イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「銀河を渡る 」読了

2018年11月28日 | 2018読書
沢木耕太郎 「銀河を渡る 」読了

沢木耕太郎というと、「深夜特急」が有名だが、このシリーズは文庫本で6冊もあるということと、紀行文というのはもちろん嫌いではないのだが、もともと半径10キロでしか生きていけない僕にとってバックパッカーのバイブルと言われるような本は畏れ多いというか、読んでしまったら自分の不甲斐なさにきっとたじたじとなってしまうだろうということで読んだことはなかった。古本屋にはたくさん置かれているのだけれども・・。

そしてノンフィクションライターとしては実際そうではないようなのだが、スポーツライター的、それも格闘技のことをたくさん書いているイメージがあって、運動音痴でかつ戦うことから極力逃げまわっているこの身にとっては読んでしまうとやはりたじたじとなってしまうと思い、読むことがなかった。

この本はエッセイということなのでそこまで自分を卑下することもないだろうと思って手にとってみた。
初めて読む沢木耕太郎の文章はなんというのだろう、無駄なものをそぎ落としてしまったとでもいうのだろうか、そんな文体だ。格好がいいと思える文章に出会うと言うことは希である。

作家自身が書いているとおり、物には執着しない性格だということで、テーマになっているものはほとんどが人との交わりについてになっている。ノンフィクションライターだから取材先の人たちも含まれているとは言え、出会った人々はあまりにも幅が広い。政治家から映画俳優まで、それもその道に関しての一流のひとたちばかりだ。そしてその関係を長く持ち続けいているようで、そういうことができるのはやはりこの人が持っている人間性というものが大きいのだろうか。それとも、古来から旅人は希人として土着の人々から丁重に扱われてきたそうだが、著者に出会った人々は著者にそういった希人の影を見たからなのだろうか。
どちらにしても、師は、「移動する距離が長くなれば長くなるほど人間は良くなっていく。」と言っているけれども、きっとそれは本当であるのかもしれない。

結局、僕にはそんなことはできないと結局たじたじとなるしかなかったのである・・・。

この本は多分、今年読んだ本の中で一番になるのだと思う。
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加太沖~小島沖釣行

2018年11月25日 | 2018釣り
場所:加太沖~小島沖
条件:中潮 7:46満潮 13:23干潮
潮流:08:47 上り3.2ノット最強 12:39転流
釣果:タチウオ 12匹


「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」
藤原道長がこの歌を詠んだのはちょうど1000年前の今頃だったそうだ。この人が死んだあと、武家の時代がやってきたということは政治的には大した業績を残してはいないのだろうが、これだけの不遜さがないと権力というものは持てないのだろうな。俺が!俺が!と言える人のこころが今一つわからない。



そんなことはどうでもいいのだが、ここ数日風邪気味で、やっと休みになったから安息日といきたいのだが、天気予報はすこぶる上々、無理をしてでも行かねばならないということで朝一は加太で真鯛、転流時刻前からは小島沖でタチウオと欲張ってみたけれども、疲労感が半端ではない。体中の関節が痛くてだるい。いつもなら魚を捌いてから燃料補給のために港に戻るのだが、そんな気力は残っていなかった。スタンチューブから水漏れしているので締め直さなければならないのだけれども仕方がない。エンジンまで浸かってしまうようなことはないだろうか・・・。

夜明けが遅くなり午前6時過ぎに出港。天気は予報のとおりすこぶる上々だ。



今は上りの時刻なのでテッパンポイントからスタート。今回は新しい仕掛けのテストを兼ねていたのだが、残念ながらアタリを得る前に漁礁に引っ掛けてしまった。当分はプロトタイプを工夫しながら使えるものかどうかを試してみたいと考えている。



