イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方」読了

2021年12月19日 | 2021読書
暦本純一 「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方」読了

もう、何かを考え、新しいことをやるという仕事をするようなことはないのでこういったアイデアづくりの本を読んでも何の参考にもならないのはわかっていて、もちろん、こういうハウツー本を読んだからと言ってみるみるうちにアイデアが湧き出てくるとも思っていない。そんなに簡単なら、世の中はエジソンだらけになってしまうことになるし、大谷翔平選手が使っていた目標達成シート(マンダラチャートというらしい)を書いたら世の中の全員が大リーグでMVPをもらえてしまうことになる。

だから、最後の1冊だと思って読んでみたというわけだ。もともと、以前に読んだ本の中で、「アイデアの作り方」という本が紹介されていて、その本を検索していたらこの本が見つかったのである。著者は、今はだれでも恩恵にあずかっているスマホの画面を親指と人差し指で拡大したり縮小したりできるシステムを創りだしたひとだそうだ。だからこの本のハウツーも、もともと天才だったひとが活用するから有効に働くのであって、僕のような無能な人間がこのハウツーに挑んでみたところで何も生み出せないということを前提に読み進めようと思う。
無能というと、最近こんな箴言を聞いた。『平和というのは、無能が最大の悪徳とされないような幸福な時代を指して言うのだ』う~ん、この言葉を言った人もきっと天才だったに違いない・・。

この本の中で、著者が一番大切だと考えていることは、「妄想」することだと伝えている。すべては妄想から始まる。
我々は、現在の延長で物を考えがちである。しかし、妄想は、今あるものを飛び越えて生まれるものである。だからこそ新しいのだという。しかし、アイデアは自分の中から勝手に生まれてくるもので、それが「妄想」なのである。
そして、その妄想を育むための源泉は自分の「やりたいこと」である。「実現可能かどうか」という判断を優先させていたら、「妄想から始める」どころか、妄想を抱いた瞬間に終わってしまう。だからまずは妄想をし続けなければならないのである。そしてそこには遊び心が必要だ。著者はそれを、「非真面目」という言葉を使って説明している。真面目なイノベーションが、「やるべこことをやる」ものだとしたら、「やりたいことをやる」のが非真面目なイノベーションであるというのだ。
まあ、今時、企業でも、大学でも、そんな余裕のあるところはほとんどないのが現実であるだろうが・・。

次にそれを妄想を言語化してみる。それを「クレーム」という。そして、一言で言語化できるクレームはベストであるという。こういうところはマーケティングの考えと似ている。
マーケティングでも、企画の意図をキャッチフレーズとして書き出すのだが、これも短いほどよい。この本に載っているクレームでは「七人の侍」の例を揚げているが、黒澤明がこの映画のために作ったクレームは、「農民が侍を雇って山賊を撃退する」というものであったそうだ。なるほど簡潔でわかりすい。
逆に、くだらないクレームとは、「高機能な」「次世代の」「効率的な」「効果的な」「新しい」などの一見耳障りのよい言葉である。結局的を射ていないものになってしまうという。僕も営業計画で散々使ってきた言葉だ。だから役に立たないと思われてしまったのだと今になって気が付いた。
また、新しいアイデアは、何もないところから突如として出現するわけではない。そのほとんどは、「既知」のことがらの組み合わせである。既知と既知の掛け算なのである。だから、いろいろなことを知っておくということが大切である。他人が考えない自分らしいアイデアの源泉にするなら、好きなものが三つぐらいあるといいらしい。「多情多恨たれ。」という師の言葉に似ている。
その考えがどれだけ価値のある物かというのを計る尺度は天使度(発想の大胆さ)と悪魔度(技術の高さ)である。発想が大胆で、かつ高度な技術を要するものは他人が真似できないものとなる。もちろん、発想に技術が追いつけなければただの絵に描いた餅になってしまうが。
そしてそれを試行錯誤しながら実現可能かどうかを試してゆく。これを著者は、『素人のように発想し、玄人として実行する。』と書いている。これは、師がよく書いていた、「心は素人、腕はプロ」という言葉に似ている。

思考錯誤の途中で諦めてはいけない。自分でなくてもできそうなアイデアはオリジナリティが低い可能性がある。なかなか成功しないものほど独創的であるということだ。そんな紆余曲折経て成功する人たちは、どんなに失敗を重ねてもけっこうそれを楽しんでいたのではないだろうか。というのが著者自身の経験から言えることだそうだ。

アイデアに失敗する例としては、自分のアイデアはかわいく見えるという「認知バイアス」やサンクコスト(埋没費用)効果というものが紹介されている。どちらもそれに固執し、そこから抜け出せなくなるというものだが、確かに、一度始めたものを止めてしまうのには勇気がいる。川に釣りに入って道に迷ってもなぜだか後戻りはしにくいし、360円のイワシの投資がもったいなくて結局燃料を焚きまくるというこの前の洲本釣行というのがいい例だ。
逆に、こういったことは新たな発想を生む種になるということも書かれている。ひとつはピボット(方向転換)という考え方だ。これはあるアイデアを違った方向から見直して新たな発想をするというものだが、今、この瞬間にも使っている光学マウスだが、これは、コピー機の連続印刷の紙送りの原理を応用しているらしい。あれは、なんとカメラでコピー用紙を撮影しながら1000分の1秒単位で紙の位置を検出して次の紙を送り出しているそうだ。コピー機のカメラは固定されているが、それを移動式にして動いた距離と角度を解析しているのが光学マウスだそうだ。そういえば、リールのストッパーもプリンターのローラーの原理を応用していると聞いたことがある。そのおかげで、昔みたいに、ロックがかかっているときにカックンとならなくなったのである。確かに、新しいことを考えるひとは見ているところが違うのだ。
ひとつは、今は役にたたないものでも、寝かせておけばいつか役に立つという。科学者や企業は論文を投稿したり、特許をとることで自分が初めて考えついたのだということを世間に周知させておくのだそうだ。
これらの考えも師の言葉や、マーケティングの理論に所々似ているということは、「既知」のものを組み合わせた考えなのだということがよくわかる。著者のいうとおり、既知の考えの組み合わせで新しい発想が生まれるのである。

まあ、くだらないことでも、今までとりあえずはいろいろなことを考えてきた。一番いやだったのは無反応であるということだった。会議で何を言ってもとにかく無反応。褒めてくれることはないにしても、無反応なのである。意見や非難をもらうところというのは揚げ足を取るようなところばかりというのがこの会社であった。この本には、相手を一瞬、「キョトン」とさせるアイデアはいいアイデアであるということも書かれていたが、キョトンどころか、みんな死んだイワシの目のようであった。
認知バイアスではないけれども、こいつらの見る目がないから無反応なのだと思いたくなった。このブログにコメントをいただく、warotekanaさんからもたくさんのヒントをもらい、これは他社でも実績のある企画ですと言っても無反応だ、せめて、なんでお前がそんなことを知っているんだと言われてもよさそうなものだが、それもなかった。こんな資料を作りましたと配布しても、これはどう見るのだという質問もない。作るだけ無駄というものであった。
僕のほうも、モノづくりには興味があったので雑貨の部門で長くいられたというのは幸運であったのかもしれないが、ファッションビジネスというものにはまったく興味はなかった。だから好きなもの三つを見つけることさえできなかったというのが本当のところである。
どんどん衰退してゆく業界で、何を考えてもそれは防戦一方の方策でしかないというのはわかるが、こんな会議だから防戦一方になってしまうんだろうなと今はそんな会議にも出ることがなくなりホッとしているのも事実である・・。
と、なんだか人生の総括というような感想になってしまった。
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