3時に起床したらちょうどその時間にすごい雨が降ってきた。
普通なら、ああ今日は釣りに行かなくても済むのだと安心してもう一度寝てしまうところだが、何を釣るあてもないわりには真剣に行ってみようと思っていたので目覚ましを午前5時にセットしなおしてもう一度布団に入った。
雨はすぐに上がったようで午前5時半には普通の夏の朝に戻っていた。この時間からではスズキはダメなので前回まだま釣れるのではないかと淡い確信をいだいたチョクリで攻めてみた。オイルを塗って竿をかたずけてしまっていたが再登場である。

あんなテトラの際で釣れるのならそれほど沖に出なくても大丈夫だろう。この1週間あまりで船底とスクリューのフジツボはかなり成長したようで、船の速度は通常の30%減というところまで落ちてしまっているので水深30メートルくらいまでが関の山だ。今日はちょうどその辺りに大量のバッチ網の漁船が出ている。
ひょっとしたらそれをエサにしているアジが回遊しているかもしれない。



一応、仮説はぴったり当たり、すぐにアタリがあった。
仮説は正しかったものの、型は小さいし数も1匹ずつしか当たってこない。
暑いのを我慢すればまだまだ釣れる感じだがこれだけ散発的は面白みがない。
とりあえずカツオで嵩を稼いだので午前8時に終了。

次回は僕のもうひとつの仮説、8月1日からお盆までは双子島でスズキが釣れる。というのを確かめるため、ルアーを携えて出撃だ。
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