結局、真鯛のほうは小さなアタリが1回あっただけで午前9時を迎えてしまった。



これ以上粘っても厳しいのだろうと思い、あっさりとタチウオ狙いで小島沖へ移動。
しかし、こっちもアタリがほとんどない。海が穏やかな日はアタリがなくて荒れている日はアタリがある。それが法則ではないのだろうけれどもなかなかうまいこといかない。
ベルトサイズの2匹目が釣れたのは午前10時を回ってからだ。まだ元気があったのでリリースしてあげたご利益だろうか、もう帰ろうかと思い始めた午前11時半ごろ少しアタリが出始めたような気がした。せっかくなので粘ることにしたものの、アタリは続かない。また帰ろうと思った午後0時半ごろ、またアタリが出始めた。今度はかけ上がりになっているところとはっきり場所がわかってしまった。
そうなれば重点的にそういう場所を移動しながら数を稼いでゆく。小島仕掛けも効果的だ。今日は4匹に1匹はこれに食ってきた勘定になる。



しかしながらやっぱり体がだるい。イワシを最後まで使い切ろうと思ったけれども4匹を残して午後1時20分に終了。


帰りの道中、今日もイルカの群れに遭遇。
なんと30メートルほどの至近距離で大ジャンプ。写真におさめることはできなかったが大迫力であった。

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水軒沖釣行とオイル交換

2018年11月21日 | 2018釣り
場所:水軒沖
条件:大潮4:59満潮 
釣果:ボウズ

今日の予定は小船の船底塗装だった。スロープにコロとウインチをセットしてエンジンをかけると・・・。あれ、始動しない。何度かセルを回してみるが、たまに回転を始めるがすぐに止まってしまう。せっかく午前5時に起きて準備したのに台無しだ。これはどうしようもない。せっかくの休みでこんなに天気がいいから家でくすぶっているのももったいない。船底塗装はあきらめて家にとって返してイカ釣りの道具に積み替えて再び港へ。新々波止の横を流してみるけれどもまったくアタリがない。そろそろ釣れる時期なんだけどな~。1時間ほどで終了。



お昼ご飯を食べて今度は大きい方の船のオイル交換。これも早くやっておかねばと思っていたのでできるときにやっておくのだ。三度港にやってきたが、エレメントを持ってくるのを忘れた・・・。また家に帰らねばならない。四たび港へ・・・。
オイル交換は1時間もかからずに終了し、しばし一息。



しかし、1日に四往復とはバカじゃなかろうか・・。


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さらば!友よ・・・

2018年11月20日 | Weblog
別に旧来の友人が亡くなったというわけではない。
取引先では毎年、春と秋に次のシーズンにどんな商品が展開されるかという展示会がおこなわれる。先日の連休の最中、ある取引先の展示会に出向いた。
その目的は来シーズンの商品動向を知りたいというのは3割ほどで、平社員のころ一緒に仕事をしていた営業社員を訪ねることであった。というのは、社内の本部といわれる人間と話をしていてふと、彼のことを聞いてみたところ、今は営業を離れて物流の部門に異動しているということであった。
ちなみにかれは岸和田のリトルリーグの野球少年で、ライバルチームには清原がいたそうだ。清原は当時からとんでもない長打を放つ選手だったそうだ。

毎週水曜日になると閉店後売り場の模様替えをする。けっこう広大なスペースがあるので取引先のセールスマンにも応援を頼んで作業をする。(今では校正取引上問題があるのかもしれないが・・)歳も同じだということもあって、終わったあとはいつも近所のたこ焼き屋で缶ビールを飲んで騒いでいた。それ以外でも売上が厳しいと何か目玉品を入れてくれと頼んだり、僕のほうも彼の営業成績が厳しいときはこっそり納品伝票を上司の机の箱のなかに忍ばせたりというようなことをやっていた。頼りになる営業マンだった。
なかなか仕事熱心だったので東京の本社へ栄転していたなんていうこともあって疎遠になっていたのだが、彼が営業を離れたというのは驚きだった。

少し病気をしていたという話も聞いていたけれどもなかなか元気でやっていた。ただ、スーツ姿ではなく、エプロンにジーンズという姿であったことにはすこし驚きと寂しさを感じるのであった。「なんだかあれだよね、あんたと一緒に傘のパッキンかついでいた頃がいちばんおもしろかったよね。」なんていう話をしていると自分も歳を取ってしまったと思うのだが、それも仕方がない。会社の中でもやっぱり勝ち組と負け組みって必ずあるものだ。
彼の会社の今の顔ぶれを見ると、中途で他社から入ってきたひとが役員に昇格して、ほぼ同時に転職してきた同僚たちがその配下に納まっている感じだ。
日産のカルロス・ゴーンが逮捕されたというニュースが流れていたけれども、どこの会社でもそれなりの派閥争いというものがあるのだろう。彼をかわいがっていた役員は数年前に引退し、勢力図が変わって彼もその巻き添えを食ってしまったというところなのだろうか。
その役員とも仕事をしていたことがあるけれども、当時はまったく仕事をしない人であった。頼みごとはすぐに忘れるし、その模様替えのときでもあまり動かない。それがいまでは取締役支店長さんだ。現場力と政治力というのはやっぱり別物らしい。ぼくからすると、なんであんな人が出世してるの?という思いでそれを見ていた。(他人事ではあるのだが。)

かくいう僕も来年は55歳。役職定年を迎えて部下を持たない立場になり営業職で業務を続けられる可能性は限りなく低くて、そうなると彼の会社へ来シーズンの商品を見に行くこともないので、ここのところは絶対に彼に会っておかなければと思ったので休日にもかかわらず会いにいったのだった。

まあ、重用されることもなかったし、敵意をむき出しにされるほどの実力もなく、ウチの会社に派閥争いというものがあったのかどうかもわからないほど隅っこのほうを歩んできたわけだけれども、それはそれで自分にはちょうどよかったのではないだろうかと過去を振り返ってみるのだ。
セミナーに行ったりビジネス書を読んでいると「自己実現」という言葉がよく出てくるけれどもそれもまったくわからなかった。何をすれば自己を実現できるのか・・。会社の中で勝ち抜けたといってもそれでどういった満足が満たされるのか、どこまで行くと勝ち組になるのか。それがまったくわからなかった。そうなったからといって星の運行を変えることができるわけでなし、季節の巡りの順番を変えることができるわけでもない。

この30年間、そしてあと数年間、人生の半分以上の時間を会社のなかで過ごすわけだけれども、やっぱりそこには自己実現というものを見出すことができないのだ。
「利名は軽く一に釣艇の内なり。」というところだろうか・・。
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「新編 銀河鉄道の夜読了

2018年11月19日 | 2018読書
宮沢賢治 「新編 銀河鉄道の夜読了

まあ、日本人なら一度は読んでおかなければならない作品のひとつなのではないだろうか。遅まきながら読んでみたのであるけれども、僕の心はすでに枯れきって荒廃しすぎているようだ。宮沢賢治からのメッセージを受け取ることができない。
新潮文庫の宮沢賢治の作品群はあと2冊あるのだが、僕にはそれを読む資格がなさそうだ・・・。
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「縄文人に相談だ」読了

2018年11月16日 | 2018読書
望月昭秀 「縄文人に相談だ」読了

縄文ZINE」という縄文時代萌えの人たちが読むフリーペーパーがあるそうだが、その編集者が縄文人になりきって(というか、縄文人なのだ・・・?)現代人の悩みに答えるというものだ。
まったくサブカル的な内容で、縄文時代を科学的に解説しているとかそんなものではない。きっと縄文人ならこんな回答をするんだろうなということを脱力気味に書いている。

縄文時代の考え方というのは、「すべては神の元に帰ってゆく。」ということが基本になっていて、その神のいる場所というのが集落の背後に広がる森だったのだ。アイヌの世界にも、殺したヒグマの命を神の世界に送り返す「イオマンテ」という儀式があるけれどもこれも同じ考えからおこなわれていた。森は生きてゆくための糧を恵んでくれるところであり、神秘の場所でもあったのだ。
貝塚というところはゴミ捨て場であると同時に、すべてのものを神の元に帰らせる場でもあった。
そして、「縄文ユートピア説」というものがあるそうだ。縄文時代というのは実に1万年も続いた時代で、その間、人々の間には大きな争いごと(戦争のようなもの)はほとんどなかったと言われている。発掘される人骨に戦いで傷がついたものが見つからないということが根拠になっているそうで、加えて、発掘される縄文式土器の豊かな芸術性はやはり平和な環境がなければ生まれなかったのではないかということが根拠になっている。

1万年も同じ体制が保たれたということはそれだけ安定した社会であったとも言える。
こういう、平和を愛する縄文人が現代人のモヤモヤ、ドロドロした悩みにスパッと答えを出す。最後の決め台詞が、「貝塚へ送っちゃいましょう~!。」なのである。

アドラーが言うように、人間の悩みは100%人間関係であるというとおり、この本に出てくる悩みも食べ過ぎる、飲みすぎなどという生理的な悩み以外は何らかの人間関係が起因している。
それに対する縄文人の回答は、そんなことで悩む必要はないんではないでしょうか。だから貝塚に捨ててしまいましょう。というようなものになっている。

縄文人の平均寿命はわずか14.6歳だという研究があるそうで、これは乳幼児の死亡率が途方もなく高かったということに起因するが、この平均寿命を行き抜けたとしても男女ともその後は15、6年しか生きることができなかったらしい。
ユートピアとはいえ、とにかく命をつなぐことに必死な社会では人間関係に悩んでいる暇はなかったのではなかったか。それを悩みが少なくて幸せであったと評価することができるかどうかというのは疑問であるけれども、その後、弥生時代に入り、稲作と同時に土地所有がはじまり階層、貧富、財産、資源の奪い合いなどという、多分、現代でもでも人々の悩みのタネになっていそうなことが生まれてきた。
人は長い寿命を手に入れたけれどもそれと引き換えにもっと大切なものを失った。それはきっと間違いがないのだと思う。

縄文人の著者は、弥生時代のことを快く思っていないようで、ところどころで「弥生死ね。」「稲作死ね。」とか言ってディするわけだけれども、それをなんとなく理解できてしまうというのは、僕はひょっとして縄文人だからなのだろうか・・・

そして気になるのは縄文人は魚を釣っていたか。
これは以前に読んだ「釣針」という本の内容であるが、これは間違いなく釣りをしていたそうだ。“縄文”というくらいだからハリス代わりの紐もあっただろうし、釣り針は獣の骨を加工していたそうだ。
主な獲物はチヌやスズキだったそうだそれも小型が多かったとか。やはり紐の強度に問題があったのだろうか。それともわざわざ磯に乗らなくても手軽に足元で釣れるからそれでよかったのだろうか。考えてみると、今の釣り人のように目を血走らせてガツガツする必要もなかったのかもしれない。
そう考えるとやっぱり僕は縄文人だ・・。
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小島沖釣行

2018年11月15日 | 2018釣り
場所:小島沖
条件:小潮 4:42干潮 12:35満潮
潮流:5:27 下り2.2ノット最強 8:47転流 12:47 上り2.9ノット最強
釣果:タチウオ 匹数未確認

今日は連休の最終日。1週間前からウエザーニュースの天気図をチェックしていたのだが、今日の気圧配置はすこぶるいい塩梅だった。潮の廻りからいくとタチウオが狙い目だ。

そして、一昨日、生石山に住む森に暮らすひまんじさんのお宅に小船の船底塗装のために使うコロをいただきに上がったとき、先日釣ったタチウオの話題がでた。ひまじんさんの奥さんはタチウオが大層お好きのようで、やっぱり釣ってきた魚は違うと言ってくれれば、お誘いしないわけにはいかない。ひまじんさんも奥さんに、「食料を獲保して来いということだろう?」と嬉しそうにおっしゃっている。横で聞いていても楽しい掛け合いだ。
そろそろ北風が吹くころでタチウオ釣りには厳しい季節なので今回が今シーズンのラストになるかもしれないのでぜひとも行ってもらわなければならないではないか。

夜明けも遅くなって今日は午前6時に出港。港までの道中、明けの明星だろうか、東の空に明るい星が見えていて、今日の釣果を約束してくれているような予感がしていたのだが・・・。



田倉崎を越えたくらいから波と風が強くなってきた。今、天気図を確認してみると、高気圧は朝鮮半島の上にある。予報ではもう少し東のほうにあるはずであったのだが、少し位置がちがっているようだ。



もう少し日本海の南の方にいてもらわないとやっぱり北風が強くなるんだろうな。
地の瀬戸を越えたくらいからますます波が高くなってきた。ポイントまではもう少しだけれども、ちょっと厳しい。とりあえず大川沖で波が小さくなるのを待つ。ここは水深35メートル。さすがに釣れる気がしないけれども安全第一だ。

ちょうどこの一帯だけ、低い雲が垂れ込めている。



これが抜けてくれて左の方に見える青空がやってくると少しは風が治まるのではないかと思うのだが、ずっとこのままだ。ひまじんさんもこの揺れの中でかなり難儀をしているようだ。申し訳ない。去年もしんどい思いをさせてしまったのでなおさらだ。



ただ、今日は間違いなく風と波は治まってくるはずだ。それを信じてなんとかこの状況をしのいでいる。
そして、1時間くらいしてからだろうか、わずかだが波が低くなってきがした。そして他の船も沖のポイントに集まってきた。それではと僕たちも移動を敢行。
水深50メートル位の場所であったろだろうか、アタリが出始めた。徐々に水深のある沖に移動してゆくとますますアタリが出てくる。型もまずまずだ。これだけの型が釣れれば洲本沖を目指さなくても大丈夫というい感じである。

転流時刻を過ぎたくらいまでは順調にアタリがあったのであるが、午前9時半を回った頃、ぱったりとアタリがなくなった。本当に唐突にアタリがなくなった。どこに移動しても当たらない。
これはまずいなと思うけれどもまったくなすすべがない。午前11時を迎えて、そろそろ帰ることを考えなければならない時間になってしまった。なんだか不完全燃焼なのであと15分やってアタリがなければ帰りましょうと決めてラストスパートに臨むと、またアタリが出はじめた。それもかなり大型が食ってくる。僕にも、ひまじんさんにも指4本を超える大きさのタチウオが釣れた。それではもう少しと午前12時半まで粘ってしまった。
アタリはまだまだ続いているが、これくらいが引き上げ時だろう。しかし、タチウオという魚はなんと気まぐれなんだろうか。多分、潮流とは無関係にエサを食べるスイッチが入るようにしか思えない。

帰りの道中、帝国神殿前あたりに差しかかったとき、ひまじんさんがしきりに陸地のほうを指さしている。なんだろうと思ってスロットルを緩めると、あれはイルカじゃないか!とのこと。そういえば、秋以降、イルカの目撃談をよく聞いていいた。あれが噂のイルカの群れのようだ。20頭はいただろうか。かなりの浅瀬を泳いでいる。イカでも獲って食べているのだろうか。

 

帰りは波も幾分穏やかになり、珍しいイルカも見ることができて、とりあえずは良しとしておこうか・・・。




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台風21号の総決算・・・

2018年11月13日 | Weblog
西日本に未曾有の被害をもたらした台風21号は僕の釣り人生にも大きな影を落とした。
そして台風が通過してから約2ヵ月、やっと元の状態を取り戻しつつある。そして今回の被害額は・・。

大きい方の船はシールドが破損。



少しの間は割れてしまったアクリル板を繋ぎ合わせて使っていたが、さすがにこのままではみっともない。(Don’t mindと書いてはみたものの、やっぱり気にしないわけにはいかないのである。)



何か所か加工をしてもらえるところを問い合わせたが、同じく台風の被害で当面営業ができなかったり思いのほか値段が高かったりでどうしたものかと悩んでいたのだが、9年前この割れたアクリル板を作ってもらった時に比べるとネットショップの充実ぶりは目覚ましい。モノタロウではサイズを指定しするとカットして送ってくれる。あとは自分で切り込みを追加するとほぼ元の形になってくれた。

 


そして被害が甚大だったのが小船のほうだ。エンジンが死んでしまったのだ。依頼をしたところもほかの被災船の修理が忙しいらしくなかなか見に来てくれなかったが(バイクで2分くらいしかかからない距離なのに・・)やっと修理が完了した。航海灯とバッテリーをつなぐコードも新しく作ってほぼこれで装備は完了。(航海灯側も水没したのでそっちがちゃんと生きているかどうかというのは未確認ではあるが・・・)



あとは小船の船艇を塗装すれば釣りに出ることができるのであるけれども、それをするために使っていたコロもあの時に流されてしまった。これこそはお金を出したとしても、どこで買えばいいか見当がつかない。そこはまた森に暮らすひまじんさんにお願いをするしかなかった。
「切っておきましたよ。」という連絡をいただいていたので今日、それを貰い受けにいってきた。せっかく生石山まで行くのでついでに自然薯掘りをさせてもらおうとたくらんだがそれは残念ながらあいにくの雨のため叶わなかったけれども、ネオイレグイ号の性能を試すよい経験となった。
軽自動車はあの坂道を上ってゆくことができるのか・・。それはまったくの杞憂であった。アクセルベタ踏みでうんうん唸りながら上らねばならないと思いきやあっけなく山頂の駐車場まで上りきった。660CCの排気量でも十分じゃないか。



そして積載力。今回は1.8メートルの丸太を2本積載したのだけれども、このとおり何の問題もなく積み込むことができた。



これで今度の大潮と休日が重なる日に陸揚げすればまた通常の速度が復活してくれるにちがいない。

2万円ほどで買ったカーナビもまるで純正パーツのように納まってくれている。これは意外といえば意外であった。



そして今回の復元までにかかった費用は〆て40,306円。これには港の街灯の修理代も含まれている。名目上は共同管理ということになっているので致し方がない・・。



被害としてはこれのほかに碇が1本、釣ったイカを活かしておくためのゴミバケツを流してしまったのでおいおいこれらも購入しなければならない。
ただ、こんなことを悠長に書いていられるのも、それでも2艘とも沈没することなく浮かんでいてくれたからなのだからこれはきっと神様に感謝をしなければならないと思うのだ。


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加太沖釣行

2018年11月12日 | 2018釣り
場所:加太沖
条件:中潮 9:21満潮
潮流:5:57転流 10:03 上り3.1ノット最強
釣果:真鯛 2匹

今日は真鯛にはうってつけの潮廻りだったのでほかの魚には浮気をせずにがんばってみたのだが、結局2匹だけで終わってしまった。
波も穏やか、空も曇りがちだから絶好の釣り日和のはずなのだけれども・・・。

 

早朝はまだ潮がゆるいので大和堆ポイントからスタート。



これは読みが当たった。すぐにアタリが出て2匹一荷で掛かってきた。1匹は小さいのでリーリース。そしてすぐあとにまたアタリ。午前7時まで、釣り始めて30分ほどで2匹を確保した。おお、これは今日、間違いなく大漁ではないかと思ってしまったのだが、そのあとが続かない。アタリはかなりあるのだがなかなか鉤に乗らない。多分、小さい魚が多いのだろう。
潮が早くなってからはテッパンポイントで勝負と決めていたので午前8時過ぎにポイントを移動。目指すポイントの右を見てみると小さいながら船団が出来ている。



う~ん、テッパンポイント付近には船が浮かんでいないし、ここは郷に入っては郷に従え。針路を変更。ここもアタリはあるけれどもはやり鉤に乗らない。そこからはあちこち迷走。
大和堆ポイントでは反応もけっこうあったので、あそこに留まっていたほうがよかったのではなかったと思ってもそれはあとの祭りだ。
今日は決して悪い日ではなかったはずなのだから、自らの腕前の悪さを恨まねばなるまい・・・。
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「大人の恐竜図鑑 」読了

2018年11月08日 | 2018読書
北村雄一 「大人の恐竜図鑑 」読了

大人になってからも恐竜が大好きな人というのは大人になっても魚釣りが大好きな人と頭の構造はそれほど変わらないのだろうか?
魚釣りを研究する科学者はいないけれども恐竜を研究する科学者はいるのだからむこうの方がよい構造をしているのだろうか。
海面下も覗き見ることができないけれども化石だけ見ながら分類やましてやその生態を想像するというのもまあ、好き勝手にできて面白いのかもしれない。

僕がまだ科学と学習を読んでいた頃には、ステゴザウルスとブロントサウルス、ティラノサウルスや空を飛ぶやつ、海にいる首の長いやつくらいしか載っていなかったように思うけれども、最近は大きいやつから小さいやつまでやたらと数が多くなったものだ。
そういえば、トリケラトプスってかっこよかった。
恐竜の時代は三畳紀から白亜紀まで、地質時代でいえば中生代、2億5000万年前から6600万年前という約1億8500万年という長い期間だから恐竜も進化を繰り返してどんどん種類も増えてきたわけだ。

興味深いのは、鳥は恐竜から進化したということを大きくクローズアップしているところだ。
たいがいの想像図というのは象の皮膚のような感触で描かれているけれども、実はそこに羽毛をまとったものが多かったというかほとんどが多かれ少なかれ羽毛が生えていたのではないかと考えられている。
その羽根を使ってどのように行動していたかを時代ごとに解説を加えているのだ。最初の羽根の役割は陸上を早く走るための補助動力であった。そのうち、その補助動力を使って木の幹を上るものがでてきた。そこから滑走することを覚えて大空に飛び出した。最新の考察というのはこんな感じだそうだ。
以前の考えでは、鳥の祖先(始祖鳥なんか)は最初から木の上で生活していてそこから滑走することを覚えたと言われていたけれども、爪の形や、元々羽ばたく力を持っていたと思われる筋肉の付き方を総合すると新しい見解が出てくるらしい。

また、一応魚好きの僕にとっては魚の進化も気になる。魚は恐竜ではないのでこの本には直接的には書かれていないけれども、それを食べていたであろう翼竜のことが書かれている。(ちなみに翼竜や海を泳いでいた首長竜は恐竜ではない。)三畳紀の頃の初期の翼竜の奥歯には獲った獲物をすり潰して食べるための歯があったそうだ。それは当事の魚は甲冑のようなエナメル質の装甲で覆われていたのでそうするしかなかったのであるが、時代が下ってジュラ紀の時代になるとそれがなくなったのでただ魚を救い上げて食べるための機能をもった嘴に変わっていく。それは魚自体が今のような鱗に変わってきて飲み込みやすくなって翼竜の姿も変化してきた。魚も明らかに進化をしてきたのだ。

大人の・・・・。というタイトルはどういうところから付けられたのだろうか。今は「ブロントサウルス」という名前の恐竜は存在しないことになっている。ブロントサウルスはアバトサウルスという名前に改名されている。
なぜこういうことが起こるかというと、1800年代後半、化石が見つかると細かく分析することなく学者たちが勝手に名前をつけていたそうだ。ブロントサウルスと名付けられた個体はそれより前にアバトサウルスと名付けられていた個体と同じものだと結論付けられブロントサウルスという名前が消えてしまった。そしてこの二つの恐竜を命名したのは同じ人物だったというから面白い。発掘された1本の歯からでも命名されたものもあったそうだ。そういうことが分類、生態、復元図その他諸々においておこなわれていたということを批判的に書いている。
そんなところが「大人の・・」というタイトルにつながっているのかもしれないが、そこは著者が日本人であるから表現がやわらかだ。「ワンダフル・ライフ」を書いたスティーヴン・ジェイ・グールドなんかはライバルをもっとけちょんけちょんにこき下ろしているから、「大人・・」というにはまだまだ世間ずれしていないようにも思うのだ。著者もサイエンスライターという立場なので学者ほど権威がないという弱点を持っているからかもしれないけれども・・・。

トランプ大統領の大きな支持者であるキリスト教福音派は進化論を否定しているということで知られているが、これだけ精巧に作られてゆく生物を見ていると、確かに神様でなければお創りできないと考えても不思議ではないと思うのである。
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